▼15/10/24更新分から ▼15/10/28更新分から


Episode33: 先輩風が吹いている




 デートの次の日。
 授業が終わった後、俺は溜息をつきながら机から立ち上がった。約束通り、柚木のバンドの練習を見に行かなければならない。まあ二時間の練習をずっと見ている必要は無いだろうが、それでも何となく気が重かった。
 昨日デートから帰ってきて柚木を部屋から叩きだし三時間くらいみっちり練習したが、バックホーンの曲は難しく、なかなかうまく弾けなかった。中峰さんに何か中身のあることが言えるだろうか。おっと今の良い感じに韻踏めたんじゃない? イェー、チェキラ。
 技量的に教えられることがあるかどうかということもあるが、そもそも後輩指導というものをしたことが無いのも不安の原因だった。中学の時は柚木たちとバンドをしてたものの、要するに実態は帰宅部で、「先輩」としてふるまったことがない。それに先輩であり、また柚木と幼馴染であり、どう振る舞ったらいいのかよくわからない。なんて複雑なんだ。
 そういうことをぼんやり考えていると、凛が俺の席に近寄ってきた。
「しゅーくん、この後暇?」
「なんで」
「練習まで二時間くらいあるでしょ? てっちゃん誘ってなんかオヤツ食べに行こうよ」
 凛がそんなことを言うので一瞬心がぐらついた。柚木からのオファーが無ければ行ってたのに。俺は額に手を当てながら、凛に返事をした。
「あーすまん、予定があって」
「彼女もいないクソインポ非リア童貞のしゅーくんに予定なんてある訳ないじゃない」
「殺すぞクソ女」
「まあ酷い。なんて汚い言葉なのかしら!」
「それ3秒前のお前に言えよ」
 そう言いながらおれは少しドキッとしていた。凛には柚木と付き合っていることをまだ黙ったままでいる。去年あったゴタゴタの時に分かったことだが、凛は俺のことが好きらしい……モノローグでも恥ずかしいな。だがそれも去年の話だし、もう違う人に気がうつっているかもしれない。だから今ならもう行っても大丈夫かもしれない。そう思いながら、俺はまだ言えないでいた。いつかは話す時が来るだろう。ただ、それは今じゃない。
 俺はなんとなく凛を振り払おうと思って机の前を立ち、教室から出た。すると凛は走ってそれについてきた。空気読めよクソ……。
「むー……なんで逃げるの」
「いや、だから予定があって急がないと行けなくてな」
 俺は半分本当の嘘をついた。だが凛はついてくる。まあいいか別に。
「それで、なんの予定があるの」
「ああ、なんか柚木に頼まれて、柚木のバンドの練習を見てくれって言われた」
「えー、あのバクホンのコピバン? 面白そう! 見に行って何すんの?」
「さぁ? なんかアドバイスとかじゃない?」
「そんなのできんの?」
「わかんないけど頼まれたし断れなくて」
 俺がそう言うと凛は「なるほど」と呟いて俯いた。できるかどうか不安だが、やってみるしかない。俺が黙っていると、凛が突然びっくりするようなことを言いだした。
「それ、私も行って良い?」
「は?」
「いいじゃん! どうせ暇だし」
「いやいや、そんな急に言っても許してくれるかどうか……」
「どうせ部外者が入るなら一人でも二人でも一緒でしょ?」
「そりゃそうだけど……」
「それに、しゅーくんだけじゃ不安でしょ?」
「うっ」
 凛が俺の内心を見透かしたようなことを言うので俺は黙ってしまった。確かに、凛がいれば助かる。こいつは日本語がヘタクソなので練習中にしてくるアドバイスは致命的に意味が分からないが、音楽を聞く耳は非常に良い。凛が言うアドバイスを俺が分かりやすく翻訳すれば何となく先輩面出来そうだ。
 ただ、凛を柚木と会わせるのがなんとなく嫌だった。凛に柚木との関係を悟られたくなかったし、この間柚木が凛のことを必要以上に意識したせいでゴタゴタになったのは記憶に新しい。どうもこの二人、相性が悪いんだよな……。
 俺がモヤモヤと何か考えているのに気が付いたのか、凛は眉をひそめた。
「それとも、私が行っちゃダメな理由、ある?」
「いや、ないけど。行く予定になってないから向こうがびっくりするかもしれないってだけで……まあいいか……一緒に行こう」
「うん!」
 凛が元気よく笑ったのでなんかどうでもよくなった。
 いやほんと、頼まれると断れない。



 凛と二人で旧校舎に入り、階段を上り、軽音部のオフィシャルな練習室へ向かった。いつもは直進して俺たちが不法占拠している教室へ行くので変な感じがする。ベースとエフェクターボードを持って階段を上がるのは結構キツい。
 凛は黙って俺のウォークマンから音楽を聴いている。今日柚木たちが練習する予定の曲を聞きたいと言うので貸したのだ。ザ・バックホーンの「声」という曲で、なかなかの難曲だ。曲の構成と展開自体は結構単純だが、テンポが速く、全パートテクニックが要る。特にベースはかなりフィジカル、つまり指が速く動くことを要求される。高校一年生がやるには結構キツい曲なんじゃないだろうか……まあボーカルの倉田は大丈夫だろうけど、他の三人が心配だ。
 四階にたどり着くと同時に凛はイヤホンを耳から引き抜いた。
「これ、大丈夫? すげーむずくない?」
「俺もそう思った」
「曲の展開とかは割と単純だけど……速いし、テクニック要るし」
 俺と全く同じことを言うので少し笑いそうになった。
「でもかっこいいね。初心者でもやってみたくなるの分かる」
「まさに『初心者殺し』だな」
 初心者がやってみたくてやってみるものの難しくてできない曲と言うのがあって、そういう曲を俺は『初心者殺し』と呼んでいる。椎名林檎とかだいたい初心者殺しだ。かっこいいしやってみたくなるんだけど、全パート難しくて曲として成立しない。
 軽音部の部室の前まで行くと、人の気配がした。ドラムの音もしているのでもう皆集まってるみたいだ。
「よし、しゅーくん開けてよ」
「なんで」
「だって緊張するじゃない……」
「俺だって緊張するよ。なんて声出せばいいかわかんないし」
「むー……WAWAWA忘れ物~とか?」
 古いな。しかもそれ最終的に教室の中入れない奴じゃないか。
「普通にチーッスとかじゃダメなのか」
「大事なのは第一印象でしょ? やっぱ気さくな先輩としてイメージ付けしないと……」
「変な第一印象浸けたら余計まずいのでは……」
 そういって二人でブツブツ言い合っていると、突然ドアが開いた。凛と二人で「ヒッ」と声をあげる。ドアの前には柚木が立ち、残りの三人がそれぞれ楽器を握って待っていた。凛と俺は委縮して一歩後ろに下がった……つくづく俺らコミュ症だよな……。
「何やってんの早く入ってきなよ。あら凛ちゃんもいる」
「なんかついてきたいとかいうから連れてきたんだけど、まずかった?」
「いや、全然。みんな、いいよね」
「ああ」
 柚木がそう声をかけると倉田が返事をし、残りの二人も頷いた。なんかちょっとだけ心配したけど全然問題なかったな。柚木が手ハンドサインで入るよう促したので、凛と俺は部屋の中に入り、壁の隅の方に陣取った。クーラーが効いていてやたらと涼しい。
「涼しい……これが公式の練習室の力なのね……」
「クーラーのためだけに予約に行くのも悪くないな……」
「はい、じゃあ自己紹介して」
 柚木がそんなことを言いだすので凛と俺は飛び上がった。
「え、みんな俺のこと知ってるよね」
「知ってるだろうけど、ほら、改めて」
 柚木がそう言って笑顔で促したが、コミュ障な俺たちは口をとがらせて抵抗した。
「え……私自己紹介とか超苦手なんですけどぉー」
「俺も超苦手なんですけどぉー」
「コミュ障も二人集まるとうざいなぁ……」
悪態をつく俺らに向って柚木は溜息をつきながら非難の声をあげた。おい、先輩に向ってウザいとはなんだ、失礼な。だが残りの三人はこちらを期待するように見つめている。
「じゃあ私からいくね」
 凛がそう言って一歩前に出た。俺は凛に前を譲った。そういやそんな認識まったくなかったが、凛も先輩だ。先輩なら先輩らしくビシっと決めてくれるだろう……。
「二年生でギターボーカルの一之瀬凛です! 好きなものは歌とギターとレッチリと下ネタです!」
 全然ダメだった。初対面の人間にそのノリで話しかけるの止めろよ。
「シモ……?」
「そう、下ネタ!」
ベースの中峰さんが聞き間違えと思ったのだろうか、聞き返すと、凛は満面の笑みで返事をした。おい中峰さん引いてるだろ。おとなしそうな女の子になんてネタ振ってるんだ。空気を察したのか、倉田が凛に話しかけた。
「そういや一之瀬先輩、こないだキャントストップやってましたよね。良くあれ弾きながら歌えますね」
「ああ、あれはギターを弾く脳と歌う脳を分割すれば簡単にできるんだよ」
「えーっと……その分割が簡単にできないのでは」
「倉田、考えちゃダメだ。こいつは珍獣なんだ」
 倉田は「はぁ……」と言いながら苦笑いを浮かべた。クッソ、こいつイケメンだな。さぞ生まれてこの方女には苦労してないんだろうって顔してるな。え、なに? ブーメラン? 俺は女に苦労しかしたことないぞ。
「しゅーくん、私を密林の奥に潜む獣みたいに言うのはやめたまえ」
「なんでそんな仰々しいんだよ。似たようなもんだろ」
「ところで密林の奥に潜む獣ってなんかエロいと思わんかね」
「殺すぞ」
 中峰さんが完全に顔を引きつらせたところで俺は凛を遮った。クーラーの冷気で汗が完全に乾いて、丁度心地よくなってきた。俺はすこし姿勢をただし、咳払いをしてから自己紹介を始めた。
「えーっと、二年の桂木鷲です。こないだの説明会でも紹介があったけど、軽音部の副部長やってて、ベースを弾いています。そこの柚木の幼馴染です」
「ハイ質問!」
 ドラム椅子に座っていた茶髪の軽薄そうな男が手を挙げた。えーっと名前なんだっけ。ライブの時に言ってた気がするんだけど。
「えーっとドラムの……なんて名前だっけ?」
「松岡っす! 相川さんとは何歳からの付き合いなんですか?」
「え、いつだっけ? 三歳くらい?」
「五歳じゃなかったっけ? もはや覚えてない」
 俺と柚木は二人で首を傾げた。家が近くて、公園で遊んでた時かなんかに出会って、それからずっと一緒だったからな。物心がついた時には隣に居た感じだ。俺たちが正確にはどうだったかと考えあぐねていると、松岡はさらに質問を連ねてきた。
「で、二人は付き合ってないんですか?」
「は?」
 血の気が引くのが自分でもわかった。おい松岡改めクソ野郎。なんてつまらないこと聞きやがる。反射で思わず凛を見ると、凛は驚いた顔で俺の方を見ず松岡の方を見ていた。ここで下手なことを言って俺と柚木が付き合ってることを悟られたらまずい。何がまずいのかも良くわかってないけどまずい。ええいどうすればいいんだ。
「ハッハッハッ」
突然柚木が高笑いした。どうやら俺の挙動不審な様子を見て笑ったみたいだ。柚木は飄々とした風で松岡の方を見た。
「付き合ってないよ。そう見える?」
「いやぁ、そんだけ一緒なら付き合ってるもんかと……あと桂木先輩イケメンだし」
「なによそれ。私が顔だけで付き合う相手を選ぶ女だって言いたいわけ?」
 俺はイケメンじゃないし、さりげなく俺を馬鹿にするの止めろ。横目で凛を見ると、心なしかほっとしたような顔をしている。
「と言うわけだから。あ。こっちも自己紹介いるよね。私は知ってるよね。相川柚木。漢字だけ見てユズキって読まれること多いけどユキです」
「私最初聞いた時空から降ってくる方の雪と書いてユキだと思ってた」
「それも良く間違われますね。はい倉田」
 凛に答えながら柚木は倉田を指差した。
「あ。倉田雅史です。ボーカルとギターも少しできます」
 こないだ聞いた感じだと少しって感じじゃなかったけどな。
「一之瀬先輩、後でギター教えて下さい」
「ふぇっ? 何も教えることないよ!」
 凛が間抜けな声を出したので倉田は笑った。さりげない仕草で中峰さんに目線を送った。
「中峰法子です……」
「……」
「……」
 続きがあるのかと思って黙っていたが、中峰さんも黙っているだけで、何も続かなかった。だが本人は恥ずかしがる様子も無く飄々としている。なるほど、これは凛や柚木や倉田とは違う意味でキャラが濃い人の様だ。柚木は肩をすくめて俺に向って口を開いた。
「のりちゃんは無口なの。でもベースは上手いよ」
「のりちゃんはやめて……」
 柚木に言われて中峰さんは少し顔を赤らめた。なるほど、これは可愛い……。
「鷲」
「なんだよ」
「いや、なんでもない」
 柚木が鋭い声をあげ睨んできたので、一瞬脳内を読まれたかと思ってびっくりした。こわいこわい。
「それであとは松岡と。じゃあ練習続きやろっか」
「おいおいおい俺のターンは?!」
「あんたは無駄にべらべら話す癖に中身が無いからダメ」
「勘弁して下さいよぉ~もうちょっと情報を出してよぉ~読者の皆様の記憶に残らないじゃないですかぁ~」
 おい松岡。メタ発言はやめろ。
「松岡修二。こいつは軽音部の説明会の日にしつこく私に『この後お茶どう?』と言い寄ってきたので上手く丸め込んでバンドメンバーにしました! どう?」
「事実だけどそれじゃ俺の印象最悪じゃん……」
 おい松岡。ほんとに手を出したらただじゃ済まんぞ。
 だが、なるほど、この茶番っぽい自己紹介のおかげで、バンド内の人間関係が見えてきた。柚木が仕切り役で、松岡が柚木の茶化し役。中峰さんは無口だけど言いたいことは言う人で、倉田はバランスを取って接している。よくもまあこんな短い時間でバンドメンバーを集めて人間関係を作ったものだ。結果的に良いメンバーだと思っているけど、「残り物」を集めて作った俺とはえらい違いだ。
 俺がぼんやりと四人を見ていると、柚木が俺と凛の方へ向かって背筋を伸ばした。
「そういうわけで、練習、聞いてもらっていい?」
「ああ」
「うん」
 俺たちが頷くと、四人は目を合わせた。柚木がギターを、中峰さんがベースを構え、倉田がマイクスタンドからマイクを外す。松岡がスティックを構え、四つ音を鳴らした途端、彼らの演奏は始まった。





 昨日から繰り返しオリジナルを聞いていたから、その違いがはっきりと判る。
 最初のリフはドラムが叩けてないのと柚木が弾けてないせいでぐちゃぐちゃに崩壊していたが、イントロに入ると少し落ち着いた。倉田の声が入ってくるとリズムが安定した。メロからサビにかけての流れ、サビの爆発力が足りないものの、なんとかこの難曲が「曲」として聞こえているのは凄いと思う。
 だが、なんだろう、聞いていると感じるこの違和感は。各自が弾けていない部分があると言うだけでは無い。なんだこの違和感は。
 凛の方を見た。凛も何かに引っかかったような、怪訝そうな顔をしている。だが俺と目が合うと、にっこりと笑みを浮かべてきた。何回も思うんだけど、ほんと黙ってさえいたらこいつも可愛いのになぁ。
 曲が終わると凛が拍手をしたので、俺はつられて拍手をした。
「お聞き苦しいものを聞かせてしまって申し訳ないです」
「いやそんなことないよ、ありがとう」
 倉田が静かに謙遜したので、俺は感謝の言葉を呟いた。倉田の歌はいつもながら凄い。良く考えると俺って女声のバンドでしかベースしたことないな。いつか倉田とバンドしたい。柚木がギターをおろし、こちらを向いて話しかけてきた。
「なんかアドバイスくれるんでしょ」
「いや、あのさ、一応後輩なんだからもう少し敬意をこめてだな……」
「桂木先輩~おねがいしますぅ~」
 柚木は裏声と敬語で頼んできた。クッソ腹立つな。
「じゃあまず……イントロのリフが全くあってない。難しいから仕方ないけど、あれはまず松岡が叩けてないのがまずいな」
「そうっすか」
「あとみんな倉田に引っ張ってもらいすぎだろ。リズムがどんどん突っ込んでいってる、それと……」
 俺が口を開こうとしたら、腕を組んで眉間をもんでいた凛が突然口を挟んできた。
「ギターが弾けてないのがまずい」
「……」
 凛は柚木の方を指さしながら言った。
「だってギターが刻めてないから全体がバラバラになるんだよ。あとサビの速いとことかギターがもう少しガンガン行けてたらいい感じだと思うよ」
「……そうだな」
 何となく柚木にズバッと言いづらかったのだが、凛はそんなことお構いなしにずばずば言っていく。柚木は黙って凛の言うことを聞いていた。
「っていうか、凛、お前、まともな日本語でアドバイスできたんだな……」
「なによそれ! 私が日本語不自由な人みたいじゃない!」
「いつも『ウワーッ』とか『デーン』とかしかいわないじゃないか」
「しゅーくんは、曲は弾けてるから、そういうのしか言えないの。んー……でもなんかまだ言葉でうまく言えないんだけど言いたいことがあって……」
 凛はすこし俯くようなしぐさで何かを考えた後、突然おかしなことを言いだした。
「あのね、一回私に弾かせてほしいな。私ならこう弾くっていうの、見せたい」
「凛ちゃん、コピーしたの?」
「いや、さっきしゅーくんに一回聞かせてもらっただけだけど、大体わかる」
「大体って……」
 柚木が唖然としたような顔をして首を傾げ、少し考えるようなポーズを取った後、ギターをおろし、凛に差し出した。凛は、あの階段をのぼりながら聞いた一回と、今ここで聞いた一回だけで曲と構成を覚えたというのだろうか。
「しゅーくんも練習してきたんでしょ?」
「ああ、まあ」
「じゃあ一緒にやろう」
「え、いいの?……中峰さん、いい?」
「はい……聞いてみたいです」
 中峰さんは少し顔を赤くして頷いて、自分のベースを差し出した。可愛いな……こんなかで唯一俺のことを先輩扱いしてくれてる気がするぞ。柚木はまったく先輩として扱ってくれないし、松岡はバカだし、倉田は何考えてるかわかんねぇし。俺が内心ニヤニヤしてたら柚木が俺を冷ややかな目線で睨んでいた。やめて。
 俺が中峰さんからベースを借りて肩にかけると、凛も柚木から借りたギターを借りて肩にかけた。凛は柚木のギターで、コード進行を確かめるように、サビのコードをパワーコードで弾いた後、鋭い声で松岡に命令した。
「はい、松岡君、カウント。四つでお願い」
「あ、はい」
 松岡が頼りなげに四つカウントすると、それに合わせて凛が最初のリフを弾く。俺もそれに何とかかぶせるようにして合わせたが、ずれてしまった。凛がこちらを睨んでくる……ごめん。今のは俺のミスだ。
 弾き始めて、なるほどと思った。最初のメロはピッキング強めに、またメロのアルペジオは精密に、コードはドラムの背中を押すように勢いをつけてひいている。ところどころコピーが間違っているものの、凛は初めてとは思えないほど正確に弾き、そして各パートの音を聞き、全体の構成を捉えている。それにさっき言った通りだ……ギターがリズムを刻んでいると、凄く弾きやすい。心なしかドラムのリズムもさっきより安定している。
 俺も凛のギターを聞きながら、ベースを弾いていく。フレーズが難しく速い分、しっかりと刻まないとどんどん前に突っ込むようにしてずれていってしまう。バスドラムの音を聞きながら、そしてボーカルを支えるようにルート音を鳴らしていく。ところどころ入ってくる速度のあるリフは勢いをつけて乗り切り、盛り上げるところは和音を底から持ち上げるように弾く。テンポが半分になるところはベースのうねりで曲全体を盛り上げていく。
 ラスサビに入ると、倉田の声が狭いスタジオの中で雷のように響く。それを見失わないようにしながら俺と凛は息を併せてひいていく。キメ、つまり楽器隊が全パート同じリズムで弾く箇所では、松岡が少しずれたものの、俺と凛はほぼ正確に合わせられた。
 曲が終わると、中峰さんが少し興奮したような顔で拍手してくれた。柚木は考え込む様にして俺たちを見ていたが、拍手をした。俺は凛が初見でここまで完璧に弾けたということがまだ信じられなくて、ギターを下ろしている凛を睨みつけた。
「凛、おまえ実は練習してたとかじゃないよな」
「うふふ、実は、コピーしてたわけじゃないけど、ちょっと前にこの曲聞いてかっこいいなと思ってたところなのです。びっくりした?」
「いや、それにしてもちゃんと練習してたわけじゃないのか……なんか久しぶりにお前のこと凄いと思ったよ」
「むふふふふ、もっと褒めて」
「キモい、速やかに死ね」
 気持ち悪い笑い方をする凛を軽くあしらっていると、中峰さんが俺の方に近づいてきた。
「す、すごかったです。桂木先輩、やっぱりうまいです」
 中峰さんが声を絞り出すようにして褒めてくれたので、俺は曖昧に笑った。褒められるような演奏ができたかどうかは疑問だが、褒められて悪い気はしない。俺は使っていたベースを肩から丁寧に下ろし、中峰さんに返すと、彼女はそれをうけとりながら、続けて質問をしてくれた。
「テンポが落ちるところは何を意識してました?」
「あそこは他の楽器隊がわりと静かに盛り上げてるところで、ベースだけが激しく動いてるところだからね。あそこはボーカルを支えて曲全体を支配するくらいの気持ちで弾いてた」
「ラスサビのふた回し目のキメのところとか……あれどうやって合わせたらいいかわからなくて……」
「うーんあれは……むしろ合わせないことが大事と言うか、ギターが刻んでくれてるからそれを信用して、キメの部分に向かって行くのが大事だと思うよ。実はあの部分、ベースがボーカルと並んで、曲をリードしてる部分だと思うし。」
「そう、それだよ、それが言いたかったの」
 俺が中峰さんに話すのを聞いていた凛が、大きい声で何か言いだした。
「この曲って、特にサビは全員で前に向って走っていく曲なのに、なんかみんな合わせようとし過ぎな気がするんだよね。リズムを合わせるのは前提だしそりゃそうなんだけどそれに固執し過ぎっていうか、お互い探り合ってるっていうか……とにかくベースもギターも、もっとボーカルより前に出てやるって気持ちが必要だよ」
「なるほど、それはそうかもしれないです」
「なるほど……」
 珍しく長広舌を披露した凛に対し、倉田と柚木が頷いた。俺は黙って聞いていたが、凛の言うことには文句が無かった。きっとこのバンドはまだお互いを信じ切れていないんだろうと思う。もちろん演奏技術の問題があるんだけど、全員が「自分が前に出ていいのかな」という気持ちになっているんだろうと思う。さっき聞いた時の違和感はそれだ。
 凛や倉田や柚木は続けて何かを話していたが、俺は振り返ってレフトオーバーズのことを考えていた。俺はもとから凛や哲平の演奏技術のことを信頼しているし、それ以上にあいつらに親近感と言うか、精神的な信頼も感じていた。バンドでの演奏と言うのはそういう様々な信頼感の中で成り立つものなのかもしれない。
 凛が初見であそこまで弾けたのも、俺や、他の二人を信じていたからではないか。凛一人の技術力の高さだけじゃなくて、他のメンバーを信頼しているからこそ、あの演奏が可能になっているのかもしれない。
 俺が考え込んでるうちに何がったのか分からないが、凛が松岡に殴り掛かっていてそれを見て柚木が爆笑している。俺はその光景を見ながら、ため息をついた。
 俺はそこまで凛を信用できていただろうか。




 凛の家での練習を終えて自分の部屋に戻ってくると、バルコニーに繋がる窓が開いていて、外から忍び込んできた風にカーテンが揺らされているのが見えた。風が吹いているんだな。日中は暑かったけど、バルコニーに出てみると涼しそうだ。というか、先にバルコニーに出てる奴がいるから窓があいてるんだろうけど……蚊が入ってきたらどうするんだ。
 荷物を置いてバルコニーを覗き込むと、柚木が外においてあるプラスチックの椅子に座ってギターの練習をしているのが見えた。さっきやってた曲だな。その様子を俺が黙って見ていると、柚木はふと顔を上げて、俺にむかって手を挙げた。
「あ、おかえり」
「ただいま」
柚木は俺の顔を見るとニヤッと笑って、ギターを弾く手を止めた。白い顔が、上からそそぐ月明かりと、下から湧き上がる街灯に照らされて浮かび上がる。俺はなんだか少しだけ恥ずかしくなって、目を逸らした。
「いい夜だな」
「そうね」
 さっき買ったばかりで良く冷えているペットボトルのお茶を片手に、その辺に転がっていた草履をつっかけて、バルコニーに出た。風が心地よい。海が近いとこういうところがありがたいんだよな。
「あ、いいな。私もお茶ほしい」
「ほら」
 俺が持っていたお茶を渡すと、柚木は嬉しそうにそれをあけ一口飲んでから、話しかけてきた。
「練習、どうだった?」
「うーん、適当にこれまでやった曲あわせながら、次の曲なにしようかって話してただけだったな」
 そういってから俺は柚木の持っていたお茶を奪い取って、お茶で唇を湿らせた。俺のキャパにも限界があるからあんまり難しすぎるのも嫌なんだけどな。いまさらっと関節キスしたよな……あ、でももう付き合ってるんだからそういうの気にしなくていいか。未だになんか身体的接触が慣れないんだよな。
 柚木はそんな俺の邪な葛藤を知らぬふりして、大きなため息をついた。
「なんだよ」
「いや、また見せつけられちゃったなあと思って」
「凛のことか」
「まあね」
 柚木はそう言ってからギターを取り上げ、さっきの曲、バックホーンの「声」のイントロを弾いた。凛と比べてピッキングが弱く、リズムも走り気味だ。
「『ギターが弾けてないのがまずい、ギターが刻めてないから全体がバラバラになる』だって。凛ちゃん、はっきり言うよね……」
「いや、まあ気にするな。あいつは人の気持ちとかそう言うの考えない奴だし……」
 そういうと柚木は「わっはっは」と大きな声で笑った。なんでそんなわざとらしい笑い方するんだよ。
 柚木は、ぽつりぽつりと星の見える真っ暗な空を見上げ、呟くように話し始めた。
「いーやぁ……私はあれぐらいキツめに言われてよかったかな、と思ってる。いつまでも『この曲難しいから』を理由にして、ちゃんと弾かないのはダメだなって思った。やっぱり流石先輩だなって思った」
「歳は同じだろ」
「やめてよ、先輩ってことにしとかないと余計みじめになるじゃん」
 そういって柚木は茶化した。
「そういや、そもそもなんで俺を呼んだんだ?」
「うーん……まあ理由が三つあってですね」
「三つもあるのか」
「いや、ないけど三つあるって言うとなんかすごいこと言いそうな気がしてかっこいいでしょ? 言ってから三つ考えるの」
 なんだその無駄な努力。そんなかっこよさ要らないだろ。
「まず一つは私と鷲の仲の良さを見せつける必要があったわけで」
「のっけからあんまりかっこよくないぞ」
「もう一つは鷲にわれわれの頑張る姿を見せつける必要もあったわけで」
「俺に見せてどうなるっていうんだ」
「私が満足する」
「俺がコピーした苦労返せ!」
「で、最後の一つは」
「最初から一つしかなかっただろ!」
 俺が声を大きくしてそう言うと、柚木はフフッと大人びた笑いをもらした。なんか腹立つな。柚木は椅子から立ち上がり、バルコニーの端にもたれかかり、遠くの方に目をやっていた。俺もつられてそちらに目をやった。
 遠くの方の街の明かりが見える。あれは昨日俺たちがデートにいった街の明かりだ。昨日のことなのに、ずいぶん昔のことのように思える。俺が昨日の幸せな記憶を反芻していると、柚木がおもむろに話し始めた。
「最後の一つは……なんか、わたしたちのバンド、まとまってない気がして」
「そうか? 仲良くやってるように見えたけど」
「いや、仲良くはやってるんだけど……なんかサウンドがまとまらない気がして。バンドやったの一年ぶりだから、なんかわかんなくなってきちゃって」
 柚木の横顔を覗き込んだ。いつも通りの表情で、感情は読み取れなかったが、何となく見てはいけなかったような気がして、俺は目を逸らした。
「鷲は私のこと……私のギターのことも、良く知ってるでしょ」
「まあな」
「だからベースが鷲に代わったらどうなるのかなって試したかったの」
「中峰さん、十分上手いじゃないか。あんまり変わんないんじゃないの?」
「うーん……でもなんかのりちゃんと距離取りにくくて。あの子、無口だから」
 そう言って柚木は苦笑いした。コミュニケーション能力モンスターの柚木でも距離が取りにくいのか。俺だったら長時間一緒にいたらストレスで尾てい骨が爆発するな。
「無口だし、きっと私が一歳年上だから気遣ってるんじゃないかな……下手だし練習してこいとか、そこもっとこういう風に弾いてってって言ってくれたらいいのに」
「倉田と、松岡は?」
「倉田は基本あんまり何にも言ってくれないんだよね。他のパートにもだけど。松岡は中学校の時吹奏楽部の友達に遊びで叩かせてもらってたくらいで、本格的に始めたのはこの部活入ってかららしいから、まだまだ周り聞く余裕がないみたいで」
「え、ってことは、ほぼ初心者であれか」
「そう、ヘラヘラしてるけど、努力家なんだよね」
 柚木はそういって少し微笑んだ。そう言うが、あの曲初心者には相当難しいので、努力だけでは何ともならない気がするが。俺の中で松岡の票が幾何級数的にあがった。
「だから繰り返しになるけど、凛ちゃんと鷲がやってるの聞いて、凄いなって思ったの」
「まぁ凛は化け物だからな……」
「いや、鷲も。すごいよ」
「はぁ……」
 俺がドキッとして黙り込んで目を逸らすと、柚木は俺の目をじっと見つめてさらに畳み掛けてきた。
「あれだけ難しいフレーズでちゃんとリズム刻めてたし、周囲の音をちゃんと聞いてたし、ベーシストとしてバンドの中での立ち位置が分かってるって感じだった……経験の差だと思うけど、そう言う意味ではのりちゃんよりずっと凄いと思うよ。ところで何で目を逸らすの」
「褒められ慣れてないからどう反応すべきかわかんなくて」
「流石先輩だなって感じだったよ」
「いや、同い年だろ」
 そう言うと、柚木は笑って、そうねと小さくもらした。俺だってこの一年間何もやってなかったわけじゃないから、自分では良くわかんないけど上手くはなっているんだろうなとは思う。それに凛がいたから……凛の音を聞いていれば、俺は自ずとどこにいるべきかと言うのを把握できる。柚木は気づいてないだろうけど、さっきのセッションでも凛が俺を支えてくれていたと思う。
 俺は思い出したようにペットボトルのふたを開け、少し喉を湿らせてから、口を開いた。
「うーん、まあでも、こないだのライブの後と同じこと言うけど、あんまり焦んなくてもいいんじゃないか?」
「そうかな」
「ノーウェアなんて、最初はバラッバラだったじゃない。華菜と優なんて滅茶苦茶仲悪かったし」
「ハハ、そうだったね」
 俺が昔のことを思い出しながらそういうと、柚木も可笑しそうに顔をほころばせた。ノーウェアと言うのは柚木と俺が中学の時やってたバンドで、華菜と優というのはそのバンドのドラムとリードギターの人だ……と、諸般の事情を考慮して脳内で説明を加えた。何言ってるんだ俺。
 互いが一言話すたびに石を投げ合うくらい犬猿の仲だった華菜と優は、結局今では恋人同士になるくらいには仲良くなったのだが、その辺の話はまたいつかできればいいなと思う。
「レフトオーバーズも、皆そもそも実力があったし、性格も似たようなところあるからすぐ気が合ったし、最初から割とスムーズに合わせられた覚えはあるけど……でも一年やって少しずつ成長してきたと思うしな」
「ふふふ」
「なんだよ」
突然柚木が笑い出したので、俺は眉間にしわを寄せた。なんだよ真剣に話してるのに。
「なんか俺、面白いこと言った?」
「面白いことは言ってないよ……ただ、なんか、先輩風吹かしてるね、と思って」
「いいだろ、たまには」
「そうかもね、先輩だもんね」
 柚木はそう言って、所在無げに空を見上げた。俺もつられて空を見上げたが、満天の星空が見えるなんて言うロマンチックなことはなく、頼りなげに光る星がいくつか見えている。ただ、頬をくすぐる風が心地よかった。
 風が吹いている。
 この先に何かがあると、告げるように。





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