▼15/11/14更新分から読む ▼15/11/21更新分から読む


Episode34:夏の音速(前編)




 バスに乗っていると向こうの方にサイケデリックな配色の謎の城のような建造物が見えてきた。お世辞にも趣味がいいとは言えない。俺は隣に座っていた哲平を小突き、指を差してそちらに注意を向けさせた。
「哲平、なんだろあれ」
「あ、あれ、なんか前ネットで見たことあるけど、ごみ処理場らしいぞ」
「うぇ……なんて最悪な趣味してるんだよ……」
 建物の全体像が見えた途端、思わず顔が引きつってしまった。ゴミ処理場なら大事なのは機能のはずなのに、なぜあれだけ外装に凝ってしまったんだ……あと、あれ一応税金で作ったんだよな。納税者の皆様、ご愁傷様です。
 俺がガタガタと揺れるバスの音を聞きながら、箱モノ行政の闇について深く感じ入っていると、今度は反対側に座っていた凛が俺を小突いてきた。
「ねぇ、それよりしゅーくん、さっきの人の話聞いた?」
「聞いてないぞ。何の話?」
「いや、ここまでくる電車、私たちは途中で降りたけど、最後まで乗れば遊園地でしょ?」
「ああ、らしいな」
 凛が言っているのはさっきまで俺たちが乗っていた電車の話だ。あの電車、このまま乗っていくと某映画配給会社をテーマにした遊園地に着くのである。
「同じ電車に乗ってた中学生風のカップルが、『着いたらどのアトラクションから乗ろうかな』って話してて」
「ああ」
「そしたら男の子の方が、『ビッグサン○ーマウンテン』から乗ろうって」
 俺と哲平は思わず吹き出してしまった。それディズニーのアトラクションじゃないか。
「そしたら彼女の方が『プー○んのハニートラップ』にのりたいって」
「クッ……惜しい」
 しかもそれもディズニーのアトラクションだしな。なんかそのカップルの行く末を案じてしまうな……大丈夫か。男の方が物陰で薬とか飲まされて子供になったりしないだろうか……あの話、結局どうなったんだっけ。まだ連載続いてるんだろうか。
「あ、ねぇ、もうすぐ着くよ!! どうしよ!! 着いたら一緒にジャンプしよ!!」
「それによって何が生まれるんだ」
「私たちがサマパニの会場に着いた瞬間、私たちは地球上にいなかったんだよ!」
「お正月かよ……」
 凛にはあきれた風に突っ込んだが、実際の所、俺も飛び上がりたい気分だった。いや、だって昨日ワクワクしすぎてなかなか寝れなかった。といっても七時間は寝たので良く寝た方だな……。
 八月の頭、太陽が焼き尽くすように地表を照らす中、
 俺たちは夏フェス会場に向かっていた。



 テンションが上がりすぎてなんだか落ち着かないので、少し状況を整理してみる。
 いや、くれぐれも更新期間が開いたからみんな覚えてるかなっていう確認とかじゃないからね? そういうメタな奴じゃないんだよ? よいこのみんなは勘違いしちゃだめだよ?
 さて、俺たちレフトオーバーズの三人は、凛の父親の友達のおかげで、俺たちは国内最大規模のロックフェスである「サマーパニック」、通称「サマパニ」に参戦することになった。ロックフェスと言うのはたくさんのロックバンドが出てきて一日中ライブしまくるという夢のような祭なのである。
 しかも今回のサマパニのヘッドライナーはレッドホットチリペッパーズ。つまり凛と俺がこの世で最もリスペクトしているバンドが、フェスの最後にライブをするのである。ちなみにサマパニは二日通しで行われるのだが、俺たちは金なんて持ってない高校生なので一日だけの参加だ……二日目には元オアシスの人がやってるバンドとか、ストロークスとか来るから見たかったんだけどな……。まぁレッチリが見れるだけでも俺なんかには身に余るほどの贅沢だしな。
 バスは、サマパニの会場である海沿いの埋め立て地に作られた馬鹿でかい運動公園に着くと、ビニールの屋根のある場所で、チケットとバンドを交換する場所があった。これを手首に巻いていれば、会場に入場できるというわけである。
 その周りには「チケット譲ってください」と書いた紙切れを振っているたくさんの人が見える。何らかの事情で取れなかった人が居るのだろうか。にしてもここまできて譲ってくれる人って実際いるのかな。
「あれ、ほんとに譲ってくれる人いるのかな……」
「ああ、同じこと思ってたよ」
 おれがもらったビニールのバンドを手首に巻いていると、凛が俺の脳内を読んだようなタイミングでそんなことを言うので、俺はぎくりとしてそちらを向いた。凛は片手でバンドが負けないみたいで手こずっている。なんであんなギター弾くのクソうまいのに手先は不器用なんだ。
「ほら、貸してみろ」
「うわっ……しゅーくん、ありがとう」
 俺が凛からビニールバンドを奪って左手首にまいてやると、凛は嬉しそうに俺を見上げた。うっ……可愛い……でも俺には愛する妻(じゃなくて彼女)が……。
 俺がそんなバカなことを考えていると、突然右肩に激痛が走った。なんか哲平にぶっ叩かれたみたいだ。
「いってぇ、何すんだ」
「いや、何となく腹立ったから……」
「なんちゅー理不尽さだ……ジャイアンかよ……」
「まぁ怖い! ヤクザよ!」
 俺が肩をさすりながら非難の声をあげると、凛が裏声で囃し立てた。まあそもそも顔がヤクザなので、ちょっとくらい理不尽な行動をとった方が似つかわしいと言えば似つかわしいよね。そんな俺の失礼な妄想を知ってか知らずか、哲平はさっきリストバンドと同時にもらったパンフレットに書かれた地図とタイムテーブルを眺めている。
「最初、どこ行く? 物販行く?」
「いや、Tシャツなんていらないしな……」
 というか正確に言うとそんなもの買うお金が無い。
「お金も無いしね」
 凛。ありがとう。見栄を張って言えなかったことを引き継いでくれて。
「そうか……うわっ、あれ物販の列か……」
 哲平がぎょっとした声をあげて指を差したのでそちらの方向を見ると、おびただしいほどの人が何百メートルにもわたって並んでいた。俺たちが来るよりもずっと前にこちらに来て並んでいた人の列のようだ。蟻の行列の様な人だかりを見て、俺も思わずうめき声が出てしまう。
「うっ……あれ並んでたら最初のバンド聞けないな……」
「ライブを、聞こう! 私たちはライブを聞きに来たんだよ!」
「それもそうだな」
 珍しく凛がまっとうなことを言うので、哲平もそれに頷いた。まあTシャツなんてネットでも買えるといえば買えるしな。アマゾン先生に日々の感謝を捧げつつ、しかしそれもそれでちょっと寂しいような気もするな。
 サマパニの会場は三つのステージに分けられていて、一番大きな野外ステージである「ステージ海」、二番目の野外ステージである「ステージ山」、そして屋内ステージである「ステージ音」である。海、山ときたら空か川がいいと思うんだけど、そこは違うんだな。
 一番初めのバンドは既に始まっていたので、とりあえず一番大きなステージに行ってみようという凛の安直な提案に従って、ステージ海に俺たちは向かった。
「広い!!」
 着いて一番凛が小学生みたいな感想を言った。いや、確かに広い。うちの学校のグラウンド二つ三つ分はあるんじゃないか。まだ始まってばっかりということもあって、人はそこまで入っていないけれど。
 数十メートルほどの高さがある柱に支えられるようにしてステージが立っていた。ステージの両脇には大きなスクリーンが設置され、サマーパニックというロゴが表示されている。ここに演奏中のアーティストの映像が流さるのかな。後ろの方には屋台が立っていて、飲み物などを打っていた。
「レッチリもここでやるんだよな」
「う……今から楽しみだ……」
 哲平が辺りをきょろきょろしながら言うと、凛が喉を詰まらせたような声でそんなことを言った。いや、確かに一番の目的はレッチリにあるんだけど。今からやるバンドに失礼だよな。
「こんなひっろいところで一回ライブしてみたいな……気持ちいいだろうなぁ……」
「凛なら最終的にこういうとこでライブしてそうだけどな」
「いやー。私みたいな大したことない奴が、音楽の世界でサバイブできると思えないよね」
 凛がそう言うので俺は首を傾げた。謙遜じゃなくて本気で言ってるんだよなぁ。ものすごいのに偉そうにしないところがこいつの良い所でもあるんだけど。
 ただ、客観的に見ても技術だけならもはやプロ並みにあるし、なんやかんや最近はバンドメンバーとの協調性も出てきたので、やっていけそうな気はするんだけどな。まあこればっかりは運もあるから何とも言えない所だけれど、あと数年後くらいにしれっと夏フェスのステージに立ってそうだから怖い。
「お、始まるみたいだぞ」
 どうやらサウンドチェックが終わったようで、入場SEが流れ始めた。
 出てきたのは、日本ではまだあまり有名じゃないバンドだ。俺も聞いたことない。後で調べてみたら、どうやら一年前にデビューしたバンドらしい。そりゃ知らないよな。ただそういう聞いたことの無いバンドが聞けるのもフェスの良い所だ。
 ジャンルは……なんて言ったらいいんだろう。ガレージロックっぽい感じかな。でもダンスミュージック的な感じもある。良くわかんないけどオルタナっていっときゃ何とかなるよね! いやならないか。
 ポップでダンサブルな音楽に、ボーカルのよく伸びる声が失踪していく。確かな演奏能力に裏付けされた力強い音楽が、まだ盛り上がっていなかった会場に火をつけていく。オープニングアクトにしては盛り上がってる方じゃないだろうか。
 ライブアクションも凄い。ボーカルがなんかよくわかんないけどクネクネしながら靴下を脱ぎだした。それを見て凛が爆笑しているのが見えた。頼むからレフトオーバーズのライブではマネしてくれるなよ……。
 ライブの後半、盛り上がりも最高潮になってきた。前の方にいたら、知らない兄ちゃんに肩を組まれたので、俺も負けじと隣に居たおっさんと肩を組んでジャンプした。会場が波のように揺れる。楽しい。いや、すごく楽しい。
 終わると割れるような歓声を退場SEにしながらバンドは去って行った。
「すごかったね!! あんまり聞かない感じのバンドだったけど、すごく良かった!!」
「そうだったな! いや、ライブ久しぶりだけど楽しいな!」
 凛が額の汗をぬぐいながら言うので、俺もそれに応えた。確かに凛や俺が聞かなさそうなタイプの音楽だ。あんまりダンスミュージック的なの聞かないしな。
「あれ、てっちゃんは?」
「あれ、ほんとだ、どこだ」
 気づかないうちに哲平が見当たらない。俺と凛がきょろきょろしながらステージと反対方向に歩いていくと、少し後ろの方で哲平が地面にしゃがみ込んでいるのが見えた。
「どうした」
「いや……なんか気持ち悪くて……」
 俺が話しかけると哲平は虚ろな目で俺を見上げた。どうしたんだろう。はしゃぎ過ぎたのだろうか。
「しゅーくん……」
「何だ」
「もしかして、熱中症じゃない?」
 凛が空を指差しながら、少し小声でそう言った。
 空は気味が悪いくらいに青く、雲は一つも無く、ただ強い光を放つ太陽が浮かんでいた。




 熱中症かどうかは良くわからなかったが、とりあえず屋外にいるのは良くないと思ったので、凛と一緒に哲平を引きずって、屋内ステージである「ステージ音」の中に入った。
 屋内ステージはよくクーラーが効いていて、入った瞬間、外との温度差で少し体が震えた。興奮してて気づかなかったけど滅茶苦茶暑いんだな、外。中は一階席と二階席に分かれていて、一階席は立ち見だが、二階席は椅子があり、座れるようになっていた。多分バスケとかバレーとかをやるスタジアムなんだろう。
 哲平をとりあえず二階席の椅子に座らせて、ステージ海の近くで売っていたポ○リス○ットを飲ませ、濡らしたタオルを首筋にあてた。凛は俺が持ってきたうちわで哲平を仰いでいる。
「ポカ○スエ○ト、一本五百円もした……こういうのに乗じてぼったくりするの良くないよな……」
「滅べ大○製薬!」
 凛、言い過ぎだ。
「すまん……後で返す……っていうかお前ら見たいの見て来てくれ……俺はここで待ってるから……」
「いや、いいよ、俺らも暑かったし。屋内ステージの聞いとくよ」
「うん、屋内のも面白そうだよ」
 凛がそう言ってステージを見やると知らない4ピースバンドが何やら奇怪な音を出していた。ポストロックとかシューゲイザーっていうのかな。無限にサスティンが伸ばされた音が何層にも積み重なって、不思議な不協和音を出し、その上をギターリフが木霊のように往復している。うーん……俺にはまだ良さが理解できない奴だ。でも音圧は凄いな。どちらかと言うとクラシック音楽みたいな楽しみ方をしないといけないのかもしれないな。俺がぼーっと眺めていると、凛が俺のTシャツを引っ張ってきた。
「ねぇ、しゅーくん……もうちょっと近くで聞いてきていい?」
「あ、うん。俺はここで哲平と待ってるから……あ、うちわ貸して」
「はい。てっちゃんは任せたよ!」
 そう言って、凛はフラフラと階段を下りて、ステージの方に近づいて行った。あれを聞いて良さが分かるというのだろうか。ステージの前ではトリップしたように何人もの人がゆらりゆらりとゆれている。その中に凛が混ざる。
 俺も曲に合わせてゆらゆらとうちわを振って、哲平に風邪を送り込んだ。
「すまん……かたじけない……」
「武士かよ……」
 俺がそういうと哲平は少しニヤリと笑った。笑う余裕は出てきたみたいだ。
 暫く哲平を仰いでいると、哲平が俺からうちわを奪って自分で仰ぎ始めた。手持無沙汰になった俺は鞄から持ってきたおにぎりを出した。ほんとは食べる間を惜しんでライブを見ようと思ってたんだが、こうなったからには仕方ない。せっかくクーラーの効いてるところで座っていられるんだから、その安楽さを享受しようじゃないか。
 黙って無心でおにぎりをほおばっていると、哲平が突然話し始めた。
「鷲、あのさ」
「なんだ」
「なんとなく言いづらかったんだが、ちょっとおかしいと思うことがあって……」
「何がおかしいんだよ。このバンドがか?」
 今度はディレイをかけたギターの弦を叩いて、ノイズ音みたいなのを何度も反復している。なんか実験音楽みたいだな……ただ迫力はあるな。迫力「だけ」ある感じだ。
「いや、このバンドもだいぶおかしいと思うが……チケットのことだ」
「俺らのチケットのことか?」
 俺がそう言うと、哲平はいつものドス声でそうだと答えた。さっきも言ったけど、凛の父親の友達が譲ってくれたチケットのおかげで俺らはここにいられる。俺も哲平もタダでサマパニが見れるならと思って喜んでいくことにしたが、確かに考えてみればおかしい。
「自分が仕事に行けなくなったって理由でチケットを譲るってのはありうる話だ……でも、三枚分のチケットを余るっておかしくないか? 自分の仕事のせいで一気に三枚分不必要になるってどういう状況ならありうるんだ?」
「確かに」
「それに売ればいいのにタダでくれるってのは変だ。さっきあれだけチケットを欲しがってた人が居ただろ。多分高値で転売だってできたはずだ」
「うーん……」
 哲平の言うとおりだ。それは俺も思っていた。ただ関係ないけど、あの人たちは逆に転売の為に大量に仕入れるクズがいるから入れなかったのかもしれないけどな。ほんと転売厨は死ね。
「つまり何が言いたいんだ?」
「つまり……誰かが嘘をついてる」
 哲平は重い声でそう言った。哲平が筋道立てて論理的に話していくので、なんか推理小説のセリフを聞いてるみたいで楽しくなってきた。でもどちらかと言えば哲平は犯人役が向いている気がするけど……見た目的に。俺はその思いを振り払って哲平に質問した。
「とすると、誰が嘘ついてるんだ。凛か?」
「それはありうる。凛なら『三人でレッチリ見たい』と思ってチケットを勝手に三枚買ったりしそうだよな」
 凛がニヤニヤしながらコンビニでチケットを取っている情景が浮かんだ……あいつ時折そういう無駄な行動力あるからな。俺らが無断で練習に使っている学校の空き教室に機材を持ち込んでスタジオに無断改造したのも凛だったし。
「ただ、仮にそうだとしてもタダにする理由が無い。素直に『後でお金返して』って言えばいいんだ。高校生に三万はきついだろ」
「そりゃそうだけど……『サプライズプレゼント』とか言いたいんじゃないかな」
「いや、凛、嘘つくのクソヘタクソだろ……凛が嘘をついてるように思えないんだ」
 そう言われて俺はひどく納得してしまった。凛は嘘をつくのが下手だ。嘘をつくとすぐに声が裏返ったり動揺したりしてしまう。
 一つだけ記憶に残っている例外として、去年のクリスマスだったかに、哲平となっちゃんを二人きりにするために空気を呼んで「ケーキ買って電車で帰るから先帰って」という一世一代の芝居をこいたことがあったが、あの時は嘘をついたわけでは無かった。実際にあの日凛はケーキを買いに行って、電車で帰って行った。
「じゃあ、凛が嘘をついてないとして……凛がチケットをもらったのは凛の父親からのはずだろ? じゃあ凛の父親が嘘ついてることになるのか? 凛の父親が三枚買って、俺らをサマパニに送り込もうとしたって?」
「そう。それが一番ありうるんだが。疑問が二つある。一つ目の疑問は、何の目的でそんな嘘をついたのかが分からない」
「凛が行きたがると思ったから……あるいは、凛のメンバーである俺らにもライブ聞かせて勉強させてやろうと思ったから、とか?」
「うーん……そんな気前良さそうに見えないんだよな、あのオッサン」
 哲平がそう言うので俺は苦笑してしまった。哲平は凛の家がやっている楽器店の常連で、店主、つまり凛の父親とも仲がいい。
「もう一つの疑問は、なんで自分は来なかったのかってことなんだ。あのオッサンなら自分で来たいと思うと思うんだ。どうして三枚も買って、俺らだけ行かせようとしたのかが分からない。丁度三人なんだから、家族で行けばいいじゃないか。」
「確かに……」
 凛の父親もロック狂だし確かにそれはありうる話だ。母親はどうなんだろう。そう言えば凛の母親を見たことが無いな。あんまり話題に上ったことも無いけど。きっと凛にそっくりの、かわいい女性なんだと思う。その件の凛は何処にいるんだろうとステージの方を見やると、気づかないうちにステージの最前列で恍惚とした表情でステージ上のバンドを見つめているのが見えた。ウッ……この難解な音楽の良さが分かるのか……流石だ。
「ただ、ここまで考えてみて、やっぱり一番ありうるのは凛の父親が買ってくれたという説なんだ。仮にそうだとしたらお礼しないといけないなと思っていてな」
「なるほど」
 哲平がそう言うので、俺は腕を組んでから頷いた。哲平は生真面目だからな。俺はそんなこと何にも考えてなかったな。俺も少し考えてみることにした。
「誰が嘘をついているかと言うのは置いといたとして、問題は何の目的でってことだよな」
「まあ、そうだな」
 哲平が頷く。話しているうちにどうやら
「色々考えられるけど、いずれにせよ俺らをサマパニの会場に送り出したかったのは確かなわけだな」
「うーん。何のためだろう……レッチリを見せるため……」
「あるいは、出演者の内の一人が、俺らに見てほしかったから、とか」
 その後いくつか可能性を出したが、答えは出なかった。
 しかし、その答えは少し後になってから分かることになる。




 そのまま屋内ステージでやってるバンドをいくつか聞いた後、俺たちは再び外に出た。その頃には哲平も回復していた。外に出てすぐ救急車が会場の近くにとまっているのが見えた。この暑さだし、やっぱり熱中症で倒れる人もいたんだろうか。
「下手したら俺もあれに乗ってたかもしれん」
「そうだな……なんか今日、いつもより暑い気がするしな」
「そういやさっき誰かが『今年の最高気温が出た』って言ってたの聞こえた」
「ゲッ……やはりな……」
 道理で暑いはずだ。俺も大量に水分を取っているが、飲んだものがそのまま汗になって出てくる感じだ。俺たちが走り去る救急車をぼーっと見送っていると、その間に凛が入ってきて俺たちの背中をバンバンと叩いた。
「二人とも!! へばってる場合じゃないよ!!」
「凛は元気だな……」
「俺らはオッサンだからな……」
「もぉ! 同い年でしょ!」
 俺らが低い声で返すと凛は顔を膨らませて怒鳴った。いやまあそうだけど紺だけ暑いと若さも意味が無いというか……体力が無いんだよな……。
「次はホルモンなんだよ!」
「え、ホルモンってあのホルモン?」
 手元のパンフレットでタイムテーブルを確認すると、確かに「ステージ海」の所にマキシマムザホルモンと書いてある。レッチリが気がかりすぎて他のバンド何見るかあんまり考えてなかった弊害だ。ウッ、それこそ他のバンドに失礼だけど。
 三人で水を飲みながら「ステージ海」に戻ると、人がさっきの五倍くらいに増えていた。朝まだ来てなかった人がやってきたというのもあるだろうけど、流石国内でも有数の人気バンドだ。集客力は凄い。ステージに群がる人の間を縫うようにして、三人で前の方に行った。
「ホルモン、生で聞くのは初めてだな……凛も初めて?」
「そう! 私も生でするの、初めてなんだ……」
「その表現はおかしいだろ!」
 凛は流れるようにいつも通りの下ネタをばらまきながら、ワクワクして待ちきれないような表情をしている。うわでも周りの人ちょっとひいてるだろ……こんだけ人が密集してるところで声も落とさずにそんなこと言うから……なんか慣れ切ってしまっていたけどどう考えても異常だもんな。
 といいつつ、俺も、まあ、ライブで聞いてみたいとは思っていたので楽しみだ。胸が高まるな。
 ――とかのんきなことを言ってた頃もありました、ええ。
 ライブが始まった瞬間全身に強い衝撃を感じた。
 いや、比喩表現じゃなくて、マジで物理的なインパクトを受けた。
 モッシュしながら後ろから突っ込んできた人々に前の方に押し出されたのだ。それでも前の方にいる人は慣れてるのか知らないが、仕返しするように辺りの人間を殴りまくっている。慣れてない俺は理不尽に拳や肘鉄を全身に喰らいながら横に押し流されていく。やばい、曲を聞くどころじゃない。
 なんとか周囲を見ると、哲平がサークルモッシュに巻き込まれているのが見えた。おお……どうか無事でいてくれ。凛に至っては姿が見えない。骨とか折れてなきゃいいけど。
 俺はモッシュの渦から逃れ、すこし離れたところで聞くことにした。いや、ライブだから仕方ないとはいえ、モッシュは危険だからほんとにやめてほしい。ってか俺がライブやってたら、回り殴ってないでちゃんとライブ聞けよと思うけどな……そのあたりのことについてホルモンは寛容そうだけど。
 曲はWhat's up? People、や新曲のMaximum the Hormone、鬱くしき人々のうたや恋のメガラバだった。特に新曲はあんまり聞いてなかったのだけどすごくかっこよい。ベースの不気味なタッピングリフとお経の様なメロディから一気に場面が変わるところは鳥肌が立った。こんどCD買いに行こう。
 あと、生で見て驚いたのは彼らの演奏力の高さだ。あれだけ複雑な曲なのに、激しいライブアクションしながら、きっちり仕上げられている。あれは本当にすごいな。とくにベースの上ちゃんは滅茶苦茶暴れてひきながら、滅茶苦茶複雑なフレーズを破綻なく弾いている。ベースのことを地味な楽器だって言う人もいるけど、あれを見てると嘘だって思うよね……俺もああなりたいけど、あれは真似できないな……。
 ライブが終わると、一瞬の静けさの後に、爆発するような歓声が溢れた。俺も拍手して声を上げた。四人が去っていくのを見届けると同時に、哲平がボロボロの姿でこちらへ来た。
「おお……大丈夫かお前……」
「何とかな……一人だけ楽なところで聞きやがって……」
「なんかごめん……凛は?」
「さっきダイブさせられてたところまでは観たんだけど……うっ」
 そういうと同時に哲平が後ろによろめいた。凛が哲平に後ろから抱きついていたのだ。哲平が無理矢理引き剥がすと、凛は尻もちをつきながら地面に落ちた。
「凛、大丈夫か?」
「すっご、かったぁ……ほとんど真面目に聞けなかったけどね! 楽しかった!」
 哲平が凛に声をかけると、凛は大きな声で答えたので、俺は舌を巻いた。突然のあのモッシュの渦の中で楽しめるって凄いよな(早々に退散した人並みの感想)。
「ほんと強靭だなお前……」
「はじめてなのに……激しかったネ……」
「だから誤解を招くような言い方をするなよ!!」
 またもや凛が流れるように下ネタを大声で言うので俺は地面にへたり込んでいる凛を見ながら突っ込みを入れた。だがその拍子に凛の足が目に入ると、右膝から血が出ているのに気が付いた。傷口から溢れた血が足を伝っている。かなりの出血量だ。
「おい、大丈夫か! 血が……」
「あ、ほんとだ……凄い……いっぱい出てる」
「いやいいってそう言うのは!」
「さっき蹴られたからかな……ワッハッハ!」
「ワッハッハじゃねえよ!」




 とりあえず海ステージの後ろの方まで、凛を哲平と運んだ。後ろの方には人がまばらにしかおらず、しゃがみ込んでも邪魔にならない。俺は家から持ってきた水で凛の右膝の傷口を洗い、持ってきたティッシュで傷口を圧迫止血した。
「無理するなよ……」
「初めてだから血が出るのは当然でしょ!」
「いやだからそう言うのいいから」
「ウッ、しゅーくん、痛い……優しくして……?」
「いやだからそういうのいいって」
 凛が止血している俺の耳元で妙になまめかしい声でそんなことを言うから思わず勃……いや何でもない。生理現象が起きかけましたね。そういうこともあります。はい。
「今、たった?」
「おい、しまいにゃ殺すぞ」
「いたたたたごめんなさいごめんなさい」
 ついイラッとして圧迫止血する手を強くしてしまった。なんか出てる血の量の割には元気そうなので安心した。そうしてると哲平がポカリスエットを片手に戻ってきた。哲平が買ってきてくれたポカリスエットを凛に渡すと、凛は一口でかなりの量を飲んだ。そりゃあれだけ運動すりゃ喉乾くよな。
 あれだけ暑かった屋外ステージも日が陰ってきて少し涼しくなってきた。そもそも海が近い所だから、夕方になるにつれ海風が強くなってくる。少し匂いを嗅いでみると、潮の匂いがしたような気がした。
「ってか鷲、絆創膏まで持ってきたのか」
「ああ、あれだけの人が密集するんだからそう言うこともあるかと……あと胃薬と下痢止めと整腸剤と頭痛薬もあるぞ」
 俺がそう言って鞄を指差すと、哲平が「ほぉ」と感心したような声を挙げた。昨日の夜色々な不測の事態について考えながらリュックサックに色々いれていたのだ……おかげで動きにくくなっちゃったけど。
「用意良すぎだろ……まぁ俺もさっきそれに助けられたんだけど」
「ほら、みんな俺を褒めてくれ」
「調子に乗るなクソインポ!いたたたたたごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 俺がまた圧迫止血の圧力を高めると、凛は大きな声を上げた。やばいちょっと変な趣味に目覚めそうだ。いや、目覚めてないですよ。そういうこともありうるということです。はい。
 ようやく血が止まったようなので消毒して絆創膏を貼ったのだが、絆創膏を貼っている間に次のバンドが始まってしまった。次のバンドは某ポップロックバンドの解散後、ソロに転向した女性ボーカルのバンドだった。
「近くまで行くの面倒だな」
「というか、次の次がレッチリだし、すこし体力温存した方が良いな」
 俺がものぐさなことを言うと、哲平がパンフレットを確認しながら返事をした。それに遠くにいても、幸いスピーカーが馬鹿でかいので音は良く聞こえる。低音が小さくなるのが残念だけど、まあ野外だし仕方ないよな。
 すこし近づいてから、三人で棒立ちになって遠くのステージに目を凝らす。かろうじてメンバーの顔が見えるくらいだな。
「むー……うっまぃなぁ……」
「確かに」
 凛がため息をつきながら言うので俺は頷いた。あのボーカルの人、確かもうそろそろアラフォーだってのに凄い声量だ。声も可愛いし二十代の頃と殆ど変んないじゃないか。やっぱり音楽やってると老けないのかもな。
 それにバックバンドも滅茶苦茶上手い。心なしか年配のミュージシャンが多い。あの年になるまで音楽の世界で生きているんだから、技術だけじゃなくて経験や落ち着きもあるんだろう。頭の中でベースに意識を向けると、少し重めのドラムのビートに寄り添うように、絶妙な距離を保ちながらなる重低音が聞こえた。うーむ、上手い。
「しかしバックバンドも上手いな」
「シブいよね! ああいうギター、昔から憧れで、ああいうバンドマンにいつかなれたら……って……」
 そう言いながら凛が突然言葉を止めた。
 突然黙り込んだので不審に思って顔を見ると、目を凝らして何かを見ていたが、突然目を見開いて口を開けた。
「しゅーくん! あれっ! あの人! みて!!」
「どれだよ」
「あの赤いストラト持ってる人! 見える?」
 俺も目を凝らして見る……黒いシャツにぼうしをかぶって、赤いストラトキャスターを構え、シャッフル気味にキレキレのカッティングを決めているシブいオッサンが見える……あれ、あの人……。
「あの人! 私が前言ってた『ギターのおっさん』だよ!!」
「えっ……」
「すごい!! おっさんがライブしてるよ!! 初めて見た!!!」
 凛は俺の腕を引っ張りながら、ぴょんぴょんと飛び上がり、大きな声で言った。今まで聞いたことが無いくらい興奮した声だ。しかし、俺はあのギタリストが違う人であると認識していた。えっ、ってことはあの人物は俺が思っている人なのか、それとも『ギターのおっさん』なのか。
「『ギターのおっさん』って誰だ?」
「あ、てっちゃんには言ってなかったっけ……私にギターを教えてくれた人なんだ。公園でアコギ持って歌ってた不審なオッサンだと思ってたんだけど、実はすごいギタリストだったんだ!」
「へぇ……凛にギターを。凛の師匠ってことは相当凄い人なんだな……」
「そう! 私よりずっと上手いでしょ!」
「凛と比べてどうかは知らないけど、確かにめちゃくちゃ上手いなぁ」
 哲平がのんきな声でそんなことを言った瞬間、俺の理解がやっと追いついた。
「あっはっはっは!」
 思わず笑い声が出てしまった。人間って自分の想像もしていなかったことが起きた時、ただただ笑うしかできなくなっちゃうことってあるよね。俺が体を折り曲げてひたすら笑っていると、凛と哲平が病人を見る様な目で見ていた。
「鷲、熱中症か?」
「大丈夫? ポカ○、まだあるよ」
「いや、大丈夫、そうじゃないんだ……そうか……そんなこと、あるんだな……」
「むー……気持ち悪いどうしたの?」
 笑いが止まってから、息を整えて凛の方に向かった。
「凛、確かあの人の本名、知らないって言ってたよな」
「うん……私の人生における最大の謎の一つなんだけど……」
「あの人は、神川隆って人だ」
「えっ、なんで! なんでしゅーくんが知ってるの?」
「あの人は……柚木の、父親だ」



(後編へ続く)



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