▼16/02/26更新分から読む


Episode38: 大げさに悲しまずに(後編)




 約束の六時になった。夏だから日が落ちるのが遅いとはいえ、辺りはほんの少しだけ薄暗くなってきた。ソースの焦げるにおいが鼻腔をくすぐり、提灯の明かりが眼底をかすめる。夜の方がお祭りという雰囲気がしていいよな。
 哲平との集合場所に指定していた、自転車置き場の近くにある自動販売機コーナーに行くと、哲平となっちゃんがベンチに仲良く座っているのが見えた。手を振って来たことを知らせたかったのだが、両手がふさがっていたので、俺は仕方なく歩いて行って二人に笑いかけた。
「よう、哲平、早いな」
「お前、それ……」
「なっちゃんも、久しぶりだね」
「いや、桂木君、凛ちゃん……」
「何があったんだ、鷲」
 なっちゃんが唖然と見上げ、哲平が俺を睨みつけるので、俺は力なく微笑んだ。流石にスルーされなかったか。俺はその場で軽くジャンプして、背中で気絶している凛を背負い直した。
「いや、お化け屋敷に入ったんだ」
「あぁ……」
「……アホだな」
 なっちゃんが目を細めてため息をつき、哲平は低い声で罵ったが、俺は何も言い返さず俯いた。いや、今回は反省した。
 ――結論から言うと、凛はお化け屋敷で失神した。
 最初の方は、特に怖いことは無かった。凛はビビりまくって俺の背中に張り付いていたけど、お経が流れていたり、壁が妙な札で埋め尽くされていたり、角を曲がったところに血まみれの不気味な人形が掛かっていたりしたくらいで、そこまで怖いということは無かった。
 本番は中盤からだった。お経の音声がどんどん大きくなる中で、仕掛けもどんどん派手になっていった。暗がりから人が突然倒れ込んで来たり、プラスチックでできた手の様なものが大量に落ちてきたりした。この辺りから凛は自分で歩くのを放棄し、去年と同じように俺が背負って進むことになった。突然床から手が突き出て足を掴まれた時は流石の俺もビビったけど、ここまではなんとか耐えられた。
 最後、少し幅の広い道に、血のように赤い壁で、数十体の目が潰されたマネキンがずらっと並んでいる空間に出た。ここが一番不気味だった。爆音でお経が流れる空間を俺は恐る恐る歩いていたのだが、出口近くに差し掛かった時、遠くの方にいたマネキンの一体が動きだし、叫び声を上げながら追いかけてきた。俺も怖くて走って逃げたのだが凛を背負っているせいで速く走れず、追いつかれてしまった。マネキン役の人は凛の背中に触れたんだけど……その瞬間、凛は恐怖のあまり失神した。
 多分みんな知ってると思うけど、人間は失神すると全身の力が一気に抜ける。凛は俺に必死にしがみついていたのだが、その力を一気に緩めたせいで、俺にかかる負荷が尋常じゃなく大きくなるのだ。結果、バランスを崩した俺は凛を背負ったままこけてしまった。挙句の果てに追いかけてきたマネキン役の人に「だ、大丈夫ですか……?」と声をかけられてしまった。「すいません、ありがとうございます」と声を出すのが精いっぱいだった。
「……というわけでした」
「アホだな」
 凛をベンチに下ろし、自販機で買った水をがぶ飲みしながら一息ついた俺が事情を子細に説明すると、哲平はもう一度同じセリフを繰り返した。俺が子細に仕掛けを説明していると、なっちゃんは怖がって耳をふさいでいた。なっちゃんも怖いの苦手か……見た目通りだな……。
「しかし去年の数倍は怖いな」
「去年全然怖くなかったもんな……哲平の顔の方が怖かったしな……」
「やめろよ……せっかく忘れてたのに思い出しただろ……」
 俺がそう言うと哲平は苦悶の表情を浮かべた。去年はお化け屋敷のキャストの人に哲平が怖がられるという事案が発生した。あれは流石に可哀想だった。哲平が。
「聞いてるだけで怖かった……桂木君、そんな悪趣味な趣味があったんですね」
「反論できない。ところで、なっちゃんはいつからここに?」
「さ、さっきですよ? ゆーちゃんとツッキーに誘われてて、早めに来たら、阪上君がここにいたから、ねぇ、阪上君」
「さっき会った所だよ」
 俺が突然話を振ると、なっちゃんはしどろもどろになりながら答え、哲平が脅すような深い声でフォローした。なるほど、二人っきりでいたのは内緒にするつもりなのか。まぁ俺が哲平やなっちゃんの立場なら同じようにするな、言及されると面倒だからな。それでもなお俺がニヤニヤしながらなっちゃんを見ていると、なっちゃんは恥じらうように俯いた。可愛いな。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 突然、失神していたはずの凛が叫び声を上げた。俺と哲平となっちゃんはビクッとして凛の方を見た。凛は、力なくベンチにもたれていたが、突然起き上がって背筋を伸ばして、真顔で俺の方を見た。俺は恐る恐る声をかけた。
「凛、大丈夫か?」
「んっ……あれ? てっちゃんになっちゃん? ここ、お化け屋敷じゃ……」
「凛、お前は最後の最後で失神したんだ……俺が背負って出てきた……」
「な、なんだ……終わったのか……ハハッ……ハハハハッ……」
 凛が虚ろな目で笑い始めた。
 正直今の叫び声がお化け屋敷のどの仕掛けよりも怖かった。




 さて、意識を取り戻した凛に丁重に詫びたが、凛の怒りは収まらず、俺はたこ焼き三舟を買わされる羽目になった。凛と哲平となっちゃんの分だ。一之瀬様から俺は食ってはならぬとのお触れが出た。なっちゃんは良い子なので断ったのだが、流石の俺も反省したので、凛に逆らわなかった。去年もたこ焼きを奢らせられたから、もしかすると三度目の正直があるかもしれない……来年は気をつけよう。
 大嶋さんとツッキーを探しになっちゃんがどこかへ行った後、俺たちは野外ステージの席を占領し、照明に煌々と照らされるステージを眺めていた。開始数分前、既に観客が席を埋め尽くしている。確か今年も地元のインディーズのバンドが来るって聞いたから、そのファンが席を取っているのだろうか。
 前の方は埋まってしまっていたので、仕方なく三人でステージから一番遠い所に行った。すると、柚木の父親もといギターのおっさんが座っているのが見えた。おっさんはこっちに気が付いて手を振って来たので、俺たちはそちらへ近づいた。哲平が「誰だよ」と耳打ちをしてきたので、俺は「サマパニの時にいってた柚木の父親」と小声で返した。
「おっさん! 昨日ぶり!」
「どうもどうも」
 おっさんは昨日と違うアロハシャツを羽織り、内側に「セレブ」と書かれたTシャツを着ていた。どこで売ってるんだろうそれ。
「鷲くんも……元気にしてたか……?」
「今朝も会いましたよね」
「そしてその後ろにいる人相の悪い人は……」
 そう言いながらおっさんはポケットから携帯電話を取り出しコールしようとしている。その姿を見て慌てて凛が静止した。
「私たちのバンドのドラムのてっちゃん。指名手配犯とかはないから」
「おお、おじさん通報するところだった……」
 おじさんはへらへらっと笑ったが、哲平はむすっとした表情で頭を下げた。最近、初対面の人が少なかったから、このやりとりも久しぶりだな。ってか、見事に哲平と初対面の人みな哲平のこと犯罪者扱いするの、酷いと思う。
 もうすぐはじまりそうだったのでおっさんとの挨拶はそこそこにして、俺たちは席を探した。運良くおっさんから少し離れたところにみっつ席が空いていたので、俺たちはそこに陣取った。席に座ると、多くの人間の頭部が見える。「人間の頭部」って言い方、なんかグロいな……いや、ちゃんと体とくっついてるよ。俺が会場全体をぼーっと見ていると、哲平が小さくため息をついてから、話しかけてきた。
「去年、あんなところでライブしたんだな」
「今見ると結構小さいな」
「あの時は緊張して精一杯だったからな」
 哲平が深く頷く。学校のステージよりは大きいんだけど、自分たちがライブに出る時より気が楽だからか、小さく見える。それに夏フェスの巨大なステージを見た後だとどうしても小さく見えてしまうよな。
 俺がまたステージから放たれる光を見つめていると、凛が小さく袖口を引っ張ってきた。振り向くと凛が俺を見上げていたのだが、口元に青のりがついていた。それを指摘すると、凛は慌てて手の甲で口を拭ってから、話しかけてきた。
「柚木ちゃんたちのバンド、アタマだったっけ?」
「そうだ、そろそろ出てくるはずだ」
「――あ、入場SEだ」
 凛が呟くのでステージの方を見ると、なんだか無駄に壮大な曲がかかり、それとともに柚木たちが入ってきた。倉田は白いシャツに黒いジーンズ、それ以外は皆黒いシャツにデニムのパンツで出てきた。そう言えば去年俺たちが出た時は服装のことなんて全く気にしてなかったな。この時点で俺たち負けてるだろ。
 一曲目が始まった。ギターのフレーズから始まり、一気に嵐のようなイントロに落とさる。確か曲名は、「幾千光年の孤独」だ。ベスト盤に入ってたから覚えてるぞ。タイトに刻まれるドラムの上に、怪しげなベースのリフが乗り、その上を挑発するようにボーカルが走り抜ける。二番が終わると、変拍子のフレーズが始まった。足で刻みながら数えてみたけど、なんだ、これ、七? 六? 四? よくこんなフレーズ合わせられるよな……相当練習したんだろうな。
 ラスサビに入ると、薪の中でくすぶっていた炭が突然爆ぜるように曲が走り出す。ベースが疾走感のあるランニングのフレーズを弾き、それに引きずられるようにして全パートが動いていく。倉田の声に前より音圧を感じるな。もともと不気味なくらい上手かったのに、数か月で滅茶苦茶上手くなったな。
 曲が終わるとまばらな歓声と拍手が上がった。だが、ドラムがそれを無視するようにカウントし、次の曲が始まった。その途端凛が俺の袖口を引っ張った。
「しゅーくん、これ」
「ああ」
 俺は頷いた。こないだ凛と一緒にスタジオ練を聞きに行ったときにやっていた曲だ。「声」。柚木のグレッチから鳴らされるディスト―ションサウンドのメロディーに導かれるようにしてメロが始まる。倉田が情感たっぷりに歌い、それを支えるように8ビートが刻まれる。
 難しいリフを何とか合わせてサビに入るとベースのフレーズが激しさを増し、ボーカルと殴り合うようにして掛け合う。凛に速いところが刻めてないって指摘されて落ち込んでからものすごく練習してたみたいだった。前聞いたから、つい比較して聞いてしまうけど、前より三倍は上手くなったな。
 二番が終わり、ギターソロに入る。ギターソロを支えるようにベースがルートを刻む。ギターソロが終わると、テンポが半分になり、他のパートが静かになる。倉田の声だけが突き抜けるようにして飛んでくる。やはり恐ろしく上手い。というかこの曲やっぱかっこいいな。ベタな展開にクサいメロディだけどぞくぞくしてしまう。

 今走り出す 何処までも新たな旅路をゆく
 決して振り返ることなく
 この限りない情熱で果て無き日々を越える
 ずっと探し続けてゆく
 この儚さを抱きしめて世界の彼方までも
 響け本当の声よ

 曲が終わると先ほどより大きな歓声が上がった。哲平と凛も大きな声で歓声を送っている。俺はちょっと胸をなでおろしながら拍手を送った。身内のライブだとどうしても他人事に思えなくて緊張してしまう。
『どうもみなさん、こんばんは! ザ・ブラック・ヒストリーです!』
 ドラムの松岡がバスドラを連打しながら声を出すと、大きな歓声が上がった。MCが始まると同時にベースとギターがチューニングをはじめ、倉田は大きなペットボトルで水を飲み始めた。そういえばこないだの六月の定期ライブでも松岡がMCやってたな。それは変わんないのか。
『僕たち、あっちの方にある高校の軽音から来て、んで、ザ・バックホーンってバンドのコピーやってます。バンド名のザ・ブラック・ヒストリーってのはその元ネタの頭文字をもじってつけたんですけど……あ、どうしよ、MC考えんの忘れてたんですけど、あと特に話すことねぇな……』
 本当にテンパったような声を出したので笑いが漏れた。おいおい大丈夫か。
『あ、そうそう。こんなでっかいステージで演奏させてもらうの、初めてなので、みんな緊張してます。はい。そこのギターの相川さんなんか緊張を紛らわすためとかいって、さっきお茶飲んでた僕を意味も無く殴ってきたんですけど、これってきっとあれですよね。好きな子には意地悪したがるみたいな……あ、違うみたいですね。本当にありがとうございました』
 チューニングしていた柚木が顔を上げて物凄いしかめっ面をしたので、観客から笑いが漏れた。あいつマジで柚木に気があるのだろうか。いや、冗談だと思うけど。
『さて、気を取り直して、みなさん、お祭りです。年に一回のお祭りですね』
 そう言いながら松岡は適当にドラムを叩いた。それに合わせて観客が歓声を上げた。
『お祭りってのは終わりがあるわけです。終わりがあるせいで、僕らは四曲しかできなくて、もう二曲終わったので、あと二曲です。でも、終わりまで突っ走って行けるような、そんな熱い曲ばかり集めてきました。僕らは後二曲で終わりですが、この後もライブは続きます。どうか、最後まで、突っ走って行ってください、よろしくお願いします!』
 歓声が弾けると同時にギターがコードを掻き鳴らし、なだれ込む様に曲が始まる。聞いたことの無い曲だ。ということはベストに入ってない曲かな。ドラムがエイトビートを刻み、それに並走するようにベースがルートを刻み、時折複雑なリフを入れる。

 共鳴が今夜 証明を鳴らす
 透明な孤独さえ抱きしめて
 凶暴な太陽 獰猛な愛を
 衝動が繋ぐだろう 俺達を

 ボーカルが、激しく、深く歪んだ声で歌う。俺はぞっとしてステージを見つめた。俺だけじゃない。凛も、哲平も、皆がステージに向って前のめりになっている様だった。倉田の表現力の高さに、皆が引き込まれていく。
 ギターソロに続いて、キメが連続するスリリングなフレーズが入る。キメの合間を縫うようにして力強いベースのフレーズが入る。中峰さん滅茶苦茶上手いよなぁ……去年の俺ここまで弾けなかったんじゃないかなぁ。
 曲が終わると、これまでより大きな歓声がステージに鳴り響いた。俺も手を叩いて声を挙げた。だが、それを無視するように松岡が激しいフレーズを叩き始めた。聞き覚えがある。それに合わせるようにしてベースも荒々しいフレーズを弾き始めた。ドラムがスネアを連打したのに合わせて、ドラムとベースが止まり、ギターのフレーズが始まった。「コバルトブルー」だ。
 彼らがこの曲をやってるのを聞くのは二回目だ。前よりも柚木のフレーズがしっかりしているせいか、勢いを感じるな。力強いドラムにつき動かされるようにして曲が進行していく。
 だが、異変が起きた。二番に入ったくらいだろうか。ギターの音が突然途切れたのだ。ギター、エフェクター、アンプを繋いでいるケーブルの接触が悪いと起きる事故だ。柚木は慌てて足元のエフェクターを確認している。ローディーの人も来て、二人で接触を確認している。他の三人は、気づいたみたいだが、だからと言って曲を止めるわけにもいかず、そのまま演奏が続いている。
 中峰さんが途中でフレーズを変えた。スライドや、即興でリフを入れてギターがいないのを誤魔化している。上手い。アドリブなのにかなり複雑なフレーズだし、曲全体を壊してない。観客もそちらに気をそがれて、柚木の方を見ていない用だった。
 サビに入ったくらいで柚木の音が戻ってきた。柚木は無表情のまま弾いているが、焦っているせいかピッキングが雑になっているようだった。それをかばうように松岡がスネアを鳴らししっかりと刻んでいる。
 Cメロに入る。柚木を勇気づけるように、倉田が柚木の方を向いて歌った。柚木は少し真剣な顔つきで、スピーカーに脚を乗せてギターを弾き始めた。

 さあ笑え 笑え
 ほら夜が明ける 今
 俺達は風の中で砕け散り一つになる
 大げさに悲しまずにもう一度始まってく

 ラスサビのキメをきっちり決めた瞬間、鳥肌が立った。キメって多人数でやる音楽の魅力だよなぁ。機材トラブルなどなかったかのように曲が終わり、大きな歓声が会場を包んだ。柚木は無表情で。倉田と松岡は笑いながら。中峰さんはうっすらと微笑んでお辞儀をしてからステージを後にした。
 凛と哲平は拍手をしながら歓声を上げていたが、俺は悪い予感がしてそんな気分ではなかった。これまでの経験上、良い予感はほとんど当たらないのに、悪い予感だけ当たるんだよな……。とにかく、すぐに柚木を観に行かなくてはならないと思った。




 残りのバンドを見たいと主張した凛と哲平を観客席に残して、俺はステージ裏の出演者控え所に向った。空いた俺の席にギターのおっさんが座り、凛や哲平と何か話しているようだったが、俺はそれに耳もくれずに早足で会場を立ち去った。
 去年行った場所とほぼ同じ位置にテントが立っている。出演者控えと言っても、テントの下にパイプ椅子が大量に並べられ、楽器を置くためにビニールシートが敷かれた、簡素な造りのものだった。多くの出演者たちが機材の調整をしたり、ストレッチしたり、大きな声で本番前の興奮を分け合ったりしていた。パッと見たところ中高生風なのが多い。そもそもこれ、近くの音楽スクールの主催でやってるイベントだって去年聞いたしな。みんながうわさしていた地元のインディーバンドはまだ来ていない用だった。それとも、流石にゲストだから、別の控えが用意されてるのかな。
 辺りを見渡すと、地面にへたり込んでいる松岡と、水を飲んでいる倉田と、ベースをしまっている中峰さんが見えた……柚木がいない。悪い予感が当たったみたいだ。
「お、おつかれさま」
「あ、桂木先輩」
 俺がどもりながら声をかけると、倉田がにこやかに迎えてくれた。
「聞いてました? ライブ」
「うん。レフトオーバーズのみんなで聞きに来ててね」
「うわ、一之瀬先輩にも見られたのか」
 そう言って倉田は眉をしかめた。何か凛に見られたらまずいことでもあるのだろうか。俺の内心を読んだのか、倉田は慌てた様子で付け足した。
「いや、上手い人に見られたら後で何言われるかわかんないかなと思って」
「凛はそんな悪いこと言わないと思うよ。それにこの間より三十倍くらい良かったよ、みんな」
「ありがとうございます」
 俺が褒めると、倉田が黙って笑い、中峰さんが嬉しそうに礼を言った。中峰さん、やはり可愛いな。無口だって聞いてたけど、感情が顔に出るから結構わかりやすいよな。
「二曲目の、テンポ半分になるとこ、どうでした?」
「いや、良かったよ。盛り上げてやるぞって気合いが伝わって来たよ」
「えへへ……」
 小さい声で中峰さんが照れ笑いをしたので俺は不覚にもキュンキュンしてしまった。うっ、俺には柚木と言う妻が……いや、妻じゃないんだけど。気持ちをかみ殺すために下を向いたら、黙って地面にへたり込んでいる松岡が見えた。
「松岡くん、いつもみたいに元気ないね」
「いや……ほんと体力消耗して……やばいっすね……」
「君が一番良かったよ。初心者なんでしょ? 信じらんない成長率だね」
「ありがとうございます……あ、でも、桂木先輩に褒められても嬉しくないな。可愛い女の子に、ふぐっ」
 倉田が半笑いで松岡の頭に拳骨を落とした。なるほど、倉田はツッコミもできるのか。オールマイティだな。俺は気を取り直して、本来の目的について聞いてみることにした。
「あのさ、柚木は……」
「さっき、楽器置いた後、お手洗いに行くって言ってましたよ」
「あ、そう」
 俺がそう聞くだろうと待っていたかのように、倉田は笑って答えた。あまりにタイミングが良いので、俺が戸惑っていると、倉田は真顔になって話しかけてきた。
「先輩、ちょっとご相談があるんですけど、二人で」
「へっ?」
「中峰、松岡と待っててくんない?」
「ん?……うん」
 倉田が中峰さんに声をかけると、中峰さんは不思議そうな顔をしたが、すぐに頷いた。
 俺は倉田に導かれ、出演者たちの群れを抜けて、少し先にあった自動販売機の近くまで行った。自販機の青白い光に惹きよせられた蛾が、ひらひらと羽を揺らめかせているのが見える。
 俺は内心びくびくしていた。いや、なんかカツアゲされるみたいな気分になっていた。そんな俺の気持ちもつゆ知らず、倉田はのんびりとした動作で、自販機で何かを買っていた。
「先輩、なんか奢りましょうか?」
「あ、いや、寧ろ俺が奢る立場では……」
「気にしなくていいですよ。お時間頂いたので」
 そう言って倉田は両手に持った缶コーヒーの内の一本を俺に押し付けてきた。ちょっと緊張して喉乾いてたから丁度良かったんだけど、なんか釈然としない気持ちだ。俺たちが近づいてきたのが分かったのかなんだか知らないが、向こうへ飛んでいった蛾を眺めながら、俺は何気ない風を装って倉田に話かけた。
「それで、話って?」
「いや、ちょっと気になったことがあって」
 そう言って倉田は、俺の顔をじっと見たまま、缶コーヒーを空けた。俺も手の上で遊ばせていたコーヒーのプルタブを弾いた。子気味良い音が鼓膜の音をくすぐる。俺は口を湿らすように、コーヒーを飲んだ。
「先輩、相川と付き合ってますよね?」
「ブフゥ!」
 突然核心を突かれたので俺は驚いて口に含んだコーヒーを吹き出してしまった。しまった。余裕ぶってプルタブの音を楽しんだりして精一杯かっこつけてたのに、台無しになってしまった。
「す、すまん、かかった?」
「いえ、大丈夫です。いきなり失礼なこと聞いてすいません」
「いや、ちょっと驚いただけで。アハハ」
 倉田は俺の顔を真剣に見つめたままだ。俺は気を取り直して、背筋を伸ばした。
「なんで? なんでそう思ったの?」
「いや、どう見てもそうなのに、少し前、スタジオ練に来た時に、違うって言ってたから、ちょっと気になったんですよ」
 倉田はそう言ってからコーヒーを飲んだ。俺は思っていることを気取られないようにしながら、倉田を見つめた。
「どう見てもそうってのは……」
「いや、相川を見てると明らかに桂木先輩のことずっと気にかけてるみたいだし、こないだ携帯の待ち受けがちらっと見えたんですけど、桂木先輩の寝顔だったんですよね」
 俺は自分の顔からさっと血の気が引くのが分かった。柚木。あいつ。何してるんだ。そういうミスをやらかさない奴だと思ってたのに。
「桂木先輩が今ここに来たのも、『彼女』を心配して、来たのかなって」
「はぁ……」
 俺は深いため息をついて、コーヒーを一気飲みした。冷たい液体で頭を冷やし、冷静に考えてみる。よく考えれば倉田にバレても特に問題は無い。今のところ、バレたらまずいのは凛だけだ。
 そう考えてから、俺は頭を振った。いや、はやく凛にも教えないといけないんだった。俺はできるだけ声を落ち着けてからまた話し出した。
「うん、そうだよ。俺は、柚木と付き合ってる」
「やっぱり」
「あたりだよ。倉田くん、君探偵になれるよ」
「まあ、分かりやすかったですけどね」
「そんなに?」
「ええ、よく見てたので……それに、一之瀬先輩の前で、隠そうとしてましたよね?」
「ああ……うん、色々あるんだ、そこは」
 俺は目を逸らして、道路の隅に生えていたよくわからない雑草を見ながら、答えた。そこは俺にも結論が見えてないところだし、これ以上聞いてほしくなかった。俺のそんな空気を察したのか、倉田はそれ以上何も聞かなかった。
 さて、今度は俺の番だ。
「あのさ、倉田くん……俺も聞きたいことがあってさ」
「なんでしょう?」
「相川……柚木のことなんだけど、君の目から見て、あいつ、どう?」
「どう、とは」
「いや、馴染めてんのかなぁと思ってさ」
 俺がそう言うと、倉田はおかしそうに喉の奥で笑い声をあげた。やっぱりなんか人を食ったような奴だな、こいつ。俺が少しイラッとした口調で「なんだよ」というと、倉田は笑いをかみ殺すような顔しながら「すいません」と謝った。
「いや、やっぱ、彼氏なんだなと思って」
「違う……いや、違うことないけど、あいつはずっと昔から一緒にいて、家族みたいなもんだからさ、きっと今付き合ってなかったとしても同じこと聞いてると思う」
「そうですか……教室では、馴染めてると思いますよ」
 倉田は少し遠くの方を見ながら、話し始めた。二バンド目が始まったみたいで、聞いたことの無い曲のギターリフが響いてくる。教室では、か。「では」の所にすこし強調が入っていたので、俺は黙って続きを聞いた。
「友達も多いし、綺麗だしよくしゃべるから、男子にも人気がある。勉強もできるし、リーダーシップもある。でも、俺らのバンドの中では、浮いてる、と本人が思ってるみたいですね」
「どういうこと?」
「きっと本人は口にしてる以上にダブってることを気にしてるんだと思いますよ。あいつ、強がりじゃないですか? 私は何ともないよというフリしてるけど、きっと内心怒ったり傷ついたりしてて、それを人に見せないようにして、なんでも自分でできるっていう雰囲気にしてるとこ、ありません?」
「ある」
 俺は空になったコーヒーの缶を手のひらで転がしながら舌を巻いた。倉田は、俺が気づくのに十五年ほどかかった柚木の性格を、一年もたたないうちに見抜いていたのだ。客観的な証拠を示されて分かったけど、やっぱり俺、鈍感なんだな。気づくのがもっと早ければもっと早い段階で付き合ってたよ。
「それでうちのバンドの話なんですけど、中峰は、無口だけど感情は良くわかる奴だから、相川に対して年上として気を遣っているのが良くわかっちゃうんですよ。でも、悪気はないんです。そもそも人付き合い全般が苦手そうだし」
「ほんとよくわかるよな」
「みてればわかりますよ」
 倉田が微笑みながら当然のように言うので俺は目を逸らした。それができないのがコミュ障なんだよな。
「松岡は、全部わかっててあのおバカキャラでいってるんですよ。中峰が気を遣ってることも、相川がそれに気をもんでることもなんとなくわかってて、ああやって相川に対しておどけて、同等に扱ってるぞっていう雰囲気を出そうとしてる」
「あれ演技なの?」
「いや、演技ではないと思いますよ。教室でもあんな感じみたいだし。でも、きっと俺たちの中であいつだけ初心者だから、本当は遠慮してるんだと思うだけです」
「なるほど」
「ただ、相川は賢いから……松岡がそうやって自分に気を遣ってくれているってこともわかって、だから浮いてると思ってるんだろうな、きっと」
 そう言ってから、倉田は手に持っていた缶コーヒーをぐいっと飲んだ。俺は、潮風に乗って飛んできたソースの匂いを嗅ぎながら、ステージの方から聞こえてくるバスドラの音を聞いて、ため息をついた。俺もこれくらい人の考えてることが分かればいいんだけどなぁ。
「倉田くんは、どう振る舞ってるの?」
「俺は別に特になんにも考えてないですね。きっとそうやるのが一番相川にプレッシャーが無いだろうと思って。中峰みたいに無言で気を遣うのもダメで、松岡みたいにあからさまに気を遣うのもダメなら、何もしないのがきっと一番ですね」
「そうか……お前、『何考えてるかわからん』って柚木に言われてたしな」
「わはは、それは色んな人によく言われます……でも、ほんとは、あんまり何にも考えてないし、すごく単純なんですけどね」
「そうなの?」
 俺が聞くと、倉田は黙って空を見上げた。俺もつられて夜空を見た。最初はちょっとしか見えてなかったんだけど、目が慣れてくると無数の星が輝いているのが分かった。倉田は、きっとこうやってじっと色んなものを見てるんだろうな。
 俺が良くわからない感傷に浸っていると、倉田が突然話し始めた。
「あの、あんまり関係ないですけど、俺、ギターと歌始めたの、去年なんです」
「えっ、じゃあ、一年半くらいでこの実力ってこと?」
「どの実力か知らないですけど、正確に言うと丁度一年前ですね」
 俺が目を見開いて倉田の方を見ると、倉田はおかしそうに笑い声をあげた。一年でこんな上手くなる奴がいるはずがないだろ。
「丁度、ってことは、この夏祭りの日にってこと?」
「そうですね」
「ってことは、俺たちのライブも」
「見ました」
「うっ、その節は、お粗末なものをお見せしてしまい大変申し訳ございません」
「いやいや、感動しましたよ……というか、先輩たちのライブを見て、俺もギターやろうと思ったんですよ」
「ほんと? 嘘くさいな」
「何言ってんですか、ほんとですよ」
 おどけた調子でそう言って倉田は立ち上がった。手に持っていた缶をゴミ箱に投げ捨て、テントの方に二、三歩歩いてから振り返った。それを見てから俺も立ちあがった。
「話、聞かせてもらってありがとうございます」
「いや、こちらこそ、ありがとう」
「あと、相川ならこの先を少し行ったところにある、駐車場の横の自動販売機コーナーにいると思いますよ」
 倉田が何の気も無いようにそう言ったのを聞いて、俺は口をぽかんと明けた。俺が相当間の抜けた顔をしていたからか、倉田はおかしそうに顔を歪めた。ほんとうに何もかも見抜かれてるんだな。
「ありがとう、助かる……本当に何でも分かるんだな……」
「よく見てますからね。それに、相川は……俺と似てるから、読めるんですよ」
「え?」
「いや、なんでもないです。冗談です。誰も何も怒ってないし、焼きそば買っとくから早く戻ってこいとお伝えください」
 そう言って笑ってお辞儀をしてから、倉田はテントの方に歩いて行った。
 俺は倉田がテントの影に隠れるまで見ていた。




 倉田が行った場所に行くと、本当に柚木がいた。というか、ライブが始まる前、俺と凛と哲平となっちゃんが会った所だった。
 柚木はベンチの上で体育座りをして、顔を伏せていた。体育座りってわかるかな。あの三画座りともいう、あれ。座って膝を立てて、膝を抱えるみたいにして座るやつ。あれ正式にはなんていうんだろう。そんなバカなことを考えながら、俺は柚木の隣に座った。柚木は顔を上げなかった。
「何やってんだ」
「何もしてない」
 俺が座ったのに気付いていたのか、柚木は顔も上げずに答えた。俺は顔を上げてくれない柚木の肩にそっと手を当てて、ゆっくりと言い聞かせるように話し始めた。
「落ち込むな。機材トラブルはお前のせいじゃない。機材のせいだ」
「ちがう。私、本番前のスタジオでもチューナーの接触がおかしいってこと、気づいてたの。でも、本番前の音出しでも大丈夫だったし……三曲目までは大丈夫だったのに……」
「ちゃんと二番サビでは戻ってこれたじゃん」
「その後も気が動転しちゃって、暫く適当にしか弾けなくて……」
「でも、戻ってこれたでしょ、ラスサビは感動したよ。キメからの展開で鳥肌が立った」
「でも」
「柚木」
 柚木が顔を上げたので、俺はすかさず両肩を掴んだ。涙の跡で酷い顔だ。いや、可愛いよ。可愛いんだけど。俺はできるだけ深く、大きな声を出した。
「二番メロとサビとCメロ、何が起きてたか覚えてるか?」
「え……聞いてたかもしれないけど、何が起きてたか覚えてない」
「お前の音が鳴ってない間、中峰さんがずっとアドリブで音を埋めてた。お前がヘロヘロとコード弾いてる間、松岡がずっと刻んでた。お前が二番終わってもマヌケな音出してる時に、倉田がお前の方を見て歌ってた。みんなお前のこと心配してたんだよ。バンドはお前一人でやってるんじゃないんだ。周りを見ろ。倉田も、中峰さんも、松岡もいたんだよ」
「じゃあ、やっぱり、私のせいで……みんなに……」
「ちがうって。みんなお前が好きだから、お前と最後までコバルトブルーがやりたかったからやったんだよ。一人で何でもしようとするな。バンドは四人で、お前はギターだ。ギタリストでしかないんだよ」
 俺がそう言うと、柚木はまた泣きそうな顔をした。俺は咄嗟に掴んでいた肩を離した。無意識に強く肩を握りすぎていた。俺は小さくごめんと謝ってから、手を握ったり開いたりした。
 俺は深くため息をついた。めずらしく心底落ち込んでいる柚木を前にして、どう声をかけてあげればいいのか、分からなくなってしまった。何も言えなくなって、困ってしまって、とりあえず空を眺めていると、自販機から突然拍手の音がした。柚木がビクッとなって音の鳴った方に顔を向け、俺もつられてそちらを見た。
「『お前はギターだ、ギタリストでしかないんだよ』か。いいこと言うじゃん」
「鷲のくせにな」
 物陰から見知った顔が出てきた。俺は驚いて開いた口を何とかふさぎ、喉の奥から声を出した。
「優……華菜……なんでここに……」
「ちょっと飲み物を買いに来た」
「出店で買うと妙に高いからねー」
 木田優と向井華菜。俺と柚木が中学校の時に一緒にバンドをしていたときのメンバーだ。二人ともそれぞれ違う学校に行ってるのでなかなか会えなくて、確か去年の秋の文化祭で出会った時以来だから、一年ぶりくらいに見た。
 優はヴァン・ヘイレンのTシャツを着て、黒いタイトジーンズをはいている。華菜はスニーカーに涼しげなワンピースを着ている。俺は二人をじろじろ見ていたが、華菜がしかめっ面をしたので目を逸らしてから口を開いた。
「一年ぶりくらいだな……柚木、お前呼んでたのか」
「ううん。呼んでない? なんでいるの」
「このイベント、そもそも俺の行ってるミュージックスクールが主催だからな。俺も二バンド後くらいにオリジナルのバンドででるんだよ。華菜は俺が誘った」
 優が半笑いでそう言うと、華菜も頷いた。なるほど、だから優は今からライブに出るみたいな恰好をしているのか。
「じゃあ、もうすぐ行かないといけないんじゃ」
「まぁ、そうなんだけどさ、まだ余裕あるから。あのさ、柚木」
「……なに?」
「今は落ち込んでるからわかんないと思うけどさ、お前は上手くなってるよ……ジャズコのインプットの穴の数見て『どこにさすのぉ?』とか言ってた頃から見てる俺が言うんだから、さ」
「それは……そこから比べれば……」
「それに、最後の曲でトラブったけど、それ以外は完璧だったんだから。元気だせって」
 いつも皮肉しかいわない優が、珍しく優しいことを言っているので、俺はちょっと笑いそうになった。優って名前のくせに全然優しいこと言わない奴だからなぁ。俺が笑いをかみ殺していると、華菜がそれを見てニヤッと笑った。その無言のやり取りに気づいたのか気づいていないのかよくわからないが、優が振り返って突然俺の方を向いた。
「あと、鷲。あのさ、華菜とさっき話してて、俺のライブが終わった後でちゃんと相談したいんだけどさ」
「なに?」
「ノーウェアで、一回だけ復活ライブしないか?」
「えっ……」
「だから、もう一回、俺たち四人でライブしようぜ」
 俺は驚いて柚木の方を見た。柚木も俺の方を見た。俺たちが驚いているのを見て、優は苦笑いし、華菜はうっすらと微笑んだ。突然、さっきのコバルトブルーのフレーズを思い出し、耳の奥で音が疼いているように感じた。
 大げさに悲しまずに。
 もう一度、始まっていく。






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