Episode42: 暴かれた闇(中編)




 文化祭の二日目は雲一つない快晴だった。
 少し砂埃の舞う校庭にたくさん人が群がってステージを囲んでいる。たくさんの人の熱気に包まれているけど、なぜか心地よい。今年行った夏フェスの会場に比べたら小さすぎるんだけど、外のステージでライブを聞くのは悪くないな。
 さっきのバンドは数年前にうちを卒業したOBのバンドだった。プログレバンド、イエスのコピーをやっていた。めちゃくちゃな変拍子で合わせるのめちゃくちゃ難しそうな曲だったがぴったり合っていた。エレキシタールまで持ち込まれてて物凄い本格的だったし、私もてっちゃんもイエス好きなので最前列でめちゃ盛り上がってしまった。さすがに高校からずっと続けてきた人たちの演奏だけあってめっちゃくちゃレベルが高かった。
 イエスを演奏していた人たちが楽器を片付けている。この後しゅーくんたちだけど、大丈夫かな。みんな中学のころから続けてきてる人だって聞いてるけど。
「この後ライブやるの、やりにくいなぁ。鷲、大丈夫だろうか」
 てっちゃんは汗をぬぐいながらそうつぶやいた。私も今同じこと思ってたよ。そう言おうとしたらなっちゃんに会話のターンを取られてしまった。
「大丈夫でしょ。桂木君、めちゃ上手いし」
「鷲一人うまくても仕方ないだろ。相川さん、歌は聞いたことないけど、ギターは微妙じゃん」
 そう言っててっちゃんは心配そうな顔でステージを見つめた。いや、まあ微妙なんだけど、高校生なら普通あんなもんなのでは……。
 あ、どうも、またまた一之瀬凛です。今私たちは何をしているのかというと、しゅーくんが中学の時のバンドで出ると聞いたので、てっちゃんとなっちゃんと三人でOBステージを見に来てます。イエスのライブで疲れてしまったので、ステージから少し後方の場所で休憩してます。
「凛、最前列行く?」
「いや、やめとく。しゅーくんにプレッシャーかけちゃうの悪いし」
「だよなぁ。あいつ、無駄にプレッシャーに弱いからな」
 そう言いながらなぜか私もドキドキしていた。なんでだろう。自分のライブより緊張する。私が黙っていると、なっちゃんが顔を覗き込んできた。
「凛ちゃん、どうしたんですか。具合でも悪いの?」
「いや、なんか、次しゅーくんの出番だと思ったら自分が緊張してきちゃって」
「凛、お前もか……実は俺もなんだ。何か胃が痛い」
「わかる。なんか、なんでだろうね」
 そう言って私が笑うと、てっちゃんも笑いで顔を歪めた。参観日のお父さんとお母さんの気持ちだ。
「そういえばしゅーくんが演奏してるの、ステージの下から見るのは初めてだ。いつも一緒にステージに立ってて、横から見てきたから……」
「そういや俺もだ。いつも後ろから見てるから、前から見るのは新鮮だな」
「私はいつも下からですけどね。かっこいいですよー。ライブアクションうまいんですよ」
 なっちゃんに言われて初めて気が付いた。なるほど。そういう楽しみ方ができるのか。まあいつもライブを録画した映像とかは見てるので知ってはいるんだけど、生で見るのは初めてだ。
「あいつ、去年はほとんど棒立ちだったのにな」
「むー……しゅーくんも成長してるんだねぇ」
 そんなしゅーくんの両親みたいなことを言っているうちになぜか客が増えてきた。なんだなんだ。なんかレフトオーバーズのライブの時より多いような気がするんだけど……。あ、そうか。中学の時のバンドだから、中学の時の友達が見に来てるのかな。
「凛ちゃん、阪上君、あのベースアンプの前あたりにいる集団、わかります?」
 なっちゃんにそう言われてみると、ベースアンプの前に女の子が何人か固まっているのが見えた。
「あれ、桂木君のファンなんですよ」
「えっ! マジ?!」
「マジです。軽音部の人じゃないんですけど、いつもライブに来てくれて、レフトオーバーズのライブのたびにコソコソキャーキャー言ってるんですよ」
「うわぁ……知らなかった。いやそりゃモテるだろうけどそんなレベルとは」
 てっちゃんが割とドン引きって顔で顔をしかめた。確かに言われてみたらいつも同じ人がしゅーくんの前に見に来ている気がした。いや、しゅーくん鈍感だし卑屈だし周り見てなさそうだから、気づいてないんだと思うけど。
「なんか、ステージ降りてしゅーくんを見てみると色々な発見があるね」
「見え方が変わるんだなあ。俺も下から凛を見てみたい」
「あ、私もてっちゃんを見て……みたら普通に怖そうだしやめとく」
「久しぶりの顔イジりだ」
 そうやってふざけあっていると、舞台下手からメンバーが出てきた。
 黒いジーンズに、黒いシャツを着て、黒みがかったシースルーのレスポールを持ったヒョロヒョロ眼鏡のギタリスト。前一度だけ会ったことある。木田優君だったっけ。こっちもしゅーくんに負けず劣らずイケメンだ。彼が出てきたとたん「キャー」という女の子の歓声と「ヤリチィーン」という男どもの罵声が同時に飛んだ。木田君はさわやかに笑って手を振っている。ヤリチンなのか。いや、ドラムの子と付き合ってるって聞いたんだけど。
 つぎに出てきたのがボブカットでニコニコ笑っている小柄の女の子。黒いホットパンツに、これも同じ黒いシャツ。シャツの袖をまくっていて、腕の筋肉がしっかり見えている。こっちも一度だけ会ったことがある。向井華菜さんだっけ。向井さんはドラムの椅子に座ると、リムショットとバスドラを軽く鳴らした。
 三番目に柚木ちゃん。長い髪をポニーテールでまとめ、黒いジーンズに、黒いTシャツ。グレッチを肩にかけてエフェクターボードを持っている。少し緊張した面持ちでブームスタンドを調整している。
 四番目にしゅーくん。ガッチガチに緊張しているみたいで、顔が完全にこわばっている。あそこまで緊張してるしゅーくん初めて見るかもしれない。
「桂木くーん! がんばってー」
「鷲! 落ち着けよー!」
「しゅーくんのヤリチィーン!」
「うるさいぞ、そこっ!」
 私たちが後ろから声をかけると(誰がどの掛け声かは想像におまかせします☆)しゅーくんはいつものノリで返してきた。うーん。これで落ち着いていつも通りの演奏ができるよね! 私の下ネタも役に立つ!(あ、私がどの掛け声か言っちゃった☆)
 ステージの四人は、セットを終えると、向かい合った。お互いの様子をじっと観察するように見つめあい、頷いている。
 その動きに合わせるようにしてステージ下で見ていた観客たちも、そろそろ始まるのだなということを察し、少しずつ静かになっていく。
 静寂を破るように、ドラムの子が「せいっ」と叫び、フィルインを入れた瞬間、アンプから音の洪水があふれ出した。ギターがコードをかき鳴らし、ドラムがバスドラシンバルを打ち鳴らし、ベースはスケールを駆け上がっていく。その音に誘われるようにして観客が歓声をあげた。一度頂点に至ったかに見えたギターが収束し、それに合わせるようにしてドラムがまたフィルインで音に終止符を打つ。
 ダクダクとノイズやフィードバック音が溢れ出すなか、スティックカウントが四つの瞬間を刻み、そして曲は始まった。
 ディレイがかかったリフから始まり、スネアの連打の後、コードの波が爆ぜる。ドラムが刻むエイトビートの間隙を縫うように、ベースが唸りをあげる。そのはるか上空を飛ぶようにディレイのかかったギターリフが疾走する。
 柚木ちゃんの歌が始まる。少し歪みがかかったみたいなミドルがぐいぐいくる声。地声がわりと低いのに通る声してるから歌ったらかっこいいだろうなとなんとなく思っていたけど、めっちゃめちゃかっこいい。歌詞に合わせて声を絞ったり緩めたりして、語りかけるように歌い上げる。
 サビに入ると柚木ちゃんは轟音の渦の中を颯爽と通り抜けるように朗々とした声で歌う。そしてそれを力強く押し出すようにしゅーくんのベースが動く。知らない曲だけど、なんとなくランクヘッドの曲な気がしてきた。しゅーくんも柚木ちゃんもランクヘッド好きだし。
 ドラムの刻むエイトビートに寄り添いながら、ベースが地を這うように鳴り続ける。ボーカルとギターが掛け合うように重なりあい、音が、いや、このバンドのサウンドが空間を支配していく。

 明けてく空の色は朱色に染まる
 最初で最後の光で
 戦う意味を知るこの胸の痛み
 夜空に突き上げた右手
 さあ、闇を暴け

 ギターソロが始まり、早弾きのディストーションサウンドが曲を支配したかに見えた。その瞬間負けじとスネアの連打とベースのハイポジションのリフが並走していく。そして何度かキメを繰り返す。息がぴったりで、キメが決まるごとにバンドのサウンドの作る世界に引き寄せられる。そしてラスサビ前の一瞬のブレイク。突き落とされるような感覚に襲われ、ぞっと鳥肌が立つ。
 っていうかなんだこの曲。
 なんだこのバンド。
 めっちゃめちゃかっこいいじゃないか。
 曲が終わると一瞬の静寂があった後、爆発するような歓声が広がった。
 気が付いたら人が増えている。校舎から続々と人が出てくる。旧校舎の方では、窓がいくつか空いて、そこから人が顔をのぞかせているのを見えた。学校中がこのバンドに注目してるみたいだ。
 その歓声がやむかやまないかのところで、ギターがソロで何かを弾き始めた。「星条旗よ永遠なれ」だ。ブーストされたギターの音が校庭を突っ切り、あらゆるものを共振させるように響き渡る。
 それが終わった途端、ギターとベースの超高速ユニゾンが始まる。この曲は……。
 ギターを下ろしてマイクスタンドからマイクを取った柚木ちゃんがしゅーくんに近づいていてマイクを向けると、しゅーくんは「ワオーン」と大声で吠え、それからイントロが始まった。やっぱり。ミスター・ビッグの「コロラド・ブルドッグ」だ。
 メロに入るとしゅーくんと柚木ちゃんは向かいあった。しゅーくんが弾くジャジーなランニングベースとおしゃべりでもするかのように柚木ちゃんが歌う。
 高速で16分シャッフルビートが刻まれ、ヘビーなギターリフが殴りかかるように鳴り響く。それを牽引するように柚木ちゃんの声が鳴り響く。柚木ちゃんの声はめちゃくちゃ太いのでハードロックにも合う。っていうかめっちゃくちゃ上手い。曲の展開に合わせて声を使い分け、音圧で場を圧倒する。私よりロック向きの声質だし、技術もめちゃくちゃあるし、何より表現力がめちゃくちゃ高い。
 ギターソロに入ると稲妻のようなギターの速弾きが始まる。木田君がアンプに足を引っかけて物凄い速度のフレーズを弾くと歓声が沸く。しかしそれにドラムの高速のシャッフルビートとベースの高速フレーズが食らいつく、三人で追いつけ追い越せと小節を食い尽くしていくと、曲は頂点に達する。それからメインリフに戻ると大きな歓声が沸いた。

 コロラド・ブルドッグ
 今宵も酔いしれるぜ
 コロラド・ブルドッグ
 首輪を引っ掛けて
 死に物狂いで走り回れ

 上手い。めちゃくちゃ上手い。こんな難曲なのに全くミスがなく、がっちりとあっている。だけど、上手いんだけど、聞けば聞くほど私の心の中に何かのわだかまりができていくのを感じた。なんだかわからない。わからないんだけど、わからないままにしておかないといけないような気がした。そうしないと、何もかもが台無しになっちゃうような、そんな気すらした。
 曲が終わると大歓声が起きた。よく見たら軽音部顧問の梨本先生が最前列で叫び声をあげている。その声に呼応するようにドラムがガシャンガシャンと金物を鳴らした。私は驚きすぎて開いた口がふさがらなかった。っていうかこのバンド、全員バカテクすぎて高校生とは思えないんですけどどういうことですかこれ。
「やっべぇな、あいつら、めっちゃくちゃ上手いじゃないか」
 てっちゃんが声を漏らした。私は黙ってうなずいた。
「なんであんなちっさい女の子があんな派手な音ガスンガスンらせるんだよ……ってか俺、あんな速度で16分シャッフルのバスドラならせないんだけど……」
 てっちゃんも開いた口がふさがらないという顔をしていた。たぶん私も似たような顔をしていたと思う。
 ステージ上でメンバーはもう弾けないと言わんばかりの疲れ切った顔で立ち尽くしていた。ペットボトルの水をがぶ飲みした柚木ちゃんは、まだ少し水の入ったペットボトルを観客席に投げた。一年生っぽい男の子たちがそれを奪いあっている。醜い光景だ……。
『み、な、さ、ん。はじめまして! 中学のみんなはひさしぶり! ナウヒアです!』
 柚木ちゃんがそう言うと同時にバスドラと金物をガシャガシャと鳴らし、歓声がワッと沸いた。
『えーとですね。まず、このバンドの名前は……ほら、みんな、私のおっぱい見て』
 突然柚木ちゃんがそう言って胸を張った。乳でっけえ。みんな(特に男、と私)が興味津々で舞台を覗き込んで歓声をあげた。
『いやいや胸の大きさとかどうでもいいの! このTシャツにバンドのロゴ書いてあるでしょ。 No‘w’hereって書いてあるよね。読み方なんだけど、ライブやってないときは「ノーウェア」。ライブやっているときは「ナウヒア」です』
 そう言って柚木ちゃんがコンマを片方ずつ隠した。ていうかよく見たらメンバーみんな同じTシャツきてる。黒地に白い文字でバンドのロゴが入っている。
『このバンド、私たちが中学の時に結成したバンドで、卒業する時、みんなばらばらの高校に行っちゃうからって解散したつもりだったんだけど、まあ色々な縁があってもう一度だけライブができました。見知った人も、そうじゃない人も、いっぱい見に来てくれてうれしいです。ありがとー!』
 柚木ちゃんがそう言うと拍手がなった。そう言ってから柚木ちゃんは周りを見渡して、メンバーが消耗しきった顔をしているのを見て苦笑いした。
『ごめんなさい。みんな今の曲で疲れちゃったみたいで。休憩がてらもう少し話します。今回のライブをやるにあたって、メンバー1人ずつやりたい曲を一曲ずつあげていくやり方で選曲しました。
 今の2曲目はミスター・ビッグの「コロラド・ブルドッグ」って曲で、やりたいって言いだしたのはこのギターの木田優くんなんですが、この曲はきつかったですね。この曲の練習のしすぎでベースの桂木鷲くんは過労で倒れました』
 そういうと観客席から少し笑い声が出た。しゅーくんは苦笑いしている。冗談じゃないんだよね、これが。なんか最近急にしゅーくんのフィジカル上がったなと思ったらこんな曲やらされてたなんて。
『1曲目はその桂木君が選んだ曲なんですが、ランクヘッドの「闇を暴け」という曲です。新選組の土方歳三をモチーフにした曲で、私も大好きな曲です。
次の曲はドラムの向井華菜ちゃんが選んだ曲です。今まで2曲、激しめの男声の歌だったんだけど、次は少しゆっくりした女声のバラードです……もういい?』
 柚木ちゃんはそう言ってギターの木田君をみると、木田君が頷いた。それからしゅーくんの方を見ると、しゅーくんはしぶしぶといった顔で頷いた。柚木ちゃんはマイクをスタンドにセットして、ギターを担ぎなおした。
『じゃ、あと2曲、楽しんでってください! 東京事変で、「スーパースター」』
 拍手が沸き、それと共にギターのハーモニクス音が鳴っていく。
 それに誘われるようにして柚木ちゃんが歌い始める。
 さっきの力強い音圧のある声とはうってかわって、甘くささやくような柔らかい声。ギターの単音と絡み合うように伸びていく。だが、曲が前に進むにつれて力を増してく。
 柚木ちゃんの声に誘われて、会場全体が、曲の世界へと飲み込まれていく。少しずつ力強くなっていく声が空間に浸潤していく。疾走感のあるオルタナロック、パワフルなハードロック、やさしく力強いバラード、なんでも歌えるんだな。
 ベースとドラムが滑り込むように入ってきて、場面がまた変わる。今度は伴奏の間をひらひらと舞うように歌う。
 その声をそっと支えるように、いや、そっと手を繋ぐように、ベースが支える。柚木ちゃんがしゅーくんに目配せをしているのが見えた。それに合わせてしゅーくんが場面を盛り上げていく。
 その様子を見ていて、突然、ふと、昔自分がしゅーくんに言ったことを思い出した。思い出すべきじゃない、となぜかよくわからないけれど心の中の自分が言った。でも、どうしても、思い出さざるを得なかった。
 去年の十二月、しゅーくんが柚木ちゃんが倒れたと言ってきたとき。
 曲を届けたいと言ってきて、一緒に「リブ・フォーエバー」を録音した次の日の朝。
 私は確かしゅーくんに確かこんなことを言った。

 「しゅーくんは、私じゃないギターと声を想定して弾いてるように聞こえるんだ……誰の声かも、誰のギターかも全くわかんないし、それがどんな音なんだかわかんないんだけど、私はそれに近づかないと行けないし、近づきたい」

 私は、自分の喉から乾いた笑い声が出るのを感じた。そうか。よく考えてみればとても簡単なことだった。何でこんな簡単なことにこれまで気づかなかったのかわからない。自分の馬鹿さ加減で目の前が真っ暗になっていく。
 私が必死に鳴らそうとしたギター。
 私が追いかけようとした声。
 私が、これさえ手にできればと思ったもの。
 それは柚木ちゃんだったんだ。
 どんどん盛り上がっていく曲の中で、目の前でそっと寄り添いあうように歌う声とギターとベースがはっきりと見える。それはあるべきものがあるべき場所へと還った姿のように見えた。私がイメージして近づこうとした折れそうな儚いギターの音、優しく力強い声、それが目の前で鳴っていた。
 あの二人は、きっと恋人同士なのだと思う。二人のアンサンブルを聞いて確信した。今まで、そんなわけがない、そうじゃない、私にもチャンスはある、と言い訳をしてきた。いや、付き合っていなくても、あの二人の間に入ることはできない。
 泣きそうになった。今まで信じてたものが全部壊れちゃったみたいだ。隣で弦をかき鳴らしていれば、いつかたどり着く。隣で歌ってさえいれば、いつか声が届く。そんな甘い幻想にすがっていた。このままの関係でい続けられると思っていた。
 私は、あなたの、一番になれると思っていた。

 明日はあなたを燃やす炎に向き合うこゝろが欲しいよ
 もしも逢えたときは誇れる様に
 テレビのなかのあなた
 私のスーパースター

 いつの間にか曲が終わっていて、歓声がなっていた。私は黙って泣いていた。
 なっちゃんが遠くの方で「大丈夫ですか?」と言っているような気がしたが、私は動かなかった。『最後の曲です』という柚木ちゃんの声が聞こえた気がしたが、私は動かなかった。気が付いたら次の曲が始まっていた。
 このイントロは聞いたことがある。何度も、何度も。大好きで、何度も繰り返し聞いた曲。しゅーくんとてっちゃんとやるために、何度も聞いた曲。レッド・ホット・チリペッパーズの「キャント・ストップ」。最悪だ。よりによってこの曲だなんて。
 鳴っている。私が死に物狂いで求めようとした声が。
 聞きたくなかった。止めてほしかった。
 でもこの曲の名前は「止められない」。なんて皮肉だ。
 私は我慢できなくなって逃げだした。校庭からゆっくりと離れ、校門に向かって必死に走った。
 しかしどこまで逃げても、あの歌が聞こえてくるような気がした。
 「君を必要とする魂は止められない」、と。




 軽音部が文化祭用の控室として使っている旧校舎一階の空き教室には、アンプを通さないギターを弾いたときのシャカシャカした音や、ドラムスティックで何かをパカパカとたたく音が響いていた。ライブ前で緊張した面持ちの人も、ライブ後でリラックスした様子の人もいる。
 ライブが終わり、俺はベースを片付けて床に座りこんでいた。あ、どうも、桂木鷲です。疲れた。コロラド・ブルドッグの時点で指が折れそうだったのだが、なんとかキャント・ストップまで弾ききることができた。
 柚木はバクホンバンドのライブの準備があると言って早々に消えてしまった。夏祭りのときにやったセットリストとほぼ同じらしいので、そこまで念入りに準備しなくてもよいだろうにと思ったが、機材トラブルで台無しにした手前、念入りに準備しておきたいのだろう。優と華菜はライブまでぶらついていると言って二人でどこかに消えてしまった。仲のよろしいことで。だから一人取り残された俺はこうしてぼーっとしているというわけだ。
 ライブの評判は良かった。終わった後、中学の時の知り合いにたくさん褒められたし、顧問の梨本先生とOBの先輩方にバシバシと肩を叩かれめちゃくちゃ褒められた。ライブ終わった後、これだけたくさんの人に褒められたら流石に得意にならざるを得ない。俺は頑張った。過去最高に頑張ったレベルで頑張ったんじゃないだろうか。
 疲れたし普通にもう帰りたいんだけど、午後にレフトオーバーズのライブがある。気を引き締めなおさないと。去年柚木にもらった腕時計を今日もはめている。時計を見ると午後1時。レフトオーバーズの本番は4時頃だからまだ時間がある。本番のことを考えると心臓がはねた。うう、練習しよう。
 俺が立ち上がったと同時くらいに教室の扉があき、哲平となっちゃんが入ってきた。おやおや、また二人きりですか。こちらも仲のよろしいことで。
「鷲、おつかれ」
「桂木くん、おつかれです」
「ああ、お疲れ」
 哲平はスネアドラムを近くの机に置き、なっちゃんは背負っていたベースを壁に立てかけ、エフェクターボードをそのそばに置いた。
「鷲、見たぞ。なんだあのバンドは」
「なんだと言われても」
「バケモノバンドでしたね」
 哲平が脅すような声で言うと、なっちゃんが深く頷く。褒められてるんだか、貶されるんだか、微妙な気持ちになるな。俺の顔を察したのか、哲平が付け加えた。
「褒めてるんだよ。お前も含めてめちゃくちゃレベル高かったな。特にあのドラムの子、なんであんな小さいのに爆音でかつ一音一音綺麗なんだ」
「さあ。俺はよくドラムの子とはわかんないけど、もともと吹奏楽部のパーカッションでドラム叩いてたやつだから、どんな曲でも爆音で叩かないとかき消されちゃうから音は派手になったとは言ってたな」
「環境がそうなのか……まあそれだけじゃないだろけど……」
 哲平が顔をしかめる。吹奏楽部出身のドラマーって音が爆音というイメージがある。そういや団子さん(なっちゃんのバンドのドラム)も、金物とかうるさいくらいにバンバン出してるイメージあるな。団子さんは俺と同じ中学で、華菜が退部してから吹奏楽でドラム叩いてたらしいから、さもありなん。
「桂木君も、曲がテクニカルだったからか、いつもの三割増しでかっこよかったですよ」
「三割という数字はどこから……」
「適当です!」
 なっちゃんに適当に褒められた。うれしくねえ。いつも結構難しい曲やってるんだけどな。まあコロラド・ブルドッグほどではないけどさ。そういえば凛はどうしたんだろう。
「ところで、凛は?」
「は? こっちに来てるんじゃないのか」
「いや、俺はずっと控室にいたけど、控室では見てないぞ」
「控室に先に行ったんだと思ってたんだが」
 俺はあたりを見回したが、凛のものらしきギターケースはない。そもそも控室にまだ来てないみたいだ。
「ノーウェアのライブは見てたよな? ヤジいれられた気がしてたんだけど」
「ああ、俺の隣で見てたはずなんだけど、いつの間にかいなくなって。前の方に行ったのかと思ってたんだけど」
 俺と哲平は顔を見合わせた。嫌な予感がする。
 俺はポケットから携帯を出して、凛宛に「今どこ?」とメールを飛ばした。同時に哲平は電話をかけたみたいだが、すぐに耳からスピーカーを外した。
「ダメだ、呼び出し音も鳴らない。電源切ってやがる」
「何してんだ、あいつ」
 俺がそういうと哲平は肩をしかめた。何をしているのかわからないが、まあでも流石にライブまでには来るだろう。そこまで俺らの動きを見守っていたなっちゃんがおずおずと手を挙げた。
「あの……凛ちゃんは言ってほしくないかもしれないと思って、あんまり言わない方がいいかもしれないと思って、黙ってたんですけど」
「なに?」
「さっきの桂木君のライブの3曲目で、凛ちゃん、めちゃくちゃ泣いてて、4曲目が始まったくらいでどこか行っちゃったんですよ。感動して泣いてるのかなと思ってたんですけど、よく考えてみたらなんかすごい取り乱してたみたいにも見えて……『大丈夫ですか?』って声かけたんだけど、そしたら走ってどこかにいっちゃって」
 俺と哲平は再び顔を見合わせた。嫌な予感しかしない。哲平はみるみるうちに顔が青くなっていく。
「おい、鷲」
「これは……探した方が良さそうだな」
 俺と哲平はなっちゃんを置いて教室を飛び出した。まずいるとしたら旧校舎一階の、俺たちが不法占拠して練習室代わりに使っている物置だ。控室が旧校舎の入り口の一番近くの教室なので、同じフロアにあるからすぐにつく。しかし扉を開けたがもぬけの空だった。
 哲平は舌打ちをついて、指を折り始めた。
「ここにいないとなると……教室か、音楽室か、上の軽音部の部室か」
「しかし、なんで突然いなくなったんだ」
 俺がそう言うと哲平は信じられないという顔で俺を見た。
「お前……またすっとぼけるつもりかよ」
「すっとぼけるも何も心当たりが……いってぇ!」
 哲平に突き飛ばされた、というか結構きつく胸を殴られた。肋骨が軋む。
「何しやがる!」
「今のは凛の分だ。もう一発殴らせろ」
「待って待って、せめて理由を……」
 哲平がそう言って鬼の形相で襟元をつかんできたので、俺は恐怖のあまり肩をすくめて固まってしまった。その様子をみた哲平は深くため息をついた。
「お前さ、さっき、相川さんと完ぺきなアンサンブルだったんだよ。俺もびっくりしたよ。特にコロラド・ブルドッグのウォーキングベースのところと、スーパースターのラスサビ。ベースのリズムに乗ってボーカルが前に出て、ボーカルのテンションに寄り添ってベースが動いて……アンサンブルってああいうことなんだなって思ったよ」
「なんの話……」
「いいから黙って聞け。凛は、多分、あれをやりたがっていた。あいつは練習中、ああいう風に弾くことをお前に求めていたと思う。それを目の前で堂々とやられたんだ。ショックじゃないわけがないだろう」
「つまり……凛は柚木に嫉妬したと」
「ああ、そうだ」
「そんなことで……」
「『そんなこと』じゃないんだよ! あいつにとっては!」
 哲平が怒鳴った。鼓膜がビリビリと鳴る。ライブ後で疲弊していたからかなおさら揺れを強く感じた。
「いいか、これは俺の妄想だ。証拠はない。だけど見てたらなんとなくわかる。信じても信じなくてもいい。だけど聞いてくれ。
 凛はお前のことまだ好きだ。諦めてない。だけど凛はお前と相川さんが付き合ってることをなんとなく気づいている。付き合ってなかったとしても、お前らの間に入り込む余地がないことは分かってると思う。
 そのかわりあいつは、お前の彼女になれなくてもいいから、一番の共演者になろうとしたんだと思う。音楽でなら相川さんに勝てると思ったんだ。あいつがあんなに上手いのに手がマメだらけになるまでギター練習してるのは、あいつが必死になって歌ってるのは、お前の理想のギターボーカルになろうとしたからなんだろうよ」
「そんな……そんな無茶な……」
「俺も無茶だと思う。だけどあいつよく言うだろ。ライブしてると、俺たちと一番近くにいれる気がするって」
 そう言われて思い出した。六月のライブが終わった後、「お前にとってライブって何?」って聞いたとき、確かこう言っていた。「ライブ、好きだよ。てっちゃんと、しゅーくんと、一番近くにいれる気がするから」と。
 哲平がつかんでいた襟元を離すと、俺はあとずさり、壁にもたれかかった。
「俺は……俺は、どうすべきだったんだ。柚木とライブしなければよかったのか」
「そうだけど、それはお前だけのせいじゃないから仕方がない」
「柚木と付き合ってすぐに言えばよかったのか。それとも去年あいつの声を聴いてしまったときに言えばよかったのか。」
「ああ、そう思う。だけどもう終わったことだ。お前と凛がお互いそうやって煮え切らない態度を取ってしまった気持ちもわかる……俺も人のことは言えないからな……」
 なら、どうすればいい。今は過去を振り返っても仕方がない。答えは一つだ。
 俺は哲平を見つめながら言った。
「凛は俺が見つけ出すよ。ていうか俺が見つけないといけない」
 哲平は黙って頷いた。




 はじめに校舎内で思いつく限りのところに行った。
 まず教室。劇の片づけをしている奴らやだべっている奴らがいたから聞いてみたが、凛の姿は見ていないということだった。次に軽音部の部室。凛どころかそもそも誰もいなかった。食堂や音楽室や講堂も見に行ったがいなかった。移動中に外もきょろきょろしたがいなかった。その間に何度も電話をかけたが相変わらずつながらなかった。
 次に校舎の外に出た。校舎の周りを一周したがいなかった。去年、喧嘩して仲直りした橋の下。正直、ここが一番有力だと思っていた。またアンダー・ザ・ブリッジを弾いていると思った。だがいなかった。俺は橋の欄干を殴った。こぶしが痛いだけだった。
 一端家に戻って自転車を取り、町中を探した。よく一緒に行くファーストフード店にもいなかった。凛の家まで行ってみたが、自転車はなく、帰ってきていないみたいだった。秘密のバイト先にも行って店員さんに聞いてみたが、今日は来てないということだった。去年、クリスマス、雪を見上げた場所にも行ったが当然いなかった。
 遠かったが海浜公園も行った。去年の夏、二人で座って話した場所に行ってみたが、凛はいなかった。オフシーズンの海はびっくりするくらい静かで、海風がただ冷たかった。
 時計を見ると午後3時。俺たちの出番は4時ごろだから、さすがに学校に戻らなければならない。柚木のバンドも、大嶋さんのバンドも聞けなかったがもうそんなことは問題ではない。風をかき分けて自転車をこぎながら、俺はお手上げかもしれないという気持ちになっていた。この街は人探しをするには広すぎる。
 だけど、こんな時にそんなこと思うのもどうかと思うけど、自分でも驚いたのは、この街に凛と過ごした場所がたくさんあって、たくさんの凛との思い出が埋め込まれているということだ。俺の世界の中に、俺の記憶の中に、こんなにもたくさんの凛がいるとは思っていなかった。そして、凛がこの記憶を、俺よりもずっと大事にしていたということも、気づいていなかった。
 夏、柚木の父に、取り返しのつかないことにならないうちに凛を振ってくれと言われていたが、もうその時には取り返しがつかないことになっていたような気がする。俺はこれまで、凛の気持ちをこれまでめちゃくちゃに踏みにじってきたんだ。
 学校につき、俺は自転車置き場に自転車を投げ捨てるように停めた。普段徒歩で登校しているので自転車置き場に自転車を停めるのは初めてかもしれない。哲平は控室で待機すると言っていた。いったん哲平のところへ戻るか。
 しかし旧校舎に入って、控室に入ろうとした瞬間、聞いたことのある音が聞こえてきた。文化祭の喧騒と、外でやっている軽音のライブの音でかき消されそうだが、だが確かに聞こえる。そして少し懐かしい気持ちになる。この曲はジミ・ヘンドリクスの「パープル・ヘイズ」だ。
 一年生の時、先輩の下手な演奏にガッカリしながら歩いていた時、雷に打たれたっけ。そういや、確か嫌なことがあったときはパープル・ヘイズを弾くって言ってたもんな。俺は少し小走りで、不法占拠練習室の方に向かった。やっと見つけた。走り回って、やっと。やっと。
 俺はそっとドアを数センチ開けてみた。隔てるものが無くなったドアからギターの音圧が溢れ出し俺を襲った。中の人はギターに熱中していて気づかない。開いた隙間から中を覗き込んだ。




 中にいたのは女の子だった。
 黒く短い髪。大きめの目は真剣にギターのフレットを見つめ、細く白い手は高速でピッキングを続けている。
 一瞬誰か分からなかった。だがその大きな目は、その顔立ちは、その黒いフェンダーのストラトキャスターは、確かに知っている奴のものだ。
 女の子がこっちを見た。ギターを弾く手が止まった。その子は、不気味なほどやさしい顔で笑った。俺はぞっとした。
「またここで会えたね。通りすがりのベーシストさん、だっけ?」
「ああ……確か、初めて会った時、そう名乗ったな」
「懐かしー。一年以上も前なんだね」
「っていうか、お前、それ……なんで……」
「え、ああこれ? イメチェン」
 凛は髪の毛をばっさりと切っていた。



(後編へ続く)


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