Episode26:漸近線




 三分咲き、と言ったところだろうか。
 満開にはすこし速すぎる北野高校の校内の桜の下で、安っぽいが面積はある青いビニールシートを開けて、間抜けな面であぐらを掻いて空を見上げた男、つまり俺は、空に向かって呼気を吹きかけた。
 もうすぐに咲く出番が訪れるであろう桜の蕾は、赤く光っているように見えた。これくらいの桜が一番生き生きしていて綺麗なような気もする。そして新入生が入って来る頃には満開に咲き誇り、新しい生活に踊る心の隅に色を与えるのだろう――
「――とか言ってキザなモノローグ入れてるんでしょ? しゅーくんは!」
「いれてねえよ。なんだよ『心の隅に色を与える』って」
「むー、メタファーだよメタファー!」
 俺の隣でブツブツと独り言の様に凜が何かを呟いているから何かと思って聞いていたが、想像以上にくだらないことだった。聞いていて損した。
「はい、そこ、一ノ瀬さん、桂木くん、静かにして!」
「ごめんなさい!」
 桜の木の下に立って話をしていた部長が凜に注意すると、目をかっと大きく広げ、眉をしかめながら野太い声で謝ると、そこにいた人の半分くらいの笑い声が聞こえてきた。みんな沸点低すぎだろ。
「すいません……頼むから黙っといてよ」
「それでは次期幹部を発表します」
 周囲には軽音部の新二年生と新三年生がバラバラになって座っている。今日は軽音部の毎年恒例の花見大会だ。毎年恒例と言ってもこの時期に桜が咲ききってないと、今日みたいな微妙な感じになる。乾杯してないのに飲み物を一口飲んでしまったような感じだ。
 しかしこの花見大会には来年度の役職を発表するという割と大事な目的がある。三年生は受験で忙しくなるので、部活の運営は二年生が受け持つことになっているのだ。
「次期部長は……大嶋悠子さん!」
 前部長の女の子が声を放つと、パラパラと細切れになった拍手が散らばる。本人はあからさまに挙動不審に立ち上がった。え、なんで私、意味わかんない、とマジックで顔に書いてあるように見える。
 まあ大嶋さんなら人当たりが良いので適役だ。俺もおざなりに手を叩き合わせた。この時までは全く人事気分だった。だが次の瞬間。
「そんでもって……時期副部長は……桂木鷲くん」
「……は?」
 ディレイがかかったみたいに思考が遅れてついてくる。
 え、なんで?
「ほら、桂木くん、立って」
「あ、は、はい」
 前部長の三年男子の声に促されるままに立ち上がると、少し離れた所に座っている哲平があからさまに笑いをこらえているような顔でこちらを見上げていた。マジ腹立つ。しかし俺の腹立ちとか関係なくあの顔邪気を孕んでいるようにしか見えないのでマジで止めた方がいいと思うんだけど。
「あと会計は福井くん、書記は河野さんで。こちらから指名するのはこの四人くらいですね。あともし何かの役職が必要なら……作ったら良いんじゃないかな。じゃ、小難しい話はこれぐらいで!」
 あとは歓談と前部長が宣言すると、そわそわと周囲の人々が固まって話し始めた。
 呼ばれた二人が立ち上がり、俺と大嶋さんがカタカタと小刻みに震えながら立っている場所へ歩いてきた。福井君は確かエルレのコピバンのドラムで、河野さんは……なんだったっけ。ギターだったのは覚えてるけど……他の部員の事をあんまり知らないのに副部長とかやって良い訳ないよなぁ。
「なんで俺なんだよ……まあ計算得意だしいいけど」
「私は会議の時だけだから別に良いんだけどね」
 福井くんがぼやくと、河野さんは一人余裕そうな声を出した。
 一応挨拶とかしといた方が良いよな。
「あ、あの」
 いつもの如く声が掠れたが、福井くんと河野さんの気を惹くには十分だったみたいだ。俺は向こうへと逃げていきそうになった喉を捕まえるようにして声を振り絞った。
「……よろしく」
「桂木くん、だよね。直接話すのは初めてかな」
「そうだね」
 全体的に幼い顔立ちだが、目だけははっきりとしている河野さんが、試すようにじろりと俺を見上げるので、俺は少したじろいだ。その空気感をふっと息を吐くようにして壊し、福井くんが声を出す。
「レフトオーバーズだけ別格上位みたいになってるからな……話しかけづらいんだよ」
「そんなことは……」
「過度な謙遜は嫌みだよ桂木くん」
 そういってニヒヒと声を出して河野さんが笑った。こいつも変な笑い方なのか。
 そうやって俺らが話していると、大嶋さんが前部長から手渡されたプリントをひらひらさせながら声を掛けてきた。
「新歓期の事は私達で決めるんだって。とりあえず、誰がビラを作るかと、説明会で誰が喋るのかと、模範演奏をどのバンドがやるのかは決めちゃおうか」
「ビラは私がやっちゃおうか。書記だし」
 河野さんが手を挙げるので、黙って俺は頷いた。俺はデザイン力なんて皆無に近いのでそういうのは得意な人に任せてしまうのが良いと思う。
 俺は話を先に進めるために去年の説明会を思い出していると、福井君が指をクルクル回しながら話を進めた。
「説明会って去年は部長が喋ってたんだっけ?」
「そうだったね、じゃあ今回も悠子でいいんじゃない?」
「じゃあ私がやるよ。えーと、定期ライブの説明と、バンド登録の説明と、バンドリーダーの説明と、部費の説明と……」
 大嶋さんが話さなければならない内容を列挙しながら、プリントの端にメモしていく。
 完全に手持ち無沙汰になった俺は辺りを見渡していた。只でさえ少ない桜の花が、風が吹く度にひらひらと落ち、辺りに桜色の光を落としている。真面目な話をしている俺らとは対照的に他の部員は飲み物を片手にあちらこちらで駄弁り出している。完全に花見ムードだ。凜に至ってはどこからかアコギを持ってきて、、先輩のリクエストに応えて弾き語りしている。ああ、俺もそちら側に混ざりたい。
「……で、模範演奏はレフトオーバーズと」
「へ? まじで?」
 誰が言い出したのかわかんなかったけど、突然自分のバンド名が聞こえてきたので我に返った。
「まあ副部長のバンドだしね。丁度良いんじゃない?」
「でもハードル挙がっちゃうよね。ニヒヒヒ」
「まあ一曲くらいならいいけど……まあ良いか……適当に何か一曲だけで良いよね」
 俺は溜息をついた。
 落ちてきた花びらが自分の鼻先に乗ったので、指先でつまみ上げる。
 また大変なことになりそうな予感がした。



 凜の所にもどると、凜を囲んでいた先輩はまたどこかに行き、凜は一人でアルペジオをクルクルと弾いていた。そのリズムに合わせるようにして桜が舞い凜の頭の上に落ちたのが見えた。
「そのアコギどこから持ってきたんだよ」
「いや、どこから持ってきたのか知らないけど先輩が渡してくれた……あう……何?」
「頭、ついてた」
 俺が凜の頭に乗っかっていた桜の花びらを見せると、凜はうっすら微笑みながら、ありがと、と呟いた。俺は紙コップにその辺に転がっていた紅茶を注ぎ、足元にあった花びらを払いのけながら凜の隣に腰掛けた。
「なに歌ってたんだ?」
「なんか適当にリクエストされたのを雰囲気で。イーグルスとか」
 そう言って凜はホテルカリフォルニアを弾き始めた。たまにこいつの趣味がよくわかんなくなる時があるんだけど、やっぱりそのおっさんとやらの影響なのだろうか。どんな人なんだろう……一度会ってみたいな。
「ホテルカリフォルニアか。いいな。名曲じゃないか」
「まーね……アコギは苦手なんだけど。おっさんほど上手く弾けないから……」
「十分上手いと思うけど……」
 アコギの良し悪しって良くわからない。きちんと音は鳴っている気はするが、そこから先は何も分からない。エレキとかだと音作りで誤魔化せる部分が、アコギだとモロにでるんだろうか。
「なんか凄いの弾いてよ。フラメンコギター的なの」
「流石に無理だよ」
 鼻にひっかかるような拗ねた声でそういいながら凜はアランフェス協奏曲を弾き始めた。
 うん、なんていうか……底知れぬ女だ。
「アランフェス協奏曲か……十分弾けてるようにしか見えないんだが……」
 そう言うと凜は手を止め、申し訳なさそうな顔でニヤリと笑った。
「むー……最後までは弾けないんだけどね。きちんと楽譜見たわけでもないし何となくの耳コピだから、アランフェス協奏曲に近いけど全然違う何かだよ」
 なんか形而上学的存在みたいだなと思ってボーッと見ていると、凜は向こうの方をじっと見つめていた。
 俺も遠くを見ていた。桜の花びらはゆっくりと地面に向かい、触れそうで触れない距離を保っている。哲平が向こうの方でなっちゃんと親しそうに話している。クリスマスに何も無かったといっても、確実に、ゆっくりと、距離は近付いてるみたいだった。
「インスト曲みたいなのもやってみたいね。ナイアシンとかそういう感じの」
「お前キーボード弾けるのかよ」
「猫踏んじゃった程度なら」
 それは弾けるとは言わない。猫踏んじゃったって片手でも弾けるよな。俺はふと思いついたことを口に出してみた。
「あのさ……そろそろさ」
「何?」
「オリジナルに手出さない?」
「いいね!」
 凜がちょっと上擦ったようなを出したので、俺は頬に手をついたまま笑った。前からオリジナルやりたいって言ってたもんな。
「といってもどうやって作ったらいいかわかんないけど」
「私が曲と歌詞考えてくるから3人で編曲しよう。それでいいんじゃない?」
「誰か一人で作った方が一貫性が有るんじゃないのか?」
「むー……よくわかんないな」
「色々調べてみないとな」
 一陣の風が猛スピードで通りすぎる。冷たくも暖かくもない、何とも言えない温度の空気の塊が俺たちを襲う。ほんの少ししか咲いていない花がはらはらと散った。
「風、強いね」
「そうだな……花が散るからもったいないな」
「でも、また来年になったら咲くよ?」
「そうだな」
 生返事を返しながら、俺は手に持ったコップから口の中に紅茶を少し注いだ。
 自分の目の前にたくさんの人が楽しそうに話している。それが何故か奇妙に見えた。
「しゅーくん、どうしたの?」
「や、なんでもない」
 何でも無くはなかったが、心の隅に引っかかったようなこの感覚をどう言葉にすればいいのか分からなかったので考え込んでいた。
「あのね、思ったんだけど、そろそろ、私達が出会ってから一年が経つんだねー」
「そう……なるのか。早いな」
 凜の声で現実に存在している感覚を取り戻す。どうやら俺には深く考え込むと周りを期にしなくなる習性があるらしい。今更気付いたのかよ、って感じだろうな。
「二年生になるんだね」
「そうだな……・後輩とか出来るんだぞ。一ノ瀬先輩!って」
「なるほど後輩か。それは考えてなかったなどうしようか……焼きそばパンぱしらせよっかな」
 テンプレ通りかよ。例え凜に頼まれても後輩は言うこと聞いてくれ無さそうだ。逆に哲平なら言わなくても焼きそばパン買ってきてくれそうだな。そういえばうちの購買部に焼きそばパンってあったっけか。いや完全にどうでもいいんだけど。
「しかしもう二年生か。早いな」
「早いと思う?」
「どういうこと?」
 俺が聞き返すと、凜ははにかむような顔で話し始めた。
「あのね、私ね、高校に入るまでは、ただ学校に来て、あんまり誰とも話さずに家に帰ってギター弾いて、アニメ観て、みたいな日常だったんだ」
「アニメは余計だろ」
 二人で笑う。最近まで知らなかったが凜は……・げふんげふん。彼女の名誉のために伏せておこう。
「でも、高校に入ってからは……色々あってさ、なんか、長かったなって」
「充実してたってこと?」
 そう言うと凜は考え込むように「むー」っと唸った。
「そうなんだけどそれを認めると私もリア充になってしまう……」
「そこは現実を見ろよ」
「うん、充実してた……でも彼氏もいないしアニオタだし処女だからリア充ではない!!」
「っ、でかい声でそういうことを言うなよ!」
 公衆の面前でこいつは何をカミングアウトしたいんだろうか。ちょっと何人かこっち向いたような気がする。アニオタってさっき隠したのに。まあ本人が気にしてないならそれで良いんじゃないかな。処j……もう知らん。好きにしてくれ。
「しゅぅぅぅぅぅくん」
「気色悪い声を出すな……なんだよ」
 また吹き始めた風を受けながら、聞き返す。凜ははにかむようにゆっくりと手を差し出した。
「……これからも、ずっと、よろしくね」
「そうだな」
 差し出された手を握る。
 手のひらを通して伝わる体温。
 それが気付かないうちに体に染みついてしまっていることに気がついた。



 初めにいたのは、自分と家族。
 すぐに現れたのは、世話焼きだけど寂しがり屋な幼馴染み。
 次に、妙に元気なドラマーと、なんだかムカつくギタリスト。
 でも、幼馴染みがいなくなって。
 一人になって。
 力を振り絞って。
 顔がヤクザのドラマーに出会って。
 笑い方が変な女の子とか、外見だけビッチの女の子に出会って。
 そして、変態ギタリストに出会って。
 それから、たくさんの人に出会って。
 人に出会う度に世界が拡がり、視界が明るくなっていった。
 マイノリティとして川面に漂っていた枯葉が、どんどん水の中に飲み込まれていくような感覚だった。
 なんだか間違っているような気もしたけれど、今はそれが心地良かった。



 これは、俺にとって大事な物語の一部分。
 そして、物語はまだ続く。



 ――LEFTOVERS Season1“Minority”終わり






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