Episode14:橋の下で




「……くん!」
 遠くで誰か呼んでいるような気がした。眠い。ほっといてくれよ。
「……桂木君!」
 しかし懐かしい夢だった。そうか。はっきり思い出した。やっぱり柚木が好きになったのはあのお祭りの日からだったな。
「桂木君!」
 あの後、柚木が好きなのは誰だろうかと必死に考えてる内に、恋愛的な意味で好きになってたんだな。ああ、思春期全開だな、俺。
「桂木君! 起きて!」
 目を開けると大嶋さんがのぞき込んでいた。ああ、このアングル、エロい。Tシャツの上からでも胸の下部がはっきりと見える。Tシャツ着ると、その、なんていうか、残念な女子と残念じゃない女子の違いがはっきり見分けられるようになるよね。大嶋さんは……うん、残念じゃない。下乳、エロス。……あれ?!
「うわああああああああああああおおおおお大嶋さん!」
「きゃっ! そ、そんなに大きな声出さなくても。」
 しまった、寝ぼけて大嶋さんに欲情するところだった。いや、もはやすでに欲情していた。やばい死にたい。でも大嶋さん意外に胸あるよね。って何を言ってるんだ俺は。
「か、桂木君、もうすぐ閉会式だから下りた方が良いよ。」
「ああ、呼びに来てくれたのか。ご、ごめん。ありがとう。」
 太陽の位置がだいぶ変わっていた。どうやら俺はかなりの時間寝ていたらしい。のんびりあくびをしていると、ちょっとお腹減ったことに気づいた。うん、そういえば昼ご飯抜いたんだっけ。眠気が覚めてどんどん頭がシラフになってきた。うん? あれ? なんか不自然なことが……。
「ってか、大嶋さん、なんでここが?」
「……え?」
「いや、俺、隠れてたつもりだったんだけど、なんでここがわかったの?」
「ててて、てればしー、的な?」
 そんな超自然的なスキルをパンピー代表の大嶋さんが使いこなせると思えないのだが。俺は疑うような目で大嶋さんを睨み続けた。大嶋さんは明後日の方を向いて必死にごまかそうとしている。
「そそそ、そんな目でみないで……。」
「なんか俺が悪いことしたみたいになってるけど……まあいいや。」
 俺はベースを担いで階段の方を向きながら歩いたが首だけは大嶋さんの方を向いて疑いの目を投げかけ続けていたら、遂に大嶋さんが地面に崩れ落ちた。
「ど、どうしたの?」
「ご、ごごご、ごめんなさい!」
「は?」
「……最近、桂木君が死んだ魚の目みたいな顔で昼休みになる度にベースもってフラフラとどっかへ行っちゃうから……先週尾行して……。」
「それはいわゆるストーカーという奴ですか?」
「あ、ち、ちち、 違う、違う! ほんとに桂木君が変だったから、じゅ、純粋に心配してて、」
 母さん。大変です。ついに俺にもストーカーが出来ました。えらくかわいいストーカーなので別にいいんですが。冗談はさておき、大嶋さんにもわかるくらい俺が精神的にやられてるのが顔に出てたのか。無駄に心配かけちゃったな。
「それで、ここに来て歌ってるってわかって、」
「て、うわあああああああああああああ! 聞いてたの?!」
「ダニーカリフォルニアだよね? ……桂木君、実は良い声してるな、と思って。」
「わああああああああ!」
 まじか。全部聞かれてたのか。練習中妙なテンションになってたのを思い出す。あの独り言も、あの独り言も、全部聞かれたのか! 誰か嘘だと言ってくれ! 最悪だ! 俺は地面に倒れた。
「そ、そんなに恥ずかしがらなくても……」
「だめだ。おおしまさん、いますぐころせ。おれをころせ。」
「嫌だよ。」
「しぬ。いや、しにたい。」
「ダメだよ、閉会式でなくちゃ。ゥフフフフ。」
 腕を引っ張られ、半ば大嶋さんに引きずられる形で旧校舎の階段を下りる。ショックのあまり声も出なくなってきたが、楽器を置いてこないと閉会式に一人だけ大型の変なブツを持った状態で突っ立っておかないと行けないことになることに気がついた。
「……大嶋さん」
「なに?」
「教室にベース置いてきていい? 追いつくから先行ってて良いよ。」
「うん。……わ、私もついて行く。」
「なんで?」
「え、あ、その、か、桂木君逃げるんじゃないかと思って。」
 そこまで俺は信用されていないのか。まぁ逃げ出したのばれたんだから前科一犯ってとこだし仕方ないか。自業自得という奴である。しばらく無言で歩いていると、大嶋さんがものすごく聞きにくそうな顔で話しかけてきた。
「か、桂木、君?」
「何?」
「あのさ、気になってたんだけど」
 ……チャックあいてるとかか! さりげなく股の間に手を当てたが良く考えたら体育の長ジャージだった。そもそもあの窓がない。なんか俺挙動不審みたいだな。え? 今頃気づいたのかって? 黙れ小僧!
「なにか悩みでもあったの?」
「え? 何で?」
「いや、だから、最近ずっとボーッとしてるし、目が死んでるし、」
「それいつもの俺だよ?」
 自慢ではないがボーッとして目が死んでいると定評がある。俺の中で。
「いや、そうかもだけど……いや、そうじゃなくって! うー!」
「そんな怒らなくても……。」
「ほ、本気で心配してるのに!」
 ああ、今重要な事実に気がついた。拗ねた大嶋さんマジ天使。変な趣味に目覚めそう。ってか、ボーッとしていて目が死んでるってのは否定してくれないんだ。つまり、『俺はボーッとしていて目が死んでいる』というのは俺の中だけでなく一般的な意味での定評となった訳か。やったあ! 嬉しくねえ!
「んー……話した方がいい?」
「聞きたい。」
「うむ。」
 やっぱり話した方が良いか。心配かけてたみたいだしねぇ。手短に話して納得してもらおう。どこから話そうかな。うーん。廊下を歩きながら俺は十秒ほど考えた。やっぱ話の核からだな。
「実は解散の危機なんだよね。レフトオーバーズ。」
「えっ! ……な、なんで?」
「俺と凜がケンカしててさ……」
「何かあったの? 痴話喧嘩?」
「どうしてその発想に飛ぶのか……。」
「ご、ごめん。たまに自分で自分のこと昼ドラ脳だと思う。ゥフフ。」
 昼ドラ脳って何だよ。そういえば、某脳科学者が「幸せを掴む石田○一脳」とか「坂本○馬脳」とかって本を出しているのを新聞の広告で見た時は、ホントに商売上手だよな、と感心していた。いや、別に悪意はない。
「それがさ、理由が全くわからなくて、凜が突然キレて。」
「うん。」
「だから俺がボーカルでもやったら俺の誠意が見せられるかな、と思ってさ。毎日歌ってたんだ。」
「……ふーん。そーだったんだ。」
 大嶋さんは腕を組み、なにやら思案顔で前を見ていた。教室に着いたので、教室の隅にベースを下ろして窓からグラウンドを覗くと、最終競技のリレーをやっているようだった。全校生徒がトラックの外周ぎりぎりまで詰め寄って応援している。みんな熱心だよね! え? 俺? どんなミカンの段ボール箱の中にも1個はある腐ったミカンさ。気にせずゴミ箱へ捨ててくれ。
「桂木君。」
「なに?」
 俺が教室を出ようとすると後ろから大嶋さんが声をかけた。
「も、もし、ホントに解散しちゃったら、どうするの?」
「んー……わかんない。」
「わかんないって……・。」
「それはその時考える。それに俺は……」
 そうだな。やっぱりそうだ。今はっきり気づいた。ごちゃごちゃと悩んできたけど、やっぱり俺は心のどっかではこう思ってたんだ。だって、
「俺は、凜を信じてるから。」
「桂木君。」
「何?」
「クサい。」
「………すいません。」



 さて、体育祭が終わった後、俺は真っ直ぐ練習室(仮)に向かった。旧校舎へ向かう廊下を歩くのも久しぶりだったのでなんだか背筋がゾクゾクした。武者震い、なのかな。いや、ただのチキンか。だって、正直なところ、怖い。凜にあったらどんな顔すれば良いんだろう。
 廊下の奥の方からドラムとギターの音が聞こえた。哲平も凜ももう集まってるみたいだ。ああ、やばい。緊張してきた。初めて哲平に会った時の方が緊張したけどな。緊張ってか戦慄の方が正しい気もするけど。ああ、指の先冷たい。足の先まで冷えてきた。心の中ではそんなに焦ってないのに体はしっかり反応している。体は正直なんだぜ?的な。別にエロい意味はない。
 ドアに手をかけた。なんて声かけようか。軽い感じで良いよな。「よう」とかでいいかな。いいよな。いいよな! えええええいままよ!
 開けた。
 哲平は俺が入ってきたのを見ると手を止めた。凜は俺の方を見ている。凜の顔がみるみる赤くなっていく。ああ、声かけるんだった。
「よ……よう。」
 意図していたわけではないのに、自分でも驚くほど無機質でカサカサした声が出た。凜はこちらを見て何か言おうとしたが声が出なかったと言わんばかりに口をぱくぱくしている。こんなところに棒のように突っ立っていても仕方ないので、とりあえず凜を無視して部屋の中に入ってドアを閉めた。
 締め切った部屋の中にこの三人でいるというのが実に久しぶりなので、なんか変な感じがした。多分他の二人もそう思ってると思う。誰も話し出さないので俺は黙って荷物をその辺にあった机の上に置き、ベースとシールドをケースから出した。
「チューニングしたらすぐ始めたいんだけど。いい?」
「ああ。」
「……。」
 俺が話しかけると、哲平がものすごく低い声で返し、凜は床を見ながら黙ってゆっくり頷いた。チューニングを終え、凜の前にセットしてあったボーカルマイクを俺の前にセットした。その時凜と目があったが、凜は気まずそうに目を下にそらした。……だめだ、この空気、重いし疲れるよ。1分間立ってるだけで300カロリーは使ってるよ。助けて柚木えもん!
「テンポ、これくらいか?」
 哲平がスティックでぎこちなくカウントする。
「もう少し速く。」
「オッケー。じゃあ、行くぞ。」
 哲平が叩き始める。最初はドラムのソロで始まる。そこにベースが重なっていく。運指的にはそこまで難しいメロディではないが、正確なタイム感が要求される。それに追加して歌を歌うとなるとかなり厳しいモノがあるが……ここまで練習してきたのを信じよう。
 俺が歌い出すと凜は少し震えたように見えた。凜はぎこちない手でワウをかけたバッキングを入れていく。俺は周りの音に全神経を集中させながらベースを爪弾き、歌った。

  黒いバンダナを着け、楽しいルイジアナを捨て
  彼女はインディアナで銀行強盗をした
  逃亡者で、反逆者で、可愛い彼女は
  これからどうする、と陽気に言った
  口径45の熱くなった銃を見下ろして、
  それが次の生きるための道だと知りながら

 ……ダメだ。一番のサビに入る直前で俺は手を止めた。これが不思議なことに、全く同じポイントで哲平も手を止めた。凜は俺たちが手を止めたのを見て慌てて手を止めた。嫌な間が流れる。俺は手に出来た無数のタコをじっと見つめた。一度にここまでたくさん出来たことはこれまで無かった。良く考えたら最近の俺、結構頑張って練習してたんだよな。そんな事を考えている時、哲平が沈黙を破った。
「ダメだ。全然あってない。」
「……そうだな。」
 俺は哲平と目を合わせて黙って頷いた。多分俺ら二人は同じことを考えているだろう。
 ――凜が全くついてきていない。
 バッキングはほぼ一拍遅れて入ってくるわ、音色を調整しないわ、なんかボケッとしてるわ、全然集中していない。練習してきたかどうかも怪しい。……いや、これが他の曲ならまだしも、この曲はレッチリだ。凜が弾けないはずがない。やっぱり、俺が歌ってるのがまずいのかな。
「……やっぱ俺が歌うのがダメだったんだ。」
「おい、そんなことないぞ。お前すげー練習してきたんだろ? 上手くなってるって。」
 俺が凜のことに触れないようにしながら哲平に話しかけると、哲平も凜のことに触れないようにしようとしているのがわかった。
「はははねーよ」
「鷲、か、顔が笑ってないぞ?ははは。」
「お前も笑ってねえだろ」
 まずい。明らかに会話が不自然だ。ここで凜を刺激したらまたキレられる。俺と哲平が冷や汗を流した瞬間、
『ゴジャグギャグギ!』
「わ!」
「何だ!」
 凜がアンプの電源を切らないままシールドを無理矢理引き抜いた。あ、よいこのみんなはこんなことしちゃだめだよ。あんぷのげいんとぼりゅーむをぜろにして、でんげんをきって、それからぬくんだよ! しゅうおにいさんとのやくそくだよ! って、ボケてる場合じゃなかった。凜は無言でギターだけもってどこかへ走り去ってしまった。
「おい、凜!」
 走り去っていく後ろに哲平が声をかけたが、凜は全力で走り去ってしまった。あいつ、他の荷物どうするつもりなんだろ。てかギターもマッパなんだが。……ったく、しゃーねーな。最近クサいクサいと各方面から執拗に言われるからあんまりこういうことしたくないんだが。偶には自分に嘘をつくことも大事だ。嘘も方便な。
 俺はベースアンプの電源を切り、シールドとベースをケースに戻した。哲平が心配そうに俺をのぞき込んでくる。
「おい、どうするんだよ。」
「どうするもこうするも……流れ的に俺が追いかけなくちゃならんのだろ?」
 俺は自分の荷物を背負った後、凜が残していった荷物を全部片付ける。エフェクターボードをしまい、シールドをケースに詰め、あいつのスクールバックをひっつかんで外へ飛び出した。
「おい、どこに逃げたかわかるのか?」
 哲平が後ろから叫んでくる。俺は走りながら後ろに叫び返した。
「わからん! わからんけど走る!」 
「鷲!」
 廊下の端で止まり、振り返る。哲平が何とも言えない複雑な表情で立っていた。
「失敗したらフライドポテトおごり!」
「ああ!」
「Lサイズな!」
「ああ!」
 哲平がにやっと笑って手を振ったので俺はにやっと笑いかえした。
 Lサイズは嫌なので全力で走るしかない。



 一日の内に二回全力疾走する日というのは人生初ではないだろうか。ってか俺って全力で走らないタイプの人間じゃん。フラフラと適当に走っておいて、一位を取るような奴の影に隠れて目立たないようにしている。何か言われたら、俺は全力を出していないと言い訳する。それが俺。それが桂木鷲。
 つまるところ、俺はずっといつも柚木の後ろに隠れていたんだ。柚木が好きだったってのもあるけど、結局の所、強い者の後ろに隠れたかっただけなんだ。でもそれじゃダメだって気づいた。俺より凄い奴が当たり前のようにいて、そいつは当たり前のように難しいことをやってのけた。それでやっと気がついたんだ。このままの俺じゃダメなんだって。俺はもっと強くなって、柚木や凜の隣にいなきゃダメなんだって。後ろじゃなくて、隣に。
 ぼんやりとそんな事を考えながら、校舎の中庭を突っ切り、校門の方へ向かう。荷物が肩に食い込んで痛い。今更ながら体育祭の疲労を感じた……一回全力疾走しただけでこれか。やっぱ運動不足なんだな。丁度帰りかけの生徒が振り返って俺を奇異の目で見てくる。何あの人キモイwwなんで全力で走ってんのウケるww、とか言ってるのかもしれない。でももうそんなことどうでも良かった。ひたすら体を動かした。
 とりあえず凜がいつも乗り降りしているバス停まで全力で走った。バス停には、誰もいなかった。しまった。もうバスが出たのか。俺は上がった息を整えるために深呼吸しながら考えた。いや、まだその辺にいる可能性もある。だってあいつ、生のストラトを持ったままバスに乗ったことになるんだぜ? いくらあいつと言えどあの高級品をそんな杜撰な方法で扱うわけがない。俺はそこに立ち止まったまま、辺りを見渡した。人が隠れるようなスペースはない。それから、バス停の前の小さな本屋や、向かいのコンビニに入ってみたが、凜らしき姿は見えなかった。まずい。これはマジで見失ったかもしれない。あ、でも、もしかしたら自分の荷物を取りに学校に帰っただけかもしれない。そしたらこのバス停に戻ってくるよな。
 ……。
 …………。
 ………………。
 それから15分ほどバス停で待ってみたが、凜は来なかった。
 マジかよ。
 心の中であれだけかっこつけたのに。何が「後ろじゃなくて、隣に」だよ。高校一年にして中二病か俺は。後ろどころか後ろ姿も見失ったじゃねえか。
「……あ。」
 涙が出てきた。自分の顔を鷲づかみにして止めようとしたが全く止まらなかった。バス停のベンチに座って号泣する高校生男子というのもシュールな光景だよな、と脳内の黒桂木鷲が俺をせせら笑った。うるせえ。だまれ。でも、バス停に誰か来ると気まずいので、俺はバス停から離れあてもなくフラフラと歩いた。
「……っ……!」
 乾いた声が言葉にならないまま喉の奥から虚しく響いた。何も出来ない自分が悔しくて悔しくて仕方無かった。俺が約一ヶ月間かけてやってきたダニーカリフォルニアでは凜を呼び戻すことが出来なかった。凜が俺に望んでいたのはそれじゃなかった。結局、俺の自己満足になってしまった訳か……いや、違う、俺は満足すらしていない。何の意味もなかったんだ。
 フラフラと歩いて、気がついたら学校の近くの橋の上にいた。涙はすぐに止まったが、やるせない気持ちでいっぱいだった。欄干から水面をのぞき込むと、情けない面をした泣き顔の男がいた。これのどこがイケメンだよ。ふざけんな。顔を手でなんどもこすったが、涙の跡は消えなかった。
 それからどれくらい時間が経ったかはわからない。俺は欄干に寄りかかってひたすら水面を見続けていた。川は一定のリズムで流れ続けていて、時々吹いてくる風が幾何学的な模様の細波を水面に描き、水面に映る空はどんどん夕焼け色になっていった。ああ、日が落ちるのが早くなってきたな。
 じっと水面を見続けていると、無性に飛び込みたくなってきた。水深がそんなに深くない川なので、こんな所から飛び込んだら川底で頭を打つこと必死だ。下手したら死ぬ。ああ、別に死んでもいいけど痛いのは嫌だな、と考えていたその時、橋の下から、よく知っているギターの音とよく知っている声が聞こえてきたのだ。
 無駄だとわかっていたけど顔をこすって涙の跡を消そうと努力して、橋の横についている階段を半分くらい下りて、橋の下をそっとのぞき込んだ。……ああ、やっぱりだ。
 直前まで川に飛び込むかどうかを考えていたのに、俺はなぜか笑えてきた。声を出すと気づかれそうだったので、手で口を押さえて笑いをかみ殺す。
 最初に聞いた曲は、パープルヘイズだったよな。
 んで、今は、
 ……アンダーザブリッジ、か。まんまかよ

  時々思うんだ
  俺にはパートナーなんかいないんじゃないかって
  時々思うんだ
  俺の唯一の友達はこの街なんじゃないかって、
  この街は天使の街さ
  俺は独りぼっちだけど
  涙を流す時は、独りじゃなかったんだ

 凜は透き通るような声で歌っていた。夏祭りの時の月光少年もこんな感じの声だった。シンプルなギターに、シンプルなメロディが重なっていく。アンプを通していないからあまり聞こえないはずなのに、まるで耳元で鳴っているかのように、ギターの音が俺の隣に寄り添っていた。俺は階段に座り込み、目を閉じて凜の歌を聞いた。久しぶりに聞いたせいか、耳から体の奥の方まで刺さるような感覚を覚えた。
 凜の声は曲が先に進むにつれ強くなっていった。反復されるメロディによって曲の中では憂鬱な時間がずっと流れされている。その間を縫うようにして、瞬間的な幸福と刹那的な快楽が埋まって行く。最後のサビに着くと、暴力的なまでに透き通った声が俺を襲う。

 この街の橋の下で
 俺は少し血を流したんだ
 この街の橋の下で
 俺はそれでも満足できなかったんだ
 この街の橋の下で
 俺は愛する人も忘れたんだ
 この街の橋の下で
 俺は俺を捨てたんだ

 俺は目を開け、階段を下り、凜に近づいた。凜は最後のコードをストロークしていた。前を向いているのでどんな顔をしているかはわからなかった。俺が荷物を地面に下ろして凜の側にしゃがみ込むと、凜は俺がいることに気がついてビクッとなってから振り向いた。
「……ひどい顔だな。」
「……。」
 凜の顔には涙の跡がいっぱいあった。まぁ、俺も人のこと言えない感じなんだろうけど。でもそれでも多分さっきよりはマシだろ。俺は目をそらさずにずっと凜を見ていた。凜も目をそらさなかった。空気が緊張で張り詰める。凜は何か言おうとして口を動かしたが、声にならないみたいだった。何度も発声しようとして、失敗して、と繰り返していた。少し待っていると、凜はやっと声を出した。
「……しゅ、しゅーくん。」
「何だ。」
 久しぶりに聞いた凜の声は、俺の中で想像していたよりもずっとか細くて消えそうだった。なんとなく「凜らしくなさ」を感じた。話しかけても汚い言葉で罵られるか、無視されるかだと思ってたんだけど。
「え、あ、その……。」
「……。」
「……ご、」
 俺は自分でも不自然に思うほど冷静だった。さっきまで気が動転していたのが嘘みたいだった。だからこの先凜が何を言おうとしているかもすぐにわかった。……こんなセリフを聞くためにここまで来たんじゃねえ。俺は凜の口を塞いだ。
「んぐ……!」
「いい、何も言うな。」
「……。」
「何が言いたいのかはわかってるから。」
「………。」
 凜は不思議そうに俺を見上げた。俺は凜を見て、にやっと笑った。俺はお前の言葉を聞きに来たんじゃない。俺から言うことがたくさんあるんだ。
「あのなぁ、凜。」
「……。」
「久しぶりに合わせたんだから真面目に弾けよこのクソったれが。」
「……。」
「クソ適当にバッキング入れやがって。」
「……。」
「ったく、俺がどんだけ苦労して練習したと思ってるんだ。見てみろこのマメ。」
「……。」
「哲平にもものすごい迷惑かけただろ。これは俺もだけど。」
「……。」
「でなぁ、何が一番言いたいかっていうとな、」
 俺は凜の肩を掴んだ。凜は人形みたいに固まって、まだ泣き跡のついた顔で俺を見上げていた。その顔を見ていると色んなことを一気に思い出した。
 初めて会った時のことを思い出した。
 初めてセッションした時のことを思い出した。
 初めてライブをやった時のことを思い出した。
 初めて二人で出かけた時のことを思い出した。
 高校に入学してから少しの間だったけど――いつの間にか、こいつが、俺の側にずっといた。
「何が『もう知らない』だよ! 俺を置いて一人でどっかに行くなよ!」
「え……。」
「いいか! 俺はな、お前が……凜がいなかったら何も出来ないんだよ!」
 もう後は勢いで怒鳴った。自分でもなに考えてるのか良くわからなかった。勢いって大事だよね。それから俺はあの時柚木にぶつけられたのと全く同じ言葉を凜にぶつけた。
「バンドやろうぜ、な。」
「しゅーくん……」
 続けて何か言おうとしたが声が出なかった。畜生、精神エネルギー不足だ。凜は俺の腕に顔を押しつけてまた泣いていた。俺もまた泣きそうだったけど凜の前では流石に泣けなかった。代わりに持ってるエネルギー全部を絞り出して、最後に言おうと思ってたことを言った。
「凜。」
「……。」
 凜が見上げる。俺は、凜の顔の涙を指でぬぐって、笑いかけた。
「あのアンダーザブリッジ、今までの凜の歌で一番良かった。」
「しゅーくん、」
「何だよ。」
「上から目線。」
「すいません。」
 ……なんだこのやりとり。若干デジャヴ。
「……。」
「……。」
「……ブッ。」
 だめだ、我慢しきれない。俺が吹き出すと、凜もそれを待っていたかのように大笑いした。



 暫く二人で橋の下で話をした。
 本当にとりとめもない世間話だった。ずっと我慢してたことを2人ではき出すように全部喋った。凜はいつも以上に良く笑っていた。やっぱりまだぎこちなさが抜けてない感じはするな。あ、でも凜から見たら俺もそう見えるのかもしれない。それで、話の流れで、体育祭でやってたヨガのような動きが何だったのか聞いたら、ガチでヨガだった。
「ストレッチにいいと思って。」
「ストレッチにしてはちょっとハードじゃないか? ってか、お前体柔らかかったんだな。」
「しゅーくんは固そうだよね。」
「前屈して手が足の先に届くかどうか微妙。」
「ぷっ!」
「ああ笑え笑え。」
 固くて悪かったな。固いと運動している時ケガしやすいっていうから、毎晩地味にストレッチしてるんだけど、一向に改善されない。やり方がまずいんだろうか。凜はひとしきり笑った後、話を変えた。
「ってか、てっちゃんと、ガチで競争してたよね。」
「ああ、なっちゃんの為にね。一肌脱ぎましたよ。」
「しゅーくんの足が速いという新鮮な驚きがあった。」
「それ、失礼だよな。」
「へへへっ。」
 昔は足が遅くって柚木によくイヤミ言われてたんだけどな。どうでもいいけど。……こうやって普通に凜と話せるのが嬉しかった。徐々にここのところずっと体中に溜まっていた緊張が緩やかに解けていくのが分かる。凜と話してないと自分の中で上手く歯車がかみ合わないような感覚があった。
「ところで、な、凜。」
「えへへへ何?」
 笑い方気持ち悪いよ。
「もう帰らない? すっげえ暗くなってきたんだが。」
「あ……。」
 ほんとに周りがどうなってるか全く気にしてなかったのだが、辺りは真っ暗になっていた。橋の欄干の隙間から三日月が見えた。携帯で時刻を確認すると、もうすぐ七時という感じだった。俺は家が近いからまだしも、凜は少し遠いからもう帰った方が良い。
「うーん……。」
「うーんじゃねえよ。さっさと帰るぞ。」
 ぶっちゃけ言うともう少し喋りたい。せっかくやっと仲直りできた(のか?)のだから、もう少し一緒にいたいとは思った。んでもそんなこと口に出来るわけ無い。間違いなく変な意味に聞こえるよ。
「しゅーくん。」
「何ぞ。」
「……もう少し一緒にいたくない?」
 ぐっ。なんか、今、精神的な大ダメージを負ったぞ俺。いや、俺が今考えてたことをそのまま前で繰り返されただけなのに、意外と破壊力が高かった。よくよく考えてみれば相手は下ネタ女とはいえ夜に女の子と2人ってなんだよこの状況。これなんてエロゲ? いや、深い意味はないよね? 無いよね?
「おまっ……お前、それ言ってて恥ずかしくないか?」
「いや! その……変な意味じゃなくて、うー、変な意味だけど、なんか、もうちょい喋ってたいっていうか、その。」
「あー、もういい。ニュアンスはわかった。」
 凜が顔を赤らめてあたふたするのを俺は静止した。そんな顔見てたらこっちまで恥ずかしくなるだろ。それで、後から思えばなんでこんな事言ったのか自分でも意味が分からないってことになるんだろうな、とうっすら思いながらも、もはや勢いと衝動で俺はこう言った。重ね重ね勢いって大事だよね。



「じゃ、うち、くる?」
「へ?」



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