Episode17: ところで(後編)




 文化祭二日目の朝。俺は教室に入ろうとして、言葉で表しづらい違和感に襲われた。
 特にざわざわしているわけでもないし、どう考えても普通の日常の風景なんだけれど、なんとなく雰囲気だけで何かあったのではないかと分かってしまうことがある。今まさにそんな感じだ。今俺の目の前に飛び込んでくるのは、昨日の朝と同じように忙しなく準備に勤しむクラスメイトが教室の中で蠢いている風景なのだが、何となく昨日と違って不穏な雰囲気が流れている気がした。
 困惑したままで突っ立っていても仕方が無いので俺は教室のドアを開けると、ドア際に男女が立っていた。……えーと、名前は、向井と橋本さんだったな確か。
「おお、桂木、おはよう」
「おはよー桂木君」
「うん、おはよう」
 爽やかなイケメン面の割には割と深い声の向井が声をかけ、それに合わせるようにして橋本さんが挨拶してくれた。大嶋さん曰く、この二人、周囲から付き合ってるんじゃないかと散々言われているが、付き合っていないと言い張っているらしい。でも二人ともいい人なのでお似合いでないかと思う。どちらにしろリア充乙と俺は心の中で吐きすてた。
「今日ライブか?」
「うん。昼から。見に来てくれる?」
「シフト無いから行けると思うぜ」
「私も。がんばってね、桂木君」
「あ、うん。がん、ばる」
 どう考えても挙動不審な俺の態度を見て二人が顔を見合わせてにやっと笑った。でも話せるようになっただけ俺のコミ力不足も改善されていると言って良いと思う。丁度良いので二人に聞いてみることにした。
「あの、なんかあったの? ……なんか教室の空気が凍ってる気がするんだけど」
「……桂木君聞いてないの?」
「何が?」
 俺が困惑していると、向井が顔を耳に近づけてきた。
「木上がふられたんだ」
「……大嶋さんに?」
 マジかよ。橋本さんが話を受け継ぐ。
「そう。それで大嶋さんと木上がギクシャクしちゃってね。二人とも実行委員でしょ?」
「だから指令系統が麻痺してややこしいことになっている、と」
「そういうこと」
 話が少し止まったので俺は木上の方を見た。教室の隅の方で明らかに暗い顔をしている……うん、ドンマイ。ま、何となくそうなるんじゃないかとは思ってたけどね。向井がバリトンボイスで溜息混じりに話を続けた。
「クラスの中では賛否両論って感じだ。木上に同情する奴と、大嶋に味方する奴と」
「ふーん。向井はどうなんだよ」
「俺は木上に同情してる。悪い奴ではないと思うんだけどな……。ほら、なんていうかアレだろ? えーと……何ていうんだろ……えー、顔がすぐ変わるというかなんというか」
「感情が顔に出やすい、でしょ? 私もそう思う。悠子からしたらちょっとウザかったかもだよね」
「……そんなストレートに言わんでも」
「ハハッ、桂木君、ここオフレコでね」
 橋本さんが舌を出して誤魔化す。ってかこの二人コンビネーション良すぎるんだけど。ま○子ちゃんとた○ちゃんくらい息が合ってる。ほんとに付き合ってないのかよ。
「でも木上も無理だとわかってたのに突っ込んだのが悪いと思うがな」
「向井君、それもオフレコだよ」
「ああ、そうか。スマン、桂木、今のは忘れてくれ」
 橋本さんに言われて日向が焦って取り消す。今なんかまずいことでも言ったか?
「……無理だと分かってた? 大嶋さんに既に好きな人がいるってこと?」
「桂木、忘れろ。未来に生きろ」
「いや意味わからん」
 俺は現在にしか生きられないと思うんだけどどうでもいい。大嶋さんに好きな人か……どんな奴だろう。きっと凄く良い性格で運動が出来る爽やか男子に違いない。少女漫画に出てきそうな奴。少なくとも俺ではないな……別に大嶋さんに下心がある訳ではないけどなんかガッカリした。
「それで、大嶋さんはどこに?」
「わかんない。荷物だけ置いてギター持ってどこか行っちゃったよ?」
「俺、探してみる。大嶋さん落ち込んでそうだから」
 自分からふったのに落ち込むってのも身勝手な話だけどね。でも何故かしょんぼりしている大嶋さんの姿がくっきりと頭の中に浮かんだ。
「……桂木君、意外と優しいよね」
「まぁね」
「ドヤ顔うぜぇ」
 おどける向井とそれをみて笑う橋本さんと別れ、大嶋さんを探しに行くことにした。あの二人仲良すぎるな……これで付き合ってないって逆に不自然だよな。



 心当たりがあった。ギターを持って行ったと言うことは練習出来る場所だ。そしてこんなに人が多いのに一人で練習出来る場所と行ったら俺の知る限りでは一つしかない。俺はいつものように積み上げられた机を乗り越え、旧校舎屋上のドアノブを捻った。
「……ビンゴ」
 向こう側の壁にもたれ掛かってテレキャスを握っている大嶋さんがすぐに目に入ってきた。俯きながらコードを弾いている。これ、何の曲だろ。
「……大嶋さんも今日出るんだっけ?」
「う、わ! え? 桂木君?!」
 あからさまに驚いた大嶋さんが裏声で叫んだ。今大嶋さん座ったまま5センチメートルくらい中に浮いた気がしたんだけど、気のせいだよなきっと。
「かわいい子だと思った? 残念! 俺でした。」
「別に、そんな、残念とか……。な、何しにここに! まさかストーカー?!」
「すと……?! そんな、大嶋さんじゃないんだから!」
「うー! だから私はストーカーじゃないって!」
 大嶋さんの顔が赤くなる。まぁ、あれは俺を心配してくれてただけなんだから寧ろ俺が悪いし逆に感謝しなきゃなんだけどね。だからこうして探しに来たんだ。
「ストーキングじゃないなら何でここに!」
「俺も練習。今日昼から本番だからもうちょっと練習しようかなと思って」
 すらすらと嘘をつく。大嶋さんを探しに来ましたーなんて恥ずかしいこと言えるわけ無い。まるで大嶋さんに気があるみたいじゃないか。大嶋さんは空気を散らすようにようにFコードを弾いた。アンプを通さないギターの音は、屋上に吹く心地よい秋風の中に消えていった。
「ここ、良い場所でしょ? ほんとは来ちゃダメなんだけどね」
「うん、そうだね」
 上の空で大嶋さんが答えた。うーん……こういう時に何て声かけたら良いんだろうか。直接木上の名前は出さない方が良いし、かといって何も言わないのも変だよな。俺は当たり障りのなさそうな話題を投げかけることにした。
「あのさ、大嶋さんは今日なにやるんだったっけ?」
「ミッシェル・ガン・エレファント。ツッキーがやりたいってうるさくって」
「ミッシェルいいよね。エレクトリックサーカスとか好きだった」
「エレクトリックサーカスはやらないよゥフフフ」
 作ったかのように穏やかな笑みを浮かべながら大嶋さんが言った。そしてまた話が途切れた。俺はかつて無い居心地の悪さに大嶋さんを探しに来たことを少し後悔した。校庭を見下ろすと、色とりどりの装飾がかかった出店が規則正しく整列していた。端には大きな野外ステージが設営され、もう人だかりが出来ていた。よく外でやって近隣住民から苦情が来ないもんだな……そもそもこの辺りに民家が少ないっていうのもあるかもしれないけど。午前中はOBや一般参加のバンドの演奏で、午後から俺たちのライブだ。そろそろ午前の部が始まりそうだ。
「……桂木君、仲直りしたんだってね」
「あ、うん」
 大嶋さんが後ろで突然口を開いた。
「良かったね、解散しなくて」
「……心配かけてゴメンね」
「ま、桂木君だから何とかするだろうと思って、あんまり心配はしてなかったけどね」
「……ほんとは何ともならなかったんだけどね」
「え?」
「なんでもない。こっちの話」
 大嶋さんが不思議そうな顔で口を開こうとした時、演奏が始まった。ギターのソロが響き、スネアの音で始まる。
「これって……」
「うん。あれだ」
 グリーンデイのマイノリティ。俺たちレフトオーバーズが三人で初めて合わせた曲だ。ギターが唸り、ベースが叫び、ドラムが跳ねる。あんまり実力派のいないうちの部だが、OBとなればやはり上手い。直情的な歌詞がポップなメロディに乗って聞く人の頭へと降りかかってくる。懐かしいな。でもあれからまだ半年も経ってないんだな……。
「……ひっく」
「え?」
「……ひっ……ひっく」
「ちょ、え? うわ、え? ええ?」
 ボーッと聞いてたら大嶋さんが静かに泣き出した。ええええなんでこのタイミングで?!
「ひっく、ごめん……気にしないで……ひっく」
「気にしないでってのが無理でしょ! ええとどうしよう!」
 あからさまに動転する俺。こういう時黙ってハンカチとか出せたらかっこいいんだろうけど、ハンカチ持ってねぇ。母さんがいつもハンカチ持って行けって言ってたのはこういうことだったのか畜生! 俺が悶々と考えていると、大嶋さんが突然俺の背中に張り付いてきた。
「ハ、ハンカチとか無いしどうしよ……え? 何?」
「ごめん。ちょっとだけ。」
「ハンカチ無いからってそんなとこで拭かなくても」
 そういうと大嶋さんは俺の背中を無言で殴った。痛ぇ。

 ある輝き、ある心が暗闇を照らしているんだ
 傷だらけの心の沈黙で閉ざされた暗闇を
 「大声で叫べ」と俺に彼女は叫んだ
 「みんな自由なんだ!
 みんなファ○クしろ!
 てめぇの物の見方が、てめぇ自身だ!」

 静かに涙を流す大嶋さんを背中に貼り付けたまま俺は溜息をついた。確かに、俺は俺の目に移る物しか見えない。誰かが考えてること何て分からない。だから、思うままに、自由に過ごして良いのかも知れない。
 でもなんでみんな自己完結するんだ。それくらい教えてくれ。



「今の良かったね!」
「ああ」
 弾んだ声の凜に俺が生返事を投げ返す。午後の部一発目は三年生のツェッペリンのコピバンだった。一発目がこれだと次のバンドが苦しいよね……次のバンド大嶋さんの所なんだけど。その次が違う一年バンドで、その次が俺たち。一年生なので初めの方だ。
「やっぱツェッペリンは良いわ」
「ああそうだな」
 弾んだドス声の哲平に俺が生返事を投げ返す。弾んだドス声ってなんか怖いな。
「……しゅーくん、何かあった?」
「いや、なんでもない。ちょっとボーッとしちゃって」
 ライブ前だ。精神が安定してないのを気取られたくない。
「鷲、体調でも悪いのか? 早く言ってくれよ」
「いや、なんかさ、この日まで来るのに長かったな、と思ってさ」
「……」
 俺が呟くように哲平に返事するのを聞いて、凜が俺をじっと見つめる。俺はその視線を避けるようにして手元のベースを見て、考えを巡らせた。あの時、というか午前の話だけど、大嶋さんはすぐに泣き止んだ。その後は無言だったが、何となく満足したみたいな雰囲気だった。
「おおおおミッシェル!」
 哲平の声で顔を上げ、思考を止めた。エレクトリック・ガールズのライブが始まったみたいだ。歪んだ2本のギターが響き渡り、ベースがうねる。ミッシェル・ガン・エレファントの「世界の終わり」だ。歌が始まると、いつもの大嶋さんの声じゃないことに気づいた。
「あ、ギタボとギター変わってる。」
「そうか、ギター的には逆の方が良いよね。」
 凜が頷く。大嶋さんはフェンジャパのテレキャスで、ツッキーはレスポ。ミッシェルのリードギターのアベフトシのギターはシーン製のテレキャスだ。そうか、だからさっき練習してる時大嶋さんは歌ってなかったのか。そういえば前から気になってたんだけど、ツッキーのギター、ギブソンのレスポールカスタムだよな。なんであんなクソ高いギター使ってるんだろう。ま、今度聞いてみればいいか。
「また女の子女の子したポップな曲やるのかと思ってたら……やるじゃん!」
 哲平が一瞬あのアスキーアートに見えた。やるじゃん。
「私は昨日ツッキーに聞いてたけどね。いいなぁ!」
「……大嶋さんはツッキーが推したんだって言ってたな」
 ツッキーも意外に渋い趣味してるんだな。でもよく聞くと、勢いがあるのにどこか枯れた雰囲気のあるミッシェルってツッキーに似合ってるかも知れない。ってかこの前聞いた時よりツッキーのギターが上手くなってる気がする。好きな曲を必死に練習している見た目だけビッチの姿を想像して俺は少し笑った。あいつもかわいいとこあるよな。
 ライブは「スモーキン・ビリー」、「ゲット・アップ・ルーシー」と続いた。凜と哲平は観客のいる側へ行って暴れ出したが、俺は待機場所で座って黙ったまま聞いていた。身体を動かすような気分にならなかった。

 ねぇ、ルーシー
 聞かせてよ
 そこの世界の音
 黙り込む、黙り込む
 ゲット・アップ・ルーシー

 団子さんのドラムが刻むビートになっちゃんのうねるベースが乗り、大嶋さんのカッティングが唸り、ざらついたツッキーの声が飛ぶ。アベフトシが偉大すぎるから大嶋さんのギターに違和感を覚えるんだろうけど……全体的には前よりずっと上手くなっている。リズム隊がかっちりしてるからだろうな。
 ルーシーじゃないけど、黙り込んだ俺はずっと考えていた。俺の考え、柚木の叫び、凜の告白、最後に大嶋さん。この一ヶ月間、色んな奴の気持ちが交錯し合い、俺の頭上を突き抜けるように飛んでいった。
 俺はずっと自分の世界に閉じこもって生きてきたんだ、と思った。中学の時の俺の世界には家族と柚木しかいなかった。中学の時はそこに優と華菜が入ってきた。4人でバンドをやって世界が広がったような気持ちになっていた。柚木がいなくなって、柚木との約束を果たすために自分でバンドを作って、背伸びして視界を広げた。色んな人に出会って、色んな人と笑った。こんなにぐちゃぐちゃした世界があるなんて知らなかったんだ。

 狂い咲く坂道、笑い出す口笛
 どこから聞こえては消えてゆく
 色ひからびた空を焼きつける

 いつの間にか最後の曲になっていたみたいだ。「ダニー・ゴー」だ……この曲も好きだな。大嶋さんのギターソロがオーディエンスを盛り上げている。ちょっとモタってるけど丁寧な弾き方だ。最後のサビに入った。声が枯れていい感じになってきたツッキーの声がバックの間隙を縫うように響き渡る。

 振り返らず
 錆びた風は続くだろう
 ざらつくダニーかき鳴らして
 行くんだろう

 ライブが終わったみたいだ。歓声と拍手が秋空に拡散する。笑顔の大嶋さんが少し遠くから俺に手を振っていた。あの子が2、3時間程前に俺の背中で泣いてたんだな、と思うと変な気持ちになった。人間ってのは複雑だ。俺だって複雑だ。みんな複雑の中で何かに頼って生きてるんだ。俺はずっと柚木に頼ってきた。
 でも今は違うんだ。
 ……そうか、はっきりしてきた。
 俺が顔を上げると、凜と哲平が駆け寄ってくるのが見えた。
「しゅーくん! なんで来なかったのバカなの?」
「凜、そこまで言ってやらんでも。でも一年バンドにしては良かった。凄い成長率だ」
 俺は立ち上がって二人の後ろに回り込むと肩を後ろから抱き寄せた。
「ふぇっ? 何?!」
「……遂に気が狂ったか」
「ちげーよ」
 俺は二人をぐっと引き寄せた。凜が身をよじり、哲平が気持ち悪そうに顔を歪めた。
 ……今は違う。今はこいつらなんだ。
「あのさ、色々あったんだけど」
「うん」
「むー……」
「俺、お前らに出会えて……お前らとバンドが出来て良かったよ。」
 前を見ていた俺は二人を見なかったが二人が頷いたのは分かった。クサいセリフを言っている自覚は俺にもある。ただ、今真っ直ぐに伝えるしかないと思ったんだ。
「私……私も……色々、悩んだけど! そう、思う!」
「俺はハナからそう思ってたさ……何クサいこと言わせやがる」
「だからさ、」
 俺は二人を離した。凜が拳を握りしめ、哲平が指をバキバキ鳴らした。
「……本気でいこうぜ。」
「おう」
「うっす!」
 どっちがどっちの返事かは想像に任せとくよ。



 次の一年バンド(アジカンのコピーのような何か)が終わった後、俺たちはステージへの階段に足をかけた。ステージに上がるのが久しぶりな気がして胸が高鳴った。夏祭りの時より人が少ないとはいえ野外ステージだ。やはり屋内でやるのとは気分が違う。いつもはあんまり緊張しないんだけど、今日はちょっと緊張してるかもしれない。
 エフェクターを確認し、チューニングを済ませ、俺はベースを握りしめたまま客席を睨み付けた。何人いるんだろう。このうちの何人が俺のことを知っていて、このうちの何人が俺と関わることになるんだろう。そんなどうでも良いことを考えていた。
 ふと横を見ると、セットを終えた凜がこちらを見ている。俺と目が合うと、凜は小声で言った。凜も流石に二回もやるとライブに慣れたみたいだ。今日はこいつが一番落ち着いてるんじゃないだろうか。
「てっちゃん、いい?」
「……いいぜ」
「しゅーくん、いい?」
「いつでも」
 俺は凜の方を向き、息でタイミングを合わせて、二人で8部音符の連打を重ねた。ギターのクリーントーンとベースのハイトーンが手のひらを重ね合わせる様に和音を奏でる。レッドホットチリペッパーズの「バイ・ザ・ウェイ」だ。
 最初のメロディを弾き終えると、一気に激しいフレーズになだれ込み、ラップ部分が始まる。刃物のように鋭いギターのカッティングが響き、深く歪んだベースがうねり、激しくドラムがビートを刻む。あふれ出てくる激情をそのまま音楽にしたようなフレーズが続き、それに凜がラップを重ねる。いつものことだけど、なぜ弾きながら歌えるのかは全く分からない。
 またメロディに戻り、凜の声が激しく会場に響く。ベースラインが凜の声を持ち上げ、ドラムがそれを切り刻むように広げる。俺は指を動かすのに必死だった。

 列になって並んでるんだ
 今夜のショーを見るために
 ライトがついて強く光が広がったんだ
 ところで、言おうと思ってたんだけど、
 僕はここにいて 君を待ってるんだ
 ダニーっていう女の子が
 僕の為に歌を歌ってくれるんだ
 テントの下で
 たくさんの人の中で

 凜がマイクに食らいつく様に叫ぶのを合図として俺のソロが始まった。ギターのコードの間を埋めるようにしてブルーノートのフレーズを叩き込んだ。歓声が沸き上がったが聞こえなかった――凜と、哲平の息を読むことに必死だった。最後のラップパートを終え、またメロディに戻る。同じ歌詞を何度も繰り返し、聞いている人の脳髄に歌声が刻みつけられる。最後にアルペジオで終わると、歓声が起こった。
 MCを入れずに次の曲へ入った。俺と凜が最初に出会った時に合わせた曲、「ストーン・コールド・ブッシュ」だ。この曲をやったことがなかったのは哲平だけだったので負担が少ないという理由でこの曲になった。CD版を完コピしても良かったけど、ジャムセッションっぽいものを挟んでみた。
 ライブ版と同じベースソロのフレーズをゆっくりから初めて繰り返しどんどん早くしていく。インテンポに近づいてきた辺りでドラムが入ってくる。ドラムがインテンポで刻み、それに重ねるようにして俺がソロのフレーズの速度を上げる。哲平の鬼気迫るようなブラストビートにベースのうねりが重なる。その辺りで凜の強く歪んだギターがコードを一発だけならした。そして哲平のリムが一発鳴り響いて、ベースとドラムが止まった瞬間、
「ヤヤイヤイヤイヤアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!」
 隙間を狙い撃つように凜のシャウトが入り、ギターのメロディが始まり、一気に雪崩れ込む。初期レッチリのファンキーさにジョンのテクニックが見事に重なった曲……名曲だと思う。ベースのファンキーな音がギターと絡み、解け合う。さっきよりずっと難しいフレーズを弾きながら凜はラップを歌う。

 君がアレしたりコレしたりしてくれるときは
 君はきっと上手くできるのさ
 その娘はヤラせてくれない女
 だけどその娘の瞳は大理石のようで

 俺のベースソロが始まる。細かなゴーストにも気を遣い全力でスラップする。それが終わるとギターソロが始まる。サイケデリックな凜のギターソロが俺と哲平の刻みを暴れ回ってぶち壊す様に鳴る。
 凜と目が合う。俺がニヤリと笑うと凜もニヤリと笑う。8ビートが最後のAメロを呼び込む。その時……この曲を初めて二人でやった時のことをふと思い出した。あの時、まだ凜のこと可愛いとか思ってたな。今でも可愛いとは思うけど、変なバイアスがかかりすぎて歪んで見える。俺は苦笑しながら最後のスラップを刻んだ。
 曲が終わると大きな歓声が沸く。俺は額の汗をぬぐいながら深く息を吸った。
『こんちわー! レ、フ、ト、オーバーズです!』
 凜がマイクに向かって叫ぶと、わっと歓声が上がる。今日の客はノリが良いな。
『今日は文化祭ってことで、私達もレッチリ祭りやってまーす! あと2曲もレッチリでーす!』
 全く意味わからないけど、笑いが漏れた。凜が言えば良いんだよ凜が言えば。
『で、次の曲、カバーのカバーみたいな感じで変なんだけど』
 そういえばそうだな。原曲はスティービー・ワンダーだったよな。
『しゅーくんのスラップに注目です。じゃ、ハイアーグラウンド!』
 えええ無駄にハードル上げられた! そういうのやめてって言ってたのに……。俺は少し緊張しながらエフェクターを踏み換え、深呼吸した。みなこちらを注目している。……あんまり考えないようにしよう。テンポに気をつけながらスラップを始める。
 曲の全体にわたって教則本に載ってそうなスラップのフレーズが続く。しかしこの三連符のフレーズでノリを作るのはかなり難しい。俺は二人の音に神経を集中しながら弾き続けた。サビの所は俺と哲平の二人で歌う。

 とっても嬉しいよ、神がもう一度やり直しさせてくれたことが
 だって、この前地球にいたときは間違ってばかりだったから
 とっても嬉しいよ、この前よりも色々分かることが
 だから、頑張ってみるよ、最も高い所を目指して

 深く考えてみたこと無かったけど、なんかパンクっぽくてかっこいい歌詞だと思う。さすがスティービー・ワンダーだ。これを自分たちの色一色で塗りきったレッチリも凄いと思う。凜が間にリフを入れながら歌い、哲平が力強いスネアの音を空気に刻みつける。その上に立って踊るようにして俺はスラップを続ける。最後に急にテンポが早くなって歪んだギターが爆走した後突然終わる。曲が終わるとまたもや大きな歓声が響いた。
『で、次が、最後の曲なんですけど』
「えー?!」
 お決まりのリアクションだな。凜はニヤニヤしながらMCを続ける。
『その……色々あって、私じゃなくってしゅーくんが歌います!』
「ひっこめー!」
「凜ちゃんをだせー!」
『やかましい!』
 みんなでヤジの大合唱をするな! ってかみんな凜のボーカルを楽しみにしてたのか。俺は胸の奥でこっそりともう二度と歌わないと誓った。
『で、代わりに私がギターで暴れまくるので、主にそっちで盛りあがって下さい!』
『ちょっと待てそんなこと言ってなかっ……』
『じゃ、行きまーす! ダニー・カリフォルニア!』
 俺の抗議も虚しくドラムソロが始まる。大丈夫かな……変なことしないかな……。俺はドラムを聞きながら、何百回と弾き続けたベースラインを弾いた。精神を自分の声に集中し、歌い出す。ワウのかかったギターのバッキングが入り、曲を彩る。歌が無い分凜のギターが豪華だ。ドラムが少しタメ始め、サビへと一気に盛り上げていく。サビに入ると緩やかなノリを切り替えて、ベースラインを激しく作り上げていく。
 一回目のサビが終わり、凜が少しアレンジしたソロを入れてくる。この前合わせた時とは違って俺と哲平に寄り添うようについてくる……俺も混乱したけど、凜も混乱して、色々悩んで、今日のライブを迎えたと思う。凜は、あいつは、この曖昧な結果をどう受け止めたのだろうか。自分の気持ちをどこに置いたんだろうか。

 誰が知ってたんだろう、彼女の隠していた思いを
 誰が知ってたんだろう、彼女がいなくなってからわかるなんて
 信じられないよ、君と離ればなれになるなんて
 信じられないよ、君と、君と……

 最後のAメロからサビへ抜ける刹那。ギターが空気を切り裂き、ドラムとベースのビートが走るように高まった時、俺は凜と目があった。……今、凜が側にいるのは、俺が望んだからであり、彼女が望んだからだ――その事実が俺を打ちのめした。俺は力の限り歌った。

 カリフォルニアよ、安らかに眠れ
 そして同時に解き放たれるんだ
 カリフォルニアよ、笑いかけてくれ
 彼女は僕にとっては神の使いで
 僕も君にとっての神の使いだったんだ

 サビを終えると凜のソロが入る。心地よい歪みと緩やかなワウのかかった音が激しくうねる。俺はその動きに絡み合うようにベースラインを動かす。鳴り続けるドラムの上でベースとギターが踊る。ギターとベースが同時に上昇し、終わる。音が残り、波打つように会場に広がる。
 その波が会場の端に届いた瞬間、爆発するような歓声が起こる。
 終わった。
 思ったことは、それだけだった。



「凜、さっさと除けよ。邪魔になるだろ」
「うへぇ。えへへへへ」
 ライブが終わった途端気が抜けたのか、凜はだらけきった顔で笑いながら舞台裏のテントで倒れていた。俺はベースとエフェクターを片付け終わって、伸びをしていた。背骨がバキバキと鳴り、疲労感があふれ出てくる。……今日は帰って早く寝たいな。哲平がポカリ○エットを一気飲みして、俺に話しかけてくる。
「今日、良かったよな。練習期間が短いからどうなるかと思ったけど」
「そうだな。哲平、ありがとな」
「何が?」
「いや、その、色々迷惑かけたと思って」
 突然殴られた。受け身を取れなかった俺は無様に地面に転がった。
「……何しやがる」
「これであいこだ。次もっと頑張ってもっと良い物に、だ」
「……そうだな」
 不気味にニヤッと笑った哲平に俺は微笑みを返す。哲平の言うとおりだな。倒れた俺に今度は凜がのしかかってくる。
「……お前は何だ」
「私、今すっごく幸せ」
「エロい意味で?」
「むー! 真面目に喋ってるのに!」
 凜は顔を膨らませて俺の胸をガンガン殴ったが止める気力も起こらなかった。哲平がニヤニヤしているのを視界から外すように、俺は顔を傾けた。だって体勢が体勢だもの。疲れすぎててたたないけどな……何を考えてるんだ俺は。
「好きな曲がコピー出来たし、すっごく盛りあがったし……それに、しゅーくんと、バンド、できたし」
「……俺は?」
「……哲平は?」
 ほぼ同時に俺と哲平が疑問を投げつけたが、俺の身体の上で膝をついたままの凜はそれを全力でスルーした。
「一瞬だけ諦めたんだ。しゅーくんとバンドし続けるの」
「……。」
「でも、できてよかった。ほんとに、ほんとに楽しかった。」
 凜は自分の言葉を噛みしめるように続けた。
「ライブが、ステージが、しゅーくんとか、てっちゃんに、一番、近い所だから」
「……そう、だな」
「むうううううううう」
 言いたいことを言い切ってドヤ顔をしている凜の顔を両手で両側から押しつぶすと、凜が変な声を出す。確かに、凜の言うとおりだ。あのステージの前にたくさんいても、ステージ上にいるのは三人だけ。俺たちは一つになって音楽をつくり、たくさんの人にそれを届けようとする。ライブの一瞬だけだけど、家族とか、友達とか、幼馴染みとか、恋人とか、そんな属性なんかよりもずっと強く結びつく。ずっと一人だった凜にとってはそれが大きなことなんだろう。
「お腹減ったな。コンビニ、行かない?」
「良いぜ。鷲のおごりでな」
「さんせい!」
「嫌だよ、金無いのに」
 テントを出て、三人で校庭の端沿いに外を目指す。どうせ外部の人も出入りしてるから俺等がちょっと出たところで誰にも見つからないだろうし声もかけられない……
「鷲!」
「おい、鷲!」
「うわぁ、鷲だ!」
 ……と思っていた時代が俺にもありました。



「お前ら……来てたのかよ! なんか一言言っといてよ!」
「いや、こういうのってサプライズの方が面白い、って華菜が……」
「私のせいかよ! 優くんもノリノリだった癖に……」
 眼鏡の優男が無表情でとぼけ、小柄でボブカットの女が顔を膨らませる。生活環境が変わったのに全く変わってないところを見るとなんか安心するな。
「なんか……久しぶりだな、優、華菜」
「おう。元気だったか?……いや、愚問か。元気そうなライブだった」
「私が声かけたの……みんなで見に行かない、って」
 華菜の隣で柚木が腕を組んで眼を細めている。俺がなるほどと呟くと柚木は満足そうに頷いた。後ろを振り向くと、面食らっていた哲平が口を開く。
「あの、もしかして、鷲の中学の……」
「うん、中学の時のバンドの仲間。こっちのなんだかリア充臭くてムカつく顔の眼鏡がギターの木田優。あのリア充臭いデコチビがドラムの向井華菜」
「おい、その説明はおかしいだろ」
「でこっていうな!」
「いや完璧だろこの説明。必要かつ十分を満たしたつもりだ」
「仮に必要だとしても十分では無いでしょ」
 柚木が手をひらひらふりながら笑う。そういえば、母親によれば、柚木は俺の参考書を勝手に持ち出して高校生の範囲を勉強しているらしい。だから必要十分とか分かるのかな。柚木の来年からの勉強のことを心配していると、凜が俺の袖を握ってきた。
「なんだよ」
「バンド名、前、口では言いにくいっていってたでしょ?」
「ああ、それね」
 柚木が割り込んできた。そういやこのバンド名考えたの柚木だったな。
「今は『ノーウェア』なんだ」
「『今』は?」
「そう。ライブの時は『ナウヒア』になるの。ノーウェアって英語のスペルで書くと、単語を切る位置によって、『no where』とも読めるし『now here』とも読めるでしょ?」
 そういいながら柚木がしゃがみ込んで地面を指でなぞると、『no’w’here』という文字が現れた。ずっと思ってたんだけど、「’w’」って頑張ったら顔文字に見えない?
「で、これがバンド名」
「むー……なんかめんどくさくない?」
「おい、柚木、言われてるぞ」
 面白そうに優が茶化す。柚木は頭を掻きながら続けた。
「ちゃんと理由もあるよ。」
「あったっけ?」
「言ったじゃん!」
 華菜と俺は頷いている。俺は覚えてるさ。
「なんか、バンドをやってる時だけじゃない? 誰かの、一番近くにいれるのって。ライブの時は、時々『どこにもいない』って思っちゃうけど、ライブの時だけ、『ここにいるよ』って言える」
「そういえばそうだったな……クサいから止めろと俺は言ったんだが」
「私は覚えてたよ。鷲もクサいけど偶に柚木もクサいよね……痛い!」
「高評価ありがとう!」
 柚木が満面の笑みで優と華菜を同時に殴った。うわぁアレ痛そう。
「それ……わたしも、そう思う」
 凜がワンテンポ遅れて頷いたのを見て柚木が満足そうに微笑む。さっき凜が言ってたことに近いと思う。バンドを始めた時、柚木も凜と同じ気持ちだったのかも知れない。なら今は……バンドが出来ない今の柚木はどこにいるのだろうか。うーん……ちょっと後で考えよう。糖分が足りてない。チョコ食べたい。そうだコンビニ行く途中だったな。そんなことを考えていると優が話しかけてきた。
「でもさ、鷲。お前、ちょっと変わったな」
「そうか? 中学の時テクニックとかはそんなに無かったのと比べたら変わったかも。でも、そんなにプレイが変わったつもりはないんだけど」
「いや、違う。性格だよ。明るくなったな、お前」
「そう、かな」
 口ごもる。暫く出会ってなかった奴がそう言っているのだからそうなのかも知れない。話を聞いていた華菜が割り込んできた。
「だよね。昔は二言目には『あ、俺根暗だから』だったのにね」
「そのキャラ作る前に色々作る物があったんだよ。バンドとか」
「キャラだったのかよ」
 優が俺をジトっと睨む。
「いや、キャラっていうか……諦め癖みたいな?」
「あはは。昔は困ったら柚木えもーんだったもんね。」
「なんだよ人をのび太みたいに……。」
 おどける華菜を睨む。でも、確かに昔は人間関係で困ったら柚木に、と思ってたから自立心はついたのかもしれない。今でも心の中では叫んでるけどな。そこで、手持ちぶさたそうにしていた凜が入ってきた。
「ってか、しゅーくん、コンビニでダッツおごってくれるってのは……」
「マジで? 鷲、私も私も。」
「ダッツとか無理だよ! ってか奢るとも言ってねぇよ!」
「仕方無いなぁ……優、お願いね! 昼ご飯食べてないから今妙に甘い物食べたい!」
「スイーツ(笑)」
「おい! 彼女にスイーツとか言うなよ!」
「え? 付き合ってるの?」
「あれ? さっき言ってなかった?」
「言ってない言ってない。」
 驚いた凜が優に話しかけると、優がマヌケな声を出した。そうだ忘れてた。まだ付き合ってるんだ。優と華菜の二人がコンビニへ歩き始めると、流れるようにして哲平と凜がついて行く。俺もそれについて行こうとしたが、ちょっと立ち止まって後ろを見た。柚木がうつむいている。
「柚木……行かないの?」
「……。」
 顔を上げた柚木を見て、俺はあり得ない物を見た様な感覚に襲われた。
「柚木?」
「……あ、うん、行く。」
 一瞬だった。気をつけなければ見逃してしまうような一瞬。その一瞬に、俺が今まで全く見たことのない柚木の表情が見えたのだ。初めてライブでステージに立った日も、吹奏楽部といざこざが会った時も、自分が病気で倒れた時ですらも浮かばなかった表情だった。



 ――その時、柚木の顔に浮かんでいたのは、
 紛れもなく、恐怖だった。



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