TOPに戻る
次のページ

第3話:彼の同情と彼女の虚構

▽12/08/05更新分から読む ▽12/08/12更新分から読む


 蝉の声で夏が来たことを知る。
 最初は一匹。でも日を追う毎に増えていき、夏が終わるまで鳴き声は止まない。
 街角で、ビルの谷間で、広い道で、蝉の声がわんわんと反響する。
 その音の波の中でふと立ち止まって考えてみると、
 大きすぎる蝉の声を不自然に感じている自分に気付く。



「彼氏が出来た」
 テストが終わった次の日。いつもの様に黒崎くんの家にいって、ご飯を食べている時に、呟くように打ち明けた。
 そう言うと、彼は目線だけこちらに向けた。特に驚いた風でもなく、特に怒っている風でもなく、いつも通り起伏のない平坦な声を返した。
「ふうん。良かったね」
「……なんか、動揺したりとか、しないの?」
「うん。だって僕には特に関係ないでしょ?」
 確かに関係は無い。所詮私と彼は「オトモダチ」だ。体を重ねるだけの、それだけの関係。その間に感情は介さない。私がそれを望んだし、黒崎君は恐ろしいくらい忠実にそれを守っている。
 私が目の前の彼をじっと観察しながら白米を噛んでいると、黒崎君は少し考えるような顔をしてから、呟くような声で質問をした。
「どこで出会ったの?」
「うーん……友達の彼氏の友達で、何度か一緒に遊びに行ったりしたことがあったんだけど」
「へえ、どんな人なの?」
「谷山君って人。2年のサッカー部の人で、普通に格好いいけど、普通につまんない人」
「つまんないって……ならなんでオッケーしたの?」
「なんでだろう……」
 数時間前に返信したメールの内容を思い浮かべてみる。前から好きだった、付き合って欲しい、という趣旨の何の面白みもない退屈なメールが来たので、私で良ければ、と何も考えずに適当に返した。
「何も考えてなかった。ただ、『彼氏がいる』ってステータスが欲しかったのかも」
「……そういう正直な所は人には見せない方が良いと思うよ」
 私が思いついた理由を言って見ると、黒崎君は苦笑するように声を濁した。
 分かっている。私が何も考えずに話しているのは黒崎君だけだ。黒崎君と私の間に感情は無い。だからこそ感情むき出しの言葉を投げかけることができる。
 でも、偶に、というかごく稀にだけど、この黒崎君の無感動な表情を動かしてみたいと思うことがある。それは動かない動物園の動物を動かそうとしてガラスを小突きたくなるような浅い衝動であって、深い気持ちではない。そうだと思う。
 私は首を振りながら返事をした。
「大丈夫。上手くやるよ、今度は」
「だと良いけどね」
 彼はうっすらと微笑んだままだった。



「陽菜、おはよう」
「……あ、谷山君、おはよう」
 あまり聞き慣れない声で私の下の名前が聞こえたので、反応が少し送れてしまう。
 ぎこちない笑い顔を貼り付けた谷山君が歩いているのを見てから、そう言えばこの人と付き合いだしたんだと気付いた。木霊のように思考が遅れる。
「苗字じゃ堅苦しいから、下の名前で良いよ」
「あ、そうだね。……智君。」
 笑顔を作ってそう呼んでみると、谷山君は笑顔の様な、眩しい光をこらえるような、複雑な表情をした。きっと幸せを噛みしめているんだろう。自惚れかも知れないけど、そんな顔に見える。
「ちょっと言いにくいね……慣れるまで谷山君でもいい?」
「あ、うん、いいよ……そうだよね、いきなりは、きついか」
 そういって谷山君は少し残念そうな顔をした。私だって羞恥心というものがある。人目のあるところでイチャイチャするのを見せつけるのは流石に嫌だと思う。
「暑くなってきたな」
「そうだね、夏なんだね」
 額に滲んだ汗を拭った。誰も頼んでないのに太陽はぎらぎらと熱線を浴びせている。
 私が暑さで少し苛立ちながら黙っていると、谷山君が思い出したように呟いた。
「……ほんとに、良かったのか? 俺で」
「何がダメなのかよくわかんないけど、いいんじゃない?」
「でも、その、釣り合わないじゃん……陽菜って、かわいいし」
「よくそんなこと素面で言えるよね」
 思わずドン引きした表情をしてしまったが、彼は気付かなかったみたいだ。夏に近付くにつれてどんどんと強くなっている光をこらえるかのように、眩しそうな表情を崩さない。
 こういう一瞬の動作を見逃さない彼ならなんと言うだろうか。「今ひいたよね」と平坦な声が脳内再生され、私はくすりと笑った。
「どうしたの? 何か可笑しかった?」
「いや、かわいいな、と思って」
 そう言うと谷山君は顔を赤くした。
 学校に着くまでつまらない話を続け、校舎の中に入ったところで別れた。クラスは違うのがせめてでもの救いかもしれない。私は歩き去っていく彼の背を見ながら息をゆっくりと吐き出した。
 自分の教室に向かおうとしてゆっくり廊下を歩いていると、私の前の方を一年生の教室の方へ向かって歩いていく見知った男の子がいたので、ふと立ち止まって見ていた。
 一度だけ見たことのある女の子と話しながら階段をゆっくり上っている。身長が高いせいで隣を歩いている女の子との高さの差がすごいことになっている。かがむようにしながら、少し困ったような顔つきでその小さな子の相手をしている男の子を見て、私はなぜか楽しい気持ちになった。多分黒崎君の困った顔を見るのが好きなのだ。自分でもつくづく性格が悪いと思う。
 教室に着くと、ニヤニヤとした顔を向けてくる祥子と瀬川さんが見えた。
「おはよう」
「ひーなー……見せつけてくれちゃって! このリア充!」
「もう、茶化さないでよぉ」
 手で肩をぐいぐい押される。ただでさえ暑いのに、押されると暑苦しいので正直やめて欲しい。あとリア充って言葉をかけられるのが嫌いだ。こんなにも満たされない思いばかりしている私の生活の何処が充足してるんだろうか。
 ところで、誰にも言ったつもりは無いのに、一日も経たないうちに広まってると言うことは……どうやらあの男、すぐに周りに喋ったらしい。その軽薄さに、まぁ悪いとまでは言わないけれど、少しがっかりしてしまう。
「谷山君かっこいいしねーお似合いじゃないのー?」
「私が谷山に西野を近づけたのは正解だったってことかな」
 谷山君は瀬川さんの彼氏の友達なのだ。私がふられてから良く男の子と遊びに連れて行ってくれると思ったら、そういう意図があったのか。あの男、純粋そうなツラして結構打算的なことをしているようだ。
 何となくオッケーしたが、私は少し後悔し始めていた。
「西野、そういえば言おうと思ってたんだけど……その……梶原君の話、聞いた?」
「……ん? 何かあったの?」
 だいたい何でもずばずばという瀬川さんが言葉を濁す。梶原というのは元彼のことだ。ずっと裕弥と呼んでいたので、梶原君と言われて一瞬誰か分からなかった。
「その、あー……ふられたんだって」
「ほんと? 知らなかった」
「一昨日くらいの話なんだけど、言って良いのかわかんなかったから……」
 私をふって、違う子の所へいって、そしてふられたのか。そして寄りを戻そうにも私はつきあい始めたから、彼にとっては退路を断たれたことになるのか。
「ふーん……」
 ふられたことを聞いても、不思議と「ざまあみろ」という気持ちは怒らなかった。それどころか、今復縁を申し込まれたら拒否する自信が無かった。つくづく裕弥のことが好きだったんだな、と思う。
 そういう意味では、谷山君がいて良かったかも知れない。
「でも私としては複雑だなあ……」
「なんで? 陽菜をふったんだよ! バチがあたったんだよ!」
「いや、こんなことになるなら泣いてでも引き留めた方が良かったのかな……」
「陽菜……」
 祥子は驚いた様な目で私を見てきたが、私は気付いていないふりをした。
 自分でもあの人のことをここまで気遣うのはおかしいと思う。
 でも所詮は偽善だ。黒崎君の言うとおり、相手を悪者にするために気遣っているにすぎない。悲しい程に薄っぺらな偽善だ。
 それでも私は偽善を吐き続ける。それが私だからだ。
「西野」
「何?」
「あんたって、絵に描いたように善人だよね」
「そんなことないよ。だって、私のために、幸せになって欲しいだけだし」
 私はほんの少しだけ本音を漏らした。



 日曜日の駅前はいつもよりカラフルだ。
 いつもは職場へ向かう地味な色のスーツの人で溢れているが、休みの日は私のように遊びに行く人の方が多い。私も今日はデートなので少しお洒落に気を遣ってみた。白いふわりとしたワンピースに薄手のカーデに小さなショルダーバッグ。夏っぽくしてみた。
 待ち合わせ場所に行くと、濃い色のデニムに白いシャツを合わせた、あまり主張のない大人っぽい格好で谷山君は立っていた。
「ごめん、待たせた?」
「いや、五分も待ってないよ?」
 そういって強ばったような笑顔を私に見せる。初めてのデートだから緊張しているのだろうか。どこを見たら良いか分からないと言わんばかりに目線が移動し続けている。すこしいじめてみよう。
「どうしたの、キョロキョロして」
「あ、え? ああ、うん、なんか……人多いなっと思って」
「フフ、休みだからね」
 私は、期待通りのリアクションに満足し、笑い声を漏らした。そうすると少し落ち着いたのか、彼はキョロキョロするのを止めた。
「その……陽菜、私服……」
「見たら分かるよね」
 私服なのは見たら分かる。
「いや、似合うなと思って」
「そんなお洒落したつもり無いけど」
 デートのテンプレートの様に私服を褒める彼を焦らせるために、さらりと嘘をついた。ほんとは服を選ぶときかなり迷った。十分くらい。
「普段制服だから着慣れないけど……」
「ううん、似合ってるよ」
 そう言ってぎこちなく微笑む彼を見て、微笑ましい何かを見るような気持ちになった。谷山君も私を喜ばせようと必死になっているようだ。その気合いがひしひしと伝わってくる。
「じゃ、行こうか」
「そうだね」
 二人で並んで駅の構内へと歩き始める。
 男は初めてのデートというとすぐに映画に行けばいいと思っているみたいだ。他の女の子の話を聞いていてもそうだし、よく考えてみれば裕弥の時もそうだった。
「今日、何観るの?」
「うーん……陽菜の好きなので良いよ」
「今何やってるか良くわかんないけど……」
 私は正直いって映画はあまり得意ではない。面白くない映画を観た時の時間の喪失感が嫌いなのだ。逆に面白い映画を観るともの凄く得した気分になるので、ある意味博打だ。
「私も何でも良いよ。ホラーでも、アクションでも。行ってみて決めたら良いんじゃない?」
「アクションとか観るの?」
「偶にね」
 ほんとに偶にだけど。嫌いではない。私がそう言うと、彼はふうん、と興味が無さそうに息を漏らした。本当は彼も映画は嫌いなのかも知れない。そう言えば黒崎君って映画とか観るんだろうか。彼のことだから堅い映画とかは観てそうだ。
 改札を抜けると人混みで空気が煙るように湿っていた。私が先を行く谷山君にそっと寄り添うようについて行くと、彼はそっと手を差し出した。
「ほら、はぐれちゃだめだろ?」
「フフッ、はぐれないよ、子供じゃないんだから」
 そう言いながらも私は手を伸ばした。
 手を通して彼の体温が伝わってきて、胸のあたりがじわりと揺れた。



 結局、谷山君の直感によるチョイスで、漫画が原作か何か知らないけど男女が乳繰り合っているとてもつまらない映画を観る羽目になった。その後昼ご飯を食べに行った時、二人でその映画の悪口を言い続けた。
 その後ふらふらと町の中を歩いた。二人で取り留めもない話をしていた。何も考えずに話すのは嫌いじゃなかった。
「ほんとは映画って好きじゃないんだ」
「アハハ、じゃ、なんでデートコースに選んだの?」
 そう谷山君がこっそりと教えてくれたので私は笑いながら映画に行くことに決めた理由を聞いた。すると彼は言って良いのか迷うような表情をしながら答えた。
「デートコース作りって難しいからね……結局先輩に聞いたとおり『とりあえず映画いっとけ』ってのに従ったんだ」
「別にそこまで気遣わなくて良かったのに」
 他人の意見で決まったデートコースに行くくらいなら、自分で好きなところに行きたい。かといって行きたいところがすぐ思いつくわけでもないんだけど。そう考えて私が色々考えていると、谷山君は私の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「うん? ああ、私がもし男の子で、デートコースを考えるとしたら、どんなのにするかなって考えてたの」
「へぇ。どこにするの?」
 だからそれを今考えているんでしょ。私は目の前にいる男の間抜けさにすこしイラッとしながら、答えるのを急ぐあまり咄嗟に思いついたことを言ってしまった。
「うーん……本屋、かなあ」
「え? なんで?」
「好きな本を立ち読みするの。あと、おすすめの本を紹介しあったりとか……」
「……前から思ってたんだけど、陽菜ってちょっと変なとこあるよね」
「そうかなぁ」
 確かに、デートで本屋はちょっと変かもしれない。二人で話せないし。だけど黒崎君なら喜びそうだ。まあ彼に好きな本を紹介させたところで、私がきちんと理解できるような本を薦めてもらえるような気がしないけれど。
「じゃ、本屋、行く?」
「いや、いいよ……ちょっと思いつき言ってみただけだし、ほんとに行きたいわけじゃないから」
 私は笑いながら誤魔化した。それに、私が本に詳しくないから、本に詳しい人じゃないと行ったところで楽しくないと思う。残念ながら目の前にいる彼にはあまり期待できなかった。
「難しいね、デートコースって」
「そうだろ? 家デートとかだと楽だけど、さすがに初めから家デートって手抜き感あるし……」
「アハハ、手抜き感とかの問題じゃないような気もするけど」
 男を家に連れ込む、あるいは男の家に女が行くということは、その後の展開は想像に難くない。まあこっそりとセフレを持っている私が偉そうに言える口ではないと思うけど。……もしも黒崎君の存在が谷山君にバレたとしたら。まぁ彼はヘマをやらかすような人間ではないので、こぼしてしまうとしたら私だが、私もそんな柔では無い。
 私は作った笑顔を彼に向けながら、少し淀んだ空気を遠のけようとした。
「で、次はどうするの? ……聡君」
「そ、そうだな……公園、行こうか」
 彼は照れているのを隠すようにして私の手を強く握った。
 不思議なことに、体温が伝わってこないような気がした。



 元の駅前に戻ってきた時、時刻はもう六時を回っていた。
「遅くなっちゃったな……ごめんな」
「いいよ、そんなにうるさい親じゃないし」
 つないだ手をゆっくりと放す。彼が名残惜しそうに手をゆっくりと開くのに合わせて、私はこぼして落とすように手を放した。少しほっとしたような気持になったが、気は抜かなかった。まだ最後の仕事が残っている。
「今日は……ごめんな。なんか微妙なデートコースで」
「まだそんなこと言ってたの?」
 私は谷山君に一歩近づいた。
 そうしてから刃物を振り上げ、自分の心に突き立てる。
「楽しかったよ……今日は連れて行ってくれてありがとう。また行こうね」
「陽菜……ありがと……」
 安堵したかのように表情を緩め、谷山君はつぶやくように言った。どうやら相当緊張していたみたいだ。ナイフを突き立てた場所からドクドクと流れおちる黒ずんだ液体を排水溝に流しながら、私はうっすらと微笑む。思ったことを直接言えたとしたら、どれだけ気持ちがいいことだろう。だけど、私は嘘をつくことに慣れてしまった。
「私なんかのために緊張しすぎだよ……今度からはもっと力抜いて来てね」
「そんなことないって……今度はもっと楽しくできたらいいな」
「そうだけどあんまり力入れなくていいよ……じゃ、またね」
 そう言って私が右手を振りながら体の向きを変えると、彼がおざなりに右手を挙げたのが目の端に少し映ったが、それはもう背景になっていた。



 総じていえば、普通だった。
 映画館に行って、何か食べて、公園へ行って、ひたすら喋る。なんの変哲もない普通のデート。それに対して私が満足したかというと、満足したわけでもなく、かといって不満だったわけでもない。ただひたすらに普通だった。
 私はどちらかというと色々な物事に対して不満に思うタイプだ。面には出さないけど、いろんなことを胸の中でイライラしている。腹黒い、というのが正しいかもしれない。でもその私が「普通」だと思うのだから、客観的には素晴らしいデートだったのかもしれない。冷静に、客観的になって考えてみるとそうなのかもしれない。
 だから、なんとなく遊び足りないような気がして、気が付いたら家とは逆の方向に足が向いていて、インターフォンから気が抜けたような彼の声が返ってきた時、私はどうしてここに来たかったのかということが本当にわからなくなった。
「急にどうしたの?」
「来ちゃ悪かった?」
 エプロンをつけたまま出てきた黒崎君は、お玉を片手に私を迎えてくれた。何か煮物を作っているみたいだ。出汁のよい香りが鼻の奥をつんと刺激した。私はずけずけとリビングまで入り込んで、バッグと自分の腰をソファの上に投げ出した。ソファの脇にはまた読みかけの本が置いてある。青空の背景に、「幸福について」とタイトルが書かれている。
「いや? 別に悪いことないけど……来るって言ってくれたらご飯も用意したのに」
「いや、なんとなく、来たくなっただけだから」
「ふうん、珍しいね」
 そう言って黒崎君は台所に引っ込んだ。私がじっとしていると、コンロの火を止めるカチャカチャという音が聞こえてきた。私は自分の髪の毛をいじりながら、戻ってきた黒崎君に聞き返した。
「何が珍しいの?」
「や、なんでもないよ」
 誤魔化すように黒崎君は首を振った。まぁ確かに、私がこの家に来る時は必ず連絡していたので、連絡もなくこの家を訪れたのが「珍しい」と言いたいのかもしれない。食器を出すカチャカチャとした音の合間から、黒崎君の声が聞こえてくる。
「ご飯食べたい?」
「あー……そんなにお腹空いてないかも」
「じゃあおかずだけ食べない?」
 何でそんなに自分の手料理を食べさせたいのだろうか。黒崎君は料理がとんでもなく上手い……多分うちの母親より上手い。だけど無理に私に食べさせなくてもいいのに。
 私がお盆で料理を運んでくる黒崎君に不審そうな眼を向けていると、それを察したのか、少し笑いながら答えてくれた。
「ちょっと作りすぎちゃったのと……目の前で食べてない人がいるのに、自分だけ食べるのが気まずいんだ」
「なるほど……じゃ、いただきます」
 確かにその気持ちはわからなくもない。
 手を合わせてつぶやいてから、黒崎君が高そうな陶器のお皿に盛って出してくれた筑前煮のようなものを、お箸でつまんで口の中に放り込んだ。出汁がよく染み込んでいて柔らかい。
「料理、やっぱり上手だよね」
「そうでもないよ。慣れてるだけだよ」
 小さな茶碗に入ったご飯を口の中に運びながら、黒崎君はほんの少しだけ照れたような表情をした。普段あまり感情を表に出さない人だが、ずっと見てると大分表情に変化があることに気づく。無表情に見えて実はそうでもないのだ。
「今日は何してたの?」
「そうだね。本読んでたよ」
「ずっと?」
「まぁ、ずっと」
 そう言われてみれば、机の上に本が積み上げられていて、ベッドの上に開いたまま背表紙を向けておいてある本があるのが見えた。どうやら読みかけみたいだ。
「西野さんは?」
「あ、うーん……えーと」
 言っていいものだろうか。普段こういうことを周囲の人に言うと確実に冷やかされるので面倒だから絶対に言わない。でもまぁ別に黒崎君だから別に気にしなくてもいいか。
「デート行ってきた」
「ああ、なるほどね」
 そう言って黒崎君はお茶を口の中に含んだ。何に気が付いたんだろうか。よくわからないけど、よくわからないままに訳知り顔をされるのはあまり、というか結構不愉快だ。
「なにがなるほどなの?」
「や、なんでもないよ……楽しかった?」
「楽しくはなかったかな」
 さっき考えていたことを思い出しながら、私はつぶやいた。
「でも嫌でも無かったな。普通」
「普通かぁ……でも普通ってのが一番いいかもしれないよ」
「なんで?」
「楽しかったら次に過度に期待しちゃうし、嫌だったら次は会いたくなくなるし、普通だと思えるくらいが関の山なんじゃないかな」
 まぁ言われてみればそうかもしれない。
 そう思いながらも私は今日はどういう風に遊ぶかということばかり考えていた。

次のページ
TOPに戻る
inserted by FC2 system