Episode18:お前こそ爆発しろ




 十一月。秋風がどんどん冷たくなり、冬が間近に迫ってきていると言うことを嫌と言うほどはっきり知らせてくれる。
「寒いね! しゅーくん!」
「昨日は結構暖かかったのにな」
 今日は土曜日で、午前中に凜の家でスタジオ練習をした。凜があまり分厚くないマフラーを首に巻き付けながら一ノ瀬楽器店から出てくる。俺は欠伸をしながらニコニコしている凜を見た。
「暇だなぁ……本屋でも行こうかな。しゅーくんはこの後カラオケだっけ?」
「まぁね。クラスの人たちと」
「むー、カラオケいいなぁ……ってか、しゅーくん、いつのまにそんなリア充に!」
「フフン。時代は常に先に進んでいるのだ」
 メンバーは、大嶋さんと向井と橋本さん。昨日誘われたのだ。ってか、使い捨てのモブキャラだと思ってたのに再登場するとは。え? 何の話かって? 気にしたら負けってことかな。
「ってか、哲平は?」
「ここだ。トイレ借りてた。なんか疲れたわ」
 哲平が指をバキバキ鳴らしながら出てきた。知らない人がみたらほんとに怖いと思うから止めた方が良いと思う。
「今日は妙に疲れてたよな……夜更かしでもしたのか?」
「いや、夜遅くまでなっちゃんとメールしてて……」
 その時凜と俺がほぼ同時に哲平の方を凝視したので、哲平はぎょっとした顔をした。
「な、ん、だと……?!」
「哲平が女の子とメール?!」
「なんだよお前等……」
 そうか、色々ゴタゴタしてて忘れてたけど、あの二人を俺が引き合わせたんだった。結局どうなったか聞くの忘れてたんだ。
「ってことは、なっちゃんのこと思い出したのか」
「そうなんだよ……いやぁ……完全に失念してた。ベースの音聞いて、『ああ、お前か!』ってなったわ。」
 ベースの音で思い出す辺り変態だと思う。まぁ、凜ほどテクニカルなプレーヤーでは無いにしろ、こいつもどちらかと言えば天才肌のプレーヤーだと思う。
「私が言うのもアレだけど、あの子結構インパクトある子だよね……何で忘れてたの」
「ほんとにお前が言うのもアレだな……いや、あの頃、俺って人の顔を意識的に記憶する癖がなかったんだよな……」
 人間関係を構築する上で、人の顔覚えられないのは絶対に良くないことだと思う。でもそのことがよく分かってても、そうなっちゃう気持ちも良くわかる。そういうもんだよな。隣を見ると凜も頷きながら聞いている。……なんかダメだな、俺ら。
「むー……それで、付き合うとかそんな感じなの?」
「違うよ。んなわけないだろこの怖い顔で」
「そう言うのが好きって言う奴もいるかもしれないぜ」
「何だよ、その特殊性癖」
 今、こいつ全力でなっちゃんを否定したぞ……俺のことを鈍感と言っていたがこいつの方が鈍感じゃないだろうか。
「ってかさ、夜遅くまでメールって、何話すんだよ」
「ん……音楽の話とかかな。ドラムが格好いいバンドとか」
 意外に真面目だった。もっとイチャコラしてるのかと思った。
「後は……家の話とか。色々」
「家?」
「いや、これ以上はあの子のプライバシーに関わるから……」
なっちゃんの家って確かお金持ちで、本人は隠そうとしているって大嶋さんが言ってたな。それで何か問題があるのかもしれない……あんまり詮索するのは良くないか。
「ふわぁ……やばい、眠い。今日は早く帰って寝る……んじゃな」
「またな」
「ばいばい」
 哲平が自転車に跨りながら欠伸をして反目のまま発進し、角を曲がって姿を消した。その姿を見ながら、凜がボソッと呟いた。
「いいなぁ……私だけ非リア……」
「お前も充分リア充だと思うんだけど……一人飯は脱出しただろ?」
「うん、まぁ、隣の席の子とか誘ってくれる。ライブ効果だよね」
「まぁな。ギター持ってる時の凜はなんか凄いからな。ずっとギター持ってれば良いんじゃね?」
「むー!」
 殴られた。痛って。
「でも、俺等も変わったんだよな。最初はほんとに『残り物』だったのにな」
「だよね。でもやっぱりまだ変な人扱いだけど」
 凜が可笑しそうに笑う。俺はそれを眩しいものを見るような目で見た。
 初めて会った時凜はこんな笑い方が出来る奴じゃなかった。凜は、人間関係にどう切り込んでいけば良いか分からなくて、妙に明るくなったり妙に暗くなったり、不安定な振る舞いをしている奴だった。自分の変化ってのは自分では分からない。でも、いつも側にいる人間ならそれがはっきりと分かってしまう。俺は凜の変化を嬉しいと思う。でも、
「変わるのが辛いと思うこともあるんだよな……」
「え? 何が?」
「いや、何でもない」
 俺はニヤッと笑って誤魔化した。凜に言っても仕方のないことだ。俺は、今俺の家でダラダラしているであろう人物の顔を思い浮かべた。



 待ち合わせより20分も早く駅前に着いた俺は手持ちぶさたに携帯をいじっていた。時折吹いてくる風が俺の体温をどんどん奪う。これってある意味窃盗だよな。
「桂木君」
「あ、どうも」
 顔を上げると目の前に橋本さんがいた。ニットとストールをシンプルに組み合わせ季節感を強く前に出したコーディネートだ……センス良いな。
「私もだけど、来るの早いよね? 15分も前だよ?」
「いや、なんか、緊張しちゃって……」
「あはは、そんな、カラオケぐらいで」
 橋本さんは口ごもる俺を見てさもおかしそうに笑った。いや、こいつは初めての人とカラオケに行く時のドキドキ感を知らないのだ。内心びくびくしかしていない。
「向井は? 一緒に来るかと思ってたのに」
「そんな、いつも一緒に行動してるわけじゃないよ。二時まで部活で、ギリギリ間に合うくらいに着くって」
 よく知ってるじゃねぇか。
「……ほんとに付き合ってないんだよね?」
「それみんな聞くよねぇ……小学校くらいからずっと一緒で、長いこと一緒にいすぎて付き合うとかそんな目で見てないの。お互いに別に付き合ってる人がいた時期もあったし」
 うんざりしたような声で橋本さんが返す。すらすらと答えが出てくるところを見ると、ほんとに何度も言っているようだ。幼馴染みだったのか……ま、柚木と俺のキャリアに比べればまだまだだけどな。ドヤッ。俺はもう少し踏み込んでみることにした。
「でも、好きは好き、なんでしょ?」
「……」
 やっぱり今日は風が冷たい。俺は手をこすり合わせ、橋本さんはストールを握りしめた。少し顔を赤らめた理由は気温が下がっただけじゃないだろう。
「ずっと側にいたいとは思わないけど、離れちゃうのは嫌。恋愛感情はないけど、ずっと考えてるしどっかで頼ってる、でしょ?」
「なんか……知ってるみたいな口ぶりだね」
「よくわかるからね」
「ってことは、桂木君も……?」
「おまたせー!」
 俺と橋本さんが同時に振り返ると、大嶋さんと向井が小走りで駆け寄ってきた。大嶋さんは軽そうなダッフルコートで、向井は部活のジャージだ。
「さっきそこで向井君と出会って」
「部活終わったの? メールで言ってたより早かったね」
「今日は早めに終わったんだ。女バスが練習試合前らしくて、早めに片付けて体育館を譲った」
 向井が腕をまくりながら話す。筋肉質な腕があらわになり、ちょっと風が吹いただけで鳥肌を立てている俺の惨めさを際だたせる。俺の体力って、ライブ一回やっただけでも結構息があがるクオリティだからな……ほんとにちょっと鍛えた方が良いかもしれない。そんなことを考えていると、大嶋さんが携帯で時間を確認しながら話を進めた。
「じゃ、立ち話もあれだし、ちょっと早いけどはいろっか」
「そうだ。」
 大嶋さんと俺が前を歩き、その後ろに向井と橋本さんの二人がついて行く。
「どうしたの、桂木君。なんか挙動不審じゃない?」
「なんか落ち着かないなんだよね……俺がここにいて良いんだろうか」
「良いに決まってるじゃない。私が誘ったんだから。」
 大嶋さんが杞憂だと言わんばかりに笑う。昨日、金曜日に大嶋さんに誘われた時は、「うはっ俺ってリア充」とかそんなこと考えながら二つ返事で承諾したが、他の三人の雰囲気と俺の雰囲気が違いすぎて変な気を遣ってしまう。断れば良かったな。俺が後ろ向きなことをジメジメと考えている顔を見て、大嶋さんが不機嫌そうに声を出す。
「桂木君、今『断れば良かった』って考えてたでしょ」
「かっ! かん、がえて、ませんよ!」
「考えてたのか」
「桂木君ってわかりやすいね」
「でしょ? ゥフフフフ」
 居間に一匹出てきたゴキブリのように集中砲火を浴びた。……やっぱり断ればよかったかも。



 一曲目、橋本さん、スピッツの「魔法のコトバ」
 二曲目、大嶋さん、チャットモンチーの「風吹けば恋」
 三曲目、向井、スピッツの「8823」
 四曲目、俺、9ミリパラベラムバレットの「ワンダーランド」
 ……ほら、何か違うだろ、これ。俺だけ明らかに浮いてるじゃねぇか。よくよく考えてみれば、俺は音楽の趣味に偏りのない一般人とカラオケに行ったことが無い。柚木や優や華菜と行った時はだいたいロックしか歌ってなかった。凜と哲平と行った時は、哲平が洋ロックで凜がレッチリとホルモンとアニソンで、俺が邦ロックとアニソンで……なんだこのカオスは。それはどうでも良くって。
 とにかく、みんなが知ってるようなポップな曲が歌えないし、俺が歌える曲って本当に偏りがある。俺が歌ってる時、橋本さんも向井もきょとんとした顔をしていた。おかしいなぁ……キューミリは有名だと思ったんだけど……このままだと俺のターンで盛り上がりの勢いが削がれるという一番悪いパターンに陥りかねない。
「キューミリ格好いいよねぇ……やってみたいけど難しいかな」
「大嶋さんは、分かってくれると……!」
「うわっ、何?」
 俺は感謝のあまりソファの上で大嶋さんに土下座した。ちょっと大嶋さんがひいていたような気がしたけど問題ないよね!
「いや、みんなが知ってるような曲が歌え無くって……」
「いいじゃん別に。盛り上がれる曲ならいいんだよ」
「盛り上がれる曲、とは?」
「うーん……キューミリはまずいかな……なんかもっとポップっぽくって、アップテンポでメジャーコードな感じの奴とか、どうかな」
 ポップっぽくって、アップテンポで、メジャーコード。確かに盛り上がれるだろうけど、そう言うタイプの曲があんまり好きじゃないだよなぁ……とりあえずバンプとかラッドでお茶を濁そうかな。俺が悶々と選曲について悩んでいるうちに、橋本さんの曲がサビまでいっていた。
「えーと……曲名見て無かったけど、なんて曲だったっけ、これ?」
「運命の人、だろ。あいつカラオケ行くと絶対スピッツ縛りかけてくるからなぁ……」
「全く仲が宜しいようで。ゥフフフフ」
 向井が俺に答え、大嶋さんが向井を茶化した。向井は頭を掻きながら誤魔化すようにジュースを口に含んだ。
「俺も美雪もスピッツ好きなんだよ」
「スピッツが好きなのか……それとも……ゥフフフフ」
「そんなんじゃねーって」
「ま、スピッツは俺も好きだけどね」
 大嶋さんが調子に乗り過ぎているので俺がフォローを入れる。今日の大嶋さん妙に生き生きしてるな。ってか橋本さんの下の名前、美雪って言うんだ。初めて知った。
「悠子、はい、マイク」
「あ、ありがとう」
 歌い終わったマイクを大嶋さんが受け取る。
「私が歌ってるから口出せないと思って勝手なことばっかり言ってたでしょ」
「そんなことないよ。ゥフフフフ」
「……テンションあがるのは分かるけどほどほどにしなよ」
「あ、あがってないって」
 いや、あがってるだろ。俺がジト目を向けていると大嶋さんは赤面して顔を背けた……正直可愛いと思った。で、そんな大嶋さんが次に選んだ曲は、GO!GO!7188の「こいのうた」だった……どこがアップテンポなんだよ。
「ああ、これ。知ってる知ってる」
「……俺は知らねぇわ」
 橋本さんはキューミリ知らないのになんで知ってるんだよ……。でも最近まぁまぁ有名になってきてるけどね。俺は烏龍茶の最後の一口を口に含み、大嶋さんの声を聞いた。特別上手いわけじゃないけど、下手でも無いし、柔らかくてちょっと特徴的な声だ。

 きっとあなたには
 急に恋しくなったりやきもちを焼いたり
 愛をたくさんくれて愛をあげたい人がいるから
 ただ小さい小さい光のような
 私の恋心には気づかないでしょう

 直情的……ものすごく直情的な歌詞だと思った。でも、逆説的だけど、繊細な女の子の心情を明確に描いているようにも聞こえる。まだ曲は途中だったけど、俺は口に含んだ烏龍茶を喉に流し込み、コップを持ってふらりと外へ行った。ドリンクバーコーナーにでも行こう。



 俺は子供だって美味い例のジュースをコップに注ぎながらぼーっとしていた。
 文化祭以降、柚木が少しおかしいような気がする。普段通りなんだけど、なんか無理して笑っているような感じで、無表情で黙り込んでいる瞬間が多いような気がする。あくまで「気がする」のレベルだけど。多分、文化祭で俺らのライブを聴いて、俺が変化していってることを気にしているんだと思う。
「焦ること無いと思うんだけどなぁ……」
 でも柚木を置いて変わってしまったのは間違いなく俺だし……仕方のないこととは言え悪いのは俺だ。でも腹を割って話しても柚木は変化を受け入れられなくって結局余計辛いことになるんじゃないだろうか。
「桂木君?」
「ふぇい!」
 悶々と考えている時に突然話しかけられて変な声が出た。それを見て大嶋さんは可笑しそうに笑った。
「それ、初めて教室で話しかけた時も同じ声だったよね」
「そうだったっけ?」
「ほら、阪上君の話を教えてあげた時だよ」
 ああ、そうだったかも知れない。自分が変わってしまったと思ってたけど、変わらないところもあるのか……やっぱり成長しないな、俺。
「何で、私が歌ってる途中で出たの? あの空間に独りぼっちにしないでよ」
「独りぼっちって……あと二人いるじゃん」
「あの二人仲良し過ぎてたまにイラッとするんだよね。あ、ここオフレコでゥフフフ」
 どこの大臣だよ。
「さっき聞いたんだけど、幼馴染みなんだってね」
「私も最近知った。なんか漫画みたいだよね。向井君それなりに顔整ってるし、美雪ちゃんも可愛い系だし……ラブコメみたい。ってか、幼なじみカップルとかそんなの普通あり得ないよね」
「あ、ははは。そう、だね」
 思わず顔がひきつる。俺の顔は如何せん、柚木は超美人だと思う。大嶋さんはアイスコーヒーをコップに注ぎながら、溜息をついた。溜息なんてつかなくったって、大嶋さんだって充分モテると思うんだけどな。木上とか……あ、これ禁句だ。
「恥ずかしいから口では否定してても、やっぱり好きなんだろうなぁ……そういうもんだろうな」
「そうだよね……あの、それで、さ」
「なに?」
 大嶋さんが俺に背を向けたまま声をかけてくる。俺は白ぶどう味の子供だって美味い例のジュースを少し飲んだ。甘い。
「桂木君は……その……」
「なに?」
「好き、な人とか、いるの?」
「……何でそんなこと聞くの?」
「いや、変な意味じゃないんだよ? その、話の流れで思いついたっていうか、ちょっと気になったって言うか!」
 焦った大嶋さんがあたふたしている。焦ったら余計怪しいと思うんだけど。好きな人ねぇ……柚木、だよな。でもなんか普通の恋愛感情とはちょっと違う気がするな……。家族的というか、なんというか。
「わかんない。気になってるのは確かだけど、好きなのかはわかんない」
「ふ、ふーん……」
 そこでさっきの橋本さんとのやりとりを思い出した。「長いこと一緒にいすぎて付き合うとかそんな目で見てない」か……その通りだ。でも、好きなんだよなぁ。
「……誰、とか聞いちゃダメかな?」
「流石にそれは嫌だよ」
 まぁ大嶋さんは柚木のこと知らないんだから別に言ったところで何ともならないのだが、そんな恥ずかしいこと口に出して言えるはずがない。
「ですよねー。でも恋する桂木君か……ニヤニヤ」
「口でニヤニヤとか言う人初めて見たよ……」
「だって面白いよね。ゥフフフフフ」
 気持ち悪いくらいにニヤニヤしている大嶋さんを見て、何か腹が立ったので、俺はいきなり話を変えて逆襲することにした。
「で、そう言えば、風の噂で大嶋さんは面食いって聞いたんですけど」
「へ?! そ、そんなことないよ?! 絶対無いって! 誰が言ってたのそれ?!」
「えーっと、ツッキーだったかな」
 あ、これ言ったらまずい奴かも。
「へぇ……ツッキーがねぇ……ふーん……」
「あ、その、違ったかも知れない! なんかツッキーがいて、他の人もいたから、そいつかも! それに冗談で言ったんだとも思うから! その! うん、怒らないで?」
「いや、怒ってないよ? ゥフフフフ」
 顔が笑ってない。超怖い。大嶋さんって偶にこういう風になるよね。超怖いよね。
「あ、はは、ははは。怒ってないよね。そんなことで、怒るわけ、ないよね……」
「だよねー。ゥフフフフ」
「あ、ほら、二人待たせちゃってるし、早く戻ろうか。うん。戻ろうよ!」
「だよねー。ゥフフフフ」
 鳥肌が立った。この時、桂木鷲は生きた心地が全くしなかったと後に語っている(桂木鷲自伝『ベスト・オブ・チキン』より)



 その後、妙にストレスの溜まるカラオケを終えた俺たちは、この後用事があるらしい大嶋さんと向井のためにさっさと解散することにした。俺はどんどん暗くなっていく街の風景を見ながら家までの道を歩いた。最近、日が落ちるのが本当に早いな。
「ただいま」
「おうお帰り」
 玄関の扉を開けると、暖かい空気と音楽が雪崩れ込んでくる。なんだこれ……ストロークスかな? 俺が立ち止まって曲名を思いだそうとしていると、親父が声をかけてきた。
「寒いからさっさと扉閉めろよ」
「ああ、悪い」
 親父の声に促されるように俺は後ろ手で引き戸を閉めた。外と内の温度差が凄いな。
「おでん食うか?」
「うん。大根と牛すじ肉」
「はいよ」
 親父が皿におでんを盛って出してくる。俺は少しからしを皿の端に出す。
 他人が見たら変なやりとりに見えるだろうか。俺と親父は昔からこういう関係だった……客と店主みたいな、というか、良い意味で距離を保っている。互いに、戯けあったり罵ったりしながらも、しかし互いに信頼はしている。
「これ、ストロークスだったっけ?」
「ああ、ヴィジョンオブディビジョンな」
「この曲格好いいなぁ……ストロークスの中で一番好きかもしれない」
「お前好きそうだな。こういうの」
 俺は無言で頷き、よく出汁の染みこんだ大根にかぶりつきながら、叫び声の様に枯れた響きを持った歌声の中に自分を埋めた。

 どうして僕は君の言うことを聞かなくちゃならないんだ
 君は何を変えるべきか知っている
 でもそれは「どうやるか」じゃないんだ
 どれだけ僕は待たなきゃならないんだ

 嫌な予感がした。この歌が、柚木の歌に聞こえたのだ。神経過敏かもしれないけど……親父の選曲が俺の状況を予定調和的に表したことが何回かあった。まぁ偶々だと思うんだけどね。こうも何回も当たるとちょっとマジかも知れないと思ってしまうのだ。某デスブログみたいなものかな。
 牛すじ肉を奥歯でよく噛みながら、俺はその不安を気のせいだと思い込もうとした。しかし不安定なコードの中に鳴り響くギターソロを聴いていると、一度感じたその不安をぬぐうことが出来なかった。
「ちょっと、荷物置いてくるわ」
「おう。そういや柚木ちゃんがお前の部屋にいると思うぜ」
「っ……早く言えよ!」
 心臓の鼓動が増した。

 どれだけ僕は待たなきゃならないんだ

 階下から聞こえてくるストロークス。俺は急いで階段を駆け上がり、自分の部屋のドアを開けた。電気のついていない部屋に、バルコニーから外の光が差し込み、部屋の中は薄暗い灰色に染まっていた。
「……なんだ」
 柚木は俺のベッドの上で寝ていた。ベッドの上には写真が散乱している。俺は柚木を起こさないように鞄をそっと机の上に置き、ベッドに腰掛け、散乱している写真のうちの一枚を見た。
「……懐かしいな」
 思わず独り言が出た。まだ身長が一メートルにも満たない俺と柚木が砂場にいる。柚木は泥だらけにした手をカメラに向かって振り、俺はカメラには目もくれず砂山を作っている。この時点で柚木の社交性と、俺の愛想の悪さが出ている……象徴的な写真だ。
その隣にある写真は小学校の時の写真。遠足で少し遠くにある大きな運動公園に行った時の写真だ。向こうの方で名前も忘れたクラスメイトたちが落ち葉の山に飛び込んでいて、俺はぶすっとした顔で木の根本に腰掛けており、それを楽しそうに柚木がつついている。そういえばそんなこともあったな。
「ほんとに……ずっと、一緒だったんだな」
 俺は写真に写った幼い柚木と、目の前で規則的に呼吸音を立てている柚木とを見比べた。……身長と胸以外あんまり変わってないな。それから、俺は自分の机の上に大事に飾ってある写真立てを手にとって見た。光がガラス面に反射し、楽器を持って楽しそうに写る四人の男女の姿をぼやけさせる。
 エピフォンカジノを抱え込んで笑う柚木。ドラムの所に座り、スティックを持ってピースをしている華菜。その隣でギブソンレスポを構えたまま無表情でピースをしている優。手前で座ってまぬけな顔をしている俺。ノーウェアで最後にスタジオ練習に入った時、少しだけ見学に来た親父が撮ってくれた写真だ。あの頃は楽しかったな。その後すぐに柚木が倒れたんだけど。少し前までこの写真を見ながら、あの頃は楽しかった、と思っていたが、今は、同じくらい今も楽しい、と思えるようになった。
「なった、んだ。なってしまった、じゃない」
 俺は柚木に話しかけながら、柚木の白い頬をなぞった。柔らかい絹のような感触が指をくすぐる。
「……鷲?」
「起きたか? ただいま」
「……鷲」
 眠たそうな目をした柚木が俺にしがみついてくる。ちょっ、寝ぼけてるとは言え……。
 そこで異常に気がついた。遅すぎたくらいだ。
「柚木、お前……」
「……鷲」
「お前、凄い熱!」
 身体に直に伝わってくる柚木の体温は、明らかに36度を超えている感触だった。
「鷲」
「いいから、喋るな! 今医者呼ぶから!……ええとここで寝てて良いのか、ええ、110? ああ、119か、う、ああ、えー」
 心臓を悪くしていたのに風邪なんてひいたらどうなるのだろうか……焦って考えてもどこから考え始めたら良いのか分からない。身体を灰色の感情が駆け抜ける。俺はそれが何であるか知りたくなかったし、感じたくもなかった。
「あのね、聞いて」
「な、え、な、なに」
 焦る俺に柚木が身体を抱きしめるようにして止め、顔を近づけてくる。柚木は眠たそうに半分目を開けていたが、明らかに呼吸の速度が早かった。吐く息が熱い。柚木の声はうわごとの様に遠くに聞こえた。
「私……ずっと、言ってなかったことが、あって」
「……な、に?」
 灰色の感情が鎌首をもたげ、俺に襲いかかる。喉の奥から出た俺の声は信じられないくらいに掠れていた。
「本当は、もっと……前に……って……けば」
「……柚木。もういいから!」
「鷲、あのね……」
 柚木は最後に何かを言おうとしたが、声にならない摩擦音のような音を上げ、気を失った。俺は気を失った柚木を抱えながら、ただ呆然としていた。
 階下から聞こえるストロークスだけが耳の中で反響した。



 どれだけ僕は待たなきゃならないんだ



 どれだけ僕は待たなきゃならないんだ



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