Episode15: ウェルカム・トゥ・桂木家




「じゃ、うち、くる?」
「へ?」
 言った瞬間に冷静になって死ぬほど後悔した。嫌な汗がねっとりと体中から染み出てくる。何を言っているんだ俺は自分で言うのもなんだがいくら勢いとはいえ話が不自然すぎる。
「えーと……いいんだけど、なんでしゅーくんの家?」
「え、ほらさ、文化祭も、近いし、曲さっさと決めなきゃだし……えーと、時間もかかりそうだし……哲平も呼んで、ね!」
 焦る俺。それにしてもこの桂木鷲、ノリノリである。
「……ああ、久しぶりにしゅーくんがコミ力不足だと思ったよ」
「すまん、ってか、お前に言われたかねぇよ」
「……ごめん」
 お前もコミュ力ないだろうが。俺がジト目を向けていると凜は顔を川面の方に向けながら立ち上がった。俺もそれにつられるようにして立ち上がった。川が流れる音がひたすら耳を打ち、まだぎこちない俺と凜の間を埋めた。俺は持っていた凜の荷物を渡すと、凜はソフトケースの中にストラトを仕舞った。中身を失って萎れていたケースがもとの形に戻る。それを見ながら俺は携帯を取りだし、『なんとなく仲直りした。突然だけど今日俺の家来れる?』、と哲平にメールを送った。
「しゅーくんの家って、居酒屋だよね?」
「え、うん。駅の近くの飲み屋と住宅が混在してるところあるだろ? あの辺」
「……あんまり行ったことないから良くわかんない」
「着いてくりゃ良いよ。……まぁ見たら一発で分かると思うけどね」
 あの看板だもんな……目立たないわけが無い。周りの店と比べても(悪い方の意味で)明らかに異彩を放っている。哲平からメールが帰ってきた。
『わかった、家まで行けばいいんだな? ちょっと遅れるかもだけど(^o^)』
うっ……顔文字がなんか別の意味に見えてきた。「(^o^)家まで行くから耳そろえてかえしてもらうからな」みたいな。ちなみに哲平は一度帰り道で、あの間抜けな看板を見に来たことがあるので場所は分かるはずだ。
「行くぞ」
「……うん」
 二人でゆっくりと土手の階段を上り、橋の上に立った。やっぱり何となく気まずい。凜もそう思っているようで、どことなく居心地悪そうな顔で申し訳程度に光っている月と数えるほどの星がちらちらと光っている濃い紺色の空を見上げていた。俺が先を歩くと、凜は一定の距離を保つようにして後ろについてくる。俺が少し歩みを速めると、凜も速めた。でも俺が遅くすると、凜も遅くなった。どうやら隣には立たないつもりらしい。良く考えてみると、こいつと黙って歩くというのも貴重な経験のような気もする。だってこいつ始終喋ってるもんな。八割方いらないことばっかりだけどな……下ネタとか下ネタとか下ネタとか。
 何となく口寂しいような気がしたので、俺は頭を空っぽにして適当にBGMをかけるような気分で鼻歌を歌った。おそらくベースから始まる曲としては世界一有名な曲――スタンド・バイ・ミーだ。単純なフレーズの反復なんだけど、そのシンプルさ故に世界中で愛される名曲になったんだろうな。世界にはものすごく複雑で芸術的な名曲がたくさんあるのに、こういう簡単でわかりやすい名曲もある。音楽ってのはよくわかんないよな。
 俺が一フレーズ歌い終えたところで、後ろから歌声が聞こえてきた。凜だ。
 凜が俺の適当な鼻歌に声を乗せるようにして歌っていた。さっきと同じ、透き通るような綺麗な声だった。

  夜が来ても
  真っ暗になってしまっても
  月の光しか見えなくなっても

  いや、僕は怖がらないよ
  ああ、怖くないさ
  君が側にいてくれさえすれば
  僕の側にいてくれさえすれば

 歌詞の内容を考えながらちょっと笑いそうになったが、凜は最後まで歌う気らしいので俺は鼻歌を続けた。なんだこの曲。何も考えずに選んだのに。……うん、そうだな。
 空気が気まずくても喋らなくても、
 少なくとも、今、凜は俺の側にいた。



 暫く二人で歌いながら歩き続けた。歌い終わった頃に丁度看板が見えてきた。ってか改めて思ったんだけどほんとに俺の家って学校から近いよなぁ。下手すると休み時間家に帰って休憩できるかもしれない。ああ、でもいったん家に帰ると暇をもてあました柚木に捕まって学校に戻れなくなりそうだな……気がつくと俺の隣を歩いていた凜が、俺の方を見上げながら尋ねた。
「あの店?」
「ああ、うん、どっこい」
「どっこい?」
「どっこい」
「どっこい!」
「どっこい」
「どっ、こい!」
「何だよこれ。」
「スピリチュアルコミュニケーション!」
「何だそれ」
 意味わからん。むしろディスコミュニケーションだよ。あ、でも語感が良いって言う意味なら分かる気がする。案外この店の名前の由来、語感が良いって事だけかもしれないな……そんな適当な、と思うかもしれないが、ほんとにありそうだから困る。俺は入り口の引き戸に手をかけ、開けた。
「ただいまー」
「お、おじゃまします……」
「あ、おか……」
 突然食器やら調理器具やらが落ちる音がした。どうやら親父がやらかしたらしい。
「おい、何してるんだ」
「まさかこんな日が来るとは……」
「は? 今日何かの日だったっけ?」
「鷲が柚木ちゃん以外の女の子を部屋に連れ込む日が!」
 は?
「いやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って!」
「いや、ごまかさなくて良い。鷲、お前も一皮剥けたな」
 何も剥けてねえよ! いや、あっちは剥けて……って何の話だクソが! 落ち着け俺! カウンターで飲んでた名前も知らない客が酔った赤ら顔を向けながら手を叩いた。
「大将! やったねぇ!」
「ああ、まさか俺もうちの息子がこんなにリア充な訳がないとは思ってたぜ!」
「しばくぞ」
 それにしてもこのおっさんたち、ノリノリである。ってか、柚木は俺が連れ込んでるわけじゃなくって勝手に侵入してくるんだけど。
「ちょっと、凜、なんか言ってやってくれ」
「ふ、ふふふっ、ふつつかものですがよろしくおねがいします!」
 何テンパってるんだこいつ。ってかそんな事言ったら余計ややこしくなるだろバカ野郎。衣俺は溜息をつきながら親父に説明した。
「はぁ……うちのバンドのギターの一ノ瀬凜だ」
「知ってたよ」
「は?」
「だって夏のライブ出てたじゃないか」
「え、じゃ、今のやりとりは」
「息子があたふたしてる所って見てて面白いんだよね」
 俺は反射的にその辺に合った新聞を丸めて親父を殴っていた。
「痛ってえ! 親に向かって何しやがる! ゴキブリ叩く時みたいな叩き方しやがって!」
「『ブッ叩く』と思ったらッ! その時既に行動は終わっているんだッ!」
「くー、冷たい奴に育ったもんだね……。親の顔が見てみたいよ」
「定番のボケかますなよ」
 親父はニヤニヤしながら魚をさばいて刺身にしていた。BGMはヴァン・ヘイレンのパナマだ。このスケベ親父め……いつもいつも狙ったみたいに曲をかけやがって。手元狂って指でも切ればいいのに。俺は店の奥にある玄関まで凜を誘導した。途中で凜は二回くらい椅子の脚で躓きかけた。もう少し落ち着きを持って欲しい。
「ヴァン・ヘイレンだったね……」
 階段を上りながら凜がボソッとつぶやく。やっぱり知ってたか。
「ごめんな、アレな父親で」
「ううん、おもしろそうな人だよね」
「おもしろいですんだらいいんだけどね」
 一緒に暮らしてる俺の身にもなって欲しい。毎日ストレスが溜まってイライラする。ま、でも、いつもはアレなんだけど、困ったときに助けてくれるのはいつも親父なんだ。その辺は尊敬できる。
「むしろしゅーくんもあれくらいおもしろい人になるべきだよ!」
「そんなに俺はおもしろくないか」
「うん」
「即答かよ!」
 ライブのMCとかね……やっぱり俺はおもしろくないのか。俺は灰色の階段の壁を睨みながら溜息をついた。因みに、我が家は3階建てで、1階が店舗スペース、2階がリビングダイニングとか風呂とか両親の部屋。3階が俺と妹の部屋と、無駄にでかいバルコニーだ。……ん? 誰に説明してるんだこれ? まぁいいか。俺は自分の脳内の不可思議さに一抹の不安を覚えながら、2階のリビングのドアを開けた。
「あ、おかえり、に……」
「ああ、ただいま」
 ものすごいポージングでリビングのソファに座っている愚妹がいた。いや、これ、座ってるって言うのか? 天地が逆転してるんだが。
「ににににににににいちゃん!」
「なんだ妹よ」
「まさか柚木ちゃん以外の女の子を連れ込むなんて!」
「だから柚木は連れ込んでるんじゃ無くって勝手に入ってくるんだ!」
「柚木ちゃんとは遊びだったのね! って痛って!」
「お前ら……!」
 俺は愚かな妹の頭頂部に軽く拳骨を落とした。軽くってところがポイントだ。あんまり本気でやると仕返しでチョークスリーパーを喰らいかねない。しかし親父といいこいつと良い俺の事を何だと思ってるんだよ。
「あのな、お前もライブの映像見ただろ。」
「あ!……あー……下ネタの人か!」
「ちょっと待ってしゅーくん!」
「なんだよ」
「なんで『下ネタの人』になってんの私!」
「下ネタの人だろ?」
「むー!」
 むーじゃねえよ。今更何を言ってるんだよ……紛れもなく下ネタの人じゃねえか。ってかそんなに気にするなら自分の言動にもっと責任を持てよ。
「ああ、そうだ。凜、こいつは不本意ながら俺の妹の鶫だ」
「よ、よろしく」
「よろ。不本意とは何だ。私ももっと性格の明るい兄が良かった」
 うるせぇ。ってかこいつは年上に対してもっと敬意を払って欲しい。社会で生きていくのに不利な性格だと思うけどな。まぁ俺が偉そうに言えた立場じゃないか。因みに読み方は「つぐみ」だ。兄が鷲だから妹は鶫って安直な気がする……え?違う違う。何とかばななの小説とは関係ないよ多分。
「時に愚妹よ、このリビングは俺が占拠した。今すぐ立ち退けさぁ今すぐだ!」
「やだよシュ○ック2見てるのに……」
 テレビの画面には緑色の怪人のドヤ顔が映っていた。なんか無性にむかついた。何で今更そんなもん見てるんだよ。
「自分の部屋にパソコンあるだろ。それで見ろよ」
「大画面で見たいという気持ちを分かってよ!」
 分かるけど。暫く睨んでみたが鶫はてこでも動かない雰囲気だったので害はないだろうから放っておくことにした。ふと凜を見ると、親父と母さんの集めた膨大な量のCDが陳列されているラックの前で奇妙なポーズを取って静止していた。
「しゅーくん……すごいぜ!すごいぜこれ!いやっふぃ!」
「落ち着け、なんか変なキャラになってる」
「世界中のロックの古今の名盤がずらり……しゅーくんちってCDショップ?」
「1階でお前は何を見てきたんだよ」
「ああそうか、ロック居酒屋か!」
 いや、厳密に言うと普通の居酒屋なんだけど。でも実質ロック居酒屋なのでまぁいいや。今は亡き創業者である祖父はそんな新しいコンセプト考えもしてなかっただろうな。祖父も草葉の陰で苦笑いしているだろう。
「レッチリとかは俺の部屋に置いてあったと思うからちょっと取ってくるわ。適当にくつろいどいて」
「んー」
 メタルコーナーでラックにへばりついている凜から生返事が飛んできたのを確認してから俺は3階の自分の部屋に行った。とりあえずベースと荷物を自分の部屋に置き、一息ついた。それで昨日まで凜と一言もきいていなかったことを思い出し、なんだか現実ではないような気分になり、少し目眩がした。……なんとか上手く仲直りできたのかな、これ。
「うーん……」
 うなり声と溜息が同時に出て変な声を出してしまった。周りに誰もいなくて良かった。そういえば珍しく俺の部屋に柚木がいない。この時間帯なら絶対に俺の部屋を不法占拠しているというのに。なんか用事かな。
「ぎゃあああああああああああああああああああ」
 突然階下で親父の叫び声が聞こえた。年甲斐もなくみっともない声を出すなよ……。又親父がいらんことでもしたんだろうか。ああ、そうか。うん、まぁ、何となく見当はついたけど。



 急いでCDを抱えて1階に行くと親父とさっきの客が店の奥側で縮み込んでいた。
「何かあった?」
「や、ヤ○ザが……!」
 うん、やっぱり、って感じなんだけどな。そんなにあからさまなオーバーリアクションとらなくってもいいじゃないか。
「よう、哲平。遠慮せず上がれ」
「この状況で遠慮しないわけにはいかないだろ?」
 哲平が客と親父のリアクションに半ばひき気味な顔で常識的なことを言った。確かに。もしかするとうちのバンドで最も常識的なのは哲平かもしれない。まぁ顔面の非常識度は置いておいてだ。
「安心しろ。こいつは本職の人じゃない。顔は怖いけど」
「おい、ってか、親父、ライブに来て見たんじゃなかったのかよ」
「あ、ドラムの奴か……あんまり見てなかったわ……」
「うっ……軽くショック……!」
 哲平が隅に並べられた酒瓶の列を眺めながら呟いた。確かにドラムって一番奥にいるし見えにくいし目立ちにくいってのはあるな、けい○んでも言ってたけど。まぁこんな顔だからあんまり目立たない方が良いってのはあるかもしれない。
「親父、こいつはカタギだ」
「つまり、手を染めたけど足を洗ったって事か?」
 なんかそのセリフ回し上手いな。
「うん、まぁ、そういうことになるな」
「おい、生まれてこのかた法を犯すような真似はしてねぇよ」
 哲平がジト目(のように見える恐ろしい目)で俺を睨んできた。親父はもう既にいつものヘラヘラした態度に戻っていた。回復早っ!
「うん、まぁ把握した。うちの鷲がお世話になってるね。ホントに馬鹿で鈍感で……」
「いえいえ、こちらこそ……バカはまだしも鈍感って所は分かります」
「おい」
「ホントそれだよ。全く、誰に似たんだか……」
 なんか無性にイライラした。なんでこの二人共通理解とれてんの? この一月くらいの間のことを考えれば、哲平はともかく、俺なんか親父に悪いことしたっけ? 俺が顔をしかめていると親父が俺を見て鼻で笑った。
「ふん、心当たりなんてないぜっ、って顔だな」
「良くわかったな」
「そこがDON☆KANってことだ」
 うっぜぇ。親父にごちゃごちゃ言われる筋合いなんてねぇよ。俺は父親を無視して急いで厨房から飲み物を適当に数本パクり、ゴタゴタしてるうちに少しずつ増えてきた客に会釈をしながら、哲平に2階に上がるよう促した。階段を半分くらい上がったところで哲平が聞いてきた。
「おい」
「なんだよ」
「凜とはどうなったんだ?」
「どうなったって……」
 どうなったんだろう。えーと、何したんだっけ……歌聞いて、俺が言いたいこと言って、喋って、また歌って。あれ? 冷静になって考えてみたけど、仲直りした気になってたけど実は何にも出来てない気がする。ってかそもそもなんで凜が怒ったのかってまだわかってないし。
「おい、鷲、お前今凄い間抜けな顔してるぞ」
「え? そうか?」
「で、仲直りは出来たのか?」
「仲直りしたようなしてないような……やめろ! そんな目で俺を見るな!」
 哲平が俺を哀れむような慈しむような目で見てきた。悲しいことにヤクザ面でもそれは分かってしまった。
「鷲、お前、ほんと優しい奴だよな」
「ちょっ、急に優しくなるの止めてくれ!」
 どうしよう、なんか今までで一番グサッと来た。時として態度は言葉より鋭利な刃物になるのだ。
「とりあえず!普通には喋るようになったから。まだなんかちょっと変だけど」
「ちょっと、とは?」
「わからん。でもなんか変」
「ふーん」
 哲平は口に手を当てて考え込んでいた。でも、考えたところで分からないのも確かだ。



 俺たちがリビングに戻ると凜と鶫がマリ○カート64をやっていた。そういえば前に柚木とも○リカやってたけどなんでマ○カなのかは突っ込まないで欲しい。マリ○とぷ○ぷよとテ○リスとス○ブラしかないのだ。我が家の人間はゲームにあんまり興味がないみたいだ。
「っしゃあああショートカットぉおおおおお!!」
「あ、つぐちゃん何それズルい!」
「兵は詭道なり!」
 お前ら馴染みすぎだろ。つぐちゃんって。ってか、鶫、それ若干使い方間違ってる気がするんだけど。そもそもマリカと兵法あんまり関係なくね? 哲平が大騒ぎする二人を見ながら眉をひそめて言った。
「あれ、お前の妹の鶫ちゃんだよな」
「ああ、うん。不本意ながら」
 ちゃん付けやめろよ気持ち悪い。哲平に妹の存在は話していたのだが、哲平が実際に見るのは初めてだ。
「なんであんな明るいんだよ」
「ちょっと待て、それは鶫にも俺にも失礼だ」
「兄のコミ力をすべて吸い取ったんじゃないか?」
「いや、強ち間違いでも無いかもしれない」
「ぎゃあああああああああああ」
「しゃあ勝ったあああああああ」
 ゴリラがコースを独走している……なるほど、どうやら凜が負けたみたいだ。鶫はいつもゴリラを使いたがるからな。凜は……緑の恐竜だ。で?って言う。
「おい、凜。哲平がきた」
「はい? あ、うぃーっす」
「お前、もっと自分の年齢とか性別とか気にしないの?」
 哲平が呆れて頭を押さえてうつむく。うん、俺も頭と片腹と痛いわ。でも、これも夏祭り前に言っていた「ギターのおっさん」とか言う人の影響なのかもしれないなと思う。いったいどんな人なんだろうな。……まぁろくでもない奴だってのは分かる。
「あ、もしかしてヤ○ザのドラムの人!?」
「おい鷲」
「何だよ」
「なんで俺はヤ○ザの人なんだ」
「お前もそれを言うか」
 いや、「ヤ○ザのドラムの人」って的確すぎるだろ。お前の外見上のアイデンティティを完璧に表現しているじゃないか。鶫はバンドメンバーが三人揃ったのをみて、空気を読んだのか64とシュ○ックを片付けて立ち上がった。この妹、強引でうるさいけど空気は読めるのである。俺と逆すぎて困る。
「じゃ、上に上がってるから。ヤ○ザの人! こんどドラム教えてね!」 「は?」
「いや、こいつ吹奏楽部のドラムなんだ」
「へぇ」
 腕は正直なところ微妙なんだけどね。まだ中二なので期待大ということにしておきたい。是非良いドラマーになって欲しい。鶫が廊下の奥に消えたのを見て、俺は凜と哲平の方へ振り返った。そういえばこの三人が一カ所に集まってなごやかな雰囲気でいるのも久しぶりだな。
「さて……」
 息を吸い込んだ。
「……選曲すっか。」
「うっす」
「おお」
 うん……どっちがどっちの返事かは想像に任せるよ。



 毎度毎度の事だが、選曲は難航を極めた。だが、いつもと状況が違って、練習期間があと2週間しかないというのが大きかった。この短い期間の中で三人の力を遺憾なく発揮できる曲は……あるのかな。自信なくなってきた。とりあえずダニーカリフォルニア以外にもレッチリはやりたい。
「とりあえずレッチリもう一曲はやろうね!」
 凜がポテトフライを頬張り、缶ジュースを飲みながら俺の考えていたことと同じことを言った。なんか嫌だ。
「この串カツうまいな。グリーンデイもう一曲とか?」
 哲平がタマネギの串カツに食らいつきながら続けた。三人で選曲会議しているのを見かねた母が店で作ったのを皿に盛って持ってきてくれたのだ。我が家で常識を備えているのは母さんだけだよ……ちょっと天然だけどね。俺も串カツを食べながら哲平に返事をした。
「うんそれもいいな……。でも新曲よりは一人でもやったことある曲が良いんじゃないか?
」 「アメリカンイディオットとかは練習がてらやった気がする。あれ結構難しい」
 テンポ速いからな。あの曲はドラムによって決まると言っても良い気がする。
「俺、ニルヴァーナとかやってみたいけどな。すぐ出来そうじゃない?」
「ニルヴァーナか……俺叩いたこともないし、そもそもあんまり聞いたこと無いわ。スメルズライクティーンスピリットしか聞いてない」
「一番有名な奴だよな」
 まず、ニルヴァーナってバンド名がかっこいいよな。日本語にしたら「涅槃」だぜ? 中二病っぽさを通り越してなんか存在感がある。あとカート・コバーンがかっこよすぎる。以上個人の感(略)
「しゅーくん、邦楽は?」
「うん、ホルモンもう一曲はきついだろ? エルレならいけるかな。」
「夏の使い回しでも良くない? あのライブに来た人そんなにいないんじゃないかな?」
「でも秋にあの曲ってのもね。」
 ミスマッチにも程がある。結構涼しくなってきたのに。俺は手にした焼き鳥のねぎまを凝視しながら続けた。
「2、3曲、遊びで合わせてたジミヘンあるじゃん。あれの中から選べないか?」
「パープルヘイズとかか? 別に良いけど高校生に通じない気がするんだが。」
「うーん、もう最近は通じなくて良いんじゃないかって気もしてきたけどね。」
 俺は凜の凄さってのはああいう曲の時に特に発揮されると思うんだけどね。あいつのギターって家に置いといてずっと聞いていたいタイプのギターなんだよね。いや、別に変な意味ではないから!
「そーいや、私レッチリのライトオンタイムやりたいなー」
「ちょっと待ってアレは無理。ベース難し過ぎる」
「しゅーくんならできるよー!」
「いや、無理だと思う」
「さいしょからきめつけちゃだめだよあははー」
 あははーじゃねえよ。俺もやりたい曲いくつかあるけど、完成度のことを考えると諦めざるを得ない。ってかこれから2週間は練習詰めだな。
「鷲、持ち時間何分だっけ?」
「入り捌け込みで30分。まぁ出来て4曲ってとこかな」
「よし、何曲かやってるから、レッチリで占めようか」
「別に良いけどそれだとレッチリのコピバンみたいじゃねえか」
 夏祭りのレッチリのコピバンを思い出した。ああ、ネイキッドインザレインやりたいな。……あのベースソロやってみたい! でも凜はレッチリの有名どころならだいたい弾き語りできるみたいだし全部レッチリってのもありかもしれないな。
「それはそれで統一感があって別にいいんじゃないか? なぁ凜」
「ん? あー、うん。しゅーくんがふりーみたいにぜんらで……」
「ちょっと待って、色々突っ込みたいところがあるがまずフリーは全裸じゃない。あ、でも99年のウッドストックは全裸だったな……」
「あ、そうだねー。ぜんらというよりむしろぺ○すそっくすだねー。あははー」
「あははーじゃねぇよ」
 なんか違和感を覚えたのは俺だけじゃないはずだ。いや、ペ○スソックスのとこじゃない……気になった人は自己責任で「レッチリ ペ○スソックス」で調べると良いと思うよ。あくまで自己責任でね。閑話休題。俺は怪訝そうにしている哲平と顔を見合わせた。心なしか語尾が長いし発音も怪しい……何となく酔ってる様な雰囲気がするんだが、まさかアルコールは持ってきて……。
「あ……」
「おい、鷲。」
「うん。これは……ミスったな」
 凜が手に持っている缶を見て冷や汗が出た。やばい、これ、チューハイだ。俺は光の速さで凜から缶チューハイを奪い取った。
「むー!うー!」
「むーでもうーでもねぇ!俺のファン○グレープやるから!」
「だめ!それじゃないと、らめぇ!」
「なんかエロい……じゃなくて! だめだ! 飲むな!」
「の、のまないとしぬぅぅぅぅ!!」
 死にはしないだろうよ。むしろ飲んだ方がまずいことになりそうだよ。暴れようとする凜を哲平と協力して押さえつけながら、再び二人で顔を見合わせた。
「……まさかの展開だな。選曲終わってないのに」
「何がまさかだ。テンプレ通りの展開じゃねぇか。お前絶対狙っただろ」
「狙ってねぇよ!」
 あの時何も考えずに急いで持ってきた缶の中に混じってたみたいだ。やってもうたがな。ってか、3%でこんなベロンベロンになるってことは、凜は酒に弱いみたいだ。俺の脳内ではものすごいウワバミってイメージだったのに……なんか意外だな。
「鷲、責任とってお前が何とかしろよ」
「……・最善を尽くすよ」
とりあえずコミュニケーションが取れるかどうか試してみよう。うん。
「凜! 俺だ! わかるか?!」
「ん? あー? まさひこ?」
 誰 だ よ 。
「なんでかえってきたんだー! にどとかえってくるなといっただろー!」
「違う、俺はまさひこじゃない!」
「なにいってんだー……にねんまえにーかんどうしただろー」
 凜は俺の胸倉を掴んで揺さぶったが、力が入って無かったせいか逆に凜がふらふらした。マジで何やってるんだこいつ……。哲平が隣で爆笑している。
「おい、哲平、何とかしてくれ」
「っく……まさひこ、が……何とかしろよ……ヒヒハッハハ!!」
 人事だと思いやがって……。ってか笑い方も悪人だよこいつ。もうこいつ本物のヤ○ザでいいんじゃないか? 凜は焦点の合わない目を虚空にふらふらと漂わせていたが、俺の目を真芯で捉えた。上気した凜の頬が口の動きと同時に震える。
「しゅー、くん?」
「何?」
「眠い」
 そういって凜は俺の胸に顔を埋めて寝息を立て始めた。ちょ、えっ、これ、どうしろと? 今一瞬だけすっげぇ可愛いとか思った自分に対して俺は脳内でスクリュードライバーをかけた。
「こ、この体勢は、さ、流石にきつい……俺のベッドに寝かしてくるわ」
「おい、まさひこ。酔わした女をベッドって……」
「お前後で一発殴らせろ」
「暴力は止めろ! また勘当されたいのか、まさひこ! ヒヒヒッハッハッ!」
 俺は凜の肩と足を持って抱きかかえ、独りで爆笑する哲平を放って自分の部屋へと向かった。えーと、つまり、お、おひ、お姫様抱っこ、なんだけど、凜の事をお姫様って言いたくなかった。お姫様を笑わせる大道芸人が良いところだろう。



 階段を上りながら凜の顔をじっと見た。間抜けな面でよだれを垂らして寝ている……この約一ヶ月間、こんなやつの為にモヤモヤモヤモヤしてたのか。こんな奴があんな綺麗な声で歌って、あんな綺麗なギターを弾くなんてな。
 さっきのアンダーザブリッジやスタンドバイミーを聞いて思った。使い古されて手垢にまみれた表現かもしれないけど、この言葉が一番相応しい。こいつはやっぱり天才だ。……ま、俺が思ってるだけなんだけどね。こいつと一緒にバンドができているだけでもすごいことなのかもしれない。それと、凜の夢……オリジナル曲にも早く手を出したいけど……タイミングがむずかしいな。ま、今はそんなこと考えてる場合じゃないか。俺は首を左右にばたばた振って頭の中でモヤモヤと考えるのを止め、足で自分の部屋のドアを開け、ベッドに凜をそっと寝かせた。窓側から注ぐ外の光が白い凜の顔を照らした。寂れているとはいえ駅前の飲み屋街だから夜でも明るい。
「……しゅーくん?」
「あれ? 起きた?」
「しゅーくん……」
 凜はぼんやりと俺を見上げた。吹き出物一つも無い、白磁の様に綺麗な顔が俺の視界を埋めた。ちょ、なんかエロい。いや、エロくないエロくない落ち着け俺……なんか緊張してきた。いやいや待て待て冷静になれ俺!
「しゅーくん……」
「な、なんだよ」
 凜は混乱する俺の身体を掴み、自分の身体を俺の方へ引き寄せた。ちょ、止めて! 頭パンクしそう! あ、そうだ一曲はパンクやろうかな、って、選曲の話考えてる場合じゃない、ってか本来の主旨は選曲なんだけど、今はそんなことじゃなくって。
「しゅーくん……ごめんなさい」
「は?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 凜はボロボロと泣き出した。酔って泣き上戸になるタイプだったのか? 少しずつ冷静になってきた頭を無理矢理フル回転させながら突然謝りだした凜を俺はじっと見つめた。ってか、ごめんなさい、ってやっぱり夕方俺が止めちゃった奴のことか? 俺は凜の頭を撫でてやった。なんだかそうしなきゃならないような気がしたからだ。
「凜、もういい。もういいから」
「ごめん、ごめんなさい……!」
「酔ってるんだから何にも考えるな、な?」
 凜が鼻をすすりながら俺の服に顔をこすりつけた。服越しに凜の体温が俺の肌へ伝わった。べろんべろんによって意識が保てて無いはずなのに、これだけはっきり謝っていると言うことは、多分、ずっと、ずっと謝りたかったんだろう。
「しゅーくん、ごめんなさい……私、私が」
「もういい。俺はもういいから」
「私が、しゅーくんを……」
「凜、もういい……」
「好きに、好きになんてならなかったら!」



 俺がリビングに戻ると、柚木と哲平が談笑していた。
「おーまさひこ! おかえり! 凜どうだった!?」
「あー……酔って寝たよ。あ、柚木、どこいってたんだ?」
 自分でも恐ろしいくらい喉から空疎な声が出た。柚木と哲平が一瞬面食らったような顔をしたが、柚木は話を続けた。
「定期検診。『あんまり水分取るなよー』だってさ。暑かったんだから仕方無いよね。」
「……そうか」
 俺は凜の飲み残しの缶を取り、一気飲みした。半分以上残ってた。ってことは凜、こんなちょっとで酔ったのか。
「鷲? どうしたの? なにかあったの?」
「……別に。何にも」
 俺は熱くなって上手く回らない頭をどうにかしようとして首をゴキゴキならしながら頭を回したが、何ともならなかった。自分の飲んでいた炭酸を一気のみしたが、熱くなった頭はなんともならなかった。俺は冷蔵庫からありったけの酒を取りだした。
「鷲、やめなって。鷲後で酔ってくる人でしょ!」
「あ、そうなんだ。どうした鷲! 止めろ!」
 俺は二人を無視して缶ビール一個を一気飲みして机に俯せて目を閉じた。二人が他に何か言ったような気がしたが無視した。
 俺の、俺の頭の中には、凜の言葉しか反響していなかった。



 私が、しゅーくんを、
 好きになんてならなかったら――。



BACKTOPNEXT



[コメント] 感想、指摘などを頂けると大変うれしいです。コメント返信はここをクリック。

PAGE TOP

inserted by FC2 system