▼15/12/05更新分から読む


Episode35: 夏の音速(後編)




 世間は狭い。
 この使い古され手あかにまみれてちょっと黒ずんでちょっとかび臭い言葉を使うのもどうかと思うが、今の俺たちの感情を表すのに最も適切な言葉だった。
「……マジで?」
「いや、これがマジなんだよ……」
「ええええ!!! ってことはしゅーくんの幼馴染であるゆきちゃんのお父さんが私の師匠ってこと?!」
「いやまぁそうなんだけど」
 なんでそんな滅茶苦茶勢いつけた説明口調なんだ。
 俺はもう一度目を凝らして柚木のおっさん(であり凛の師匠でもある人)を見た。今度はディレイのかかったフレーズを機械のように正確なリズムで叩きこんでいる。あの人が真面目にライブしてんの見んの俺も初めてだけど、恐ろしいな……うちの居酒屋で飲んでる時はタダのエロ親父なのにな……。
 俺と凛がただただ呆然とするのを見ながら、哲平も呟くように感想を言った。
「そんなことあるんだな。でもその人『神川隆』さんだろ? 確か『ゆきちゃん』って『相川柚木』さんだったよな」
「ああ、柚木が小さい頃に離婚したんだよ……でも凛の家の近くの公園で凛にギター教えてたってことは、それからも近くに住んでたんだな……」
 あ、そうだ。
「哲平、さっきの話だけど、答えが思いついた」
「何?」
「チケットくれたの、柚木のおっさんなんじゃないかな。あの人めちゃくちゃ気前いいし」
 柚木のおっさんは高級ベース一本を俺にくれるような人だ。気前は滅茶苦茶良い。自分も出るから凛に聞いてほしいと思っただろうし、レッチリが出るなら凛が聞きたがるだろうと考えただろう。かわいい弟子のためならお金くらい出すだろうな。
「でも、そうだとすると何で三人分なんだろ。凛が小学生の頃教えてもらってた人なんだったら、今スリーピースやってるなんて、知らないはずだろ?」
「むぅー……実は、去年の秋ごろばったり出会ったんだ、ギターのおっさんに」
 凛が呆然自失状態から解かれて突然声を出したので、驚いて凛の顔を見た。哲平も凛の顔を同時に見たみたいで、凛は少しドキッとしたような顔をした。
「え、いつごろ?」
「んっと……あ、あの……私としゅーくんが」
「俺と凛が喧嘩してた頃か」
 言いにくそうだったので引き継いだ。そういえばそういうこともあったな。あの頃全く話してなかったから、あったことを報告し忘れていても不思議じゃない。
「だから三人分くれたんじゃないかな。みんなで来たらいいって」
「うーん……ありうる……」
「まぁでもその辺のことはお父さんを問い詰めたらわかることだけど」
 凛はそう言ってまたステージの方に目を向けた。柚木のおっさんがソロを弾いている。やはりめちゃくちゃ上手い。鋭くカッティングをしていたと思ったら、酷く渋いチョーキングを挟んだソロでステージを盛り上げている。しかしボーカルを霞ませることは無い。っていうか、空気、読めるんだ……下ネタばっか言ってる空気読めないおじさんだからきっとバンドメンバーも困ってるだろうと思ってたのに……なんかショックだ。
「ね、しゅーくん」
「なんだよ」
 俺がじっとステージを見ていると、凛が袖を引っ張ってきた。
「もしかして、おっさんの連絡先とか知ってたりするの?」
「いや、俺は知らんけど……親父か、柚木は知ってるだろうな」
 俺はステージから目を離さずに凛の問いに答えた。最後の曲のようで、盛り上がりは最高潮に達していた。前の方にいる客たちがジャンプしながらリズムを取り、まるで波のようにうごめいている。
「じゃあ、もしかして、しゅーくんから連絡すれば会ったりできるかな?」
「多分な……まれにうちの居酒屋に飲みに来るな。忙しい人だからなかなか来ないけど」
 そういやおっさん、大晦日にうちに来てそれ以来一回も来てないな。名前は知られてないけど、こんなステージに出てるってことはそれなりに売れてるんだろうな。
「じゃあ、一度、会いたい……よければ、私のライブも聞いてほしいな」
「ああ、なんとか連絡してみるよ」
「うん……ありがと」
 凛はそう言って袖から手を放した。俺はまた吹いてきた潮風の匂いを嗅ぎながら、妙な運命ってのもあるもんだなと、ため息をついた。



 君は天に向けて腕を交差させて突き上げる人々で視界が埋め尽くされる光景を見たことがあるか。俺は周囲を見渡して、その異様さにたじろぎながら、隣に居た哲平に尋ねた。
「なにこれ」
「こうやるもんなんだよお前もやれ」
 哲平が太い声で俺を脅したので俺も腕を突き上げてクロスさせた。うっ、なんかの新興宗教みたいだ。
「ウィーアーエェェェェェックス!!!」
「凛、早い」
「あ、ごめん。つい興奮して」
 しかし凛が叫んだことでなんだかよくわかんないけど周りの人も言い始めて、周囲で「エックス!」のコールが始まった。凛と俺は顔を見合わせて苦笑いした。
 俺たちは最後から二番目のバンド、エックスジャパンのためにステージの近くに寄っていた。前の方はファンの人で埋め尽くされている。俺はあんまり聞いてないんだけど、なんだかんだやはりまだ人気は根強いんだな。哲平もエックス好きみたいだし。
 ステージ上に謎のセットが現れ、階段の上に透明のドラムセットが備えられている。その隣にはピアノや銅鑼などあんまりロックバンドでは見ない楽器も並んでいる。さっきホルモン見た時に、あんなにドラムが目立つバンドもホルモンくらいしかないよなと思ったんだけど、前言撤回。エックスの方が目立ってるわ……。
 SEに合わせてメンバーが入り、辺りが緊張感に包まれる中、一曲目が始まった。
「これなんて曲?」
「ジェイド! 最近の曲だ!」
 おれが大声で哲平に聞くと、哲平も怒鳴るようにして答えてくれた。最初にしては少し盛り上がりに欠ける感じがしたが、超速度のギターソロで少しずつ盛り上がっていく。ラスサビになると周りの人が歌い始めた。最近の曲なのにみんな覚えてるんだな。
 二曲目はラスティ・ネイル。これは俺も知っている。キーボードのリフから始まり、ヘヴィなサウンドの上を、キャッチーだが切ないメロディが激しく疾走する。しかしエックスジャパン、衰えないな……滅茶苦茶上手いな……Cメロからギターソロの流れで滅茶苦茶鳥肌立った。
 三曲目は紅だ。ギターのSUGIZOがヴァイオリン、ドラムのYOSHIKIがピアノでイントロのメロディを弾き、それに合わせるようにしてTOSHIが歌う。YOSHIKI、ドラムも滅茶苦茶上手いのにピアノも滅茶苦茶上手い……あとイケメンだしな……凄すぎるだろ。
 三曲目が終わった後、MCが始まった。最近ベースのTAIJIが亡くなったこと、HIDEも亡くなったこと。そして最近起きた震災で大勢の人が亡くなったこと、それをぼそぼそとつぶやき、涙を流し、そして会場の皆に黙祷を促した。
 俺も黙ってうつむいて黙とうした。俺もネットでTAIJIが亡くなったニュースは読んだけど、やはり当事者たちは辛かっただろうな。凛や哲平も黙ってうつむいている気配がした。少し日が陰り、橙色の混ざった空の下で、何千人もの人間が一つの場所にいながら、同時に黙り込む。潮風の匂いがより強く感じられた。
 黙とうが終わった後、四曲目に入る。ギターがヘヴィなサウンドで重々しいリフを弾き、誘われるようにして激しいドラムがビートを刻む。うーん……これもなんて曲かわかんなかった。これも新曲なのかな? ただ、みんなで黙祷してあれだけ厳粛な雰囲気になったとこれだけ盛り上げられるのは凄いと思った。
 五曲目、これも知らない曲だったけどなんか有名な曲らしく、哲平や周囲の人たちは合唱していた。うーん、この曲が一番好きかもしれない。特にギターソロからCメロへの流れが滅茶苦茶かっこいい。重いリズムの上でギターソロが爆発するように響いていく。
 六曲目。エックス。この曲は俺も知ってる。サビになると皆で腕を交差させて突き上げ、「エックス!」と叫んだ。会場は異様な熱気に包まれ、それを巻き込むようにしてTOSHIのボーカルが響き渡る。このハイトーンで一時間歌い続けるって相当辛いと思うんだけど、凄いな。流石、日本一のバンドは伊達じゃない。
 全曲が終わるとSEが流れる。ライブは終わったっていうのにSEを聞いてファンたちは大合唱していた。何千人もの人々が同時に合唱する様は流石に圧巻だった。
「凄かったな」
「ああ」
 俺が哲平に声をかけると、哲平は膝の上に手を置きながら、肩で息をしていた。どうやら体力を全部使ったみたいだ。
「次、レッチリだけど大丈夫?」
「いや……もう俺これで帰っても満足するわ……」
「いやいやいや」
 レッチリ聞かずに帰るくらいなら、俺なら死を選ぶ。ふと気づくと凛がいない。どこ行ったんだろうと思って辺りを見渡すと2メートルくらい前の方でまだ叫んでいる。
「エぇぇぇックス! エぇぇぇックス!」
「凛、終わったぞ」
「あ、ごめん……興奮が止まらなくて……」
 俺と哲平が人を掻き分けて前の方に行くと、凛ははにかむ様に笑いながら腕をおろした。どうせ次レッチリだし前の方に行きたかったから丁度良かったんだけどな。
「凛もエックス好きだったのか?」
「いやぁ、全然知らなかったんだけど有名曲多かったから盛り上がれた! あとアートオブライフとフォーエヴァーラブもやってほしかったな……」
「さいで」
「しゅーくん、あんま好きじゃなかったっけ?」
「いや、そんなことないけど……」
 周りにファンが多いだろうから俺は口ごもった。そう、俺、実はエックスジャパンそんなに好きでは無いのだ。というかそもそもV系バンドをあんまり聞かない。狂信的なファンが多くてあんまり言い出せないんだけどな。
「まあでもライブで聞くと印象が変わるな」
「そうだよね! いや……私もあんな超絶ソロ弾いてみたい……」
 いつも弾いてると思うけどな。

「次は、いよいよ、レッチリですよ! ねぇみなさん盛り上がっていきましょう!」
「何のキャラなんだ」
 凛が興奮して気味の悪い笑顔を向けてきたので、俺は生理的嫌悪感から目を逸らした。
 まぁ、でも俺もテンションが上がっていた。エックスジャパンが終わりに近づくにつれ、まだかまだかという気持ちが高まっていた。というかエックスジャパン、時間オーバーしてたしな……レッチリのメンバー怒ってないかな……。
 エックスジャパンがステージを去った後、興奮する凛やその相手をしている哲平を視界から外し、黙って空を見上げた。
 空はまだ明るい。だが、小さく月が浮かんでいるのが見えた。
 届きもしない距離にあるのに、はっきりと。



 ライブが始まった瞬間、一瞬何が起きたか分からなかった。
 一曲目はバイザウェイ。最初のギターとベースのフレーズが聞こえた瞬間、観客たちの大合唱が始まる。イントロが終わった瞬間、激しいギターのカッティングと渦の様なベースが俺たちを別の空間に叩きこんだ。一気に彼らの世界に連れて行かれたのだ。
 俺たちは動きに押し流されて最前列近くまで行くことができた。前の方は相変わらず暴れたりモッシュしたりしている人が多いんだけど、ホルモンの時と違って、その動きが曲のリズムとシンクロしているということに気づいた。きっとレッチリのリズムに支配されてるんだ。
 二曲目はチャーリー。ファンキーなリズムからエイトビートにさらりと移行した瞬間、全身に鳥肌が立つ。サビではどことなく哀愁漂うメロディの間を縫うようにして、ギターのリフが疾走していく。
 そして三曲目。イントロのメロディが始まった途端、凛が俺に抱き着いて叫んできた。
「キャントストップだ!」
「わかってるよ!」
 このイントロは忘れもしない。最近俺たちが入部説明会でやったばかりの曲だ。だからこそ自分たちの演奏と本家との差を痛いほど見せつけられる。絶妙な重さのまま跳ね回るようなベースとドラムのリズム。その頭上を軽々と飛ぶように歌うアンソニー。フリーは滅茶苦茶に暴れまわりながらあの複雑なフレーズを弾いている。うわぁ……あんなの弾きようがないだろ……。
 ただここまで来て少し違和感を覚えた。レッチリは最近になってギターをジョン・フルシアンテと言う人からジョシュ・クリングホッファーという人に変えたんだが、そのせいかな。俺が良く知ってるギターでは無い……なんていうか、すごく丁寧に音を埋めている。悪くは無いんだけど、ジョンはもっと暴れ馬みたいな感じだったな。
 四曲目、スカー・ティッシュ。甘いギターのフレーズの上を哀愁漂うアンソニーの歌声が縫うように走る。前期レッチリの荒々しさと比べると、あまりにも緩やかで、あまりにも甘いサウンドだ。ただ、「傷跡」という曲名の通り、様々な苦難を乗り越えた彼らだからこそ作れた歌なんだろうなと思える。
 MCが入る。英語だからほとんど聞き取れなかったけど、次が新曲だということが分かった。ジョシュが入って新体制になって出した曲、ルック・アラウンドだ。ステイディアム・アーケディアム時代のファンキーさとキャッチーさが融合した「後期レッチリ」の雰囲気を引き継いでいるのが分かる。
 六曲目、パラレル・ユニバース。俺が好きなレッチリの曲のうちの一つで、レッチリにしては珍しくエイトビートで攻めてくる曲だ。十六分で細かく刻まれるベースとギターの音の波に乗るようにしてアンソニーの声が走り、サビで爆発する。
 続けてアイライクダート、アザーサイド、そして新曲のアドベンチャーオブレインダンスマギー。比較的穏やかな曲が続いたので少し腰を落ち着けて聞く。うーむ。やはり圧倒的な上手さだ。こんなに複雑なリズムの曲を、本番でこれだけの精度で弾けるのは凄い。
 気が付いてなかったけど辺りはすっかり真っ暗になっていた。始まる前はまだなんとか明るかったのに、俺たちが夢中で暴れているうちにすっかり夕闇が落ちていた。俺が頭を揺らしながら曲を聞いていると、凛が話しかけてきた。
「なんか後期の曲ばっかだよね」
「まあ日本でも人気あるのはアルバムの『カリフォルニケイション』以降だしな」
 そう返すと凛は小さく頷いた。ステージから発散される光を受けて、凛の白い顔がぼーっと光っていた。俺は眩しいものを見たような気がして目を逸らし、哲平の方に向かって話を続けた。
「もう少し昔の、『母乳』とか『ブラッドシュガーセックスマジック』とかのアルバムに入ってた曲とかもやってほしいな」
「そうだな。俺たちがやった、ハイアーグラウンドとか聞きたいな」
「いや聞きたいけどそれは無いでしょ。カバーだし、割とマニアックな気がするぞ」
 哲平がそんなことを言うので、俺は手を顔の前でパタパタ振った。それに、これ以上俺たちがやった奴聞いたら自分との差で発狂しそうだからできればやめてほしい。
 九曲目のレインダンスマギーが終わると、ゲストのパーカッション奏者が出てきた。名前は良く聞き取れなかったけどたぶん「マイロ」って言ったと思う。有名な人なのかな。彼を加えて十曲目、スローアウェイユアテレビジョン。これも『カリフォルニケイション』の曲だ。「テレビを投げ捨てろ」とかいう凄い歌詞の曲だ。
 十一曲目は新曲だった。なんて曲名かは聞き取れなかったけど、他のパーカッションやシンセサイザーの音が使われている。今までのレッチリっぽさを残しながら、こういう新しい要素を取り入れていくのか……これはこれでかっこいいな。
 十二曲目、ライトオンタイム。これも俺が好きな曲だ。短い曲で、何回もコピーしようと思って練習したけど、複雑すぎて弾けなかった。レッチリのベースの中でも一二を争う難易度なんじゃないだろうか。コーラスはジョシュがやっているが……うーん、コーラスはジョンの方が好きだったな。
 十三曲目はカリフォルニケイション。アルバム、『カリフォルニケイション』の表題曲になっている曲だ。一度歌詞を見たが何を言ってるのかよくわかんなかったけど、アメリカ文化、というかアメリカの西海岸の文化が世界中色んな所に浸透してるということを皮肉っぽく歌った歌なんだと思う。これもゆっくりした曲なので俺は凛と肩を組んで歌った。
 そして次の曲、ベースのスラップで始まった……この曲は……。
「哲平、ハイアーグラウンドだ!」
「うわっ……マジか」
「ギャァァァァァァァ!!!!」
「うるせえ耳元で叫ぶな!!」
 興奮した凛が耳元で叫んだ。ウッ……三半規管がやられた気がする。
 去年の文化祭で俺たちがやった曲のハイアーグラウンドだ。やってくれると思ってなかったから嬉しい。ここまで『カリフォルニケイション』の曲ばっかだったから、そろそろアラウンドザワールドとかやるのかなと思ってたのに。フリーがチャドのドラムとぴったり合わせてスラップでビートを刻み、その上で軽やかに踊る様にジョシュのギターとアンソニーのボーカルが奏でられる。やっぱり本家はかっこいいな……俺には到底無理だ……。
 次の曲……何曲目だろう。そろそろ終わりかな。
 ギターがメロウなメロディを刻み始める。
「凛」
「うん……あの曲だね」
 凛が呟くような声で返事をした。忘れもしない。去年、凛と俺が喧嘩して、仲直りした日。凛が突然練習室から逃げ出して、追いかけていった先で、橋の下で、弾いていた曲だ。
 アンダーザブリッジ。ファンキーな曲がたくさん入ったレッチリの五枚目のアルバム『ブラッソシュガーセックスマジック』の曲の中で、正気に戻ったかのようにキャッチーで悲しいバラードが聞こえて来たら、この曲だ。確か、友人や彼女を失い、ドラッグに頼りながら日々を過ごすアンソニーの孤独感をうたった曲だったと思う。
 アンソニーの声が切なく響き渡る。俺は自然に涙を流していた。これは俺の記憶だ。一人ぼっちになりそうになったときの、あの記憶だ。去年で言えば、柚木が倒れた時、レフトオーバーズを失いそうになった時の、あの気持ちだ。
 名曲の条件というのがいくつかあるとすれば、その一つは、聞いた瞬間、「これは誰の曲でもない」と思える曲だと思う。つまり、歌っている人の曲でもあり、聞いている人の曲でもあると思える曲だ……この曲はその条件を満たしている。そう思えた。
 凛が俺の肩に手を伸ばしてきたので、俺も凛と哲平の肩に手をかけた。三人で、いや、凛は隣の人と肩を組んでいるし、哲平もそうだ。とにかく大勢で肩を組んで、横に揺れながら合唱した。これだけたくさんの人が、この曲を歌っているのは不思議な光景だった。
 この曲が終わると、メンバーは退場してしまった。俺は涙をぬぐいながら、茫然とステージを見上げていた。ライブが終わったということが信じられなかった。
「これで終わりかな?」
「時間的にはな……」
 凛が涙をぬぐいながら哲平に話しかけると、哲平は腕時計を見ながらそう答えた。確かにそうだけど、もう少し聞きたい。そう思った人が同じくいたようで、アンコールの合唱が始まった。ある者は手を叩き、ある者は「アンコール」と叫ぶ。俺も手を叩きながら、「アンコール」と何度もコールした。
 その声に呼び戻されるようにして、ドラムのチャドとゲストのパーカッションの人が戻ってきた。ドラムとパーカッションでソロを続け、そのリズムに誘われるようにして残りの三人が出てきた。
 アンコールの一曲目はドントフォーゲットミー。スローテンポの曲で、ベースがコードを弾き、その上に少し悲しげなメロディが乗る。それらを覆うようにしてギターのタッピングのメロディが鳴らされる。曲が後半に至るにつれて徐々に激しくなり、激しいギターソロが荒々しく鳴り響く。
 二曲目、きっとこれが最後の曲だろう。ギブイットアウェイ。ドラムのリムショットから始まる。終始同じフレーズのベースとギターがリフレインし続ける少しサイケデリックなメロディと共に、アンソニーのラップが突き抜けていく。黄金期のレッチリを象徴するような曲だ。
 曲が終わると同時に爆発するような歓声が聞こえ、メンバーがステージから降りても、その声はなかなか止まなかった。ステージの明かりが煌々と輝き、焚火の後の残り火のようにすっかり暗くなった会場を照らしていた。
 一時間半にも及ぶライブが終わった。
 俺たちは言葉を失って、ただただため息をつくしかなかった。



一日目しか参加しなかった人々は、会場からバスで移動し、最寄駅の近くで降ろされる。ただし夜遅すぎるせいで、行きに降りた最寄駅からは乗ることが出来ず、一駅分歩かなくてはいけない。これシャトルバスとか出した方が良かったと思うんだけどな。でもバスから降りた人たちは、文句の一つも言うこともなく、ライブの高揚感と共に幸せそうな顔で行進していた。
バスを降りてから、俺たち三人は、他の人たちの興奮に満ちた話声を聞きながら、無言で歩いていた。一日中太陽を浴びて暴れていたせいで、かつてないくらい疲れていたというのもある。でも、きっと三人ともさっきのレッチリのライブについて考えていたんだと思う。
 半分ほど歩いたところで、俺は黙っていられなくなったので、哲平に話しかけることにした。
「哲平、レッチリ、どうだった?」
「どうもこうも……凄いとしか……」
「だよなぁ……言葉にしにくいよな……」
 確かに、あのライブの感想を言葉にするのは難しい。俺が今まで見たどのライブよりも激しく、どのライブよりも感動した。
「なんか、思っていた以上っつーか……今まで俺たちがやってたレッチリは何だったんだっていう感じだったな」
「確かに……まあ、どこまで精度を上げたところで、コピーはコピーだしな」
だから仕方ないことだよという言葉を俺は言わずにそのまま飲み込んだ。そこまでニヒリストっぽくなるのは気がひけたのだ。言わなかった代わりに俺は夜空を見上げた。一日中晴天が続いたおかげで、夜になっても雲一つない空だ。おかげでくっきりと月が見える……星もちらほら見える。
「ともかく、俺は来れてよかったと思ってるよ」
「そうだな。凛のおかげだ」
 俺はそう言って凛の方を見たが、凛は特に反応もせず空を見上げていた。
「凛、大丈夫?」
「うん……大丈夫だよ。いい月だなと思って」
 凛がそう言うまともなセリフを話すと大丈夫じゃなさそうに聞こえてしまうわけですけれども。俺がそう思っていると、突然凛が話は自演た。
「わたし、ジョン・フルシアンテが好きだから、ギタリストが変わったレッチリってどうなのかなって思ってたけど……やっぱりすごかったね」
「なんていうか、もう結構馴染んでたよな。ジョシュ」
「うん。タイプが全然違うと思うけど、結構ハマってたね……」
 凛がそう言うので、俺は頷いた。ジョンが感覚でかっこいいフレーズを生み出せる天才肌のギタリストだとすると、ジョシュは手堅く音を埋めていく上手いギタリストという感じだったな。
「私も、てっちゃんの言ったように……今まで自分が何やってたんだろう、って思ったよ」
「コピーはどこまでいってもコピーだって言ったじゃん」
「いや、そうじゃなくてね。私たちがやってた『ライブ』ってなんだったんだろうって話」
 凛はそう言って少し言葉を切り、周りをきょろきょろと見てから、話を続けた。
「これだけたくさんの人がさ、こんな夜中にこうやって知らない道を歩くのも厭わずにさ、一つのバンドを見るために集まるって凄いじゃない?」
「まぁ……」
 それがレッチリが世界一のバンドの一つであるという証左でもあると思うんだけどな。
「私は自分の音楽が……自分の歌やギターが、誰か一人に伝わればいいと思ってた。でも、レッチリは違う。あれだけたくさんの人……世界中のみんなに伝わってたんだ」
「確かにな」
「上手く言えないけど……あれが音楽なんだなって、思ったんだよ……」
 俺は黙ってしまった。凛の言いたいことはわかる。あれが、あのたくさんの人を巻き込んで鳴る音が音楽だとすれば、俺たちが今までやってきたのは音楽では無かった。じゃあなんだったんだろうということだろう。俺は重い足を引きずるように歩きながら、なんとか答えを探した。
「でも、きっとお前の音楽も届くよ……少なくとも俺たちには届いてる。な、哲平」
「ああ、俺たちはずっとお前のギターと歌を聞いてきた……お前のギターと歌が音楽じゃなかったら、何が音楽なんだよ」
「そう?」
「まずは二人に伝わってる。それで十分凄いじゃないか。これから伝わって行けばいいんだよ」
「そうなのかな……?」
 哲平が励ますように声をかけると、凛は自信なさげに笑った。
 俺はまた空を見上げ、少し欠けた月を見ながら、凛の背中を優しく叩いた。
「『月に手を伸ばせ、例え届かなくても』ってのがロックなんだろ?」
 クラッシュのジョー・ストラマーだったかな。そんな臭いこと言ったのは。
 俺がそう言うと凛は立ち止まって、月に向って手を伸ばした。
 まるで、そうすれば届くと言わんばかりに。




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