Episode27:止まってられない




 久しぶりに誰にも起こされずに目を開けることができた。
 布団から体を起こすと、俺は大きく伸びをした。昨日はよく眠れた。ものすごく長い時間寝ていたような気分だ。具体的に言うと九か月間くらいずっと寝ていたような気分だ。え? あ、違う違う。いや、そういうメタ的な発言とかではなくて例えばの話だよ例えばの。
 時間を見ると六時半だ。普段なら二度寝するところだがよく眠ったおかげで非常に目が冴えていたので、俺は布団から体を引きずり出して立ち上がった。全身の関節が音を立てて軋む。バルコニーに通じる窓を開けてこもった空気を入れ替えると、四月初めの少し冷えた朝の空気が風と共に部屋の中になだれ込んだ。
 適当に音楽でもかけようと思って、久しぶりにCDプレーヤーのスイッチを押してみた。最近はたいていiPodにヘッドフォンを差して聞いてるから、CDプレーヤーなんて使うのいつぶりだろう。何が入ってるかわからないが、最後にかけたCDが入っているらしいのでそのままスイッチを押すと、ボブ・ディランが流れ出した。これなんて曲だったっけ。すごく有名な曲だよなこれ……なんだっけ。ってか最近CDでこんなん聞いてた覚えがないんだけど。まぁ勝手に侵入してくる奴がたくさんいるからな、俺の部屋には。下手するとプライベートスペースの体を成していないといえるかもしれない。
 背後で突然ドアが開く音がした。噂をすれば、だ。まぁ脳内でしてたから噂とは言わないか。
「おはよう」
「あれ……なんで起きてるの?」
「俺もわからん」
 首から上だけをドアの隙間から出した柚木がいた。なんかキャントストップのPVを思い出した。いつも何も言わなくてもずけずけ入ってくるくせに今日は嫌に控えめな入り方だな。
「お前はなんで来たんだよ」
「いや、見てもらおうと思って」
「何を?」
「だから、ほら、あれだよ……」
 そう言ってもじもじするので何か隠してるなと思った俺はドアを無理やり開けようとしたがドアが頑として開かない。向こうから柚木がドアノブを引っ張って抑えてるみたいだ。無理やり引っ張ってみたがやっぱり動かない。
「なんだよ。何隠してるんだよ」
「か、隠してないよ!」
「じゃあ開けろよ」
「ちょっと待って、わかった、自分で開けるから……でもまだ心の柔軟体操が……」
 どうやんだよそれ。俺が抵抗をやめると、柚木は深呼吸をし始めた。何をしでかすんだろうこいつは。
「じゃ、開けるよ」
「お、おう」
 少し間があって、ゆっくりとドアが開いた。
 柚木がいた。まぁいなかったら怖い話になるけど、とりあえず怖い話にはならなかった。問題は格好だ。
「……どう、似合う?」
「……。」
 思わず黙り込んでしまった。別にコスプレとかエロい格好とかそういうのじゃない。そういうのを着てる柚木も見たいなーとか断じて思ってない。思ってないったら思ってない。朝からそんなこと考えるほど元気でもない。というか、俺のよく知っている服装だ。
 北野高校の制服。
「なんか言ってよ」
「いや、俺に良質のコメントを求められても」
「わかってるよ! どうせ似合わないとか言われるんだろうと思って当日の朝寝込みを襲う計画だったの」
「なぜにそんな回りくどいことを……」
 俺は怒り気味の柚木を避けるように一歩引いて、制服の柚木をじっくり眺めた。
 今日は柚木の入学式だ。正確に言うと柚木はもう入学しているのだが、去年は病院のベッドで呼吸器をくっつけたまま眠り姫状態だったので、もちろん欠席していた。だから今年の入学式に参加するという運びになったのだ。
 入学式の後、ホームルームがあって、それから部活説明会がある。去年俺が簡単にバンドを組めないということに気づいて驚愕することになった例のイベントだ。今日は俺がそれを運営する立場に回っている。月日が経つのは早いなぁ、と当たり前すぎることをしみじみと実感してしまう。
「鷲は何時に学校に行くの?」
「十一時集合とかだから結構ゆっくりできるな」
 ますますなぜ早起きしたのかが分からないよな。早く行ったところで入学式で忙しい人たちの邪魔になるだけだ。
「一緒に行こうよ。道分からないし」
「嘘をつけ。ライブで何回か来てるだろ」
「ばれたか」
 ばれるとかそういう問題ではない。そもそも徒歩十分圏内で道がわからないということが成り立たないと思うんだがどうだろうそこの君。
「……一人で言って来いよ。どうせ軽音の説明会で会えるだろ?」
「まあ、そうだけど……」
 口ごもる柚木を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
 気持ちはよくわかる。一人で行くのが不安なんだろう。俺だって二人で登校というキャッキャウフフ的な展開を望んでいないわけではない。だけどここで俺が手を差し出してしまえば、柚木はそれに縋ることになってしまう。それはよろしくない。
「何弱気になってるんだよ」
「……だって」
「去年の俺よりずっとマシだろ。コミュ力も無いし、頼れるやつもいないし、幼馴染はベッドの上だし……どうせ一週間くらいしたらクラスのみんなと話してるんだろお前は」
 そういうと、柚木は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐにいつものニヤニヤとした表情に戻った。
「まさか鷲に先輩面される日が来るとは……」
「うるせぇ」
 俺は柚木の肩をつかんで部屋から追い出した。大丈夫だろう。去年一年でこいつの弱い部分を知ったけど、それでもこいつは俺なんかよりずっと強い。きっと何とかなるだろう。
「あ、柚木」
 ふと思い出して、階段を下りようとしている柚木に声をかける。
「その、なんだ……」
「何?」
「……制服、似合ってるよ」
「ありがと」
 柚木はつぶやくような声で返して去って行った。



 学校に着くと、入り口の前で新入生や親たちが群れていた。
 その人ごみをかき分けて、ベースを背負って前進する。新入生の制服は新しいので汚れやほこりも少なく、ぴんと張っている。一年の年季がこもっているせいでよれよれになっている俺の制服とは明らかに違う。期待と不安。そんな感情の塊が頭上で交錯していた。
「何考えてるんだ俺……」
 うっかり独り言を言うと、右隣に立っていた一年の女子生徒がギクッとしてこちらを見た。逃げるようにして早足で立ち去ろうと試みる。だめだ……新入生を見ていると、なんとなくいろいろ考えたい気持ちになってしまうな。
 独り言を聞かれた女子生徒を避けるようにして、左の方を何気なく見ていると、遠くの方に柚木が見えた。三人くらいの女の子と一緒に話している。もう話す奴ができたのか。流石コミュ力高いな。
 この時間は、去年の俺の経験から考えると、恐らくクラス発表が始まるまでの待機時間だと思う。ちなみに去年の俺は、この時間を校庭の隅に座って文庫本を読んで過ごした。今から思えばこの時点で負け組感が漂っていたんだな。
 柚木に気づかれないように、俺は早足のまま校内に入った。さっきは無感動なふりをしていたが、実は、制服の柚木を見て感慨深いものが胸の中に込み上げていた。
 去年の今頃病院のベッドの上で眠っていた彼女が、目の前に制服を着て、頬を薄く染めたまま立っていた。去年、当たり前のようにそこにあると思っていたものが突然失われ、そして長い一年が過ぎて、そして今ここにある。時間がこんがらがってしまったような感覚だ。
 俺はいったい何が言いたいんだろう。自分でもわからなくなってきた。ま、多分嬉しいんだと思う。多分うれしすぎて頭がごちゃごちゃになってるんだと思う。浮かれて本番でトチらないようにしないと……。
「しゅーくん!」
「ふぁい!……ああなんだ凛か」
 いつの間にか左隣に凛がいた。
「久しぶりだね!」
「昨日会っただろ」
「いや、そういうことじゃなくて……むー……」
 どうやら俺たちはメタネタを言いたくて仕方がないらしい。だめだなぁ読者に嫌われるぞ。あれ、何を言っているんだろう俺は。
「ちょっと早めに家を出たんだけど、早かったかなぁ」
「そうかもな」
 時計をちらりと見ると、十時半だった。微妙な時間だ。
「集合まで三十分くらいあるな。まあ早めに行ったらいいんじゃない?」
「そうだね」
 集合場所は、軽音部の部活説明会の会場である音楽室。いつも定期ライブで使っている本館四階の小ホールは吹奏楽部が使っているので、イレギュラーな場所だ。機材のセットやリハは昨日集まって先にやったので、今日は最終確認と本番だけだ。
「どれくらい新入生来るかな?」
「わからんな。去年は何人くらいだったっけ?」
「むー……周り見てなかったから覚えてないなぁ」
「奇遇だな、俺もだ」
 知らない人が大勢いるところになると途端に周りを見なくなる。こんな時隣の奴にすっと話しかけることができる奴がリア充になっていく。そう考えると俺たちに友達が少ないのは自己責任ということになるな。
「まぁ多くて三、四十人って所じゃないかな」
「そだね。でも座ったままの人に演奏を聞いてもらうってなんかやだな」
「わからんでもないな」
 今日俺たちが軽音部の「模範演奏」ということで数曲演奏するのだが、まぁ説明会のおまけみたいなものだから、椅子に座ったまま聞いてもらうのだ。いつもステージ上から立ってみている人に向かって演奏してるので、すこし勝手が違う。
「やっぱり聞いてるぜっていう反応が欲しいよね」
「そうそう。それに座ったままだとノリ難いしな」
 それにしても俺たちが模範演奏でいいんだろうか。模範となるような演奏ができる気がしない。俺たちの演奏を聴いて、入るか入らないかを決める人も多いだろうから、責任は重大だ。
「ま、思わず立ってしまうような演奏ができたらいいんだけどな」
「……しゅーくん、下ネタはダメだよ」
「それはおかしい」



「じゃ、私は上手に立って説明を始めるから。福井君と河野さんはハンドアウトを配って……」
「その後俺らはどうすればいいんだ?」
「廊下側の壁で待機、でいいと思うよ」
 軽音部部長大嶋さん、副部長俺、会計福井君、書記河野さんによる説明会が始まる前の最終確認だ。部長となった大嶋さんがテキパキと指示を飛ばしている。どこか抜けてるところがあるけど、大嶋さんはこういう仕事の処理能力が高い。大嶋さんを選んだ先輩たちの判断は正しかったということだろう。一年くらい接しているが俺は知らなかった。でもまあ確かになんとなくしっかりしてそうな雰囲気は出てるよね。
 普通の教室の二倍ほどの大きさのある広い音楽室に整然と並べられた椅子には、もう五、六人の新入生が所在無げに椅子に座ってこちらを見ている。まだ集まっている人数が少ないから不安なのかもしれない。こういう時にコミュニケーション能力のある人なら後輩に話しかけに言って不安を和らげるのだろうが、俺はそんな発想にはならない。寧ろ黙っていた方がいいだろ。
「桂木君?」
「え、ああ、ごめん何?」
「桂木君たちはずっと準備室に待機ね。楽器はステージのスタンドに置いといていいから。ほかの二人にもそう言っといて」
「オッケー」
 俺たちは演奏するということで仕事が楽になった。段取りの原案は大嶋さんがやってくれたし、宣伝用のビラやポスターは河野さんが描いてくれたし、必要経費は福井君が処理してくれた。俺は全てに頷いただけだった。すごく楽だったよ。
「……とりあえず流れは以上だけど、質問ある?」
「特に」
「無い」
「よね」
 大嶋さんの問いかけに対して、三人で顔を見合わせながら言葉を繋いで返した。とりあえず打ち合わせは終了だ。まぁ特に大きなイベントというわけでもないし、段取りはきちんとできているので、説明は何事もないだろう。何かあってもアドリブで対処できるだろう、俺以外の人たちは。
 不確定要因があるとすれば、俺たちの演奏だけだ。
「ま、桂木君は今日はなんも考えなくていいから、演奏に集中してね」
「了解」
「この演奏を聴いて、入るか入らないかを決める人も多いだろうから、責任重大なんだよ?」
 それがわかってるからビビってるんだよ。俺が黙っていると、河野さんは首をかしげながら福井君に聞いた。
「去年はどんな感じだったっけ?」
「ああ、確かオアシスのコピーだったっけ? あんまりパッとしない感じだったかな」
「確かに。あんまり上手くは無かったね」
 真顔で先輩の演奏を貶す福井君と河野さんのこの先を少し案じてしまった。まぁ確か俺の感想も「お世辞にもうまいとは言えない」だったから、俺も人のことは言えないか。それにしても酷い言われようだ。下手すると俺たちもこんな風に言われるかと思うとぞっとする。
 その後三人と少し話した後、廊下で待機していた哲平を見つけて近寄った。哲平は廊下に直接あぐらをかいて座り、スティックで自分の太ももを練習用のマット代わりに叩いて練習をしていた。俺が近づくと、耳に差し込んでいたイヤホンを外して、俺の方を見上げながら少し息を漏らした。
「よぅ」
「哲平……お前、中入っとけよ」
「準備の邪魔にならないか?」
「外にいた方が邪魔だ」
「どういう意味だよ」
 眉根にしわを寄せて哲平が睨む。これまでの経験から考えると多分怒ってないんだけど、傍目から見れば怒ってるというか「殺ろう」としているようにしか見えない。
「その顔だよ、その顔。お前のこと知らない新入生が見たら絶対逃げるって」
「失礼な。これでも努力したんだ。大丈夫なはずだ。なっちゃんに相談して、顔をマッサージして筋肉をほぐしたりする方法を考えてだな」
「お前らそんな話してるのか」
 聞いたらダメかなと思って二人でどんな話してるのかとは聞いたことは無かったが、変なところからうっかり漏れてきた。しかめっ面の哲平をなっちゃんが小さな手でぐにゃぐにゃとこねるようにマッサージしてる様子を幻視して一人で笑った。哲平は俺の一人笑いに気づいてないのか知らないが、一人で廊下の奥を見ながらほくそ笑んでいる。
「まぁ見ててみろ、一年生は絶対にこわがらない……」
「ひぃぃい!!」
 言ってるそばからやってきた女の子三人組が飛び上がった。タイミング良すぎだろ。
「ほら見たことか」
「ちょっとでも大丈夫だと思った数秒前の俺に全力で腹パンしたい」
 哲平は虚ろな目で俺を見返した……心の中で親指を立てた。ドンマイ、哲平。それでも明日は来るのさ。
 飛び上がった女の子三人組はというと、勇敢にも立ち去ることなく音楽室への入口に入ろうとしていた。列に並んで受付の二年生部員からパンフレットを受け取ろうとしている。神経の太い新入生が入ってきたなと思ったら、
「大丈夫だよ。あの人、顔以外はまともだから」
「柚木ちゃんなんで知ってるの?」
「またゆっくり説明するよ」
 何のことはない、柚木だった。柚木がフォローしてくれたおかげで残りの二人も逃げなかったようだ。
 柚木は俺たちに気づくとうっすらと微笑み、周りに気づかれないようにこちらに手を振ってきた。俺は表情を変えないまま小さく頷いた。その二人のやり取りに気づかないのか、一年生の二人は柚木に話しかけている。
「ってかさ、もう一人立ってる人、すっごくイケメンだね。あの人も知ってるの?」
「ああ、うん、知ってるよ……えーと、あの人、イケメンだけどすっごくへタレなんだ」
「へぇ。いじられキャラなの?」
「まぁそんな感じ」
 何を吹き込んでいるんだお前は。俺がイライラした目を向けていると、柚木が一瞬だけこちらに目配せしたような気がした。多分目が笑っていた。クソが。
 少し意外だったのは、柚木が俺のことを幼馴染と紹介しなかったことだ。これまでなら真っ先に幼馴染と紹介していたはずだが、今は少し言い淀んでから適当に茶化していた。彼女なりに隠した方がいいところは隠そうとしているらしい。
 一年生のやり取りは哲平にも聞こえていたようで、床から立ち上がりながら、クックッと邪悪な笑い声を漏らした。
「ヘタレイケメン、だとさ。全くもって正しいな」
「ヘタレは認める。だがイケメンは違う」
「いい加減にあきらめろよ。お前が思ってるよりお前はモテる……なっちゃんから色々聞くぜ?」
「お前らそんな話してるのか」
 人のうわさをダシにしてイチャイチャするなよ、と言いたい。
 仮に誰か知らない女の子が俺のことを好きだとしたら。まぁ悪い気はしない。だがまぁ、柚木のことはほっとけないし――。
「って、何を考えさせているんだこのヘタレヤクザが」
「お前が何考えてるかなんて知らねぇよ。ほら、中入ろうぜ」
「……あぁ」
 哲平に促されて、俺たちも音楽室の中に入っていく。
 柚木たちが入っていったのとは違うドアを踏み越える。
 少し、ほんの少しだけ、寂しいような気がした。



 そうして説明会は無事に始まった。
 基本的な活動の概要、年間スケジュール、部室の使い方、部費の説明、楽器の説明。説明は恙なく順調に進行した。その間俺たちレフトオーバーズの三人は音楽室の隣の準備室でぼーっとしていた。
 音楽準備室は音楽の授業で使う楽器や、音楽系の部活の使用している楽器が置かれていた。狭いが居心地の良い空間だった。だが楽器を音楽室のステージの上に置いてきたので何もすることが無い。俺は座ったまま考え事をしていて、哲平はメトロノームを鳴らしながら基礎練をし、凛はヨガのような妙なストレッチをしていた。確か体育祭の時も似たようなことしていた気がする。
「凛、その動き何?」
「ああ、これ? ヨガっぽい動きをすることによってあの人ヨガできるんだーと思わせるごっこ」
「ヨガごっこでよくないのか、それ」
 膝をついたまま状態を思いっきり反らして手を後ろ側に床につけるという奇妙なポーズのまま凛は答えた。正直気持ち悪い。
「凛、体柔らかいよな」
「柔らかいよー。触ってみる?」
「そういう柔らかさじゃねえよ」
「むー……じゃあどこなの? 胸? おしり? それとも……」
「死ね」
 一言だけ言って無視した。こいつに絡むんじゃなかった。でも真面目な話、凛って体に無駄な肉がついてないので触ってもあんまり柔らかくなさそうだ。何を考えているんだ俺は死ねよ。
 俺は反省の念を込めながら黙りこんで、音楽室と準備室を直接つなぐ薄いドアに耳を当てた。大嶋さんの声が聞こえてくる。
「以上で説明は終わります。何か質問はありますか?」
 質問の時間のようだ。高校生に質問がありますか、と聞くと大体無言が返ってくると相場は決まっている。俺は、「そろそろだ」と二人に声をかけた。凛は変なポーズを止め、哲平はメトロノームを止めた。
「はい、そこの女の子」
「あの、大概の人はバンドメンバーを集めてから部活に入ってくるって聞いたんですけど、ほんとですか?」
 柚木の声だ。俺に聞けばいいのに何でこんなところで質問を、と考えてふと思いついた。多分俺に対する嫌がらせか、俺みたいな奴に対して注意を促すためだろう。
 大嶋さんはどう答えるんだろうか。
「なんかそういうパターンが多いみたいですけど、特に決まりではないです。部活に入ってる人、入ってない人関係なく、色んな人と話して、色んなバンドを組めたらいいんじゃないかな、と私は思ってます……これでいいですか?」
「はい、ありがとうございます」
 大嶋さんが流暢に答え、柚木の返事が聞こえた。去年こんな風に先輩に言ってもらえてたら、俺もあんなに絶望感を覚えずに済んだな、と思った。それにしても大嶋さん、部長っぽいな。
「他に質問は……なければ、模範演奏を聴いてもらいます。うちの学年、というか恐らくこの学校最強のバンドです。ゥフフフフ」
 おぉーという声が一年生から上がり、俺の心臓が飛び跳ねた。
 おい、打ち合わせにそんな紹介入れるとか聞いてないぞ。ハードルがスカイツリー並みに高くなってるじゃないか。
「あ、模範って言っても、別にここまで上手く弾いてくれってわけじゃないですよ。私も無理です。とにかくバンドってこんな感じなんだ、って楽しんでください。ゥフフフフ」
 いつもの変な笑い声をあげているのを聞いて気が付いた。俺が嫌がることわかっててこの人言ってるわ。部長っぽいとか思ったっけ? 前言撤回。こいつは許さん。
 その時廊下側に通じる準備室のドアをノックする音が聞こえた。合図だ。
「しゅーくん、行こう」
「……行きたくない」
「土壇場で何を言ってるんだ貴様は」
 哲平に突き飛ばされ、ドアから出ていく拍子に転んだ。失笑が音楽室に響く。俺が顔を赤くしながらステージに上ると、窓際で爆笑している柚木が見えた。後で痛い目に合わせてやる。
 ベースを背負うと重みが手と肩に伝わってきた。今日はG&Lだ。別にワーウィックでもよかったけど、今日は慣れてる方でやりたいと思ったのだ。フロアチューナーを踏み、一応チューニングを確認する。
 凛がスイッチを入れるとアンプからギターのフィードバック音が漏れ出し、哲平がバスドラとスネアを試しに叩く音が空気を割るように響いた。思えば久しぶりに人に聞かせる機会だ。出来はあんまり気にせず楽しもう。
 隣を見ると凛がこちらを見つめている。「始めていい?」と聞いているみたいだ。
 俺は小さく頷いた。



 力強いギターのリフから始まる。
 あまりにも有名なフレーズだ。
 スメルズライクティーンスピリット。
 ドラムのフィルが入り、ベースのスライドが入り、三人でフレーズを刻むようにして曲の中に入っていく。メインリフを目の前に押し出すように奏でていく。
 その後すぐにドラムとベースが8ビートを刻み、その上にギターの単音が響く。その中をじっとりと広がるように凛の声が伸びていく。Bメロに入ると凛は少しずつ声を緊張させ、ドラムやベースに押し上げられるようにして曲を引き上げていく。
 高まった緊張はサビで一気に解放される。半分叫んでいるような凛の声でサビのメロディが飛んでいく。

 明かりを消せば、危険は減る
 俺たちはここにいる、楽しませろよ
 馬鹿馬鹿しい、感染しちまうぞ
 俺たちはここにいる、楽しませろよ

 二番のサビが終わるとギターソロが始まる。本当は歌と同じメロディなのだが、カート・コバーンに倣って、かなり崩したソロになっている。エフェクターを踏みかえ、深く歪み切った音で狂ったようにギターを弾き続ける凛。まるで硬い壁に爪を突き立てて引っ掻くようなソロが、空間を、鼓膜を、脳内を満たす。
 大サビに入る。ベースとドラムが踊るようにしてリズムを刻み、ギターと声がその間隙を縫うようにして叫んだ。聞いている一年生の多くは、座ったまま体でリズムを取っていいる。立っていなくても、ノってくれていることはそれで十分伝わった。

 混血
 アルビノ
 モスキート
 性欲
 拒絶

 最後は完全に叫び声になるようにして凛は歌っていた。カートは何を思ってこの歌詞を作ったのだろうか。何度も「拒絶」と叫びながらこの曲は終わる。まぁ意外と何も考えてなのかもしれないけどね。
『どうも、レフトオーバ、ゲフッ……レフトオーバーズです!』
 ものすごいダメなタイミングで声がかすれた上に咳を出した凛に、前の方の一年生が笑い声をあげた。なんだこいつは。天性の芸人なのか。
『二曲しかやらないので皆さんとはすぐお別れなんですけど、せっかくなのでメンバー紹介しときます。後ろのヤクザ顔のドラムの彼が阪上哲平くんです』
 拍手が起きたが、前の方の席でしっかり哲平の顔を見れていた人たちは少し顔をひきつらせた。哲平は嬉しいんだか怒ってるんだか何とも言えないような顔でバスドラとシンバルを鳴らした。
『んで、入ってくる時にこけたあいつが桂木しゅーくんです。副部長らしいです』
 また失笑が漏れる。転んだことを蒸し返された上に「鷲君」の発音が完全に「しゅーくん」だった。俺はまともに紹介もしてもらえないのか。少しいらいらしながら和音をジャーンと鳴らした。
『んでワタクシが一之瀬凛と。まぁ全員紹介した所で全員覚えてないでしょ?』
 確かに。最初から知っている柚木を除けば、早口で言っただけなので覚えてる奴なんて誰もいないだろう。
『多分説明があったと思うんですけど、軽音部の定期ライブとかにも参加してるので、また見に来てくださいね。じゃあ時間もないと思うので最後の曲行きます』
 俺と哲平が同時に8ビートでリズムを刻み始める。しばらく俺と哲平のセッションのようなものが続く。俺はリズムを刻みながらもハイポジションに移動し、音をできるだけ丁寧に繋いでいく。その音に合わせるようにして哲平も少しずつオカズを入れ、緊張感を持たせている。
 そして凛がどう弾いているのかよくわからないソロをその上に乗せていく。ベースもそれに合わせるようにしてハイポジションでうねっていく。そして、ふとした瞬間、理性がコントロールを戻したように原曲のリフを弾き始める。
『あ、そうだ』
 凛がリフを弾きながらマイクに向けてつぶやいた。曲を弾きながらというのもあるが、俺はヒヤッとした。何を言い出すんだこいつは。
『立ちたかったら、立っていいですよ』
 その声を聞いて、前の方にいる十人弱の一年生が立ち上がった。遅れるように数人立ち上がる。ギターリフはどんどん激しさを増していく。スネアドラムが徐々に徐々に高いところへと登っていく。それに合わせるようにしてギターのリフとベースが音を刻んでいく。
 スネアの音が頂点に上り詰めた瞬間、ギターの音だけになった。
 これもあまりにも有名なリフだ。
 キャントストップ。
 凛はギターを弾きながら歌う。いや、普通は無理だよ、普通は。凛は、普通ではない。彼女は例外なのだ。
 ドラムと凛の声が刻むリズムにぴったりと合わせるようにして、ベースのスラップが入る。正確に、押し上げるように、乗せるように、そして強く。弦が千切れないかと心配になるくらい強くスラップし、音を鳴らす。

 俺の愛する世界、俺の流す涙
 それは大きな波の一部で
 止めることなどできない
 でもそれが全部君のためだとしたら

 サビに入ると、澄み切った声で紡がれる歌が波のように拡散していく。流石、一番好きなバンドの一番好きな曲とあってか、凛はいつも以上にこの曲を研ぎ澄ませていた。俺と哲平はその期待に合わせられたかどうだかわからないが、これまで以上にこの曲に力を注いだ。つまるところ、一年間俺たちが積み上げたものをこの曲に注いだのだ。そして俺たちはまだ続いていく。それこそ、止まることのない大きな波のように。
 ギターソロになると凛はまたものすごい勢いでギターを掻き鳴らしはじめた。連続する単音で何もかもを埋め尽くすかのように弾き続ける。音の上に音が重なり、音の下に音が埋め込まれる。屈折し、交錯し、連続する音の波が聞く人を打ちのめしていく。
 隣で弾きながら俺も凛のソロに鳥肌を立てていた。凛はどこまで行くんだろう。俺だってそれなりにベースは弾ける方だと思うし、哲平も上手い。だが凛はそのずっと、はるか遠くにいる。ギターに関しては溢れんばかりの才能を持っているのに、人一倍練習しているし、人一倍努力を重ねている。だから、圧倒的だ。普通の人間が努力で詰め切れない領域を軽々と越えてしまう。超えられない。止められない。
 ソロが終わるとまたAメロを繰り返すが、哲平も俺もほぼアドリブで弾いていたからまるで違う曲だった。凛もメインリフをアドリブでかなり変えながら歌っている。やっぱこいつは化け物だ。
 終わりに近づくにつれどんどんと楽器が無くなっていき、最後は声だけが残る。

 君を必要とする魂は止められない
 この人生は単なる読みあわせじゃないから

 歓声と拍手が響く。いつの間にか全員立ちあがっていた。思わず立ってしまうような演奏だったということだな。あ、エロい意味じゃないからホントに。でもまぁあの凛のソロを聞いて座ってられる奴はいないとは思うけどな。
 柚木も前の方にいた。まぶしいものを見るかのような目でこちらを見ている。一瞬だけ目があったがすぐに俺は逸らした。そして俺は柚木に心の中で呼びかけた。
 俺はこいつらについていくので必死だ。
 止められないんじゃない。
 止まってられないんだ。




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