▼16/03/26から読む


Episode39: それが問題だ




 九月末の青空に銃声が反響する。銃と言っても物騒な奴じゃなくて、陸上競技用のやつだから別に事件性は無い。それにしてもなぜ銃なのだろうか。俺は昔から臆病者だったので、あの音のせいで、小学校の頃の運動会で何度もスタートダッシュをミスした。ぜったいもっとマヌケな音とかのほうが良いと思うんだけどなあ。
 うっすらと香る硝煙の香りの中を、ジャージ姿の女子たちが走り抜けていく。その中でひときわ颯爽としたフォームで走っているのが凛だった。凛は俺を見るとニヤっと笑い、綺麗なフォームでジャンプをして、宙吊りになったパンを咥え、走り去って行った。体育祭の出場種目決めの日、今年から追加された昔ながらの競技「パン食い競争」の立候補者を体育委員が呼びかけた瞬間、凛は勢いよく手を挙げた。なんでも、体育全般は苦手だが、パン食い競争だけは得意らしい。確かに、他の人たちが立ち止まってジャンプしても捕れない中、凛だけがそのまま走り抜けていった。
「桂木くん、いまのみてた? 一之瀬さん、すごかったね」
「あ、うん」
 隣に座っていた大嶋さんが苦笑いしながら俺に話しかけてきた。いつものポニーテールの上からはちまきを巻いている。そう言えば言及したことなかったかもだけど、大嶋さんも同じクラスだ。俺は首の後ろを右手で揉みながら、曖昧に笑って答えた。
「自分で得意だって言ってただけあったね。すごくきれいにとって行ったし」
「食い意地が張っているからだろうな」
「桂木くん、ひどい、ゥフフフ」
 そう言いながら大嶋さんはほんとうにおかしそうに笑った。この人も意外とひどいな。
 体育祭。なんかよくわからないけどみんなで集まって運動して、なんかよくわからないけどクラス別で対抗するという、なんかよくわからない行事だ。授業つぶしてまでする必要がどこにあるのか、昔からイマイチよくわからないんだけど。軍国主義教育の名残みたいなものではないでしょうか。意外と当たってたりして。
 グラウンドの向こう側を目を凝らして眺めると、向かいの一年生のクラスのエリアに柚木らしき人影が見えた。隣に座っている女の子たちと話しているみたいだ。ご存じの通り柚木は心臓がアレなので激しい運動ができない。だから確か、玉入れかなにかの、体あんまり使わなくていいような競技にでるとか言ってた気がする。体育祭の出欠は成績と関係なさそうだから、どうせなら一日休みにすれば良かったのに、柚木は来ていた。律儀なんだか、真面目なんだか。
 俺の出場予定の競技自体は終わってしまった。去年百メートル徒競走で目立ってしまったせいで今年もそれに回された。結果は3位で、まあまあ良くも悪くもなかった。クラス別対抗に一応得点が入るからいいんじゃないだろうか。去年は哲平とある賭けをしたので心の底から本気で走ったのだが、今回は別にそんなことも無かったのでまあ仕方がない。
 俺は溜息をつきながらうつむいた。ねむい。ここ数日、とても忙しかったので、体育祭などに来てるくらいなら家で寝ていたかった。長距離走だと折り返しポイントを過ぎて少し経ったくらいが一番苦しいとはいうが、高校三年間の折り返しポイントを少し過ぎた九月はとても苦しい。というか単純にこれまでの中で一番やらなくちゃいけないことが多くて忙しい。俺は少し寝ようと思って、胡坐をかいたまま目を閉じた。
 眠りに入る前にすこし最近の話をしよう。
 そう、それは遡ること数週間前。




 中学生の頃、俺は「ノーウェア」というバンドをやっていた。アルファベットで書くと、NO‘W’HERE。読み方がややこしくて、ライブをやっている時は「ナウヒア」、ライブをやってない時は「ノーウェア」と呼ぶという決まりになってた。といっても四六時中ライブやってるわけじゃないので基本的には「ノーウェア」で通していた。いや、そこはどうでもいい話だ。ここまで特に問題は無い。
 メンバーは俺、柚木、木田優、向井華菜。パートは順にベース、ボーカル、ギター、ドラム。なんでこのメンバーになったかと言うとそれはそれで長い話になってしまうのでここでは割愛したい。またいつかどこかで話すことになるかもしれない。
 先月、柚木が高校で組んだバンドで出演した夏祭りライブの会場で、俺たち四人は再会した。ただ会っただけなら良かったのだが、また四人で集まってバンドをやって、一夜限りのライブをやろうという話になったのだ。お祭りの数日後、四人で喫茶店に集まって色々相談した結果、うちの文化祭の軽音の外バンド枠で出ることになった。俺が運営だから話しとおしやすいというのもあるし、俺たちのことを知っている人も気軽に来やすい場だからだ。いや、ここまでは問題が無かった。
 選曲するにあたってやりたい曲を上げたがまとまらなかった。昔やった曲とか、最近ハマってる曲。四人が全然違う曲ばかりあげるので議論が紛糾した。やれこの曲は場にあってないだ、それあの曲は簡単すぎてやりごたえが無いだのと文句を言いあって、結局一人一曲ずつ好きな曲を絞ることになった。ここまでぎりぎり問題は無かった。
 問題は優が挙げた曲だった。
 皆さんはミスタービッグというアメリカのハードロックバンドをご存じだろうか。いや、こんなこと聞くまでも無く有名なバンドだ。日本でも人気が高い。メンバー全員の演奏能力がずば抜けて高く、オーソドックスなハードロック的なサウンドに、超絶テクニカルなフレーズがミックスされた、凄いバンドだ。おおよそ高校生がコピーできるようなバンドじゃない。
 優はミスタービッグの「コロラド・ブルドッグ」という曲をやりたがった。数あるミスタービッグの難曲の内でもトップクラスで難しい曲だ。俺は反対したのだが三対一で押され負けてしまった。いや、無理なものは無理だといったが柚木に身体のいたるところを引っかかれて泣く泣く承知してしまったのだ。ひどい。これデートDVってやつでしょ。
 そこから地獄の日々が始まった。スリーフィンガーでレイキングするフレーズと、ジャジーなランニングベース。死ぬほどやったがいっこうに弾けない。半泣きになりながらやったが出来ず、他のパートも死ぬほど難しいのでまあみんな出来てるわけないし、「やっぱむずいからやーめよ」ってことになると思っていた。
 つい一週間前、最初の練習があった。優はもともとコピーしてたというが滅茶苦茶速いフレーズをほぼ正確なリズムで音粒もそろえて弾いていた。華菜はツインペダルで16分のシャッフルをハイテンポで刻むという鬼畜フレーズをさらっとやってとげた。柚木は一年半のブランクを感じさせないくらい分厚いハイトーンを出していた。俺はウンコだった。
「鷲、まあ気を落とすな」
 練習後、区役所の屋上で夕風に当たって涼んでいたら、優が来て冷たい缶コーヒーを渡してくれた。俺が夕日に向かって身を乗り出すようにもたれかかっていたら、優は軽く背中を押して「危ないぞ」と言ってきた。二重の意味でドキッとした。いちいち動作がかっこいいんだよ。
 なぜ区役所かと言うと、区役所に併設されている市民生活センターというところに、安くで借りれるスタジオがあるのだ。中学の時、休みの日はここを使ってたな。優が背負っていたギターとエフェクターボードを地面に下ろし、屋上の欄干に立てかけたのを見た後、俺は優の顔を見て謝った。
「ごめん。コロラド・ブルドッグ、みんなあんなにちゃんと弾けると思ってなくて、手を抜いて練習してしまった」
「終わったことだし仕方ないけどさ、それは失礼じゃないか」
「ごめん」
 無礼に無礼を重ねてしまった。俺がしょげていると、優は笑いながら眼鏡をくいっと上げ、優雅な動作で缶コーヒーのプルタブを引いた。
「もともとスリーフィンガーってできてたよな?」
「まあそうなんだけどあのフレーズのレイキングのとこ……つまり、弦が変るところが苦手でさ」
「そうだ、その、弦が変わるところでツッコミ気味だな。ゆっくりのテンポから始めたらどうだ」
「そうしてるんだけどなかなか指が慣れてくれなくてさ」
 俺はそう言ってから、優にならって缶コーヒーのふたを開けた。ブラックだったが、よく冷えていたおかげで苦みをほとんど感じない。
 九月の半ば。今年はひどい残暑で、日中は八月並みに厚かったが、夕方になると気温が落ちてくる。俺がなおも落ち込んで黙っていると、優はまた優しく笑い声をあげた。
「いや、まあ、でも、そのスリーフィンガーのフレーズだけだよ。あとは大体ひけてるじゃん」
「ランニングベースのところとか、元ネタだともっと、なんていうか、情緒豊かというか、グル―ヴィな感じじゃん。あれどうやったらいいのかよくわかんなくて」
「まあそれは微妙な問題だしなぁ。何回も原曲聞くしかないよ」
 そういって優はポケットから煙草の箱のようなものを出し、屋上の欄干に軽く叩きつけた。カンカンと小さな音がする。俺はぎょっとして優の顔を覗き込んだ。
「優、タバコやってたの……?」
「ん? ああ、ちがうよ。これはココアシガレット」
 そう言って優は白い棒を一本取りだして口に咥えた。懐かしいもの持ってんなぁ。これと似た奴で謎の犬のキャラが書いてあったコーラ味とソーダ味のタバコ型ラムネがあったけど、おれはそっちの方が好きだったな。優が煙草を薦めるようなポーズで箱を俺に向けたので、俺も一本取り出して齧った。薄いココアのような、何とも言えない無味乾燥の味が拡がる。
「なんでこんなもん持ってんだよ」
「ああ、最近クラスの女子の間で駄菓子が流行っててさ、なんかよくわかんないけどもらったんだ。美味しいでしょ?」
「美味しくはないな」
 俺が即答で否定すると、優は肩をすくめた。慣れるといちいち腹はたたないけど、一挙手一投足がキザなんだよなこいつ。しかしバレンタインでもないのに女子に菓子なんてもらえるんだな。そういえば、去年のバレンタイン、凛にうまい棒チョコ味をもらったのをふと思い出した……せめてチロルチョコにしてほしかった。
「バレンタインでもないのに菓子がもらえるなんて、相変わらずモテモテのようで」
「いやー。そんなモテてないぞ。女子に『キザメガネ』って呼ばれてるし」
「それ、じゃれてるんだよ」
 そういうとまた優は肩をすくめた。それに合わせてタイミングよくカラスが鳴いた。
 中学校の頃は、多くの女子が優のことを噂しているのをいたるところで聞いた。運動部に所属してなかったのに運動が出来て、美形で、落ち着いてて大人びてて、女の子にやさしくて、ギターまで弾けるというわけだから、もちろんそうなるわけである。反面男子とは仲良くなかったけど。
「そんだけモテてるなら、浮気しようとか思わないの」
「わっはっは。まぁ、しようと思えばできるけど、したいとも思わないし、俺には華菜しかいないんだよ」
「ノロケかよ」
「お前が聞いたんだろ」
 俺が突っ込むと、優はおどけたように答えた。
「付き合って何年くらいだっけ?」
「もうすぐ三年」
「ながいなぁ。学校も違うのによく続いたな」
「自分の所属してるコミュニティの外にいた方が長続きするもんだよ。学校とか教室とか部活みたいな狭い空間の中で彼女を作ると、二人の間で処理しないといけない人間関係の変数が多くなっちゃうからな」
 俺が「なるほど」と呟くと、優は咥えていたココアシガレットを一気にかみ砕いて飲み込んだ。その後ブラックコーヒーで唇を湿らせている。なるほど。ココア味だからコーヒーがあうわけだ。俺も真似しよ。
「お前はどうなんだよ、鷲」
「なにが?」
「柚木と。すすんだの?」
「ああ、言ってなかったっけ。付き合ってるんだよ」
 そう言えばバタバタして優と華菜に報告するの忘れてた気がする。俺は精一杯のドヤ顔で言ったのだが、優は屋上から見える街並みに目を向けていて、こちらを見もしなかった。
「いや、それは華菜からきいた。華菜は柚木から聞いたって言ってた」
「あ、そうですか」
 俺はドヤ顔を急いで消去しながら答えた。恥ずかしいだろ。
「確か去年のクリスマスに付き合い始めたんでしょ? じゃあ9か月くらいか。どう? ただの幼馴染から恋人に変わって、何か変わった?」
「うーん……まあ、あんまり変わんないな。恋人らしいことあんまりしてないし」
「ダメじゃん」
「でも俺たちはなんていうか、変なカップルだし。昔からずっと一緒にいるからお互いその関係をいい意味でも悪い意味でも壊したくないんだよ。あ、でもデートは何回かしたな」
 そう、夏休み中、俺は柚木とデートをした。まあデートって言ってもたいしたことなくて、二人で服を買いに行ったり、ちょっと遠出して水族館行ったり、まあ、普通のデートだな。それにデートと言うより、なんか事務的に行くことになったみたいな感じだった。服の方は俺のお気に入りのシャツを柚木がなぜか着ていてなぜか破いたからで、水族館の方は期限切れかけの券を柚木の父親が無理矢理柚木に押し付けてきたという外的要因によって発生したイベントだった。そのことを優に伝えると、優は苦笑いしながらココアシガレットの箱を指先で叩いた。
「それ、柚木がお前を誘い出すためにやったんじゃないのか」
「ええ、水族館の方はまあそうだとしても、服の方酷くないか?」
「そういうことしそうじゃん、あいつ」
「いや、まあ、そうだけど」
 考えてみればそうだ。畜生。あのシャツ、襟のところのラインが気に入ってたのに。だいたいなんでそんなことする前に素直にデートに行こうって言ってくれないんだ。あ、でも俺も気恥ずかしくて言えてないんだから、同じか。
 俺が脳内で黙って自問自答していると、優は真面目な表情で俺の顔を覗き込んできた。
「意外と『関係を変えたくない』と思ってるのは鷲だけかもしれんな。スキンシップとかはちゃんとしてる?」
「は?」
「いや、だから、皮膚間の接触と言うか、粘膜間の接触というか」
「その言い方やめてくれ」
 俺は顔をしかめた。粘膜は何かアレだな。具体的な体の部位を想像してしまって生々しく感じるから止めてほしい。心を落ち着かせるために残っていたコーヒーを一気飲みした。喉の奥を冷たい苦みが走り去っていく。
「キスしかしてないぞ」
「へぇ、キスはしたんだ。絶対それもまだだと思ってた」
「バカにするな」
 優が茶化すような声で言ったので、俺は低い声で答えた。といっても数えるほどしかしてないけど。ちょっと悔しかったので聞き返すことにした。
「お前らはどうなんだよ」
「え、俺ら? 月に一回くらいはしてるよ」
「キスにしては少ないな」
「何言ってるんだ。セックスの話だ」
 優が顔色一つ変えずにそう言うので俺はぎょっとした。え、なにそれ。聞いてない。セックスってあれでしょ? 都市伝説で噂の、口裂け女が現れた時に叫ぶやつ。あ、それはポマードか。セも、ッも、クも、スもかすってない。母音すらかすってない。
 俺が仰天して目を見開いたまま黙っていると、その様子を見て優はおかしそうに笑い声をあげた。クッソ。久しぶりに優が腹立たしくみえる。
「何自分で聞いといて赤くなってるんだ。うぶだな」
「うぶで悪かったな。これからお前らのことそう言う目でしか見れなくなった」
「それはやめて」
 そう言いながら優はまだ笑い声をあげている。あれだな。凛と下ネタ言い合ってる時は現実感がなくて楽しいんだけど、彼女持ちの男同士でいう下ネタは微妙な現実感があってなんか嫌だな。
「というか、早くないか。まだ高校生じゃん」
「早いとか遅いとかあるの。周りでやってるカップル、意外といると思うけどな」
「うっ、そうなのか……」
「それとも、鷲はしたくないのか」
「いや、そんなことないけど……柚木が、嫌かなって」
「また柚木のせいにしてる」
 そう言って優は半分笑いながら、半分怒ったような、何とも言えない顔をした。
「あれだよ。柚木だって口にしないだけで本当はそう言うの望んでるかもしれないぞ」
「そうだとしてもなあ……こればっかりは俺から言うのもどうかと……」
 俺がなおも難色を示していると、優は苦笑いしながら、囁くように返事をした。
「まあ、好きにすればいいさ。でも誘ったくらいで文句は言われないと思うぜ」
 そのあと、階下にいた柚木と華菜の二人と合流して、一緒にご飯を食べて帰った。
 ちなみにあれから柚木に、その、セックスを誘ったことは無い。無いものは無い。だからみんなが期待しているような展開にはならないからね! そういうのを期待している場合は、オトモダチとかいうやつを読んでくれみんな! 何を言っているんだ俺……。
 今から考えればあの時優は俺をけしかけるようなことばっかり言ってたので、優も柚木の差し金だったのかもしれない。ほんとに回りくどい小細工の好きな奴だからな。もう何も信じられない。




「桂木君」
「え、あ、はい?」
「大丈夫?」
 気が付くと、パン食い競争が終わって、棒取りが始まっていた。隣を見ると大嶋さんが心配そうにのぞきこんでいた。一週間前のことを思い出しながら少しうとうとしていたら、本当にガチ眠りしていたみたいだ。俺は眠気を覚ますために目をぱちぱちしてから、大嶋さんに答えた。
「ごめん、大丈夫。ちょっと最近忙しくて、疲れてて」
「いや、大変だよね。保健室で寝て来たら?」
「うーん。怒られないかなぁ」
「へーい、しゅーくん元気?!!」
 突然背中を強打された。大嶋さんが座っている右側と反対側に凛がスライディングするようにして入ってきた。さっきパン食い競争でとって来たばかりのアンパンの袋を持っている。埃が立つから止めてほしい。
「今元気じゃないという話をしていた」
「へえ、それよりさっきの私見た? すごくない?」
 俺の体調への関心を丸めて遠投を決めた後、凛は嬉しそうにアンパンを見せつけてきた。俺の体調に興味ないなら元気とか聞くなよ。テンション高いなこいつ。
「ああ、綺麗にとってたな。偉いぞ」
「えへへ」
「あ、でもさっき桂木君『食い意地が張ってるから』とか言ってたよね、ゥフフフ」
「なんだと! しゅーくんの性欲ほどじゃないわ!」
「大嶋さん、いらんことを……」
 凛が怒ってまた俺の背中をバンバン殴り始めたので、俺は凛を静止しながら大嶋さんを睨みつけた。この人も常識人面してたまにいらんこと言うからなぁ。
「桂木君、ライブの練習とかで忙しいの?」
「ああ、まあ、レフトオーバーズの練習もあるしね」
 凛はまだ背中をガスガス殴っていたが、大嶋さんは何事も無かったかのように続けてきたので、俺も何も起きてないかのように振る舞った。それが気に入らなかったようで、凛は一発きついボディーブローをいれて黙り込んだ。いてぇ。何しやがる。
 ちなみに、ノーウェアの復活ライブのことは凛には告げていなかった。柚木が極力人に言わずに行こうと言ったのだ。何でそんなことをする必要があるのかよくわからなかったが、確かにサプライズのほうが面白いかもしれないと思って従った。
 外部バンドの登録は柚木名義でやった。俺名義でやると目立っちゃうからな。あと俺の名前は「村主拓也」という偽名になっている。これは柚木が洒落で考えた名前で、「桂木鷲」をパソコンのローマ字入力式でアルファベットにすると「KATURAGI SYUU」となるので、これを並び替えると「SUGURI TAKUYA」になるわけだ。これ気に入ったから別のとこで偽名が必要になった時使おうと思う。
「凛ちゃん、レフトオーバーズの練習はどうなの?」
「あ、うん、はんへひあほ? このへはへふにゃひんをほほけふぁ」
「飲み込んでから言ってくれ」
 アンパンをほおばっていた凛が、口いっぱいに物を詰めたまま喋ったので謎の言語を発した。でも何となく俺をディスってることだけはわかる。凛は大仰な動作でアンパンを飲み込み、口を拭った。
「しゅーくんを除けば完璧だと言いたかった」
「哲平だって例のフレーズ叩けてないとか言ってたじゃん」
 ここで凛の悪い所が指摘できないのがつらい所である。こいつ、あのミューズを、歌もギターも完璧に仕上げてるからなあ。録音して何度か聞かないとミスとか見抜けないんだよなあ。
「てっちゃんのはあとちょっとで何とかなるけどしゅーくんはちゃんとやんないと」
「ごめんなさい」
「でも最近妙にフィジカル上がったよね。練習してるのはわかるよ」
「あ、ああ。ありがとう」
 凛が突然優しいことを言ってくれるので、半分嬉しかったけど、半分ドキッとした。フィジカルが上がっているのは、間違いなくミスタービッグを練習しているからだ。
「大嶋さんとこはどうなの。練習」
「んー、まあまあかな。ピロウズやるんだけど、難しくない分、バンドとしての一体感を大事にしようねってやってて、頑張ってるよ」
 そう言って大嶋さんは拳を掲げた。楽しそうで何よりだ。
「それより一之瀬さん、桂木君の演技はどう?」
「しゅーくんの迫真の顔芸が最高に面白いよ!」
「あ、ああ……まあまあ、うん。はい」
 そう言いながら俺は最近のことをふと思い出した。
 そう、これも遡ること数週間前。




 金曜日のロングホームルームの時間に、文化祭の出し物についての会議が行われた。ロングホームルームというとなんか特殊な感じがするが、いわゆる学級活動の時間のことだ。うちの学校ではロングホームルーム(略してLHR)と呼んでいるからそう呼んでるが、まあ学活でいいと思うんだけどな。いや、まあそこは問題じゃない。
 学校からの謎の命令で、二年生は文化祭で全員演劇をやることになっていた。去年は教室使って模擬店だったが、どっちがいいかは一長一短だな。まあこれも問題じゃない。
「事前のアンケートの結果『ハムレット』をやることになりました。脚本は文芸部の竹村さんがアレンジしてくれるそうです」
 教壇に立った文化委員の橋本さんがそう言うと、教室の中がざわめいた。ハムレットってアレだよな。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」ってやつ。いや、そのセリフしか知らないけど。
 俺は頬杖をついたままぼんやりと橋本さんを眺めていた。橋本さんは、手足のすらっと長い三つ編みの女の子で、去年からクラスが同じだ。たまに一緒にカラオケ行ったりするくらいには仲が良かったので、一緒のクラスになれてよかったと思っている。あと橋本さんの幼馴染みの向井秀平もまた同じクラスだ。この二人、仲が良すぎて周囲からは付き合っていると勘違いされているが、別に付き合ってはいないらしい。というか俺も付き合ったんだから早く付き合えよと言うのが、俺の中でのもっぱらの願いだ。閑話休題。
「で、配役を決めたいんですけど。配った資料に、あらすじと、役の一覧が乗ってるので、出来れば立候補でお願いします」
 向井が深い声でそう呼びかけた。向井も文化委員なのだ。委員まで一緒なのに付き合ってないってどういうことなんだ。やっぱりおかしい。
 あらすじと配役にさっと目を通して見る。なるほど、ざっくりいうと、父親(前王)を裏切った伯父(王)と母親(王妃)に復讐するために、主人公(王子)がワチャワチャやった結果、なぜか関係ない奴らまで運悪く全員死ぬという悲劇だ。なんて救いのない話だ。初めてあらすじ知ったけど、シェイクスピア性格悪すぎじゃないだろうか。
 向井の呼びかけも空しく、もちろん立候補する人はいない。クラスは妙に静まり返っていた。うちのクラスには演劇部員はいなかったっけ。そもそも演劇部ってあったっけ。静まりかえった様子を見て、向井は困ったように頭を掻いた。
「ないなら推薦でもいいんだけど。そうだ、桂木、なんかやれよ」
「へ……はぁ?」
 向井が突然俺に話を振って来たので、俺は非難の意を示そうとしたが、思わず声が裏返ってマヌケな声を出してしまった。クラスの人が笑い声をあげる。凛もニヤニヤ笑っている。クソ、他人事だと思いやがって。
「何で俺が」
「いや、イケメンだし、舞台映えしそうだなと思って」
「いやいやいやいやいや。イケメンじゃないし演劇なんてやったことねえし」
 と言ってから小学校のときの学芸会で一回だけ村人Bをやったことを思い出した。セリフは全部「おやすみなさい」。ラッドウィンプスの歌詞かよ。
「主人公なんてどうだ。復讐に燃える悲劇の王子様だぞ。ピッタリじゃないか」
「俺の中にあるどの要素を取り上げたら俺が復讐に燃える悲劇の王子様になるんだよ」
 俺は慌てて大声で否定した。平穏に生きる陰気キモ男なら演じてやらんでもない。というか演じなくても素で行けばそうなる。
 俺が焦っていると凛が突然手を挙げた。
「しゅーくんがやるなら私もオフィーリアやるよ!」
「なんでだよ」
「だっておもしろそうじゃん! やろうよ!」
 俺は手元で役を確認した。「オフィーリア:大臣の娘でハムレットの恋人。ハムレットが流刑に会い、父親が死に、発狂して歌いながら水死する」。散々な役じゃねえか。発狂して歌うところはちょっと見てみたいけど。
 俺は周囲に押されて何かやらないといけないような気分になっていた。畜生。小道具とかでお茶を濁しとこうと思ったのに。俺がふと大嶋さんの方を見ると、大嶋さんと目があった。大嶋さんは目を細めて口の形で「け・い・お・ん」と言った。ああ、はい、わかってますよ、部長さん。
「いや、御使命はありがたいんだけどさ、俺軽音の方でも副部長で運営やってて、バンドの練習もあるし、まともに練習に参加できないから……」
「じゃあ一番楽な役ならいいんじゃない? 前王の亡霊とか」
 隣に座っていた女の子がニヤニヤしながらそう言った。あ、この人が脚本担当の竹村さんか。いつも黙って本を読んでいる小柄な女の子で、話すのは初めてだ。
「どれくらい楽なの?」
「うん、第一幕しか出てこないよ。ハムレットに『弟と妻に裏切られた。仇を取ってくれ』っていうの。大道具とかで、なんか作るよりも下手すれば楽だよ」
「ああ、うん。じゃあ、それで」
 俺がそう言うと、向井は嬉しそうに手を叩き、クラスの人がそれにならって拍手した。橋本さんが黒板の「前王の亡霊」の所に「桂木」と書き込んだ。なんかまんまとのせられた感があるな。
 それから数十分後、全てのキャストと大道具、小道具、衣装、音響・照明などが皆決まった。結局凛はオフィーリア役をやることになった。まあ見た目だけなら大臣の美しい娘で通せそうだしいいんじゃないだろうか。セリフを勝手にアレンジして下ネタとか言わなければ。あと主役のハムレットは向井になった。向井はイケメンだし、良い声してるから、俺より主役向きだったと思うな。でも向井が主役ならヒロインは橋本さんじゃなくて良かったのかな。まあどうでもいいけど。
 一週間後から練習が始まった。竹村さんは一週間でハムレットを五十分に圧縮して持ってきた。いくつかシーンをすっ飛ばしているものの、有名なセリフや美味しいシーンは残されているし、場面転換なども考慮されてて上手い脚本だった。有能だなこの人。
 俺のセリフは次の三つだけだ。

『わしはお前の父の亡霊だ。決まった期間、夜の間は彷徨い、昼は炎のなかに閉じ込められている、死後の世界のことはこれ以上詳しくは言えない。だが、聞けハムレットよ。復讐してくれ。殺すんだ。ハムレットよ』

『一般にはこう広められている。わしが庭で昼寝をしているとき、毒蛇に噛まれたと。だがこれは嘘だ。いいか、お前の父を噛んだ毒蛇はいま王冠をかぶっている』

『おお、お前の母は、けだものだ。手短に言おう。私は昼寝をしている間に弟に毒殺され、王妃は弟に寝取られたのだ。なんとか復讐してくれ……なんと、朝が近い、もう行かねば。さらばだ、さらばだ、ハムレット、わしのことを忘れるでないぞ』

 一つ一つは長いが、他の配役に比べれば覚えなければならないセリフ数は少ない。幸い暗記はそこそこ得意な方なので特に問題は無い。これをハムレット役の向井に語りかけるというわけだ。しかもこれが劇の冒頭。最初の方のごたごたがカットされていて、親友ホレイショーに導かれて、ハムレットが父の亡霊と出会い復讐を誓うシーンからはじまる。このあと俺は仕事が無い。意外といい役につけた。
 しかしこれだけ暇だと逆に何か仕事しないといけないような気分になると言うものだ。つい五日ほど前に練習があったのだが、第一幕の練習中、俺は演技を色々工夫してみた。
「いいか……お前の父を噛んだ毒蛇は……いま、王冠を、かぶっている」
「プフッ」
「はーい、カットカット」
 橋本さんが手を叩き練習が一時中断される。俺が覚えたセリフをしわがれ声で超溜めながら言ったら向井が笑い始めたのだ。教室の後ろで練習していたのだが、教室に残って見物していた人たちも俺を見て笑った。なんて失礼な奴らだ。名脇役桂木鷲様の演技を笑うとは。
 凛はというと、オフィーリアの出番は第一幕ではカットされているので、教室の隅っこでギターの練習をしている。目にもとまらぬスピードでフレットの高い位置を左手が疾走している。ソロの練習かな。
「ほら、秀平、桂木くん真面目にやってんだから笑わない」
「すまん。顔とかしょっぱくって、面白い」
 橋本さんが向井をたしなめると、向井は笑い顔を崩さないまま謝った。顔がしょっぱいってどういうことだよ。
「桂木くんも、まだそこまで力まなくてもいいとおもうよ」
「ああ、そう、ごめん」
 橋本さんにたしなめられて俺は素直に謝った。なんか面白い顔してたんだろうか。俺は顔面を揉みながら普通の顔に戻し、それからもう一度俺の思う亡霊の王様の顔をした。すると今度は橋本さんまで笑い始めた。
「桂木くん、その顔はやっぱりおかしいよ」
「え、変? 俺の思う亡霊の顔だったんだけど」
「いや、腹を下したマヌケって感じだ」
 向井が顔をひきつらせながら言うので、その顔のまま凛に顔を向けた。凛はこちらを見た瞬間、ギターを弾きながら爆笑し始めた。
 なんてことだ。




 俺は立ち上がった。眠気が最高潮を迎えてしまった。大嶋さんの勧めに従うことにした。
「どこいくの」
 凛が口にパンの食べかすをつけたまま声をかけてくるので、「ちょっと休憩」とだけ言って歩き始めた。本当に眠いし、少し体もだるいので休んだ方がよさそうだ。保健室に行って体調が悪いとか適当なこと言えば寝させてくれるだろう。
 校舎に向って歩きながら、しないといけないことを反芻した。今日は帰ったらノーウェアでやる曲の練習をしないといけない。明日の夜スタジオに入る予定だからな。曲はミスタービッグだけじゃない。残りの曲も完璧ではない。何とかしないと。
 明日は土曜だけど学校に集まって劇の練習にでないといけない。第一幕をどれくらいやるのかは橋本さんに聞かないといけないけど、やらないならベースの練習がしたい。練習しないと追いつかない。
 レフトオーバーズでやる曲の練習もしないといけない。凛に怒られたところだった。まあこっちは夏休み中からやってるから、そこそこできるんだけど、どうもサマソニ以来凛の要求水準が高まってて困る。これは哲平も困っている。頑張らないと。
 あと勉強もしないと……中間試験は文化祭前の十月前半だからそろそろまとめにかからないと後で面倒なことになる。勉強も、しないと。
 そこまで考えて変なことに気が付いた。あれ、体が動かない。体が冷たい。
 冷静になって考えてみると、俺は廊下に倒れていた。あれ。校舎に向ってグラウンドを歩いていたと思ったんだけど。ああ、やらないといけないことを考えているうちに校舎の中に入っていたのか。それで、何で廊下に倒れているんだろう。
 起き上がろうとしたが腕に力が入らない。なんだかよくわからない。ただ、眠い。あと寒い。なんだ、急に残暑が引いたな。どっかから冷たい風が入ってきているのか、凄いぞくぞくする。ああ、涼しくていいな。というか涼しいというより寒いくらいだ。
「しゅーくん!」
 凛が呼ぶ声がする。すまん。今眠くてな。
 今は寝たいんだ。いや、眠るの方がよいのか。
 眠るべきか、寝るべきか、それが問題だ。
 俺は目を閉じた。




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