▼16/04/24更新分から読む ▼17/09/24更新分から読む


Episode40:思い思われふりふられ




 気が付いたら、知らない部屋の天井が見えた。
 部屋は明るくて、昼間みたいだった。白い天井に窓から暖かい光が差し込んで、薄黄色が満ちている。あれ、さっきまで体育祭に出ていたと思ったんだけど、一瞬でワープしたのかな。小さい頃、学校まで歩いていくのが面倒で、ワープ能力があったらいいのになあと何度も夢見たけど、まさかこの年になって発現するとは……いや、それはないか。
 頭を動かさずにふと右側を見ると、窓際にある簡易椅子に柚木が座って雑誌を読んでいるのが見えた。あの黒いつやつやした髪は柚木のものにちがいない。窓から入ってきた逆光で表情は良く見えなかったが、俺が目覚めたことに気が付いていないようだ。俺が手を伸ばして肩を小突くと、「おっ」と言いながら振り返り、雑誌を閉じた。
「気が付いた?」
「なに、いまこれどういう状況?」
「え、何にも覚えてないの? 相当ひどかったんだね」
 柚木は笑って俺の頬を両側から両手で押さえた。変な顔になるから止めろ。
「昨日の昼、廊下で鷲が倒れてるところを凛ちゃんが見つけて、それで、病院まで搬送されたんだよ」
「え、マジで?」
 柚木が顔を抑える手をはなしてくれなかったので、頬の裏側の肉が舌を抑えつけて、「ジ」の音が上手く発音できなかった。それを見て柚木は笑い声をあげながら手を離した。
「マジ。診断は過労と風邪だって」
「昨日ってことは……今、いつ?」
「ああ、土曜日の午前十一時くらい」
 柚木がそう言ったのがトリガーとなって、状況が見る見るうちにわかっていく。なるほど。この白い部屋は病院で、どうやら俺は丸一日くらい病院のベッドで寝ていたらしい。確かに、最近睡眠時間削って勉強とか練習とかしてたし、あんまりちゃんと寝てなかったけど、まさか入院する羽目になるとは。体を起き上がらせようとすると、柚木が制止して、ベッドのそばにあるボタンを押した。すると自動でベッドがゆっくりと動き、上体を持ちあがらせてくれた。
「ああ、ありがとう。流石だな」
「去年三か月もここに入院してたからね。でもまさか入院した鷲の見舞いに来るとは思わなかったよ。顔見知りの看護師さんたちも苦笑いしてた」
「ところで、俺の父と母は」
「昨日運び込まれた時はいたけど、私がいるなら大丈夫とか言って早々に帰ったよ」
 何てやつらだ。まあ重篤な症状では無かったみたいだし、お店もあるし、俺の不摂生が原因だから文句は言えない。
 俺は左手を持ち上げた。看護師さんが着替えさせてくれたのか、入院している人が来ているような紐で前を閉じるようなパジャマを着ていて、腕をめくると点滴が刺さっていた場所らしきところに見慣れない絆創膏のようなものが貼ってあった。
「ってことは、柚木、昨日ずっとここにいたのか」
「ああ、まあ、うん。ほんとはダメなんだけど、看護師さんみんな私のこと知ってるから、許してくれたよ」
「ごめん……ありがとう」
「どういたしまして。まあ、一応、彼女だし」
 そう言って柚木はにやっと笑った。うっ、体が弱ってるからかいつもより愛おしく見えるな。俺が気恥ずかしくなって寝返りを打って柚木から顔をそむけると、柚木は俺の頭に手をそっと添えた。左手は薄緑色の簡易カーテンで隣と仕切られていた。どうやら相部屋らしい。
「鷲、最近がんばってたもんね」
「ああ、忙しくてさ」
「ノーウェアの曲も頑張ってくれてるし、レフオバも忙しそうだし、軽音の運営もやってるし、あと亡霊役だっけ?」
「ああ、あと勉強もしないといけないとダメだしな」
「大変だなぁ。……ごめんね」
「なにが」
「私があのとき、コロラドブルドッグに反対してればもう少し楽だったかもしれない」
「そうだろうけど、もう遅いよ……それに、コロラドブルドッグじゃなかったところで、練習量自体は変わってなかっただろうから、忙しいのは変わってない。俺の体調管理が悪いんだ」
 俺がそういうと、柚木は俺の顎の下をくすぐった。俺は手で払いのけて、もう一度柚木の顔を見た。柚木は本当に申し訳なさそうな顔をしていた。どうやら本当に責任を感じているらしい。でもいつもより素直なのでなんかおかしかった。
「今日の練習、鷲なしでやってくる。ベースなしだけど、本番までそこまで時間無いからさ」
「ああ、優と華菜に謝っといてくれ」
「直接謝ってくれてもいいぞ」
 簡易カーテンの隙間から優と華菜が顔を出した。
「え、いつの間に……!」
「『まあ、一応、彼女だし』くらいから」
「うわ! 恥ずかしいとこ全部見られたじゃん!」
 柚木が顔を赤くして俺を殴ってきたので俺はすかさず腕でガードした。おいやめろ。一応病人だぞ。
「鷲、大丈夫? はい、お見舞い」
「ごめん、ありがとう」
 華菜がビニール袋を投げて渡してきたので、キャッチして開けてみると、プリンが数個入っていた。風邪のときこういうモノ食べたくなるよな。俺は嬉しくなってベッドの隣の台にそれをそっと置いた。
「二人で話してるっぽかったから、入るタイミングを逃してさ。こっそり二人で聞いてたら、ちゃんと恋人同士っぽかったからちょっと安心したよ」
「ちゃんと恋人同士ですぅ」
 優が口角の片側を釣り上げて茶化してくるのに対し、開き直った柚木が俺と肩を組んでくる。いや、だから俺病人なんだって。
 優と華菜は二人とも黒いスキニージーンズに黒いシャツを着ていた。全く同じ格好だ。違うのは優がギターを背負っているのに対し華菜はスネアドラムを背負っていることだけだ。俺は俺たちから話を逸らして柚木を助けてやるために、ちょっと馬鹿にしたような口調で優に話しかけた。
「なにそれ、ペアルック?」
「いや、たまたまだよ」
「そんなたまたまあるのかよ」
「二人で買いに行ったけどね。示し合わせたわけじゃないよ」
 動揺させようと思って言ったのに優も華菜も微動だにしなかった。くそ、これが交際三年目の余裕か。俺もこんな感じになりたい。
「練習、夕方からだったよな。早いんじゃないか」
「まあ、二人でラーメン食ってぼーっとしてから行こうと思ったんだけど、先に見舞いをと思ってな」
 彼女連れてラーメン屋ってどうなんだろうと思ったけど、まあお互い好きならいいのか。いいなあ。これも交際三年目の余裕か。俺ももっと気を抜いてデート先とか考えればいいのか。
 その後二人は散々俺と柚木をいじった後出ていった。柚木は顔を真っ赤にして怒っていた。こういう時、いつも自分は余裕ぶって標的を俺に向けさせて、俺が苦しんでるのを見て高みの見物を決め込むくせに、今日はなぜか自分で矢面に立って自分で受けていた。柚木なりに気を遣ったんだろうな。




 そのあと、俺が目覚めたのを柚木から聞いた看護師さんが現れ、体温を測ったり、昼ご飯を出してくれたり、薬を飲んだりした。熱は微熱まで下がっていたので、今日の夕方には帰っていいらしい。俺はほっとした。白い壁や天井、リノリウムの床、消毒の匂い。病院にいると、漠然とした不安で心に靄がかかる。去年ずっと柚木の見舞いで来てたとき、柚木の体調が悪くなってないかと不安に思いながら来てたから、条件反射なのかも。
 俺がベッドに寝転んだままストレッチしていると、しばらくどこかに行っていた柚木が林檎を買ってきて、どこからともなく持ち出してきた十得ナイフを使って目の前で切ってくれた。
「なんでそんなもん持ってんだ」
「ひみつ」
 うさぎ型に切られた林檎をしゃくしゃくと音を立てながら食べながら聞くと、柚木は人差し指を口に当てて笑った。だがナイフの黒い柄をずっと見ていると思いだしてきた。そういえば、去年柚木の見舞いで果物買っていったときに、俺が切るために家から持ってきたやつで、病室に忘れていった奴だ。
「思い出したけど、それ、俺のだよな」
「あ、思い出したか……かっこいいから黙ってパクってたのに」
「いや、要らないからいいんだけど」
 俺が二つ目の林檎に手を付けた瞬間、カーテンがさっとあいた。いつになく真剣な表情の凛と、いつも通りの表情の哲平が立っていた。二人とも土曜日なのに制服だ。
「しゅーくん! 生きてる?」
「あ、あぁ。生きてはいるぞ」
「よかったぁ……」
 その場で凛はへたり込み、今にも泣きそうな顔で俺を見た。俺と柚木が唖然としていると、哲平がちょっと困ったような顔で説明してくれた。
「お前が廊下でぶっ倒れてたのを最初に見つけたのは凛でさ。だから相当心配してたみたいでさ。顔色変えて俺のとこに走ってきたから、俺と凛の二人でお前を引きずって保健室に運び込んだんだよ」
「マジか。昨日体育祭に出てて、保健室に行こうとして校舎に入ってからの記憶が全くないんだ」
「相当ひどかったみたいだな。息はしてたんだけど、保険の先生が声かけても全く反応しないから、救急車呼んで、そっからどうなったかは知らなかったんだけど……」
「そっからご両親に連絡がいって、私と鷲の両親が病院に行ったけど、目を覚まさなかった感じ。今日の朝十一時くらいまで寝てたよ」
 哲平の説明を柚木が引き継いだ。なるほど、そんなことになっていたのか。二人の言葉を手掛かりに、この二十四時間の記憶が無いか脳内を探してみたが、全く見当たらなかった。本当に意識が無かったみたいだ。
 俺がそうやって一日前の自分の姿に思いを馳せていると、哲平が無言で俺にビニール袋を渡してくれた。中には二個ゼリーが入っている。さっき華菜と優からプリンももらったので暫くおやつには困らないな。俺はさっきプリンを置いた場所の隣にゼリーを置いた。
 俺はまだ床にへたり込んでいる凛と、窓にもたれかかった哲平に向って、頭を下げた。
「すまん。二人とも、心配と迷惑をかけたみたいで。悪かった」
「いや、まあ、困ったときはお互い様だろ」
「しゅーくん……ごめん……」
「なんでお前が謝るんだ」
「私が練習でつよくしごいちゃったから……プレッシャーになって……」
「いや、関係ないよ。全面的に俺の体調管理のミスだから」
「あ、柚木ちゃん……しごくってそういう意味じゃなくて……」
「誰もそこは気にしてないぞ」
 凛が半泣きで訂正したことに俺が慌てて突っ込むのを見て、柚木はケラケラと笑った。半泣きなのに発言はいつもどおりなので、突っ込んでいいかどうか迷うじゃないか。調子が狂う。いつも通り堂々とやってくれ。あ、やってくれってそう言う意味じゃないからね。
「ところでなんで二人とも制服なの」
「俺は午前中、劇の大道具作りがあったんだよ」
「私はこれから練習なんだけど、てっちゃんが見舞いに行くっていうから……あ」
 凛がカバンから『ハムレット』の台本を取り出した。後ろのメモ欄に何やら書いてある。
「監督から伝言で、あと二回くらいは第一幕以外の練習をメインでやるから、しばらく無理して練習でなくていいし、早く治してねって」
「ああ、ありがとう」
 橋本さんは劇の総とりまとめをやってるんだけど、いつの間にか皆から「監督」と呼ばれるようになっていた。橋本さんはまんざらでもなさそうだったけど、俺だったら普通に嫌だな。橋本さんは、練習日程の調整とまとめとか、大道具や小道具や衣装の人が使ったお金の経理とか、音響・照明とキャストの意見の調整とか、。脚本の竹村さんといっしょに演技指導なんかもしている。部活やってないとはいえ、よくそんな八面六臂の大活躍できるよなあ。
 柚木がその台本に興味を示して、凛から借りて読みはじめた。凛はヒロイン役とあって出番も多く、多くのセリフに書き込みがなされている。
「凛、これ、自分以外の奴にも書き込んでるのか?」
「うん、他のキャストに入った演技指導も、自分の演技の参考になるなと思って。みんな真剣だから私も頑張らないといけないなっと思ってさ」
 真っ黒になった台本を見て驚いて聞くと、凛は何気なく答えたので、俺は舌を巻いた。凛、滅茶苦茶な性格なんだけど、地味に努力家なんだよな。音楽だけだと思っていたけど、色んなことに対して努力家なのは偉いと思う。こっぱずかしいから面と向かっては言えないけど。
 哲平も柚木が読んでいるのを横目で覗き込みながら、ため息をついた。
「お前らのクラス、なんか熱心だな」
「そう? 他のクラスはそうじゃないの?」
「うーん、うちんとこは『ロミオとジュリエット』やるんだけど」
「六組もシェイクスピアか」
 なんでシェイクスピアこんなに流行ってるんだ。ウィリアム先生も草葉の陰で苦笑いしているだろう。しかも悲劇ばっか。この調子だと他の組でも『マクベス』とか『オセロ』とかやってるんじゃないだろうか。というか、もっと一般的に文化祭でやるような劇とかあるでしょ……と思ったものの高校生の文化祭で一般的な劇ってなんだろうか。三谷幸喜とかかしら。
「温度差がすごくてな。キャストやってる奴らと衣装班はやる気満々なんだけどそれ以外が……俺は大道具班だけど、やる気のない奴が多くてさ」
「へぇ、大変だな。どうしてるの」
「うーん。俺含め、まあやんないといけないよなあって気分の人の何人かで頑張ってるよ。誰かがやんないといけないしな。まあそれになんか作るの、楽しいし」
「なっちゃんは?」
「なっちゃんは衣装班だな。縫い物は得意だっつって」
 哲平は溜息を吐きながら肩をすくめた。まあ、確かに高校生にもなって演劇なんかやるという気分にもなれないというのは分からなくもない。でも俺は今回演技をやってみて、案外面白いなと思えた。それに来年は受験だしそんなことも言ってらんないだろうから、今年だけだと思って楽しめばいいのに。みんなガキなんだな。
 ちなみに、なっちゃんも哲平と同じ理系クラスなのだ。なっちゃんが理系ってイメージ無かったけど、まあ人は見かけによらないしな。その後哲平となっちゃんの関係は進んでいるのか気になってるんだけど、なんとなく聞き辛くて、聞いてない。こういうのは本人が何か言いたそうにするまで待つしかないよな。
 それから暫くして二人は帰って行った。柚木が切ってくれた林檎の残りに俺が手を伸ばすと、柚木が静かに溜息を吐いた。
「どうした、静かだな」
「いや、来年、私も劇やんないといけないのかなと思って、憂鬱で」
「いいじゃん、演技とか得意そうだし、外見も綺麗なんだから主役やりなよ」
「適当なこと言うなぁ」
 いや、意外と本気で言ったんだけど、これ以上言ったら怒られそうなので何も言わなかった。俺は何度も柚木の強がりの演技に騙され続けてきたので、演技全般が得意なんじゃないかと言おうと思ったんだけど、言うとまた叩かれそうなのでやめた。
 そう言った後も柚木は少し憂鬱そうな顔をしていたので、俺は柚木の鼻をつまんだ。
「なにすんの」
「いや……その、適当な嘘ついてんじゃないかなって」
「あ、ばれた?」
 柚木はそう言って俺の手を払いのけた。演劇が嫌とか言う玉じゃないもんな。どっちかっていうと、むしろそういうワイワイした奴は率先してやりたがるタイプだからだ。
 柚木は窓枠に右ひじを乗せて、頬杖をついた。窓から入る光は、朝よりも暖色味をつよめていた。昼下がりの陽光という感がある。俺が黙って柚木のことばをまっていると、柚木は観念したように話し始めた。
「凛ちゃんさ、私のこと『柚木ちゃん』って呼ぶじゃん?」
「ああ、そうだな」
「でも、仲良い人のことはみんなあだ名で呼ぶじゃん『しゅーくん』とか『てっちゃん』とか『なっちゃん』とか」
「ああ……『しゅーくん』はあだ名かどうか怪しいけど」
 普通にくんづけでよんでも「鷲くん(しゅうくん)」だからな。でも「しゅうくん」というよりは「しゅーくん」って感じの発音だ。何が違うのかと言われると上手く説明できないけど、もっとマヌケなイントネーションなのだ。
「なんか、含みでもあるのかなと思って」
「さあ。でも『ゆーちゃん』だと大嶋さんとかぶるからな」
「でもほかにもいくらでも呼びようがあるじゃん『ゆっきー』とか『ゆっち』とか」
「アイドルみたいだな……あと『ゆきりん』とか『ゆきえもん』とか『ゆきちん』とか」
「ワハハ。語感だけのイメージだけど『ゆきちん』は嫌だなぁ」
「ゆきちん(はーと)」
「殺すぞ」
 調子に乗りすぎたので怒られてしまった。俺は小声で「ごめん」と謝った後、話を続けた。
「まあ、含みとか、なんか思うところがあるのかもしれないな。お前だって凛に妙にライバル意識持って、追い越そうとしてたみたいだし」
「うっ……いや、まあそうなんだけど、そう言うのじゃなくて……いや、そうなのかな」
「どっちだよ」
「うーん、ちょっと考えさせて」
 そういって柚木は黙り込んだ。俺は手元に残っていたりんごの最後のひとかけらを食べた。



 柚木は考え込んだまま無言で出ていった。飲み物でも買いに行ったのかな。
 俺は柚木が読んでいた雑誌に手を伸ばした。聞いたことの無い雑誌だ。なんかオシャレな小物がカタログのようにいくつも載っている。北欧のどぎついデザインの文房具や、ドイツ製のマッシブなデザインの小物が整然と並んでおり、パラパラと眺めていると欲しくなってくる。
 俺は雑誌を置いて、ふと窓の外を眺めた。向こうの病棟が見えるだけで、景色が良いとは言えない。じっと見てても仕方ないので、腕を頭の後ろで組んで、ベッドにもたれかかって天井を見上げた。
 凛がなんとなく柚木のことを意識しているのは流石に俺にもわかる。凛は俺と柚木が付き合っていることは知らないはずだが、俺と仲がいいことは知っている。もし凛がまだ俺のことを好きなら……いや、わかんないけど、もしそうなら、意識するだろう。
 俺は夏休みにおっさんに言われたことをまた反芻していた。取り返しのつかないことにならないうちに凛を振ってほしいという、あの言葉。心に留めてはいたのだが、なかなかタイミングがつかめなかった。さりげなく、なんともないように、柚木と付き合ってると宣言すればいいだけなんだけど、それが難しい。というか付き合い始めた時に報告すればよかった。今、突然宣言するのはどう考えても不自然極まりない。
 ああ、くそ、わかんね。
「桂木くん?」
「あ……大嶋さん」
 カーテンがさっとあいて、大嶋さんが現れた。制服のままギターを背負っている。俺はだらけきったポーズを解除し、居住まいを正した。
「風邪と過労で入院したってなっちゃんから聞いて……お見舞いに来たんだけど」
「ありがとう。でももう数時間で退院するけどね」
「あ、そうなの、間の悪い時に来たね、ゥフフフ」
 大嶋さんはギターを壁に立てかけ、柚木が座っていた椅子に腰かけた。少し香水のようなにおいが鼻をくすぐった。大嶋さん、香水つけてたっけ。
「お土産、特にいいもの用意できなかったけど、ヨーグルト」
「あ、ありがとう。風邪の時は消化に良いものが良いしね。助かるよ」
 俺はそう言って、既にプリンとゼリーが並んでいる横にヨーグルトを並べた。三種類のカップおやつが揃った。ってかなんでみんなカップのものばっか買ってくるんだ。確かにお見舞いの品って感じはするけど、安いからかな。
「大嶋さんは、今日は学校?」
「劇の準備で、これからエレクトリックガールズで市役所の市民生活センターで練習。私、小道具班だから、午前中は百均にみんなで買い出しに行って、さっきまで色々作ったりしてたの。桂木君の小道具もいくつかできたよ。見る?」
 そう言って大嶋さんは携帯で撮った写真を見せてくれた。なるほど、中世のデンマークの王族が持ってそうな剣だの王冠だの扇子だのが学校の机に並べられていた。
「あと香水も誰かが持ってきてさ。演技する人たちがつけると貴族的な気分になるんじゃないかと思ったんだって。今つけてるんだけど、わかる?」
「あ、さっきから気になってたけど、聞いちゃダメかなって思って聞いてなかった」
「風邪ひいてるけど鼻づまりとかでは無いんだね。ゥフフフ」
 大嶋さんが笑ったので、俺は遠慮なくもう一度匂いをかいだ。確かに、バラっぽい香りなので、つけてるだけでゴージャスな気分になれる気はする。匂いの強い制汗剤とかでもつけてるだけでなんか別人になったような気分になれるよな。でも俺香水あんまり好きじゃないから、ちょっと困るな。まあちょっとしか舞台に上らないし、どうでもいいけど。
 香水の匂いを嗅いで花がむずむずしてきたので鼻をつまんでいると、大嶋さんはゆっくりと頭を下げてきた。ふわりとポニーテールが揺れる。
「な、なに」
「あのね、桂木くん、ごめんね」
「なにが?」
「いや、桂木君が忙しいのに、副部長の仕事、たくさん振っちゃったから。まさか過労で倒れるなんて……」
「いや、他にも色々あって作業のスケジューリングをしなかった俺が悪いから……それに、俺は書類の処理したくらいで、大嶋さんもたくさん仕事してるでしょ?」
「いや、そこまでだよ。面倒な書類仕事は全部押し付けちゃったし」
 文化会員との打ち合わせや、全バンドとの連絡は全部大嶋さんにまかせっきりなので俺こそ申し訳ない。というか、お見舞いに来たみんな俺に謝ってきたな。俺の不養生で起きた事件なのに、みんなに謝られると申し訳ない気持ちになる。これから体にもちゃんと気を付けないといけないな。
「ライブの準備、思ったより大変だね。去年は紙書いて練習するだけだったから、楽だったのに、思ったよりいろいろすることあるんだね」
「そうだね」
「文化祭が終わるまではちょっと気が抜けないな」
 俺がそう言って笑うと、大嶋さんはなぜか少し居住まいを正した。
「あのね、桂木くん」
「なに? 何か問題が……」
「あ、いや、そんな問題とかじゃなくて」
 とつぜんシリアスな声で言ってくるから何か問題が発生したのかと思った。何かイレギュラーなことが起きるとすぐネガティブなことだと思ってしまう。これ、良くないよな。
「あのさ、文化祭が終わったらなんだけど……」
「終わったら?」
 俺がじっと大嶋さんを見つめると、大嶋さんは目を逸らし、顔を赤らめた。何だ。何かあるのか。
「あ、いや、なんでもない。やっぱりいい。ゥフフフ」
「え、嘘でしょ。いま絶対なにか重要なこと言いかけたんじゃ……」
「あ、えーっと、その、みんなで打ち上げしよって言いたかったの。打ち上げ。軽音楽部の人に声かけてさ」
「ああ、いいね」
 俺がそう答えると、大嶋さんは曖昧に笑った。いや、いまなんか別のこと言おうとしていたような気がしたんだけど……だが、これ以上突っ込んだらなんかまずいことになりそうな予感がしたので、俺は黙っておいた。
 その後、二言三言交わしてから、大嶋さんはギターを背負って病室を出ていった。俺は大嶋さんの持ってきてくれたヨーグルトを開け、中に入っていたプラスチックのスプーンでそれをすくって食べた。甘酸っぱい味が口の中に広がった。



 大嶋さんが帰ってからすぐ、柚木が戻ってきた。俺の家まで病院に払うお金を取に行ってくれていたらしい。午後3時くらいの病院は人が少なくて、会計もあまり手間取らなかった。
 俺は柚木と一緒に病院を出た。病院からでて少し歩いてから、深呼吸をした。消毒液臭くない、きれいな空気が肺に入って心地よい。
「シャバの空気はうめえな」
「一日しか入院してない奴がなにいってんの」
「ごめん」
 ひとり言のつもりで言ったのに、柚木がすかさず突っ込んできたので、俺は素直に謝った。何か月も入院した経験があって、定期的に通院してる奴の前でいうことじゃなかったな。俺が黙っていると、少し先を歩いていた柚木が突然振り返って俺を見た。
「あのさ、鷲」
「なに」
「さっきお見舞いに来てた人、部長さんだよね」
「ああ、大嶋さんのこと? っていうか、柚木、あの場にいたのかよ」
「ああ。さっきさ、実はカーテンの向こうで話を聞いてたんだ」
「何で隠れてるんだよ」
「いや、なんとなく」
 柚木は自分の髪の毛を両手でわしゃわしゃとかきあげながら答えた。髪の毛長いし量も多いから何らかの妖怪の類にみえるな。
「最後あたりしか聞いてなかったんだけど、なんか言いかけてさ、誤魔化してたよね」
「あ、柚木もそう思った?」
「うーん……あのね、鷲」
「何」
「怒らないでね」
 柚木が突然そんなことを言うので、俺はギクッとした。
「なんか悪いことしたの?」
「いや、そうじゃなくて。今から言うことに、怒ったりしないでね」
「ああ……まあ内容によるかな」
 俺がそう言うと、柚木は少しだけ表情を緩めて、呟くように「だよね」と言った。いつも平然と失礼なことをしてくるので、そんなこと改まって言われると、何されるか分からなくて怖い。俺がおののきながら柚木を見ていると、柚木は声を低くして続けた。
「何回か、部長さんと鷲が話してるのを遠目で見てて、単に私の勘なんだけど……あの人、鷲に気があるんじゃない?」
「……」
 俺は黙った。通りを駆け抜けていく車に気を取られたふりをして、柚木から顔をそむけた。そういえば去年の今くらいの時期、凛が俺のこと好きなんじゃないかと柚木に言われた時は「ありえない」と思って強く否定したんだけど、今回ばかりは否定できない。
「何黙ってるの」
「いや……うん。それは、俺もなんとなく思ってたから……」
「へぇ! あの、ド、ド、ド鈍感な、鷲が、気づくレベルなんだ!」
「いや、鈍感は鈍感なんだけど……ドは一個でよくないか」
 しかし否定できない。大嶋さんとは一年のはじめからの付き合いがあるので、その間なんども「そうかな」と思うきっかけはあった。俺はそれを思い出しながら、話を続けた。
「俺も勘なんだけど。直接的なアプローチ、っていうのかな。それはされたことない……あ、バレンタインチョコもらったけど。手作りのやつ。それ以外は無いな」
「へぇ……知らなかった。何で私に教えてくれないの?」
「いや、言ったら怒ると思って」
「怒らないよ?」
 柚木が急に声色を変えたので、俺はヒヤッとした。その様子を見て柚木はにやっと笑った。なんだ嘘か。
「いやぁ……私の彼氏、モテモテだなぁ」
「そんなことは……」
「でもきっと、3~4人は鷲のこと好きだよ……何してんの」
 柚木が変なこと言うので、俺は咄嗟に柚木と凛と大嶋さんの顔を思い浮かべたんだけど、その瞬間自惚れに絶望し、自分の顔面を思いっきり殴った。俺はクソだ。
「俺は……俺はクソだ……誰かを拒絶する勇気もないし、かといってこのまま黙っていて人に嫌われるのも嫌だ。とんだ弱虫の、クソ野郎だ」
「知ってた」
 俺がそう言うと柚木が即答する。即答されるのもそれはそれで悲しいな。いや、まあ、でも、やっぱり弱虫だ。だが俺は気にせず続けた。
「あのさ、全員と……この世の中の全員と、平等に仲良くするなんてできない。わかってても、今仲のいい人に、嫌われる勇気がないんだ」
「うーん……でも、そんなの鷲だけじゃないんじゃない? 私だって……その、鷲がずっと好きだったから、男子の友達に何回か告白されたりしたけど、断ってたし」
「そうなの? 知らなかった」
「まあ言ってなかったしね」
 何気ないように柚木がいうので俺は少し怖くなった。確かに、考えたことも無かったけど、柚木も美人だし、性格も悪くないし、人気もあるだろうから、当然なのかもしれない。それにしても本当に何気ないように言うから怖い。
「あのだ、後学のために聞きたいんだけど、何人くらい振ったことあるの……?」
「えっ、数えたことなかった。いち、に、さん、し……あ、いや、わかんない、うん」
 俺がそう聞くと、柚木は両手の指を折って数えはじめたが、俺がじっと見ていると顔を赤くして慌ててすぐやめた。折った指の本数、見間違えじゃなければ7はいってたぞ。恐ろしい女だ……。俺が顔をしかめていると、柚木は慌てたように続けてきた。
「でも、ほら。私だってそうだし。鷲だけじゃないんだって。全員と仲良くできなくても、ものすごく仲良い人もいるし、どっかで帳尻合うんだよ。きっと」
 柚木はそう言ったが、俺は俯いたまま黙っていた。
 柚木の言いたいことはわかる。でも、俺は柚木も、凛も、それに大嶋さんも、大事だ。柚木は幼馴染みで恋人として、凛はかけがえのないバンドメンバーとして、大嶋さんは高校入って初めて話した友人として。俺が柚木と付き合ってると言ったら、二人は何と言うだろうか……。うっ、病み上がりに考えることじゃなかった。熱が上がってきた気がする。
 俺は背中の辺りから湧き上がってくる悪寒を身震いで散らしてから、隣を歩いていた彼女に声をかけた。
「柚木……」
「何? 体調悪くなってきた?」
「あ、いや、それはちょっとそうなんだけど」
「がんばって、家まであと少しだから」
 そう言って柚木が肩を貸してくれたので、俺は柚木によりかかるようにして歩いた。柚木の髪からシャンプーの香りがする。うーん。体調悪いのに、柚木の匂いかぐとムラムラするな。俺も凛のこと言えない変態だな……。
 俺は柚木の肩を借りながら、小さな声で呟くように言った。
「あのさ、柚木」
「なに?」
「俺は……柚木のそばから絶対に離れないからさ。そこは心配しないで」
「うん。心配してないけど、もし離れたら怒るからね」
 そう言って柚木は微笑んだ。
 俺はそれを見ながら、深くため息をついた。

 



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