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Episode41: 暴かれた闇(前編)




 開演15分前。
 下手の舞台袖から幕を少しずらして観客席を覗き見ると、思ったよりたくさんの人がいて、何か見てはいけないものを見たような気になってしまった。私はドレスの裾を少し持ち上げ、舞台袖から控えへと小走り戻った。
 あ、どーも、みなさま、お久しぶりです。一之瀬凛です。もうすぐ文化祭のクラス劇『ハムレット』がはじまります。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。私は悲劇のヒロインオフィーリア役だよ。衣装係の人が作った、中世風の薄水色のドレスを着て、髪を下している。普段こんな長いスカートとかはかないから、落ち着かない。
 薄暗い控室はうちのクラスの人たちで大混雑だ。キャストのみんながセリフを暗誦し、誰かが噛むたびに笑っている。大道具を転換するチームが手順を確認し、忙しなくメモを交換している。
 むー……うん。今気づいたけど、私、珍しく、緊張している。軽音楽部がライブをやるのと同じ空間なので、立ちなれた舞台だから大丈夫だプップクプーと思ってたけど、やっぱり違う。初めて、ここでライブした時もこれくらい緊張してたな。あの時はしゅーくんに励ましてもらったっけ。
 そのしゅーくんはどこにいるんだろう。周りを見渡すと、主人公ハムレット役の向井くんと話しているのが見えた。死んだ前王の亡霊役のしゅーくんは、ボサボサの白髪のカツラと髭をつけられて、ドロドロの服を着せられている。カツラと髭のせいで表情が全く分からない。普段から陰気なのにあんな格好すると負のオーラが十倍になるな……。
 突然、パンという音がして、背中に軽い痛みが走った。背中を丸めた台本で叩かれたみたいだ。振り返ると、脚本を書いた竹宮さんがにやっと笑っている。竹宮さんはなんのやくにもついていないので、いつも通りの制服だ。
「緊張してるの、オフィーリア?」
「い、いや。緊張してないよ! へ、屁のツッパリはいらんですよ!」
「フフッ、一之瀬さん、古いネタ、よく知ってるね」
 私が慌てて適当なことをいうと、竹宮さんは笑って返してくれた。キン肉マンの名台詞が通じたので少し安心した。
「一之瀬さん、髪下ろしたの、初めて見た」
「あ、衣装合わせの時いなかったもんね」
「うん。髪下ろすと大人っぽいね」
「えへへ、ありがと」
 私は下ろしてストレートにした自分の髪を撫でつけた。櫛を通す時にふりかけたミストの香りが広がる。普段、二つくくりにしてるので、まっすぐにすると気持ちが落ち着かないな。緊張してるのもきっとそのせいだ。
「普段から髪下ろしたらいいのに。大人っぽくて似合ってるよ」
「いや、なんか、小学校の時からこれだから、私のアイデンティティが消えちゃうような気がして、変えられなくって」
「えっ……一之瀬さんって変わってるんだね」
 竹宮さんがそんなことをストレートに言ってきたのでグサッときた。いや、まあそうなんだけど。バイトの時は変装がてらポニーテールにしてたけど、普段はツインテールのまんまだ。私はおそるおそる聞いてみた。
「変、かな」
「いやー。ツインテールって、よっぽど可愛い子じゃないとできないイメージあるからな……でも、悪いことじゃないと思うよ。『私ってこうだ』ってのを持ってるってことでしょ? それはいいことだから」
「あ……ありがと」
 竹宮さんはそう言ってニッコリした。竹宮さん、文化祭の準備が始まるまで、あんまり話したことの無かった人だけど、すごくものをはっきり言う人で、結構いい人だった。
 私が黙って目を伏せていると、竹宮さんは訝しむように顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「いや……なんか、文化祭始まるまで話したことなかった人とたくさん話せて、よかったなって思ってる」
「あー。私もそう思う。私も一之瀬さんのこと、全然知らなかったし。桂木君の彼女ってことしか……」
「えっ、ちょっと待ってちょっと待って」
 い、いま、聞き捨てならない言葉があったぞ!
「わ、わたしとしゅーくん、付き合ってないよ?!」
「え? そーなの? いっつも二人でご飯食べてるし、よく二人で帰っていくから……」
「同じバンドってだけで、別に付き合ってるわけではないよ。お昼食べてるのは、私がボッチ飯なのをしゅーくんが気を遣ってるだけだし、一緒に帰るのはだいたい一緒にスタジオ行くときだけだし……」
「えぇっ! 衝撃だ……めちゃくちゃ仲良いから、完全に付き合ってるもんだとばかり」
 竹宮さんは本当に驚いているみたいで、口を半開きにしている。マジか……この調子だと、私としゅーくんが付き合ってると思ってる人、まだまだいそうだな。うーん。いや、嬉しいかも。周囲が付き合ってると思っているなら、逆に付き合っちゃえばいいんじゃないですかね! しゅーくん!(脳内の呼びかけ)
「あ、でも、好きなんでしょ。桂木君のこと」
「え、あ、あ、えーと」
「そうなんだ!」
「むー……まぁ、そう、なのかな」
「ヒューッ」
 竹宮さんが口笛を吹いたので、周りの人がちらっとこっちをみた。私はあわててしゅーくんのほうを見た。あ、よかった、気づいてないみたいだ。
「へぇー。やっぱそうなんだ……ってか、なんで今まで告白しなかったの?」
「あー……うーん。まぁ、いろいろあって、言いそびれてきたんだよね」
 私は口ごもった。なんで告白しなかったのか……まあ、いろいろあったとしか言いようがないんだよなぁ。私が黙り込んでいるのを見て、竹宮さんは眼鏡をくいっとあげた。
「じゃあ、この劇が無事終わったら告白するってのは?」
「え、あ……でも、それって死亡フラグなんじゃ」
「あ、そうだね。ワハハ」
「そろそろ開演だよ!」
 私たちが話しているところに橋本さんがやってきて声をかけた。その声で話していた人がみな黙り、橋本さんのほうに視線を向けた。橋本さんは、少し緊張したような顔で、小さく咳払いした。
「うん……なんていうか、こういう時何言えばいいかわかんないな……」
「適当でいいんだよ」
 私がそういうと橋本さんはにっこり笑って、ゆっくりと腕を天に向かって突き上げた。真似して私も腕を上げると、竹宮さんも、しゅーくんも、ほかのみんなもならって腕をあげた。
「よーし……じゃあ、みんな、最後までガンバろー!!」
「「おぉーっ」」



 開演のブザーと同時に緞帳が上がる。観客席から聞こえるざわざわとした声が静まっていく。重々しいピアノ曲が流れる。ショパンのピアノソナタ第2番第3楽章「葬送行進曲」だ。BGMは音響担当の人たちが一曲一曲丁寧に選んだものだ。舞台がデンマークだからクラシック音楽が中心だけど。私は下手袖でしゃがみこんで、舞台の様子をうかがいながら自分の出番を待つことにした。
 舞台上は赤いじゅうたんを模した大きなフェルト布が敷かれている。背景の代わりにお城の中の風景を模したペイントを施したベニヤ板を蝶番でつなげたものが、屏風のようにたてられている。これだと持ち運びやすいし、場面転換もしやすい。大道具係の自信作だ。
 ハムレット役の向井君の傍白で始まる。デンマーク国王が急死し、留学先から急いで戻ってきたこと。弟のクローディアスが残された王妃と結婚して王座に就いたこと。父が死んでからその悲しみに暮れているはずの母が、すぐに叔父と結婚したことをいぶかしんでいること。向井君は深い声で朗々と話す。かなり長いセリフなのによく覚えられるなぁ
 そこに上手からしゅーくん、もとい前国王の亡霊が現れる。
『貴様は何者だ』
『わしはお前の父の亡霊だ』
『なにっ』
『決まった期間、夜の間は彷徨い、昼は炎のなかに閉じ込められている、死後の世界のことはこれ以上詳しくは言えない。だが、聞けハムレットよ。復讐してくれ。殺すんだ。ハムレットよ』
『なんだと』
『世間にはこう広められている。わしが庭で昼寝をしているとき、毒蛇に噛まれたと。だがこれは嘘だ。いいか、お前の父を噛んだ毒蛇はいま王冠をかぶっている』
『おお、なんということだ。叔父上が、父を殺しただと』
 しゅーくんと向井くんの掛け合いだ。二人とも迫真の演技だ。しゅーくんのわざとらしい演技は最初はみんなに笑われていたのだけど、確かにこれくらい重いほうが雰囲気があっていいなぁ。
『おお、お前の母は、けだものだ。手短に言おう。私は昼寝をしている間に弟に毒殺され、王妃は弟に寝取られたのだ。なんとか復讐してくれ……なんと、朝が近い、もう行かねば。さらばだ、さらばだ、ハムレット、わしのことを忘れるでにゃい、ぞ!』
 あちゃー。ばかだー。最後で噛みやがった。観客席から小さく笑い声が聞こえる。しゅーくんは噛んだ後すぐ逃げるようにして退場した。これでしゅーくんの出番は終わりだ。
 私も何とか笑いをこらえたけど、あれはだめだ。こんなシリアスな場面で噛むのはおかしい。振り返ると控えで竹宮さんが口を押えて笑いをこらえている。それでも向井くん……もとい、ハムレットは笑わずに演技を続けている。
『ああ、ホレイショー、天と地のあいだには、この世界には、哲学などでは計り知れないことが山ほどあるんだ』
 それからハムレットは狂人のふりを始め、何とか亡霊が言ったことが真実かどうかを図ろうとする。ハムレットはたまたま王宮を訪れた旅役者たちを使って「父上の殺害に似た場面を、叔父の目の前で演じさせよう」と思いつく。
 他方、ハムレットの錯乱が本物かどうかを、宰相と、宰相の娘でありハムレットの恋人であるオフィーリア(つまり私)が確かめようと画策する。そろそろ私の出番だ。私は立ち上がり、そっと舞台に出た。
 舞台に出た瞬間、熱い空気が肌を刺す。比喩じゃなくって、照明が熱源になってマジで熱い。煌々と光るフットライトのおかげで、観客がよく見えない。よし、緊張しなくて済むな。頑張るぞ。
『生きるか、死ぬか、それが問題だ。どちらが高貴な心といえるだろうか。困難な運命にじっと耐えているか、武器を取り一切を終わりにするのか……やあ、オフィーリア』
『ごきげんよう、ハムレット様』
 私はドレスの裾を少し持ち上げ、ハムレットに会釈する。それを一瞥すると、ハムレットは虚空を見つめ、うわごとのように話し始める。
『ときに、オフィーリア。美しさと貞操は両立しない』
『何がおっしゃりたいのですか』
 声を低くし、ゆっくりと話す。しゅーくんみたいに噛まないようにしなきゃ。
『私は君のことを、かつて、愛していた』
『わたくしはそう信じていました』
『お前はそれを信じてはいけなかったのだ。私は君のことを愛してなどいなかった』
『ひどいわ。私を愛していると信じさせてくださったのに』
『尼寺へ行け。誰とも結婚するのではない。尼寺へ行くんだ』
『ああ、神様、ハムレット様を正気に戻して差し上げて……』
これで私はいったん退場だ。私は頭を抱え、悩むようなポーズをしながら上手袖に隠れた。袖で見ていた竹宮さんが声をかけてくれる。
「一之瀬さん、ナイスオフィーリア」
「ありがと」
 客席に聞こえないようにするためにひそひそ声だけど、竹宮さんは優しい声をかけてくれた。どうでもいいけどナイスオフィーリアってごろ悪いな。ふふっ。ちょっと気が抜けてしまった。だけどまだこの後見せ場があるので気を抜いちゃだめだ。
 ハムレットは旅役者を使って、自分の父親を殺したのが叔父であることを確かめ、叔父や母や宰相らへの復讐を誓う。ハムレットはまずオフィーリアの父親であり宰相のポローニアスを暗殺する。これで私……というかオフィーリアが発狂するのだ。
 私は舞台袖に置いておいた整髪スプレーを自分の髪の毛にぶっかけ、髪の毛をぐちゃぐちゃにした。ドレスのボタンをはずし、袖をまくり上げた。こっちのほうが狂ってるっぽいもんね。あとは自己暗示。私は狂人、私は狂人……。むー。なんかポリティカルな問題があるなこれ。あとしゅーくんだったら「お前はいつでも狂人だろ」とか言いそう。
『どうした、オフィーリア、その恰好は』
『ああ、あの人は……あの人はどこへ行ってしまったの……ゥフフフ』
 私は舞台に立ち、国王や王妃に囲まれながら、狂人を演じる。ちなみに最後の笑い方は大嶋さんの笑い方の真似だ。練習のとき誰にも突っ込まれなかったけど、そのあとのバンド練でしゅーくんが死ぬほど思い出し笑いしていたっけ。
 私は狂ったように舞い、地べたを這いつくばりながら、歌う。

 あの人は棺台に乗って運ばれていった、
 ヘイ・ノン・ノニー・ノニー・ヘイ・ノニー
 お墓では涙の雨が降っていた
 愛しい人よ、さようなら

 真っ白な紙に墨汁を一滴たらすように。透明の水にインクを一滴落としたように。真っ暗な広い空間に、自分の声だけが満ちていく。お客さんも、クラスのみんなも、全員が私の声を聴いている。いつもバンドで演奏している場所だから、一人で声だけで歌うとこんな感じなのかと、ちょっと驚いてしまう。
 愛する恋人を失った喪失感を、最愛の父を亡くした悲哀を、抗えぬ運命にただ立ち尽くすしかない絶望感を、狂ったように声に込めて吐き出す。細い声からどんどんクレッシェンドしていって、最後はかなぎり声で歌う。狂ったように舞台の床をたたき、叫ぶ。
 最後はよろよろと舞台袖に消える。
 お客さんに見えないところまで行ってから、私は床に倒れこんだ。はぁはぁと息を整えながら、口を拭う。ふぅ。オフィーリアになりきりすぎて意識をオフィーリアにもっていかれるところだった。
「一之瀬さん、ナイスオフィーリア」
「ありがと……けどさっきから思ってたんだけどどういう意味、それ」
「深い意味はないよ。いい演技だった、って意味」
 竹宮さんは私の背中をさすりながら親指を立てた。



 夕風が校庭を吹き抜け、砂埃を巻き上げる。
 私はジャージ姿で、旧校舎1階に保管されている使わなくなった備品の机を校庭に運び出している。なんでもショーシコーレーカシャカイの影響で、うちの高校も年々生徒数が減ってるらしい。世知辛いなぁ。
 ところでショーシコーレーカシャカイってインドの王様の名前みたいじゃない? ショーシコーレー・カシャカイ、みたいな。と言ってみたらしゅーくんは笑ったのを隠すようにそっぽを向いた。
「むー、何その反応、どういう意味?」
「こんなもので笑いそうになった自分に戒めを与えたくて仕方がないという表情だ」
 しゅーくんがかわいくないことを言ったので私はしゅーくんの向う脛を蹴飛ばそうとしたのだが、うまくかわされてしまった。
 しゅーくんもジャージ姿で、腕をまくって机を運んでいる。劇が終わって数時間たってるので、さすがに格好はいつもの制服だ。ああ、やっぱひげ面よりいつものしゅーくんがかっこいいよね。あ、今のはそういう意味じゃなくて、あ、そういう意味なんだけど……むー……。
 それはさておき、私たちが何をしているかというと、明日の軽音のライブ用の野外ステージを組み立てようとしているのだ。使わなくなった机を並べて、足をビニールひもで固く縛って動かないようにして、即席ステージを作る。雨が降ったら空き教室でのライブになるんだけど、ここ数年運よく雨が降ったことはないらしい。いや、ハナから教室でやれよってはなしなんだけど、広い場所確保しないと、うちの軽音人気あるから外でやらないとお客さんがあふれちゃうんだよね。
「凛劇、お疲れ様だったな。いい演技だった」
 校庭の真ん中あたりでしゅーくんが突然そんなことを言い出すので私は面食らってしまった。
「あれ、褒められている?」
「ああ、あのアカペラ、鳥肌が立った」
 しゅーくんは前を見ながらそういった。表情は見えなかったけど、本気で褒められているのが分かる。私は嬉しくて、顔がにやけるのを隠すためにしゅーくんと真逆の方向を見た。
「ありがと。私、がんばった」
「この1年間、歌い続けてたからな。ほんと表現力あがったよな」
 確かに。この1年半でバンドで歌いまくっていたから、こういうことを表現したい時、会場がこういう雰囲気の時、どういう表現すればいいのかとかいうのは直感でわかるようになっていた。はまり役だったんじゃないのかな。
「しゅーくんも、すごい演技だったね!」
「おい、嫌味かよ……」
「嫌味じゃにゃい、ぞ!」
「嫌味じゃねえか」
 しゅーくんはすこし顔を紅潮させながら声を荒げた。劇が終わった後、しゅーくんは大事なシーンでメチャクチャかんでしまったことをクラスのみんなからメチャクチャいじられていた。まあ全体としてはいい劇だったし、他にも噛んでる人はいたから、小さなミスだったとは思うけど。
「しゅーくん、いじられキャラだからね」
「そんなことは……あるのか? 俺、物心ついてから、柚木にもいじられ続けてるし」
 しゅーくんは今更気づいたようで、すこしショックを受けたような顔をしていた。でも私はしゅーくんから目を離して、前を見つめる。柚木ちゃんの名前を聞いて私はすこしモヤっとした気持ちになった。やっぱりあの2人、仲いいんだよな。
 実は、何度か、2人が付き合ってるんじゃないかなと邪推したことはある。でも私の認識だと姉と弟みたいな関係だと思っていた。近すぎて恋愛関係として意識していないような。それに、しゅーくんみたいなヘタレが自分から告白するはずがないし、柚木ちゃんもプライド高そうだから自分からは告白しないだろうな。
 そうこうしているうちに私たちは校庭の隅についた。机はあらかた運んだから、あとは高さが違うやつがあったら調節して、紐で縛って、隙間を養生テープで目張りして、完成だ。もう既に何個かの机は並べて結び付けられている。
 自分が運んできた机を決められた場所に置いた後、なんだか動く気になれなくて少し離れた位置でステージが出来上がっていく様子を見ていた。運動部が夜も練習できるよう設置された電灯が、グラウンドを煌々と照らしている。その中を縫うようにして二年生の部員が動いている。十月の夜風が心地よい。
 しゅーくんは呆けている私を放って仕事を続けているみたいで、私から少し離れたところで大嶋さんと二人で何やら話している。あの二人もなんだか怪しいんだよね。私がバイトしてたとき、ファミレスで仲良さそうに話してたし。まーあれはしゅーくんが好きっていうより、大嶋さんがしゅーくんのこと好きなんだろうな。むー。ライバルが多いんだよね……。
 ふと、劇が始まる前に、竹宮さんと話したことを思い出した。この劇が無事に終わったら、しゅーくんに告白したらとか言ってたな。あわわわわ、思い出したら恥ずかしくなってきた。いや、しないよ。そんなことしない。しないけど。そんな勇気ないし。
 きっとしゅーくんとの関係が気まずくなってしまう。そうしたらレフトオーバーズも今のまま続けられるか。それが嫌だった。てっちゃんと、しゅーくんと、わたし。その関係をぶち壊してしまうのが怖かった。
「なにをぼーっとしてるんだよ」
「ひっ……なんだ、てっちゃんか」
 気を抜いているときに突然話しかけてこられたので驚いて変な声を出してしまった。てっちゃんは手に持っていた二本の缶ジュースのうちの一本を突然私に押し付けてきた。私は「ありがと」と小声で言ってプルタブを引いた。よく冷えた液体が、疲れで火照った体を冷やしてくれる。
「今日、劇だったから、疲れちゃって」
「ああ、なんか名演だったらしいな。凛のアカペラが物凄かったって。俺は見に行けなかったんだけど、うちのクラスの奴が言ってた」
「えへへ、もっとほめて?」
「気持ち悪い」
 私がふざけて媚びた声を出すと、てっちゃんはプイっと向こうを向いた。そのしぐさがおかしくて私は少し笑った、なっちゃんと仲良くなってから、てっちゃんは人間味が増したような気がする。恋をして、人は変わっていくのだろう。
「てっちゃん、なっちゃんと付き合わないの」
「な、なんだよ、藪から棒に」
「いや、二人とも、仲いいし」
 私がそういうと、てっちゃんは面倒くさそうにため息をついた。そういえばなっちゃんはというと……ツッキーと一緒に机と机を結びつける作業についているのが見えた。
 なっちゃんとてっちゃんの二人の仲の良さについては、たぶんこの学校中で私が一番よく知っているという自信がある。なんでかというと……いや、これはまだ言えない。またいつかみんなにもわかると思う。
 私が黙ってニヤニヤしていると、てっちゃんは私の方を見ずにボソボソと話し始めた。
「実は、どのタイミングで付き合おうというべきか考えている」
「おおっ……ついに……」
「だれにも言うなよ、まだ俺も決心が固まってないんだ」
 そう言っててっちゃんはジュースを一口だけ飲んだ。
「お互いに好意を持ってることはなんとなく分かってると思う……ただ、お互い、怖いんだと思う」
「何が?」
「なんていうのかな、今の関係が心地よすぎて、関係が変わってしまうのが怖いのかもな」
 そう言っててっちゃんは目を落とした。
「フラれる……ってことはないんじゃないの」
「俺もないと思う。いや、うぬぼれとかじゃなくて」
「まあ私もそう思う」
「でもな、付き合うと、終わりが出来るからな……高校生の恋愛には、終わりがある」
 そう言っててっちゃんは目を細めて遠くを見た。目線の先にはなっちゃんがいる気がした。
 確かに、高校生で出会った男女が付き合って最後まで一緒にいるなんて言うのは、漫画やアニメの世界だけだ。たいてい別れてしまって、いつか離れ離れになるときがくる。それなら、淡い気持ちを抱えたまま終わるのも良い。てっちゃんの言うことは正しい。だけど、それでも、それでも一番近くにいたいと思える相手だからこそ、告白するもんじゃないのかな。
 と思ったけど何も言わなかった。今の関係が壊れるのが怖くて黙っているのは私も一緒だったからだ。
 私たちが沈黙して遠くを見ているところにしゅーくんが来た。
「何してんのお前ら」
「いや、時間と世界と感情の関係について考えてて……」
「何それ?」
 私が適当なことを言うとしゅーくんは苦笑いをした。それからしゅーくんは、ポケットに突っ込んでいた手を出して、目の前で合わせた。なんだ? 仏教的な?
「あのさ、ごめん。お前らに黙ってたことがあって」
「なんだよ、改まって。そういう言い方するとめちゃくちゃ悪いことされた気持ちになるだろ」
「いや、悪いことしたわけじゃないんだけどさ。あのさ、明日の……」
「むー!!何それ?!聞いてないよ!!!」
「まだなんも言ってないだろ……明日の午前中の軽音楽部の外バンドとかOBバンドが出てくる枠あるだろ? そこで俺と柚木が中学校の時やってたバンドで出演するんだ」
 しゅーくんがそういった瞬間、私は少しびっくりしてしまった。そんなことたくらんでたなんて。てっちゃんは緊張した顔をほどいて、ため息をついた。
「そんなことか……なんで黙ってたんだ」
「いや、柚木が哲平や凛にはぎりぎりに言ってサプライズにしろとか言ってて」
「なんだそれ。驚いたけど。っていうか、お前文化祭前に過労で倒れたの、それのせいか」
「ウッ……ばれたか。そっちのバンドの練習が結構きつくてさ。その節はすまなかった」
 しゅーくんがそうやって頭を下げたので、私はなんとなく頭にチョップを入れた。「いてぇ」としゅーくんがおどけた声を上げたのを見てから、私は口を開いた
「しゅーくんが中学校の時にやってたバンド、一回聞いてみたかったから楽しみ」
「おお、楽しみにしててくれ」
 そう言ってしゅーくんは親指を立てた。私はまぶしくて、なんとなく目を伏せた。
 夜風が冷たくなってきて、身体を冷やす。だから余計この時間が、三人でいる時間が、暖かく感じた。
 その暖かさが、暖かい時間が、ずっと続いてくれれば良いと思った。



(中編へ続く)


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