Episode29:ローマの休日的な雰囲気で





 携帯が震えている。
 その振動で俺は集中力が切れた。手がもつれ、スティックが揺れる。
 ため息をつきながら練習の手を止めた。パターンをミスってどこを叩いているのかわからなくなってしまった。音楽を止めてヘッドフォンを外すと、突然訪れた静寂に耳がキーンとなる。朝起きてからずっと電子ドラムを叩きまくっていたが、この曲、一向にできる気がしない。
 あ、どうも、お久しぶりです。巷でヤ○ザとか言われていますが全然そんな凶暴な存在ではないです。寧ろ温厚さこそ俺の本質だと思います。阪上哲平です。
 疲れたので練習を止めた。植木鉢の花に水でもやろうかと思って、俺はピアノだの電子ドラムだのが置いてある洋間を抜け、縁側に向かって冷たい木の床を歩く。今時珍しい木造平屋建ての我が家は、広いけど古いので色々と不便だ。そのアナログさが想像できないゆとり世代の君たちはサ○エさんかちびま○子ちゃんの家を想像してくれると分かりやすいと思う。小さい頃は新築の二階建てに憧れたこともあったけど、最近はこの古い建物も趣があっていいやと思うようになったな。これが大人になるということだろうか。違うか。
 庭に出ると五月末の日差しが頭の上に伸びてきて、口を開けたまま空を見ている俺の横を生温い風が通り過ぎて行く。ジョウロに入れた水を植木鉢に少しずつかけながら、俺は何度もあくびをした。新学期以降色々とばたばたとしていたので、こんなにのんびりとした休日を過ごすのは久しぶりかもしれない。日曜日もレフオバの練習があることが多かったからな。大体週二時間で二、三回入っている。学校のあの練習室(仮)を使うこともあれば、凛の家に行くこともある。機材はもちろん凛の家の方が良いんだけど、学校の方が集まりやすかったりして、色々だ。
 水をあげおわった後は自室に戻り、音楽を聞くことにした。コンポに繋いであるアイポッドを押して、さっき練習していた曲を再生する。耳を差すようなハイの硬いギターの轟音がスピーカーから溢れ出した。最初はこういうギターの音ってどうなんだと思ってたけど慣れると気分が良い。
 最近ネットを見ていて見つけたハヌマーンというバンドをいたく気に入った俺は、別にバンドでやるというわけではないけれど、練習がてら個人的に何曲かコピーしていた。今コピーしているのは、ドラムの難しいハヌマーンの中でもトップクラスに難しい曲、「妖怪先輩」という曲だ。どんな曲かというと……説明しづらいな。トルエンに狂った先輩をヌンチャク構えて待つ歌だ。なんだこれ。歌詞がカオスすぎて説明できん。
 こんな練習をしようと思ったのにも理由がある。凛や鷲に追いつくためには俺もスキルアップしないといけない。凛も鷲も物凄く上手いから、キメるところをキメ、合わせるところを合わせながら、個性を出してくる。一方の俺は……普通すぎる。正確にリズムを刻むことには自信があるが、それ以外何もできない。
「自信がね、無いだけなんだよ。力があるのに」
 凛はそう言ってくれた。能力はあると。でもそれを前に出せない。
 何が足りないか色々考えてみた結果、もっと色んなタイプの曲……これまで聞いてこなかったような曲を練習するべきじゃないかなと思ったわけだ。そこでハヌマーンというわけだが、とにかく難しい。ちょっと首つりたくなるレベルで難しい。二分四十九秒の曲中に、山ほど音符が詰まっている。音は何とかとったものの、一瞬でも気を抜けばミスをしてしまい、そしてそこから全てガタガタになる。
 自分の手を見る。皮がむけて痛々しい。努力はしたということが見て分かる。でも、この一年間、色々な曲をやって色々な練習をしたが、一向に自分が成長したという感覚を持てない。痛々しい手を暫くじっと見つめていると、何も変わらないという実感だけが手のひらの上に転がっていた。



 庭の方から騒がしい声が聞こえるので、箱入りで売っている棒付のアイスキャンデーを食べながら近づいてみると、弟たちがキャッチボールをしていた。
「お前ら、植木鉢の方に投げるなよー」
「わかってるって!」
 小学六年生の陽平と小学四年生の草平。二人とも俺とは似ても似つかない、なんというか、普通の顔をしている。ああ、なんかそういうと俺が普通の顔じゃないみたいだけどそんなことは無くってだな。俺も普通の顔だけどなんというか俺より一般受けしそうな顔というかなんというか……。
「兄ちゃんもヤ○ザみたいな顔してないぜキャッチボールしようぜ」
「あ、ああ。顔はいつものことだろ」
 嫌味を投げかけてくる陽平に返事をして、庭に少し出る時用に置かれた安っぽいクロッ○スのパチモンに足を通しながら俺は生返事を返した。サイズが合わないのが少し不便だ。 少し湿ったような地面に足を下ろすと、草平がフラフラとこちらへ来て、グローブを差し出した。
「グローブ、使う?」
「ああ、ありがとう。でもサイズあわねーし、いいや」
 もう一度自分の痛々しい手を見つめる。まあ、キャッチボールくらい、突き指しなきゃ大丈夫だろ。あ、これフラグとかじゃないから。食べ終わったアイスの棒を口に咥えたまま、俺はボールを構える陽平の前に立った。
「よしこいよ……おおっ、球、早くなったな」
「フフン。私も日々進歩しているのだよ」
「どこで覚えたんだそんな言葉」
 俺は手首のスナップだけで軽く草平に投げた。運動が得意でない草平はあたふたとしながらそれを何とか捕まえる。ナイスキャッチ、と声をかけると、少し嬉しそうにはにかんだ。
「兄ちゃんには進歩は無いようだね」
「進歩ってなんだ。ドラムのことか」
 ドキリとする。まさかこんなガキにまでわかる拙さなのか……!
「ちげーよ。休みだってのに家にずっといるから、彼女の一人もいないのかと、ね」
「何が『ね』だ。このマセガキ」
 俺は苛立ちまぎれに草平から帰ってきたボールを少し強めに陽平に投げた。陽平はそれを何とか取り、不敵な笑みを浮かべた。
「まぁ、その顔で近づいてくる女もいないか……」
「おまえなんか悪い漫画でも読んだのか」
「あ、陽平兄ちゃんは哲平兄ちゃんの部屋にあった『ウシ○マくん』読んでたよ」
「バカ、言うなって!」
「あれ読んだのか。ミスったな……あれは小学生が読んでいいもんじゃない。母さんには黙っとけよ」
 それにウシ○マくんはそろそろ思春期の多感な小学生が読むようなラブコメタッチな本じゃないしな。なんつーか、リアルだし、怖いし、エログロナンセンスだし。面白いけど。
 とにかく話を元の筋に戻した。嫌だったけどウシ○マくんの話よりは健全だ。
「まあバンドメンバー以外女の子と喋れない悲惨な状況であることは認めるよ」
「哲平兄ちゃん、女の子の友達いないの?」
 心配そうに草平が聞いてくる。ああ、陽平より草平の方が性格良いわ。かわいげがある。俺はため息交じりで草平の方に口を開いた。
「気軽に話せる奴を友達というなら、まあな……あ、一人だけいたか」
「誰ですか?」
「ああ、同じ部活の子なんだけどさ、それがちっさくて小学生にしか見えなくてさぁ」
「見た目小学生で悪かったですねぇ」
「ああ、ごめんついつい……え?」
 殺気を感じたので後ろを振り向くと、なぜかなっちゃんがそこに立っていた。白いワンピースに灰色のカーディガン。私服だ。俺はびっくりしすぎて、口にくわえていたアイスの棒を地面に落とし、五センチぐらい垂直跳びしてしまった。
「うわっ、 何で、ここに?」
「さっきメールしたんだけど……近くまで来たんで寄ってもいいですか、って。返信なかったけど近くまで来たら庭から声がしたから」
「あ、ごめん……メール見るの忘れてた……」
 そういえばドラム叩いてる途中でメール来てたの完全に忘れてた。
「いつからいたの?」
「ああ、うん、ウシ○マくんの件のあたりから。あれ面白いですよね」
「読んでるのか……」
 イメージ的に読んじゃだめだろ、とは言わなかった。どう見ても小学生にしか見えない高校二年生女子があの闇金漫画を読んでると考えるとそのギャップで萌……えないか。普通にひくわ。
「哲平兄ちゃん……その、この勝手に家に入ってきた人は……」
「その言い方やめろよ。えーと、鷹司千夏さん。で、こいつらは弟の陽平と草平。でかい方が陽平な」
「どうも鷹司です! 自分の名前なのに偶に噛みそうです!」
「確かに言いにくいと言えば言いにくいな」
 たかつかさ。ひらがなにすると途端にあいうえお感が増す。何だあいうえお感って。二人の弟に無意味にピースマークを決めるなっちゃんにややひきながら、陽平が口を開いた。
「で、兄ちゃんの、なんなの?」
「なんってなんだよ」
「いやあるじゃん友達とか恋人とか友達以上恋人未満とかさぁ」
 そう言った途端なっちゃんが吹き出して顔を赤くし始めた。分かりやすいくらいの恥ずかしがり方だな。俺はまたため息をついて陽平に怒った。
「こらっ、失礼な言い方をするな。ただの友達だから……ごめんこいつ思春期真っ盛りのマセガキでさぁ」
「あぁ、うん、そ、そうですか? 恋人ですか?」
 恥じ入るなっちゃん。声を上ずらせるな顔を赤らめるな足元をもじもじするな。つくづく弟の情操教育にとって悪い兄だ……ああ、そうか。そもそも顔面からして情操からかけ離れた存在だった! そうだったね! ははは!
 脳内でボケるのを止めて、とりあえず弟から引き離すことを先決とした。
「立ち話もなんだし……どこかへ行こうか」
「どこかって、どこへですか?」
「うん考えてないけど……一瞬待ってて。財布取ってくる」
「え、ちょっと、え?」
 落としたアイスの棒を拾い、自分の部屋に駆け込んで色んなものをひっつかんだ。これ以上ここになっちゃんを置いとくと無邪気な弟たちに余計な詮索をされかねない。



 妙に恋愛方向に持っていきたがるマセたクソガキの弟から逃げ、家の近くのファミレスに逃げ込んだ。せっかくの女の子と二人という状況なんだからオシャレな喫茶店にでも連れていければ男前なのだろうが、生憎、俺にそんな知識は無かった。
 ドリンクバーで取ってきたアイスティーで喉を潤しながらそのことを言ってみると、なっちゃんは少し笑った。
「私も知らないですよ、そんな店」
「女の子ってそういうのが好きなんじゃないの? 街歩きして、オシャレな店に入って、オシャレに浸る感じのが」
「なんかそれ馬鹿にしてるみたいですね」
「あ、すまん」
 そんな気は無かったけど確かに馬鹿にしたみたいな言い方だった。俯いてオレンジジュースをストローでかき混ぜながら、なっちゃんは呟くように話す。
「多分大学生とか、もっと年上の人の趣味ですよ、それ。」
「そうか。言われてみれば」
「つまり……阪上君は年上のほうが好きなんですか?」
「なんでそんな話になるんだ」
 そういうとなっちゃんは「へへへ」と悪そうに笑い、窓の外の通りに目を向けた。陽平もなっちゃんもすぐにそちら方向に持っていきたがるな。発情期なんだろうか。あ、そうか、そもそも思春期か。
「陽平も、なっちゃんも、何を期待してるのか知らねーけど……俺には恋愛とは一生縁がないだろうな」
「へ、なんでですか?」
「この顔だからだ」
 俺が仰々しくそう言うと、なっちゃんはちらりと俺の方を見てからまた通りの方に目を逸らし、口を開いた。
「個性的だと思いますけど」
「個性的で済めばいいけどだな……これじゃ女の子は殆ど寄り付かないだろ。こんな奴と一緒に歩きたいなんていう奴が居たらおかしい」
 これまでの経験上、俺の第一印象が良かったためしなんて無い。知らない人に近づけば大概目線を逸らされるか悲鳴をあげられる。俺だって好きでこんな怖い顔してるわけじゃないけど、怖がられるんだから仕方がない。俺はアイスティーを一口だけ飲んでから話しを続けた。
「昔、小学校の時とか、好きな女の子がいなかったわけじゃないけど……その子も俺のこと怖がってたし、そういう風な感覚も無くなった。だから恋愛なんて……」
「阪上君は勘違いしてます」
「はい?」
 聞き返すと、窓の外の通りを凝視したままなっちゃんは話を続けた。
「『ただしイケメンに限る』とかいうじゃないですか。アレ、嘘ですよね」
「あ……え?」
「見た目の話だけじゃなくて、お金とか学歴とかもですけど。顔がかっこいいから好きになるとか、お金があるから好きになるとか、学歴が良いから好きになるとか……確かにそういう人もいますけど、大抵の恋愛ってそんな始まり方しませんよ。その、色んな人の話とか、私の経験とか……で、考える限り」
 なっちゃんはそこで一呼吸切って、喉を湿らすようにジュースを飲んだ。俺はその様子を黙って眺めていた。今度は俺の方を見ながらなっちゃんは話を続けた。
「多分、誰かを好きになるのって、友達関係の延長だと思うんです……ほら、誰か友達になるのに見た目とか学歴とか気にしないでしょ? それと同じだと思うんですよ。仲良くなるという意味では友達関係も恋愛関係もあんまり変わりは無いと思うんです」
「ほう」
「誰かを好きになる過程って、結局のところ一緒に過ごしてて自然で居られるかとか、気が合うかとか、優しいかとか……そういうことだと思うんですよ。ステータスはステータスでしかなくって、イケメンだとかお金持ちだとか、そんなのは補助効果でしかないんですよ」
「そんなものなのかね」
「そうですよ」
 力説するなっちゃんに俺は少し気押しされていた。見た目小学生みたいでもやっぱり女子だから恋愛論みたいなのは持ってるんだなとか、失礼なことを思ってしまった。
「じゃあ俺も誰かと仲良くなれれば……それが深められれば、恋人ができるってことか?」
「はい……そうだと、思います」
「じゃあさ」
 気になっていたことがあった。
 聞きたいことがあった。
 どうして俺に近づこうと思ったのか。こんな顔で、声もドス声で、愛想が無くて、家事や園芸が趣味の気持ち悪い男に、どうして近づこうと思ったのか。どうして暇なときにメールをくれるのか。どうして出会ったら話しかけてくれるのか。どうしてわざわざうちまで来たのか。色々なことが頭の中を逡巡した。
 まとめた。
「じゃあ、あくまで、友達として、答えてくれたらいいんだけど」
「え?」
「俺のこと、なっちゃんはどう思う」
「……へ?」
 なっちゃんは驚いたようにこっちを見た。俺は思わず目をそらしてしまった。
 俺は鷲ほど鈍感でないと自認している。凛ほど臆病でもないとも思っている。誰かが何かをこちらに向けていることくらいわかるし、何かを誰かに向けることを恐れたりしない。それでも、やはり少し怖かった。通りを駆け抜けていく車の群れを見ながら、俺は答えを待った。
「私は……」
「ん?」
「私は、顔は怖いけど、心は、優しい人だと、思いますよ」
 ちらっとなっちゃんの方を見ると、なっちゃんも頬杖をついて窓の外を眺めていた。手と前髪で顔が隠れてよく見えなかったが、耳は真っ赤だった。
 俺は少し笑いながら声をかけた。
「顔が怖いは余計だ」
「……そうでしたね」
 少し空気が溶ける。目は逸らしたまま、二人で笑いだす。
 彼女が俺に何を向けているのか、それを俺はどう受け止めるべきなのか。なんとなくわからないでもない。でも、今ははっきりとは分からない。
 それでも一つ分かることがあるとすれば、この流れは止められないということだ。どこに行くのか、どうなるのかもわからない。いずれにせよこの流れは止められない。そして今の問題は、俺が流れに乗るのか、逆らうのか、流されるのかということなのだ。
「あのさ、なっちゃん」
「何ですか?」
「俺と、バンドやらない?」
「……え?」
 俺は流れに乗ることにした。



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