Episode22:光るものは全て金だと思った彼女は(前編)




 朝、顔に氷の塊が押しつけられた様な感覚を覚え目が冷めた。
 エアコンをつけて寝ると喉を痛めてしまうので、寝てる間は必ず暖房を切って寝ている。だから朝になると部屋の空気が冷えてしまい、毎朝凍るような寒さに震えることになる。そして寒いと暖かい布団から出たくなくなるわけだ。しかし今朝は特に寒い。寒いというか冷たい。顔の皮膚を棘で刺すような冷たさである。ああ、やっぱり冬本番なんだなぁと……。
「って、ぎゃああああああああああああ」
「よし、起きた!」
 比喩表現とかではなく本当に氷の塊を顔に押しつけられていた! 通りで寒いとかじゃなくて冷たいと思ったわけだ! 俺が頭を無理矢理起こしながら周りを見ると、ニヤニヤとした顔で経っている鶫がいた。
「兄ちゃん、おはよう」
「ああ、どうもおはようございます」
「ハハッ」
 少し苛ついた声で馬鹿丁寧に返事を返すと、妹は嬉しそうに笑い声を上げた。こいつ、俺に嫌がらせするのが趣味みたいになってるからな。なつかれていると言えば聞こえが良いが、どう考えてもなめられている。
 顔に付着した水気を右手で拭いながら枕元に合ったデジタル時計を見ると、十二月二十四日土曜日の七時半だった。今日はクリスマスライブだ……まあ学校には九時に着けばいいから時間的には十分かな。起こしてくれたことには感謝しておきたい。起こしてくれたことには。
「兄ちゃん、今日ライブなんでしょ?」
「まあね。今日のは一般の人も来れるから見に来るか?」
「時間が空いたら行くよ、場所と時間は?」
「北高の体育館で一時から。俺らは……三時半くらいかな」
 いつもの定期ライブをやっている小ホールではなく、体育館を貸してもらうことが出来たのだ。偏に体育館を使う運動系の部活のご厚意である。まあクリスマスイブくらい練習無しで良いんじゃないのという適当な決め方なんじゃないかと睨んでいるが。
 頑張ろうという気合いを入れながら上体を起こすと、鶫が氷の塊を投げつけてきた……慌てて腹で受け止めると、Tシャツに水がついた。ロック用の溶けにくい丸い奴だ……店の冷凍庫からくすねてきたんだな。俺は氷を両手で持ちながら、ベッドから立ち上がった。
「ったく、お前と言い、柚木と言い、なんで普通に起こしてくれないんだ……」
「にいちゃんの寝顔って見てて腹立つくらい幸せそうだからじゃない?」
「どんな寝顔だよ」
 自分の寝顔なんて当たり前だけど分からない。そして幸せそうな寝顔を見たらそれをぶっ壊したくなると言うお前らのメンタリティはどうなってるんだよ……心底将来が心配だ。
「ところで……聞いて良いのかわかんないんだけど……」
「なんだよ」
「柚木ちゃん……来ないよね」
「……」
「兄ちゃん、喧嘩でもしたの?」
 流石に一ヶ月も家に来なかったら馬鹿な妹も気づいたみたいである。さて、どう言ったもんかね。俺は少したじろぎながら、寝起きの頭を無理に回転させようとした。
「喧嘩したわけじゃないけど……」
「じゃあ、なんで?」
「わからん」
 俺は鶫を少し強めに睨んだ。ややこしいからこれ以上喋りたくないと目で伝えようとしたんだけど、妹には伝わらなかったみたいだった。駄目だこいつ。
 俺は鶫に見切りをつけて部屋を出ようとしてドアノブに手をかけたが、左腕を溢れんばかりの握力で捕まれた。痛い痛い痛い折れる折れる折れる!
「今日のライブには? 呼んだの?」
「呼んでないよ。特段見るべき物でもないし……」
「だめだよ! 柚木ちゃんいっつも兄ちゃんのバンドのことうらやましがってるもん! 見たいに決まってるよ!」
「うらやましい?」
 驚いて後を振り返ると、首がゴキリという音を立てた。偶に首からヤバイ音がするんだけど大丈夫なのだろうかこれ。……あ、これ別に死亡フラグとかじゃないから、大丈夫だよ!
「なんで柚木がうらやましがるんだよ」
「わかんないけどそんな風に見えるもん」
「どういうとこが?」
「だって……、兄ちゃんのいないとき、兄ちゃんのライブの動画とか見てるみたいだし、兄ちゃんがやってた曲のギターのコピーとかやってるし……柚木ちゃんは隠してるつもりかも知れないけど、バレバレだよ」
「……妙な所に鋭いんだな、お前」
 俺は胸につっかえた何かを吐き出すようにして、溜息をついた。鶫が言ってることが本当だとしたら、柚木のこれまでの行動の理由がかなりはっきりしてくる。けれど、本当にうらやましがっているとしたら、羨望の対象である俺たちのライブの映像をわざわざ繰り返して見ないだろうし、あのCDだって受け取らなかったはずだ。その辺は鶫の勘違い……というか、言葉の選び方の間違いではないだろうか。
 嫉妬でないとすると――。
「鶫」
「何?」
「柚木にはライブのこと伝えるなよ」
「なんで?」
「なんでも」
 俺はそう言い残して顔を洗うために階段を下りた。多分だけど、今日のライブを聞かせない方が良いような気がしたのだ……今度は音楽に頼らず、自分の言葉で伝えなくちゃダメだと思ったからだ。手に持った氷が体温でじわりと溶ける音がした。
 今日のライブが終わったら、きちんと柚木と話そう、と思った。
 ……あ、これ別に死亡フラグとかじゃないから大丈夫だよ!



 柚木は昔から強い奴だった。
 俺が4人くらいの男子にいじめられているとする。すると飛んできてその4人をボコボコにしてしまうのが柚木だった。俺が先生に濡れ衣でしかられているとする。すると隣にいて上手く言い返せない俺を庇ってくれるのが柚木だった。二人組作ってーと言われて一人で立ち往生しているとする。すると柚木が飛んできて三人組の中に入れてくれる。「~とする」と言ったけどこれがすべて実話なのである。何とも情け無い話だ。ああ、笑えよ。アハハハ。アハハ……あーあ。
 ま、とにかく、俺はずっと柚木に頼りっぱなしで幼少期を過ごした。ごめん嘘ついた。中学校の時もだ。ノーウェアのメンバーを集めたのも柚木だし、そもそもベースをもったきっかけも柚木だった。
 けれども、もしも、万が一、柚木が強いと言うのが、先入観から来る俺の思い込みだったとしたら。柚木は、本当は悩む込むタイプの奴で、心臓の病気で一年ダブったせいで俺に置いて行かれるのを、俺が想像しているよりもずっと怖がっていたとしたら。これまでずっと「強い柚木」を見てきた俺にとっては考えにくいし、考えられないけど、もしもそうだとしたら。
 そうすると、これまでの柚木の不可解な行動に説明がついていく。少し風邪をひいただけで急に弱気になってしまったこと。俺が「お前の歌が聞きたい」と言った(なんてクサイこと言ったんだおれ死ねよクソがぎゃあああああ)ことで怒り出したこと。
 信じがたいことだった。でも、もしかすると、そうなのかもしれないと思った。だから俺はリヴ・フォーエバーで伝えることができるんじゃないかと信じた……ホントはなんにも変わってないんだということを。
 確かにベースの技術は上がったし、コミュニケーション能力も少しは上がったと思う。柚木無しでレフトオーバーズは結成したし、柚木無しでもクラスにたくさん友達が出来た。
 でも、根っこの所では、家に帰ったら俺のベッドで柚木がゴロゴロしながら漫画を読んでいるということに安心感を覚えてたし、柚木がいない一ヶ月間はそのことを強く感じさせた。正直寂しかった。心の中だから誰にも聞こえないと思って大声で言うけど、会いたくて仕方無かった。
 だから思ったんだ。俺は、やっぱり――。
「おはよっ、桂木君!」
「やっ、ぱああああああ!!!!!」
「ヤッパー? 何それ」
 俺が考えをまとめながら学校までの道程を歩いていると、後ろから歩いてきた誰かに呼び止めれて、思考がつんのめってしまった上に変な叫び声を上げてしまった。なんだよヤッパーって。
「くそぅ……結論が……飛んでいった……」
「何? 結論?」
「あ、いや、こっちの話。おはよう、大嶋さん」
「おはよ」
 大嶋さんは明るい笑顔と明るい声で返してくれたが、俺は心の中で恨んでいた。せっかくいい感じでまとまってたのに……言葉がジェンガみたいに崩れてバラバラになってしまった。自分でも何考えてたかよくわかんなくなってしまった。
「やー、でも、寒いね。手がかじかんじゃって、きちんと弾けるかどうか心配だよ」
「弦楽器奏者には辛い季節だよね」
 返事をすると、大嶋さんは手をこすり合わせながら小さく白い息を吐いた。手が冷えると、指は何とか動いても速いテンポの刻みとかが弾けなくなるよなぁと思っていると、大嶋さんはもこもこした手を突き出して言った。
「動かなくなると困るから手袋してるんだけどね、ほら」
「暖かそうだね、それ」
 そうやって二人で話しながら校門をくぐり昇降口の前まで行くと、ベースを背負ったまま妙にカクカクした動きで歩いている女の子がいたので、俺と大嶋さんは驚かさないように前に回りながら話しかけた。
「なっちゃん……大丈夫?」
「は、はい! 大丈夫ですよ!」
「大丈夫じゃないよねそれ、ゥフフフフ」
 語尾だけ妙に強い変な喋り方をしている人を指して、普通の人は大丈夫だなんて言わない。俺と大嶋さんは二人で顔を見合わせた。
「それって本番に緊張してるわけじゃないんだよね?」
「ち、違う! ライブに緊張してるんです!」
「ま、本番後が本番みたいなね……ゥフフフフ」
 大嶋さんがそう言って茶化すと、なっちゃんは顔を真っ赤にして口をつぐんだ。ちなみに俺はなんかその表現エロいとか一瞬思った俺を脳内で顔が腫れるまで殴っていた。脳が凜に侵食されている気がしてきた。
「ライブに影響でなければ良いんだけどね……大丈夫?」
「大丈夫、何とかする。ゆーちゃんこそ朝から!」
「……ゥフフフフ、朝から? 何?」
「あ、朝から……その、良い天気だよね!」
「寒いけどね、ゥフフフフ」
 大嶋さんが満面の笑みを浮かべ、俺となっちゃんが同時に顔をひきつらせた。あれ、おかしいな。笑顔なのに周りの温度が何故か5℃くらい下がった気がしたんだけど。何かおこっていらっしゃる――?
 あ、因みに、ゆーちゃんってのは大嶋さんのことだ。ツッキーと団子さんは「ユーコ」と呼ぶが、なっちゃんだけ「ゆーちゃん」だ。あと、ツッキーはツッキーのままで、ちかーちゃんはちーちゃんだ。ネーミングの感性が凜とよく似ている……けど、ゆーちゃんってなんか語感良いよな。
「……ゆーちゃん」
「へ……? 桂木君?」
 何となく声に出して舌の上で転がしていると、大嶋さんがビクッとしてこちらを向いた。ああ、ミスった、声に出すんじゃなかった。俺は慌てて取り繕った。
「あ、ごめん、なんか語感良いなぁと思って、つい」
「もぅ……びっくりして何か色々吹っ飛んだよ!」
「ごめん」
 少し赤い顔をして怒る大嶋さんから少し目を逸らすと、なっちゃんは「ナイス桂木君」と口の形でメッセージを送ってきた。俺は苦笑いして、下駄箱から上靴を取りだした。
 うん、何て言うか……ここまでこうだと流石になんというか。



 1時にスタートしたライブは、まずまずの盛り上がりだった。
 最初はアジカンのコピーをやってる一年生のバンドで、2番目はドリームシアターのコピーをやってる二年生のバンドだった。徐々に人が増え、盛り上がりも高まっていった。そんなことを考えながら聞いていたが、次のバンドの転換時間になった時、凜がギターを抱きしめるように抱えながらぼそりと呟くようにこういった。
「みんな上手くなってるよねー」
「まあ最初と比べればな」
 スティックを持ったまま腕のストレッチをしている哲平が答えた。俺は手持ちぶさたに、ノーバディーウィールドライクミーを弾いていた。初期レッチリの中でもかなり好きな曲なんだけど……癖みたいになってて気を抜くとやってしまう。すると、凜が俺の顔を覗き込んできた。
「ね、私達も……ちょっとくらいは上手くなったかな」
「……さあね。自分ではわかんないもんだよな」
 ステージ上の光が体育館の床に仄かに反射するのを見ながら、俺はなんて返したら良いか良くわかんなかったので適当なことを言った。まあ最初から曲にはなってたから、周りのバンドよりは上手かったと言えるかもしれないけど、でも個人としても、バンドとしても、まだまだな部分がたくさんある。
「ま、俺らもまだまだだよ。後を振り返るには早すぎるんじゃない?」
「むー……かもねー」
 そう言って二人でにやりと笑いあった。最近こいつと妙に息が合ってきた気がする……嬉しいような嬉しくないような。まあこの日のライブに向けて死ぬほど練習してたから当然と言えば当然だけど、音楽と関係ない部分まで合ってきたような気がするのでなんか嫌だ。俺が何とも言えない苦々しい気持ちで顔をしかめていると、哲平が声をかけてきた。
「おい、次、聞かなくて良いのか?」
「あ、うん、聞くよ」
 次に出てきたのはエレクトリックガールズ、つまり大嶋さんのバンドだ。SEにGO!GO!7188の「ジェットにんぢん」がかかっている。俺はセンターに立っている女の子を、喉に詰まった蒟蒻ゼリーを無理矢理腹の底に押し込むような気持ちで見ていた。……どんな気持ちだよ。
「どうしたのしゅーくん……喉に詰まった蒟蒻ゼリーを無理矢理お腹の中に押し込んでるみたいな顔して!」
「……もういやだお前」
「え?」
 本当に息が合って、というか感性が似通ってきてしまっている。息のあったギタボとベースによるライブをお楽しみに!(棒読み)
 溜息をつきながらステージを見上げると、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべたツッキーがこちらに小さく手を振ってきたので、俺も軽く右手を挙げた。今日は中央に立っていないので、文化祭の時と違ってギタボじゃないみたいだ。ま、ツッキーには後で出番があるので是非いい感じで体力を残しておいて欲しい。
 ジェットにんぢんが少し大きくなった後すぐに消えた。ライブが始まる合図だ。
 オープンハイハットの音が四つ鳴り、ギターのメロディが始まる。
「テナーかぁ」
「おう、なつかしいな」
 哲平が腕を組んで頷く。ストレイテナーのメロディックストームだ。一番有名な曲かな。アップテンポの上に切ないメロディを乗せ、空気を刻むような音でベースが8ビートを連ねる。ポップなようで激しさを感じる。ふと隣を見ると、凜が眉と目と鼻を一カ所に集めたみたいな顔をしていた。
「むー……聞いたことないな」
「お前邦楽弱いよな」
「最近頑張って聞いてるよ!」
 何を頑張ることがあるんだと思ったが、無視してステージを見上げた。タムを交えた四つ打ちのドラムが誘うように曲のテンションを上げ、サビに一気に雪崩れ込む。
 大嶋さんの歌は少しずつ上手くなっているような気がした。最初は喉で歌っている感じがしたけど、最近は太くなっている気がする。そんな注目して聞いてなかったから気がするレベルなんだけど。俺は右手の拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込んだ。
 メロディックストームが終わると、間髪入れずに8ビートのドラムが入り、それに乗っかるようにしてやや後乗り気味のギターリフが乗っかる。ギターと同じリフをベースが奏で、奇妙なアンサンブルをつくる。
「あ、これ聞いた! キラーチューンってやつでしょ?」
「そうだけどなんでそんな得意そうなんだ」
「ふふんっ!」
 ほら、聞いてるでしょ、と言わんばかりに得意げに鼻息をならす凜。でもテナーの中ではものすごく有名な曲だから知ってるからと言って特に何も無いと思うんだが。全く同じパターンの上に頭文字を合わせた言葉遊びの様な歌詞が列を成して連なる。
 ギターのリズムに導かれるようにしてサビに入ると、ベースの音圧が増し、マイクに食らい付いて半ば叫ぶようにして歌う大嶋さんの声が体育館に反響する。そういえばなっちゃんはというと、リズムのブレはあるものの、割といつも通りに弾いているように見えた。顔はどことなく無表情だけど……やっぱ本番前に要らないことするんじゃなかったな。夏祭りの時に学んだはずだったのに。
 キラーチューンの後、MCを挟んで、アゲインストザウォールに続き、リマインダーが最後だった。これまでのエレクトリックガールズって、一ライブに一バンドのコピーをやっていて、最初が大嶋さんの好きなチャットモンチーで、次がツッキーのミッシェルガンエレファントだったから、ストレイテナーはなっちゃんか団子さんの好きなバンドなんだろう。イメージ的には団子さんっぽい。なんとなくだけど。そんなことを考えて俺が惚けていると、哲平が声をかけてきた。
「鷲、舞台裏行こうぜ? 次の次だし」
「あ……ツッキーは?」
「先行っといてってさっき言ってたよ」
 微妙に韻を踏みながら返事をした凜がせかせかと舞台裏に歩いていこうとするので、俺と哲平は追いかけるようにしてついていった。ストラップが肩に強く食い込んだ。



 ステージ上に上がると、大嶋さんやなっちゃんが目を丸くして見上げているのが見えた。
「そういえば他の人に言ってなかったの?」
「言わない方が面白いだろうと思ってね、ギャハハ」
 キーボードスタンドを立てながら、いたずらを成功させた子供のようにどけない顔でツッキーが笑う。SEでかかっているのはイーグルスのホテルカリフォルニアだ……今日のSE選んでる人なんかセンスいいな。
 状況を説明しよう。クリスマスライブをするに当たって、キーボードがいる曲がいくつかあったから、ツッキーにサポートメンバーとして入ってくれることを頼んだのだ。ピアノ経験者ならある程度弾けるだろうと思って凜と一緒に頼みに行ったら、意外とあっさりとOKをくれた。つくづく見た目と中身が釣り合ってない奴だなと思う。
「人前で弾くの久しぶりだよ」
「緊張するの?」
「いや、今更緊張なんかしないけどね」
 凜とツッキーが話しているのを聞きながら、俺はベースをチューニングした。いつもこの瞬間が一番緊張する。始まったら必死になるから緊張とかどうでも良くなるんだけど。それから俺は、シンバルとタムの位置を調整している哲平に話しかけた。
「哲平、どう?」
「やる気しかないな」
「そりゃいいな」
 そう言って俺は弦に軽く触れると、金属の冷たさが手に響いた。舞台下を覗き込むと、思っていたよりもずっとたくさんの人がこちらを見上げていた。ざっと……80人弱くらいはいるだろうか……やってる側としては嬉しいけど、みんな暇なんだな。しかしカップルのような二人組もちらほら見られるので心の中で唾を吐いた。
 ふと隣をみると、凜がこちらを見ていた。目で、「もう行くよ」と言っている。俺が凜に頷き返すのを見て、一曲目は出番が無いツッキーは反対側の舞台袖に引っ込んだ。俺がPAの席に向かって軽く手を挙げると、ホテルカリフォルニアが一瞬大きくなってフェードアウトした。
 暫し訪れる静寂。
 冷たい空気がぴんと張った糸のように張り詰められる。
 俺は凜と哲平を見ていた。凜はピックを構え、哲平はスティックを握り直していた。二人はしっかりと目を合わせ、互いの息を聞き合っていた。そして凜が息を吸い込んだ瞬間、それは始まった。
 一曲目。レッド・ツェッペリンの「イミグラント・ソング」。
 ドラムとギターが同じリズムを刻み始める。
「アアアアアァァァァァァアアッ!」
 突然、軽くリバーブのかかった凜のシャウトが空気を切り裂くように響く。
 ギターの動きに寄り添うようにしてベースが入り、枯れたような響きで凜の声が続く。メロディの上昇と同じようにベースもうねりながら上昇し、一瞬の空白の後、同じリズムが続く。

 俺たちは氷雪の国から来た
 真夜中に太陽が昇り熱泉が吹き出す場所だ
 お前らの土地の何と緑豊かなことか
 流血の物語が囁けるはずもない
 俺たちがどうやって戦いを収めたのか
 ――俺たちがお前らの支配者だ

 力強いドラムの上に、勢いを増すように凜のギターが重なる。押し上げて支えるようにベースがリズムを刻むと、畳みかけるように凜の声が荒れ狂う。
 ライブ版に習ってギターのソロを付け足した。ベースがパターンを刻む上に凜のギターがものすごく複雑なフレーズを乗せる。「考えるの面倒だったから耳コピしたんだー」とか軽々しく言ってたけどよくこんなもん耳コピできたなと思う。俺はドラムと一緒に押し出すようにしてのたうち回るような凜のギターソロを支えた。
 最後はまたユニゾンに戻り、終わる。歓声が爆発した。反応が悪いんじゃないかと思ってたけど心配なかった。この曲割と有名だからな。まあでもレッチリ知らない高校生がいる高校だからな……ゆとりって怖いな。俺もゆとりだけれども。
『あ、どうも、レフトオーバーズです!』
 凜が元気よく言うと、小さく歓声が上がる。
『あの、今日は、3曲しかやらないんですけど』
 凜がチューニングしながら呟くように言うと、えーっ、と言う声が湧き、その声を笑う声が続く。うちの軽音部のライブを見に来てくれる人は基本的にノリが良いのでやりやすいなと思う。
『あの、サポートメンバー呼びました! エレクトリックガールズからキーボのツッキー!』
「それだと私がエレガでキーボ弾いてるみたいじゃん」
『あ、そっか。ギターだけどキーボのツッキー!』
 一瞬困った様な間があった後、拍手と歓声が上がった。俺が体を伸ばしていると、哲平が小さく肩で息をしているのが見えた。ツェッペリン好きなのは知ってるけど、一曲目からどんだけ飛ばしてるんだよ。
『あとの2曲もツェッペリンです。今日はクリスマスなので少し大人っぽいロックできめてやります!……あ、ちょっと待ってチューニングがまだ』
 勢いをつけた割に尻すぼみなった凜を笑う声が上がった。哲平がずっとコピーしたがっていたので、思い切って名曲をやることにした。
 凜はチューニングを終え、息をゆっくりと吐き出しながら上を見上げ、軽く開放弦をならした。DADGAD。不思議な響きが舞台に反響する。
『じゃ、次いきます』
 そう言って凜はツッキーの方を見た。ツッキーはいつでもこいと言わんばかりにニヤリと笑った。哲平の方を見た。哲平は無表情でスティックを構えた。最後に俺の方を見た。俺は頷きを返した。スティックのカウントが始まる。
 1、2、3、4――。
 突然4人のユニゾンが始まり、地鳴りのように深い音が刻まれていく。
 二曲目。レッド・ツェッペリン「カシミール」。
 コード進行も単純。リズムも単純。メロディも単純。それなのに、それらが重なって恐ろしいほど深い音楽を作る。こんな曲はもう2度と人類には書けないんじゃないかと思う。

 ああ、太陽が顔に照りつけ、星が夢を満たす
 私は失われた時と空間の旅人
 優しい民族の老人たちと席を共にする
 今の世界じゃ考えられないことだけど
 彼らは来るべき日の話をする
 やがて全てがわかるだろうと

 中間部はシンコペーションを交えたリズミカルなパターンをユニゾンで奏でていく。延々と続くギターリフと、支えるように響くキーボードの和音と、弾けるドラムと、叩きつけるようなベースと、のびのびとした歌声。4人の一体感が心地良く全身に染み渡った。ファンも多い名曲なので、死ぬほど練習して曲を詰めた。途中で凜が鋭くスキャットを乗せていく。ややぎこちない感じはするけど、それでも十分に上手い。
 最後は不思議な雰囲気のする上行音階が連続する。ツッキーの弾くキーボード(原曲は確かメロトロンとかいう鍵盤楽器)を中心に、全員が上行音階を奏で、ドラムがものすごい勢いでフィルを埋め、フェードアウトした。
 曲が終わった途端歓声が起きる。緊張から解放されたようにふぅっと息を吐いて吸うと、肺の中に新鮮な空気が入って来るの分かった。この曲は、8分以上似たようなフレーズを続けるので、演奏するのにものすごく精神力を使う。他の3人も自分と似たような表情をしていた。
『えーっと、次で最後です……そう言えば今日って……クリスマスイブだったんですよね』
 凜がまたもやチューニングしながら話す。俺か哲平が喋れば良いんだが、凜が喋った方がウケが良いので二人でMCを拒否した。とかいいつつ二人ともスベりたくないだけなんだけど。
『因みに私は打ち上げした後家に帰るだけです! 恋人とイチャイチャする奴とか滅びろ!』
 凜が左手でペグをを弄りながらマイクに向かって吠えると、観客が揃って失笑した……気持ちは俺もわかるけどそんなに感情を込めて言わなくても。凜がペグから手を離し、フロアチューナーを踏むと、アンプからキーンという音が漏れ出た。チューニングが出来たみたいだ。
『あ、チューニング出来ました。次の曲も長いですけどこれで終わりなんで最高に盛りあがっていって下さい!』
 一呼吸置くと、凜はギターを弾き始めた。ツッキーがそれにキーボードで笛の音を重ねる。
 三曲目。レッド・ツェッペリン「ステアウェイ・トゥ・ヘブン」。
 牧歌の様な悲しげな響きのメロディが始まる。

 光るものは全て金だと思った女がいる
 彼女は天国への階段を買おうとした
 彼女は知っていた 例え全ての店が閉まっていても
 そこへ行けば一言で欲しい物が手に入ることを

 凜の声を聞いて鳥肌が立つのを感じた。すごいなぁ……自分もステージに立っているのに聞き入るってのはどうかとおもうけどな。暫く全く同じメロディが続き、凜とツッキーの演奏が続いた。凜はギターを弾きながら力強く歌を紡いでいく。クリーントーンで重ねられる心臓を突き刺すようなアルペジオを聞いていると鳥肌が立った。
 曲調が少し変わる。ドラムとベースが入るのはまだ少し先だ。俺は真っ直ぐ観客席を見下ろしていた。微動だにせずにこちらを見る観客がたくさん見える。大嶋さんや団子さんやなっちゃんも食い入るようにこちらを見つめている。皆が凜を見ていた。いつもなら見るのを避けられていることもある凜を、今は皆が見ていた。

 囁く声がする
 もしみんながあの調べを吹くように頼めば
 笛吹きは私達を正気にしてくれるだろう
 そして長く立ちっぱなしだった人たちに
 新しい日がやって来る
 そして森に笑い声が木霊する

 ボーッと周りを見ていると、体育館の入り口近くにうちの妹が見えた。我が妹ながら見事なアホ面していると思って俺がにやついていると、その隣にいたのは……心臓が大きく飛び跳ねるのを感じた。あのクソ妹め。呼ぶなと言ったのに。
 そろそろベースが始まるので集中しなければならない。俺は色んな考えや感情を頭の中から振り落とし、凜の声に全力で集中した。凜が分厚い声でスキャットを入れると、それに誘われるようにしてドラムとベースが入る。ピアノとギターのリフはそのままで、歌のメロディが変わり、少しずつ曲が盛りあがって行く。
 曲の転換点が来た。いったん曲が止まるようにして、ファンファーレ風のメロディをユニゾンで奏で、すぐに凜のギターソロが始まる。
 凜が踊るようにギターソロを弾く。それを他の3人で支える。俺たちは所詮コピーバンドだけど、それでもテクニックに裏付けされた凜のソロは有無を言わせぬものがあった。何小節も複雑なパターンを演奏し続ける凜。緊張を抑圧されるように俺と哲平とツッキーは音を刻み続けた。アンプから洪水の様に音があふれ出て、舞台の下にいる人たちを押し流すように揺らす。
 凜はハイポジションで速弾きした後、半ば叫ぶ様に歌い始めた。俺も体を大きく動かしながらベースを弾いた。哲平も勢いよくフィルを注ぎ込み続けた。ツッキーもアドリブで弾いている。衝動のままに吐き出される音、音、音。

 もしよく耳を澄ませば
 最後にはあの調べが聞こえるだろう
 皆がひとつになり ひとつが皆になり
 ロックになる時
 ロールじゃなくて
 ロックになる時

 歌い終えるとどんどん曲は失速し、ギターに合わせて収束していく。
 そして最後に、凜はなごり惜しむかのような声で、大きな波がひいた後に残されたワンフレーズを歌った。

 彼女は天国への階段を買おうとした

(後編へ続く)


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