Episode30:みんな大好き黒い歴史





「まぁ、その、そういうことがあって……」
 顔を赤らめながら話すなっちゃんを見ていた俺は、驚きのあまり口を半開きにしていたことに暫く気づかなかった。一緒に話を聞いていた大嶋さんも似たような顔になっている。話がよく呑み込めていない凛だけは無駄に口をもごもごと動かして弁当を食べていた。あれだ。アルパカとかリャマの口の動かし方にそっくりだ。
 昼休みの教室で、次のライブの打ち合わせをするため大嶋さんと昼ご飯を食べる予定になっていたのだが、一緒に食べる人のいなくなった凛となっちゃんがついて来て、結局4人で食べることになった。ライブの打ち合わせを早々に終えた後、大嶋さんがなんとなく先週末の話をなっちゃんに聞いたのが始まりだった。
 なっちゃんが哲平の家に行き、そのままファミレスへ行って長々と話し込んだという話を聞いたのだ。それってつまり……。
「それってつまりデートっていうんだと思うんだけど……な、なんか、話が進み過ぎてない? 休載中に何かあったの?」
「休載中ってなんですか。でも確かに話は急速に進んでます」
 誰も口を開かないので俺が話を続けると、なっちゃんは深く頷いた。
「こないだまで二人で話すのもやっとだったのに。哲平の家の場所とかいつ知ったの」
「一回だけ行ったことあるんですよ。漫画を借して貰いに帰り道で少し寄っただけなんですけど……その時に暇なときだったらいつ来てもいいって言われて」
「あいつめ……」
 俺は驚いた。哲平も哲平だ。家に呼んだなんて話全然聞いてなかったし、なっちゃんの好意を受け止めているかのような言動じゃないか。意外とあいつもアクティブだな。
 俺が口内の卵焼きを租借しながら、友人の性格に対する認識を改めていると、先程から表情が微動だにしていなかった大嶋さんが動き始めた。
「ゥフフフフ……こんな幼い顔して……この隠れ肉食獣が……!」
「にくっ……うわっ止めてゆーちゃん!」
「ゥフフフフ」
 何を思ったのか大嶋さんはなっちゃんの頬肉を掴んで揉んだり引っ張ったりし始めた。隠れ肉食獣ってすごい表現だな。モグラとかそういう感じだろうか。あんまりそういうイメージ無いけど、モグラって実は肉食動物に分類されるんだよね。これ豆知識ね。
 ふと、先程から全く発言していない凛の方を見ると、弁当を既に食べ終え、顔をしかめて俯きながら、何やら考え込んでいた。窓から差し込む光が、凜の顔に影をとしている。なんだかアンニュイな雰囲気が漂っているようないないような。
「どうしたんだ、凛」
「しゅーくん、これはつまり……いや、そうなのか……?」
「なんだよ」
「なっちゃんとてっちゃんが良い感じなんだよね?」
「ああ、うん……そうらしいな」
 どうでもいいけどなっちゃんとてっちゃんって韻踏んでるな。
「付き合うとするじゃん」
「お、おぉ……」
「てっちゃんは身長百八十ちょいでしょ? なっちゃんは身長百五十無いでしょ? とすると問題が起きる」
「問題? 何が?」
「ほら、身長差ありすぎるとできないかもしれないじゃん。シックスナ……いったぁい!」
 俺は凛の脳天めがけて拳を高速で垂直に落とした。反作用で拳に痛みが返ってきた。意外と石頭だな……ってそんな感想を抱いている場合じゃない。目の前の意味不明すぎる現実につい目をそらしたくなってしまっていた。白昼堂々何を言い出すんだこいつは。
「むー! 女の子に暴力をふるう奴はモテないんだよ!」
「平然とえぐい下ネタを放つ女の子はモテないんだぞ」
「それは正しい」
「納得するなら反省しろ」
 悪びれる様子も無くドヤ顔で返事をする凛を、俺は強く睨んだ。こいつは全くもって節操というものを知らないからほんとに困る。
「大嶋さん、ごめんねうちのアホが」
「ううん、何にも聞こえなかった。うんうん、ゥフフフ」
 あ、これ聞こえてた上に意味も伝わってる。大嶋さん意外と耳年増だな。
「桂木、ちょっといいか」
 丁度困っていたところでクラスの野球部の男子が俺に話しかけてきた。名前はなんだったっけ……二年になってからクラスになった奴なのであんまり覚えてない。確か渡辺だったと思う。うん渡辺だ、多分。
「何かあった?」
「ああ、なんかそこの廊下でお前を呼んでる一年生女子がいるんだが。呼んできてくれって頼まれたんだ」
「え? わかった、行くよ」
 ああ、柚木かな。何の用だろう。俺が席を立とうとすると、凛が首を伸ばすようにしてこちらに向けて来て、文字通り話に首を突っ込んできた。
「え? だれだれ? ゆきちゃん?……ぐへぇ」
「お前は黙って反省していろよ」
 凛の頭を支えにするようにして抑えつけながら席を立つと、凛は踏みつぶされたカエルのような奇妙な声を出した。それを無視して廊下に近づくと、少し離れたところに柚木が立っているのが見えた。笑いながら小さく手を振ってくる。渡辺(仮)が俺の耳元で囁くように話しかけてきた。まだいたのか渡辺(仮)。
「ところであの子もの凄い綺麗だな。お前とどういう関係なんだ」
「幼馴染だよ」
「いいなぁ……な、あの子紹介してくれよ」
「ああ、彼氏いるみたいだし、やめといたほうが良いよ」
「そうか。だよな……じゃあ別れたと聞いたら教えてくれ」
「覚えてたらね」
 そう言い残して渡辺は去って行った。さようなら渡辺(仮)。多分あと数十年は別れないだろうし別れてもお前だけには絶対報告しないよ。それに柚木は坊主頭はあまり好きじゃないだろう。
 柚木は何やら含み笑いしているような顔でこちらを見ていた。制服を着た柚木を学校で見るのってなんだか不思議な感覚だ。俺はさっき凛を殴ったせいで痛む右手を左手でさすりながら、柚木に話しかけた。
「なんか用か?」
「今日、練習で遅くなって、その後みんなでご飯食べてくることになったから、ご飯いらないっておじさんに伝えといて」
「いいけど……そんなのメールで伝えればいいのに……わざわざ来なくても」
「いいじゃん、たまたま二年生の教室の近くまで来たんだし。あとこれ」
 そう言って柚木は小さな袋を差し出した。受け取ると、中のものがカサッと音を立てた。
「何これ」
「クッキー」
「は? なんで?」
「家庭科の授業で作ったんだ。欲しいでしょ?」
 俺は手渡された色気のないビニールの袋をじろじろと見つめた。確かに欲しい。彼女に作ってもらったお菓子なんて誰もが憧れるリア充的シチュエーションだ。
「欲しいけど今渡さなくても」
「思いついた時に渡しとかないと忘れちゃうんだよ。それか、私のカバンの中で粉々に粉砕されるかどっちかだよ」
「ああ、ありうるな……」
 俺の部屋で柚木に押し倒されて、マウントポジションで粉末状になったクッキーを無理矢理口に詰め込まれるところまで想像できた。クッキー食ってるってより粉薬飲んでる気分になりそうだ……それなら今もらっておく方が幸せな気がする……。
「それだけ。おじさんによろしくね」
「あ、ああ、うん」
 そう言い残して柚木は去って行った。なんだあいつ。



 もらったクッキーは結局家に帰ってから自室で食べた。粉っぽく、如何にも素人が作ったようなクッキーの味だった。まあ柚木って料理はあんまり上手くないからなあ。俺と同じくらいじゃないかな。俺は思っただけで口には出さなかったが、こういうことを口に出さずにいられない奴らがいるようで。
「粉っぽいよねー」
「手粉を使いすぎなんじゃないのか?」
「お前ら人の作ったもの食っておいてそりゃないだろ」
 俺がそういうと、2枚目のクッキーを齧っていた妹は舌をべーっと出し、哲平は「それもそうだな、すまん」と慌てて言った。まあ俺も思ったから人のこと言えないけど。
 哲平が久しぶりに遊びに来て、鶫は勝手に俺の部屋に入ってきた。茶菓子の一つでも出せればよかったのだが無かったのでとりあえず柚木の作ったクッキーを出したためにこのような状況になっている。なんかフォローしといたほうが良いか。うーん。
「柚木はあんまり料理とかしないからなあ。仕方ないよ」
「もらえただけでも嬉しいって? ノロケるなよ」
「ノロケじゃねえよ」
 鶫が茶化すように言ったので俺は反射的に素早くそう返した。だが、鶫が爆弾を投げていたことに気づくのはもっと遅かった。哲平が急に真顔になって俺に質問してきた。
「ノロケって……鷲、相川さんと付き合ってたのか?」
「え、あぁ、ええと……」
「そうだよ。知らなかったの?」
 鶫が投げた爆弾を爆発させた。うわこいつ余計な真似を……。
 理由も無く、何となく、タイミングも無かったし、別に言う必要も無かったから。そんな理由で自分に対して必死に言い訳しながら、俺は周囲の人に俺が柚木と付き合い始めたのを隠し続けていた。特にあいつだけにはばれない様にしたくて、哲平にも言わなかったのだが……俺は目の前の関係が崩れていくのを見たくなかった。
「そうかついに……まあ俺は最初に見た時から付き合ってるとしか思ってなかったけどな」
 去年の夏祭りライブの後で柚木と二人でいるのを凛と哲平に見つかった時、そんなことを言われたな。必死で付き合ってないと弁解したっけ。まああの時はまだ付き合ってなかったんだから嘘はついてないはずだ。
「で、いつからだ?」
「……クリスマス」
「ああ、なんかゴタゴタがあった時か」
「そうだったな」
「そうなったんじゃないかなとは思ってたけど……」
 俺は緊張で乾いたのどを番茶で潤しながら頷いた。厳密に言うと喧嘩というか気まずくなってただけなんだけど。鶫がやけに静かだなと思ったらゲームのBGMが流れてきた。うわこいつ勝手にマ○オカート始めやがった。場を乱すだけ乱しておいて自分だけ逃げだすとか卑怯だ俺も逃げ出したい。
「まあ付き合い始めたって言ったって何にも変わってないけど。まだ一回もデートもしてないし、その、なんだ……手も出してないし」
「流石ヘタレフニャ○ンだな」
「言うな」
「で」
 哲平がやや大きな声で話を切った。
「凛……とか、他の人には言ってないみたいだな。この話」
「ああ」
「お前」
 哲平はすっと目を細めて俺を睨んだ。
「わかってて黙ってるのか?」
「何を?」
「しらばっくれるな」
 俺がバカにしたような笑いを混ぜてしらばっくれると、哲平は語気を強めて俺を糾弾した。俺は目を手で覆いながら、ため息を漏らした。何か気の利いた言葉を瞼の裏の暗闇に探してみたが、特に思いつかなかった。
「何もわかってないよ……俺は」
「でも」
「これは俺の問題だから」
 俺が睨んだ顔を崩さない哲平を負けじと睨み返すと、哲平は少しひるんだような顔を見せた。俺が「わかっている」かどうか、そんなことはどうだっていい。二人の間に沈黙が流れた。鶫のマリオカートのBGMだけが流れてくる。
 俺は口を閉ざしている人間からわざわざ何かを絞り出させるような無粋なことはしないし、何かを知っていたとしてもそれは偶然でしかないし、そこに責任は無いはずだ。現に、凛が俺に好意を寄せていることを知ったのは偶々だ。俺は知ってはいけなかった。柚木と俺がお互いの気持ちを伝えあえたのも偶々だ。こちらは知るべきだった……何年も前から知るべきだったことだ。なら俺の取るべき行動は? 俺が取らざるを得なかった行動は? 俺は止められなかった。止まっていられなかったんだ。
 長い沈黙を破るようにして哲平が口を開いた。
「もし、お前がそれを隠してたせいで何もかもめちゃくちゃになったら……」
「突然、口に出した方がめちゃめちゃになりそうじゃない?」
「……ま、それもそうかな」
 哲平はそれだけ言って黙り込んだ。
 俺も黙って天井を見つめた。



 定期ライブ当日。その日は六月初めという季節に相応しく雨が降っていた。木製故に湿気に弱い楽器にとってはあまりよくない季節だ。楽器運ぶときに雨が降ってると殺意すら覚えるよね。
 放課後になり続々と軽音部員が集合場所である小ホールに集まってくる。椅子が端に除けられ、立ってライブが聞けるようになっていた。舞台だけ照明がついているが、観客側には照明がついておらず、部屋全体は薄暗い。思い出されるのは去年の定期ライブだ。何やったっけ。エルレとホルモンとグリーンデイだったっけか。今から考えても謎の選曲だったが、楽しかった。
 俺はホールの端っこでチューニングを終えた後、端に座って基礎練で指をほぐしていた。凛は6、7メートル離れた壁際で哲平やなっちゃんと話している。楽しそうに笑っている凛を見ながら、この間哲平に言われたことを思い返していた。というか最近そんなことばかり考えていた。
『もし、お前がそれを隠してたせいで何もかもめちゃくちゃになったら……』
 例えば今俺が柚木と付き合っていることを凛に話したとして、凛はどう反応するだろうか。素直に祝福してくれるだろうか。去年の秋のように怒り出すだろうか。そもそもまだ俺のことが好きなのだろうか。
 全くクラスに友達のいない文字通りの残り物女だったが、最近は多くの女子が凛と仲良くしているように見えるし、俺以外の男子ともよく話している。凛のプライベートを舐めまわすように見てるわけじゃないのでよくわからないが、凛だって黙ってればアイドル級に可愛いんだから(あくまで黙っていればだ)、俺の知らない男子に告白されたりとか告白したりしてるんじゃないだろうか。
 凛の想いを聞いてしまったのも、俺が柚木と付き合っているのも、俺の責任ではない。でも口にしないのは、バンドをやっているという責任があるからだ。取る必要のある責任があるとすればそれくらいで、とにかく、俺に落ち度は無い。そう自分に言い聞かせた。
「鷲」
「ああ、柚木か」
 ふと気が付くと、ギターケースとエフェクターボードを手に取った柚木が立っていた。舞台からあふれ出た光が柚木の白い肌の上で反射した。俺が何も言わずに舞台の方に目を向けると、柚木も黙って俺の隣に座って舞台の方に目を向けた。
「他のメンバーは?」
「さぁ。掃除じゃないかな」
 柚木はエフェクターボードを開きながら明るい声で答えた。声から緊張している様子は窺えない。まあ負の感情を表に出さないようにするのが得意な奴だから、ほんとは緊張してるんだけど隠してるのかもしれない。いつも明るいけどほんとは何考えてるかよくわかんない奴だからなぁ。長い間一緒にいるが、それだけはわからない。
「仕上がりはどうなの?」
「俺か? まあぼちぼちだな。お前は?」
「完璧」
 ライブ前にこんな自信たっぷりにいう奴初めて見た。
「何面食らったような顔して?」
「いや、そんな自信満々にいう奴初めて見たと思って……」
「バカだなぁ。こういうのは聞かれたら完璧って即答しといた方がいいんだよ。周りにプレッシャーかける意味でも」
「それで演奏があれだったら目も当てられんがな」
 ヘッドに付けたクリップチューナーでチューニングを始めた柚木にそう言いかえすと、柚木は強く息を吐き出しながら言った。
「ライブって勝負だと思うんだよね」
「なんで」
「ライブってさ、自分のバンドとか演奏が周りと比べて、何か一部分でも優れてるんだって聞いてる人に思わせるための勝負だと思うんだよ。もちろん演奏技術もだけど……技術ばっかりじゃなくて、パフォーマンスとか、気持ちとか」
「わかるけど……そんな殺気立たなくてもいいんじゃないか」
「そうじゃなかったら生きる証明にならない」
 柚木は言い切る。俺は舞台からまともに目を逸らして柚木の方を見た。手元に目をやりながらチューニングを続けているが、声には力がみなぎっているように思えた。
「こんだけ世の中に人がいて、自分が生きてるってことなんか掻き消えるくらい人がたくさん生きてて、自分が生きてることなんて意味ないんじゃないかと思っちゃうし実際意味なんてあんまないんだけど、自分が誰かと何かほんの少しだけでも違うって、そう思いたいから音楽やってるんじゃないかな。鷲だってそうでしょ?」
「……哲学だな」
 言われてみればそうかもしれない。音楽への探究心と醜い自己承認欲求。境界はつけがたいように見える。でもなんでこんな暑苦しいこと言いだしたんだ? 俺が首をかしげていると、柚木はくっくっと息を漏らすようにして笑ってから言った。
「まあ半分は倉田の受け売りだけど」
「何だよ! お前の言葉じゃないのか。湿気で頭おかしくなったのかと思ったじゃん」
 そう俺がいうと柚木は乾いた笑い声をあげた。柚木のバンドのボーカル、倉田雅史。そういえばよく考えてみると、あいつの歌が今日また聞けるのか。楽しみだな。
「かっこいいけどクサいよね。あいつそういうとこあるからなぁ……でも私もそうだなって思ったよ。去年、ずっと家にこもって、そんなことばっか考えてた」
「……そうか」
 柚木はチューニングを終え、Aマイナーのアルペジオを少し弾いてから立ち上がった。俺はそれでも顔を動かさずにステージの方を見ていた。暖かい色のステージの光が、やけに眩しく見える気がした。
「じゃ、来たみたいだし、行くね」
「あ、ああ」
 その声につられて入口の方を見ると、三人組のシルエットが見えた。柚木のバンドのメンバーだろうか。そこで俺はふとずっと聞こうと思ってたことを思い出して聞いてみた。
「そういえば、聞こうと思ってたんだけど」
「何?」
「バンド名、何にしたんだ?」
「イニシャルを元ネタからとってね……THE BLACK HISTORYっていうの」
 黒い、歴史……黒歴史かよ!



 本番開始直前。俺、凛、哲平は小ホールの壁にもたれかかりながらステージをぼんやり眺めていた。SEでかかっているのはヴァン・ヘイレンだった。誰がやってんだこの選曲。
 観客の入りは多い方だと思った。雨が降っているからだろうか。そういえば俺らが初めてライブやった日も雨が降って運動部の練習が中止されたとか何たらかんたらで入りが多かった気がする。楽器にとっては嫌な季節だが、学校でライブするには良い季節といえるのかもしれない。なんか皮肉だな。
 俺たちの出番はトリだった。出演順は、俺と大嶋さんで相談しながら、学年別で分け、同学年のバンドは厳正中立なるあみだくじで並び替えている。今回は偶々三年生のバンドが無かったのと運が悪かったせいで俺らがトリになった。
 アタマはTHE BLACK HISTORY。要するに柚木たちのバンドだ。
「みて、しゅーくん、黒歴史だって……フフフ」
「柚木のバンドだよ」
「え、そうなの?」
「バンド名は俺もさっき聞いたばっかりさ」
 書記の河野さんが模造紙に書いたプログラムを見ながら凛が笑った。俺もさっき柚木から聞いた時同じこと思ったはずなのに、なんか腹立った。顎の下に手を当てて何かを考えるようなポーズをとっていた哲平が口を開いた。
「これもしかしてバクホンのコピバンなのか?」
「ああ、そうみたいだよ」
「……なんかセンス良いな」
 哲平の琴線に触れたようだ。こいつのツボってなんなんだろう。よくわからん。
「あ、出てきた」
 凛が呟いたのでステージの方を見ると、柚木、倉田、あと名前を知らない二人が出てきた。ベースはショートカットの女の子、ドラムは短髪の男の子だ。
「ボーカルがイケメンだな」
「偶然だと思うけど、うちの軽音、イケメン多いよね」
 そう言ってニヤニヤしながら哲平と凛がこちらを見てきたので、俺は二人に目つぶししようとしたが、するりと交わされた。だから俺はイケメンじゃないって。
 曲が始まった。
 柚木がピックを振り上げ、リフを弾き始める。
「いきなりこの曲か」
「てっちゃん知ってるの?」
「そりゃ知ってるよ。有名な曲だもの」
 間抜けな声で会話する二人の声が聞こえたが俺はそちらを向かなかった。真剣な表情でリフを弾く柚木だけを見ていた。開放弦を混ぜながら上昇していくギターリフ。言わずと知れたバックホーンの代表曲だ。
「コバルトブルーだろ?」
 哲平の声が聞こえると同時にイントロになだれ込んだ。荒れ狂うようになり続けるコードの中をベースが地を這うように様に暴れまわる。っていうかあのベースの女の子上手い。一年生だとは思えない。
 倉田の歌が始まる。声も歌い方も本物そっくりだ。モニタースピーカーに裸足の片足を乗せ、前かがみになりながら歌う姿も本人と同じだ。既にファンがいるのか、一年生のように見える女子数十人が最前列で手を挙げてノっている。

 俺たちは風の中で
 砕け散り一つになる
 たどり着く場所も知らぬまま
 燃え尽きる

 サビに入ると倉田は歌い方をより激情的に変え、聞く人を引き込んでいく。気が付くと凛も哲平も最前列に行っていた。確かに凄いカリスマ性だ。あまり彼のことを知らない人々をぐいぐいと惹きつけている。テンポが速くベースが高校一年生の女の子がするにしては難しすぎる曲だが、ギターとドラムは思っていたより単純な曲だと思った。それにしても一年生にしてはうますぎる。ドラムは少し怪しいし柚木は相変わらずだが、ベースとボーカルが上手い。俺や、もしかしたらボーカルだけなら凛より上手いんじゃないだろうか。
 ラスサビが終わり、アウトロでイントロと同じフレーズを弾いて終わる。曲が終わると、柚木は溜まった空気を体の外に出すように深くため息をついていた。
 MCも無く次の曲に入った。
 またギターから始まる曲だ。オクターブのイントロのフレーズが入った後、すぐにドラムと歌が入っていく。ギターとドラム、ベースが拍頭を打ち続けるような荒々しいフレーズを刻み付ける。倉田の少し歪んだ歌声が力強く響く。歌詞も力強い。
 ギターソロが始まる。単音引きの和風なフレーズを弾いた後、爆発するようにコードを掻き鳴らす。相当練習したみたいだ。チョーキングで少し鳥肌が立った。柚木は顔をしかめながら最後までソロを弾き切った。
 ブリッジミュートが刻む中、倉田がサビ前の歌を狂ったように歌う。緊張感を解放するように、声を少しずつ大きくしていって、どんどん雰囲気を上げていく。

 ひょうひょうと青空を漂う雲は魂か
 無常を切り裂いて駈け出す俺は風の中
 赤子の様にお前を呼ぶ
 赤き血の下に

 曲が終わると大きく歓声が起こった。単純な構成で荒々しいが、直情的で素朴で、何かが伝わってくるような曲だった。後でユーチューブで調べてみよう。演奏もとても良かった。粗削りながらも良く合わせられている。高校生バンド、しかも一年生とは思えない。
『あ、こんにちはザブラックヒストリーです! どうもドラムの松岡です』
 歓声が起きる。ドラムの男が話し出した。気の弱そうな顔で、声もイメージ通り気の弱そうな感じだった。だがやたら早口で笑いを誘うような口調だ。
『えっとですね、僕たちザ・バックホーンのコピーをしてます。まあ見た目からわかる通りボーカルの倉田君がバクホンの山田将司大好きでして』
 バクホンを知ってる人がいただろうか。すこし失笑が漏れた。白いシャツに裸足と、バクホンの山田将司にそっくりの格好をしている。よく見たら上に着ているぶかぶかの白いシャツは制服のシャツじゃない。わざわざ持ってきたのだろうか。
『あとドラムの人がライブでもMCするとのことで、MCも僕がやってます。僕喋るの下手なんですけどねー。べらべらしゃべる割に中身が無いし面白くないから嫌だって言ったんですけど、それも元ネタに似てるからいいってベースの中峰さんに言われまして』
 また笑いが漏れた。笑いとれてるし少なくとも俺より上手いと思うんだけどな。
『あ、そうか、バンド名の話しろって言われてたんでしたっけ。といっても、元ネタのイニシャル、T・B・Hからとって、ギターの相川さんがつけてくれました。上手いですね。相川さん面白いし綺麗だしギター上手いから僕と付き合ってほしいです』
『嫌です』
『フラれました。ライブ終わった後に慰めて下さい』
 このドラムの男、松岡だったっけ? 普通に喋れると思うんだけど俺だけかな。
『じゃあ、最後の曲行きます。ありがとうございました。冬のミルク』
 ドラムの松岡がマイクをスタンドに戻し、スティックでカウントする。ギターとドラムから始まる。クリーンのアルペジオがスピーカーから風のように流れ出てくる。前から思ってたけど柚木はアルペジオが上手いと思う。
 ベースのグリスと共にギターが歪み、一気に曲へと流れ込む。冬のミルクはベスト盤に入ってたから聞いた覚えがあるな。ミドルテンポの曲でバラード風のメロディなんだけど、山田将司の力強い声で荒々しく歌われるから全くしっとりしない。倉田もそれを忠実にコピーしている。

 さよなら、もう会わない気がするよ
 嗚呼、おやすみのキスはしないで
 本当の声で僕ら歌ってるのかな
 嗚呼、聞こえないふりなんかすんなよ

 またもやギターソロだ。そこまで難しくないフレーズに見えるが、柚木はそれをドラムの刻みにはめ込むようにして弾いていく。もうちょっと前に出てソロっぽく弾いてもいいとは思うけど。とにかく柚木の必死さは良く伝わってくる。
 曲が終わると大きな拍手と歓声が沸く。柚木の初めてのライブは大成功のようだ。実は俺も自分のことのように緊張してたので、少しほっとした。
「いいライブだったね」
「ああ、一年生とは思えなかった」
 凛と哲平がこちらに歩いてきた。凛は少し汗をかいている。最前列で腕を振って盛り上げていたようだ。自分のライブ前によくあれだけ元気に暴れられるな……逆にもう俺は年なのかな。
「何腑抜けた顔してんの」
「いや、俺も緊張してて……」
 下手したら自分の本番より緊張したかも知れないな。
「次は私たちの番だよ」
「ああ」
 俺は唾液を飲み込んだ。
 俺の番だ。




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