2015/10/10更新分から読む


Episode32: プライバシーなど無かった




「夏フェスという奴があるらしい」
 夏の日差しも眩しい七月半ば。練習終わりに楽器を片付けていると凛が突然そんなことを言いだした。新館の全教室にエアコンがついたというのに、俺たちが不等占拠して練習室に改造した教室のある旧館にはエアコンが無い。大きい音を出すので窓を開けるわけにもいかず、一時間練習するだけで体中の水分を吸い取られるほど暑いのだ。哲平が買ってきた安い扇風機にも流石に空気を冷やす能力までは期待できない。俺はシャツの胸の辺りをパタパタと動かし、服の内側に空気を流し込んでいた。
「ねぇ、聞いてる?」
「あ、ごめん、暑くて全然集中してなかった」
「むー……いやでも暑いけど……」
 凛も少し赤い顔で暑そうに団扇をパタパタと動かした。暑さで少し上気した頬がなんかエロい……黙ってればその辺のアイドルよりずっとかわいいのになぁ。哲平はと言うと扇風機の風を全身に浴びて汗を乾かしている。ドラム叩くのって全身運動だし、きっとドラマーが一番暑いんだろうな。
 俺がそんなことを考えながら黙っていると、哲平が凛の話を受け継いだ。
「夏フェスがどうしたって?」
「ああ、そう、夏フェスってのがあるらしいんだよ。なんとね、たくさんのバンドが集まって一日中ライブするっていうイベントなんだよ! すごくない?!」
 哲平と俺は顔を見合わせた。凛があんまりに凄いことのように言うので冗談じゃないかと思ったが、哲平は目で「こいつマジで言ってるぞ」とメッセージを送ってきた。
「凄いよね! 夢のようなイベントだね! 知ってた?」
「知ってた」
「ああ、普通に」
 俺たちが即答すると、凛は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、「へっ?」っと拍子抜けた声を出した。
「もしかして、知らなかったの私だけ?」
「そうみたいだな」
「むー! 早く教えてよこのヘタレチ○コと腐れヤ○ザ!」
「酷い」
 なぜ教えなかっただけでここまでボロカス言われなければならないんだろうか……というか常識なのでは。けい○ん!でも話題になってたじゃないか。なんでこいつは今までギター握ってて夏フェスの存在を知らなかったんだ。俺はシールドを八の字巻に仕上げて、ベースの前ポケットに突っこんでジッパーを閉めながら、目に見えて落ち込んでいる凛に話を続けた。
「それで、夏フェスがどうかしたのか」
「そう、今年のサマーパニックっていう夏フェスに……なんと……驚かないでよ?」
「ああ」
「そう、なんと! レッチリが来るんだよ! すごい! すごいでしょ! 驚け!!」
「知ってた」
「キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!」
 俺が即答すると、凛が白目をむきながら殴りかかってきたので、俺は咄嗟にかわした。凛はそのまま壁に突っ込んで額をしこたま打った。ゴンッ、と嫌な音がした。
「いったーい……よけないでよ!」
「お前は目の前から変態が殴りかかってきたらよけないのか! よけるだろ!」
「いいじゃん! ちょっとびっくりさせたかったんだよ! 盛り上げたかったんだよ!」
「日常生活に過剰な演出はいらないだろ!テレビの見すぎだ!」
 俺が大声で怒っていると、哲平がいつものドス声で俺に首肯する。
「今時インターネットもあるんだからそういう情報は普通に手に入るだろ」
「むー……知らなかったから私はびっくりしたんだよ……」
 涙目で額を押さえる凛を見ながら、俺はフンと鼻から息を出した。話が下手な癖に謎の小技を弄しようとするからそう言うことになるんだ。
「しゅーくんとてっちゃんは行く? サマパニの会場近いでしょ?」
「いや、チケット代高くてあきらめた。一日行くだけですげー金かかるからな……レッチリは見たかったけど」
「俺もだ」
 サマパニは二日間開催なのだが、一日チケットで一万円を超える。安い小遣いでやりくりしている俺には少し難しい出費だった。哲平も頷いている。それを見ながら凛は得意そうな表情で笑い、スクールバックをごそごそし始めた。
「なるほど……さて、驚け!」
「なんでそんな驚かせたがってるんだ」
「いいじゃんそういうお年頃なんだよ……あった」
 俺の質問を無視してごそごそやり続けていた凛は、やっとクリアファイルから三枚の紙切れを取り出し、俺らに突き付けた。
「ここにサマパニのチケットが三枚あります」
「えっ?」
「はっ?」
 俺と哲平はようやく驚いた。コンビニでプリントしたらしいチケットが扇風機の風で頼りなく揺れている。凛はますます得意げな顔でそれをさらにひらひらさせた。
「一日券なんだけど……もちろんレッチリの出る日なんだけど、一緒に行かない?」
「どうしたんだ、それ」
「お父さんの友達がチケット取ってたんだけど、仕事でいけなくなったからって、タダでもらったんだって! びっくりだよね!」
 哲平がびっくりした顔のまま凛に尋ねると、凛は得意そうにそう答えた。普通にネットとかで売ったら原価で売れたんじゃないかと思ったが黙っておいた。
「俺は行くぞ、鷲は?」
「ああ……」
 哲平が興奮気味に聞くので、行く、と言いかけて一瞬柚木の顔がよぎった。あいつも行きたがるだろうな。夏フェス自体行ったことないだろうけど、加えてレッチリだもんな。でもチケットは三枚しかない……俺は一生に一度しかないかもしれない機会に目がくらんでしまった。
「行くよ、もちろん」
「やった! じゃあ、決まりだね!」
 そう言って、暑さを忘れたように楽しそうに笑う凛を見ながら、俺は柚木になんと言い訳したものかと思案を巡らせていた。



 赤と金の装飾が視界の大半を埋めるという経験を、君はしたことがあるか。
 今俺はそんな体験をしている。どこからともなく香ってくる正体不明の香辛料の匂いが鼻の奥を刺激し、喧騒の中で中国語がやけに鮮明に聞こえる。そう、ここは中華街。日本にありながら、日本ならざる空間だ。
「鷲、なにぶつぶつ言ってんの?」
「いや、臨場感あるモノローグがこの場で要求されていると思って」
「何言ってんのよ。はい、肉まん」
 柚木はそう言いながら、買ってきた肉まんを俺に渡してくれた。肉まんについた薄い竹の皮をぺりぺりとはがしながら、柚木は上機嫌な声で話す。
「そう言えば『肉まん』って呼び方、関西圏だけらしいね。関東では豚まん」
「へぇ。知らなかった。でも肉まんの方がエロい感じするよな」
 俺がそういうと柚木は肉まんを持ってない方の手で耳をつねってきた。痛い。
「何下らないこと言ってんの……凛ちゃんの下ネタがうつってきたんじゃない?」
「うつっていることは否定しないな」
「デート中に他の女の話をするな!」
「名前出したのはおまえだろ!」
 怒ったように見えるが、やはり柚木は上機嫌だった。
 デートをしようと約束してから数週間。バンド練習の予定だのテスト期間だのが色々と立て続けにあったせいで、その約束を果たすのがずいぶん遅れてしまった。でもそのおかげでデートプランを立てるのに十分な時間があった。俺はインターネットや雑誌を死ぬほど見て、手帳にこれでもかというほどメモを取りまくり、電車で十五分ほど行ったところにある大きな街を選んだ。近場にして知り合いに出会っても恥ずかしいし、かといって遠くまで行く金も足も無い。地理的な面で言えば良いチョイスだったと思う。
 この街はもともと外国人の居留地として栄えた港町で、中華街や洋館などと共に、大きな商業施設なんかもある。昔大きな地震があってこの辺り一帯も酷い被害があったらしいけど、今は見る影も無く栄えている。俺も親に連れられて何度か行ったことがあったけど、こんな風に観光者目線で来るのは初めてだった。
 もふもふと肉まんを頬張りながら、柚木は溜息をつくように声を漏らした。
「この肉まん、おいしい」
「確かに……コンビニで売ってるカスカスのものとは違う。確かな肉感と、噛むたびにあふれ出す肉汁。美味である」
「何目指してるのよ」
「将来的には食レポもできるといいなと思って」
「まーた適当なことばっか言って……ね、この後どうするの?」
 柚木がそう聞くので、俺は脳内の行動計画表を参照した。手帳に時間単位で計画表を書き、何度も復唱し、脳内に叩きこんだ。この後は海辺に向かう予定だ。もうありえないくらいに綿密に予定を練って、全日の夜には何回も脳内でシミュレートした。おかげでよく眠れなかった。
「次は、海を見に行こう」



 肉まんを食べ終わった後、中華街を抜け、大通りを南に向けて歩いていくと、海が見えてきた。海沿いに大きな観覧車やタワーがある。だが、観覧車に乗るほどのお金は無かった。バイトもしてないし無理なもんは無理なのだ。そういえばネットを見てたら、あの観覧車、あれに乗ったカップルは別れるというジンクスがあると聞いた。まあ、学生カップルのうち、付き合ってからそのまま一生添い届ける人がどれくらいいるかと考えたら別れる方が多いのは当然だ。でも気にしなかったと言えば嘘になる。
 海が間近に見える広場まで出てきた。海風が強い。潮の匂いを含んだ風が音を立てて吹いてくる。焼きつけるような強い日差しが、白いコンクリの地面に反射している。暑いのは暑いんだけど、海風のおかげでそこまででもない。俺は段差に腰かけて海風を体に受けていた。
「涼しいねー」
「ああ」
 柚木は立ち上がって両手を広げ、海風を全身で受けている。
 ポニーテールで纏められた髪が風に流されて浮き上がる。
 青いワンピースが風を受けて波打ち、パタパタと涼しげな音を立てる。
 自分の彼女ながら……改めて言うとアレだな、恥ずかしいな。いや、敢えて言おう。自分の彼女ながら、凄い美少女に見える。未だにテレビ局のスカウトが来ないのはおかしい。かといってスカウトされてアイドルになって週刊誌で水着グラビアとか見ても複雑な気分になるな。俺だってまだ生で見たことないのに全国の皆様に柚木の姿をお届けするとは……と、俺がそんな傲慢なことを考えている間に、柚木は何やら難しげな表情で水平線を見つめていた。
「海は広いね」
「童謡になってるくらいだしな」
 柚木が小学生みたいな感想をおもむろに話し出したので、俺は少し笑いながらそれに応えた。海は広いな、大きいな、月は昇るし、日は沈む。柚木は目を細めて水平線の先を見据えながら、言葉を続ける。
「海を見てると、なんかでっかいことしてやろーって気になるよね」
「そうか? 俺はこの先に何があるのかと思って怖くなるな」
「鷲、男らしくないぞ」
「何を今さら」  柚木が非難めいた声でしかりつけてくるので、俺はおどけた声を作って言い返した。そう、俺は自他ともに認めるヘタレチキンなのだ。柚木はまだ立って海の方を見つめているが、ふと、呟くように話し始めた。
「でも、今日はなんだか彼氏っぽいなと思ったよ」
「え……?」
 柚木はこちらを見下ろし、はにかんだような顔でこちらを見ている。俺は突然言われ慣れてない様なことを言われて、焦って言葉が出なくなってしまった。ちょっと嬉しいけどそう言うのいう時は予告してからにしてほしい。
「デートコース、一から十まで決めたんでしょ?」
「ああ、まあそういうのも一回くらいはやってみたいと思って」
「なんか彼氏にリードされてるって感じで、良かった」
「やめろよ、恥ずかしいだろ」
 褒められ慣れてないので顔が赤くなってしてしまう。俺が顔を覆っていると、柚木はそのままの声のトーンで話を続けた。
「鷲」
「何?」
「なんか隠してるでしょ?」
 ばれた。声のトーンはそのままだったので怒っている様には聞こえなかったが、どこか怒っているような響きがあった。俺は怒らせない様に慎重に言葉を選んだ。
「いや、何も……何で?」
「だって私の機嫌とろうとしてるでしょ」
「いや、デートなんだから柚木に楽しんでもらおうと……」
「そうじゃなくて、なんか必要以上に私の機嫌を気遣ってる気がして」
「そもそもデートコースはずっと前から考えてたし……」
「知ってる。鷲のパソコンの検索履歴見たらわかるし」
 え、聞いてないぞ、それ。
「マジか……お前そんなとこまで確認してるのか」
「つい最近『紗○まな』で検索してたよね」
「うわあああああああああ」
 もうなんなのこいつ!俺のプライベートとか無いの? 以前は物理的媒体を用いる派だったのだが、その物理的媒体を何度用意しても隠し場所を柚木に暴かれ捨てられるので、遂に時代の最先端に乗っかってデジタル化したのだ。確かに紗○まなで検索したし見つかった画像を使ったけど……何に使ったのかは聞くな……後生だ……。
「今度から履歴消すか……パスワードも変える……」
「セキュリティ意識もメディアリテラシーのうちだぞ!」
「お前はもっと俺のプライバシーを尊重しろ!」
「知る権利!」
 なんだこの社会学界隈で出てきそうな単語の応酬は。
「話し戻すけど、なんか隠してるでしょ? 根拠は無いけど。勘」
「……隠してたつもりじゃないんだけど」
 俺は溜息をつきながら、白状する覚悟を決めた。デート中に言ったらきっと機嫌悪くなるだろうと思ってたから、今日帰ってから言おうと思ってたのに。最近柚木のことがなんとなくわかってきたような気がしていたが、やっぱり勝てないな。
「レフトオーバーズの三人で、サマパニに行くことになった。一日だけだけど」
「え……マジで?」
「マジ。大マジ」
「レッチリが来る日?」
「そう。それ」
「えええええ……いいなぁ……いいなぁ……」
 柚木は俺の顔を覗き込んで「いいなぁ」ともう一度繰り返した。
「私も行きたいー!」
「いや、凛が譲ってもらったチケットらしいんだけど、三枚しか無くて」
「鷲の分私がもらってあげよう」
「嫌だよ」
 柚木はわかってるよと小声で言って、俺の隣に腰かけてきた。俺の右腕に、柚木の左腕が触れる。少し汗ばんだ二の腕は、ひんやりして気持ち良かった。
「ってかなに、そんなことで怒ると思ってたの?」
「仲間外れにしたみたいで、嫌だなと思って……あとレッチリだし」
「仕方ないじゃん。凛ちゃんが用意したんでしょ? なら私の分は無くて当然」
 私の分は無くて当然? まるで凛が柚木のことを敵視しているような言い方だ……そんな素振り凛はしてたかな。柚木は柚木で鋭い奴だから考えすぎかもしれない。とにかく、意外に柚木はそこまで悔しがって無いようだった。心配して損した。
「ちゃんとセットリスト覚えてくるんだよ」
「はいはい」
「そうだ、私も隠してたっていうか言ってなかったことあったんだけど」
 俺は意表を突かれたので驚いて柚木の方を見た。柚木は相変わらず海を見つめている。
「鷲が去年出てたライブあったでしょ? 海浜公園でやってたやつ」
「あ、うん」
「あれに出ることになった」
「マジか」
 それは驚きだ。去年の思い出がフラッシュバックする。かなり大きなステージだったし人も多かったせいですげー緊張したのを思い出した。そういえば初めて凛や哲平に柚木を紹介したのもあの日だったな。
「ベースの子、中峰さんって言うんだけど、あのライブ主催してる音楽学校にいってたらしくて、一枠埋まらなかったから出てくれって言われたらしいよ」
「なるほどそれで」
 なんか俺らの時もそんな感じの理由で出たけど、そのイベント大丈夫なんだろうか。
「それで、お願いがあるんだけど」
「なんだよ……」
 柚木がそう言ってニヤリとするので、背筋が凍った。嫌な予感しかしない。
「鷲、こないだ部屋でバクホンコピーしてたでしょ」
「なぜそれを」
 柚木が置いて行ったCDを聞いてたら、ベースラインがかっこいい曲が何曲もあったので、興味本位で練習していたのだ。なんかそこまで知られてるのか……本当に俺のプライバシー、存在しないんだな。
「いっかい、私たちのバンド練に来てよ。セッションしよ」
「は?」
 柚木は何かをたくらむような含みのある笑いをしている。
「いいけど、なんで……」
「中峰さんが教えてほしいって言ってたよ」
「教えることなんも無いよ……」
 こないだの柚木のライブ聞いて思ったけど、中峰さん十分上手い。女の子なのにフィジカルもある。ってか俺より弾けるんじゃないかと思ったんだけど。流石にスクールに通ってるだけあるな。独学で適当にやった野良ベーシストの俺とは違う。
「あと、倉田も鷲とまた話したいって言ってたよ。ね? いいでしょ」
 そこまで言われたら断る理由も無い。もっと練習しとかなきゃな。
「まあ暇な時なら」
「じゃあ明日ね」
「いやいや待て待て」
 こいつ今俺が暇なときつったの聞こえなかったのか。
「明日は夜七時から凛ちゃんちのスタジオで練習。授業終わった後からそこまで暇でしょ? で、私ら学校の練習室、予約してあるから、終わったら集合ね」
「いやそうだけど……勉強とかもしたいし……ってかなんで知ってんだよ」
「鷲の手帳に」
「お、おおおおお、俺の手帳?」
「書いてたでしょ?」
「ちょっと待ってそこまで見てたの?!」
「ちなみにサマパニに行くことも、今日どこに行くのかも知ってた」
「ぅぉげふっ!」
 びっくりしすぎて声にならない声が出た。それを聞いて柚木は高笑いしている。
 なんというか、怒りを通り越してあきれた。そうか……俺にプライバシーなんて無かったんだ。ってかそもそも柚木にこの手の小細工で何かを隠そうとすること自体が間違いだった。いや、良い子のみんなはマネしちゃダメだよ! いくら彼氏だからってプライバシーを守らなくていいってことはないんだよ! 鷲お兄さんとの約束だよ!
 今日の結論。プライバシーは尊重しましょう。




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