Episode28:主人公特有の鈍感さに悩みながら





 五月。夏の足音が無駄に遠くから聞こえるような季節だ。
 ゴールデンウィークも明け、なんとなく新年度に入った時のゴタゴタした空気が落ち着いたような気がする。とっくの昔に花びらを散らした桜は不自然なほどに黄緑色の若葉を茂らせ、少し乾燥した空気を散らすように心地よい温度の風が窓から入ってくる。
 俺たちは二年生になった。
 学年が変わる瞬間というのを何度か経験してきたが、そのたびになんとなく居心地悪いような気持ちになっていた。少しサイズの大きすぎる服を着たような、何とも言えない感覚だ。要するに自分がまだその前の学年であるという気分が残っているということだと思う。一言で言ってしまえば甘えだ。身もふたもないけど。
 俺の場合はその感覚が毎年長く続き、だいたい夏が始まる手前くらいまでは続く。夏休みに入るころにはすっかり生活に慣れてしまうのだが、結局いつまで経っても甘えの多い性格だということなのだ。
「なんでもかんでも自虐に持っていくのがしゅーくんの悪いところだよ」
 そんな話を教室で昼ご飯を食べている時に凛にしてみると、凛は笑いながらそういった。はっきりと言い切る凛に、俺は反論した。
「いや、割とあたってる自己分析だと思うけど……」
「しゅーくんが甘ちゃんだってのはわかるけど……私はもうちょっとしゅーくんを高く買うよ」
「なんでそんな上から目線なんだよ」
 凛は顎を少し上にあげ、フフンと鼻で笑い飛ばした。ドヤ顔クソうぜぇ。鼻をつまんで引っ張ってやろうとしたが上手くかわされた。俺はため息をついて、窓の外を眺めながら呟いた。
「まぁでも、こうやって凛と同じ教室で話すことになるとは思わなかったな」
「それはそうだね。文理別だから無いかと思ってたけど」
 二年生になって、当たり前だがクラス分けが起きた。去年の末に行われた進路希望調査で取られた希望調査により、文系希望と理系希望でクラスが分けられる。教科別の成績はイーブンだが歴史科目が好きな俺は文系に進み、数学と英語だけ異常に得意で後はカスカスな凛は理系に進んだ。哲平も理系だ。
 凛と哲平はまだ確率があるとしても、俺と凛は同じクラスにはならないだろうと予測していた。だが、予想はものの見事に逆転し、哲平は理系クラスの二年六組に入り、人数の関係上唯一文理混合となっている二年四組に凛と俺がセットでぶち込まれた。もしかすると教室で浮きがちな凛に対する配慮なのかもしれない。よくありそうな話だ。だがそれが事実だとすると、結果的に俺は凛の世話役になったわけか。不愉快だな。
「で、なんの話だったっけ」
「しゅーくんが自虐体質って話?」
「いやその前」
「むー……ああ、次のライブどうしようかって話だった」
 その話からどうして俺の自虐体質の話になったのかはっきり覚えていない。まともな話をしていたはずなのにどうしてこうなったんだろう。そういえばウィキ○ディアの説明文のリンクを六回たどると、どんな項目のページから、どんな項目のページにも行けると聞いたな。暇だったらやってみてほしい。俺はやらないけど。
「五月の定期ライブはやめとこう。模範演奏用に曲を詰めてたから準備する時間が無い」
「じゃあ六月か。何やるの? 新曲? 前やった奴?」
「まだ何も考えてないな。一年生バンドが初めて出てくるライブだから、その辺も考えて選曲した方が良いかもな。また放課後にでも哲平とまとめて話そうか」
「そうだねー」
 個人的にやりたい曲は有るが、期限までに全てコピー出来る自信が無い。俺は弁当箱を布巾で包んでトートバックの中にしまった。水筒のふたを開けてお茶を飲もうとしている時に、凛が突然口を開いた。
「そういえば、柚木ちゃんはどうしてるの?」
「どうって? 元気だぞ?」
「いや、軽音入ったんでしょ? バンドとか組んだの?」
「実はよく知らないんだ。聞くタイミングが無くて」
 何か聞いたことない曲のギターを練習していたので、恐らくバンドは組んだのだと思う。だけどこれ以上に知らない。俺はこの件に関して柚木と関わるのを避けている。柚木も俺に頼るのを避けているみたいだ。お互いに依存しない方が良い関係を築けるだろう。
「まぁしゅーくんと違うから心配はいらないだろうけどね」
「お前だって俺が誘わなきゃバンド組めなかったじゃないか」
「まあね」
 まあねじゃねえよ。



 晩御飯を食べた後、俺が宿題をさっさと済まそうとして机に向かってシャーペンを握っている時、柚木は俺のベッドの上でギターを弾いていた。グレッチの弦を掻き鳴らすカシャカシャとした音が断続的に響いて来て、俺の関数のグラフに対する集中を霧散させる。少しいらいらしながら最後の問題を解いていると、柚木がギターを弾く手を止めて話しかけてきた。
「鷲」
「何?」
 俺は証明の末尾に「Q.E.D.」と書き、握っていたシャーペンを置いた。机の端においていたお茶を氷ごと呑み込み、宿題を終えたひと時の開放感を氷と一緒に奥歯でかみしめる。
「あの説明会の曲、誰が選んだの?」
「スメルズライクもキャントストップも凛。それがどうかした?」
「いや、誰が選んだのかなって単純に考えてただけ。まぁ鷲らしくない選択だったからそうかなとは思ってたけど」
 俺らしくない選択だろうか。確かにニルヴァーナは普段あんまり聞いてないし、キャントストップみたいに危なっかしい曲を俺なら選ばないだろう。言われてみれば俺らしくないと言えば俺らしくない。現にキャントストップはいまだに微妙だ。
「キャントストップはもうちょっと詰められたかなと思ってたから結構不本意だったな」
「まぁでも凛ちゃんが、改めて思ったんだけど、すごかったね……クリスマスのステアウェイトゥヘヴンの時も物凄いと思ったけど、よくあんな曲弾きながら歌えるよね」
 これはもはや俺が肯定するまでもないことなので、黙って頷いた。それはもう奴が人知を超えた変態だからだ。人間というよりはアマゾンの奥地に住んでいる珍獣という認識の方が正しい。鳴き声のように下ネタを放つ珍獣だ。
「あれは追いつけないね……」
「お前、追いつこうなんて思ってないだろうな。相手は珍獣だぞ」
「珍獣って……いやいやまさか。そんなことできるはずないじゃん」
 それは柚木も認識していたみたいだ。少しほっとする。あんなのを追いかけようとするなんて、登山初心者がヒマラヤ八千メートルに挑むようなものだ。なんかそういうと凛が凄い奴みたいだな。いや実際凄いけどそんな高尚な存在ではないよな。
 バンドの話になったついでなので、聞き辛かったことを聞いてみることにした。
「そういえばお前、もうバンド組んだのか?」
「……ああ、うん。説明会の後すぐにね。その場で知り合った人四人で」
「流石だな」
「流石でしょ」
 柚木はニヤリと笑った。俺が去年あれだけ時間と手間をかけてバンドを組んで神経をすり減らして胃腸を痛めていたのに、柚木はほぼ一瞬でバンドを組んだというのか。わかっていたことだがなんか悔しい。
「どんなバンドなんだ? 柚木はギター?」
「……うん。ボーカルは立ちボで男の子。ドラムも男の子。ベースは女の子だよ」
 弦二人が女の子って。ありそうであんまり見ない組み合わせだな。俺はほったらかしていたシャーペンを取って手持無沙汰にクルクルと回した。柚木は髪の毛を弄りながら話を続けた。
「で、ザ・バックホーンのコピーを中心にやるんだよ」
「ザ・バックホーン? あの罠とか閉ざされた世界とかの?」
「……なんでガ○ダムの曲ばっかりなの」
 あんまり聞いたことなくてガ○ダムの文脈でしか知らなかった。とりあえずうす暗い曲だったというイメージしかない。罠はよく知られてるけど閉ざされた世界の方は覚えられていない気がする。あとどこかの誰か曰く閉ざされた世界のカップリングの二曲がものすごく良いらしい。できれば聞いてほしい(迫真)。
「柚木ってバックホーン聞いてるイメージ無かったけど」
「んー、ベストしか聞いたことないけど、とにかくギターだけでやりたかったの……ギター上手くなりたいなと思ってね。」
「ふーん……歌は、やらないのか?」
「……またなんか誘われたらやるかも」
「そうか」
 俺は黙って伸びをしながら天井を見上げた。確かに柚木は、歌は同年代ではずば抜けて上手いが、ギターはそこそこしか弾けない。凛と比べると歌は僅差で柚木が勝つくらいだと思うが、ギターは天と地ほどの差がある。自分をレベルアップさせるためにバンドを選んだのか。
でも、俺は前みたいに柚木の歌が聞きたかった。欲を言えば彼女の声の下でベースが弾きたかった。そういえばクリスマス前にも同じようなことを言った気がする。だけどこれを今言ってしまうのは、一人で頑張ろうとしている柚木を傷つけるか、一人で頑張ろうとしている柚木を甘やかすことになるだろう、と思った。自分のエゴで柚木を傷つける勇気は無かった。だから口には出さなかった。
「バクホンね。しっかり聞いてみたいから明日ベスト貸してよ」
「いいよ。それより宿題終わったんでしょ? 久しぶりに初代ぷ○ぷよやろうよ」
「いいけどお前宿題は?」
「そんなもん学校でやってくるもんでしょ」
 得意げに柚木が笑う。相変わらずの超人ぶりだな……俺はほっとしてスーファミの収納された箱を取り出した。
 この時気づくべきだった。
 俺は柚木の表情に気づいていなかったのだ。



 特に何か悪いものを食べたとか、疲れているとか、病気になったとかそういうわけではないのに、突然何もかも鈍感になる日というのがある。まあ凛とか柚木あたりなら俺はいつだって鈍感だろうと言いそうだな。まあそうかもしれないけど、輪をかけて鈍感になってしまう日がある。そういうことって誰にでもあるんじゃないだろうか。
 まあその話は置いといて。
 授業を終えた俺は誰とも言葉を交わすことなくさっさと教室を出て、今日は練習も無いからさっさと帰って家でぼんやりしようとか考えながら階段を下りた。新しいクラスに変わったというのに、放課後の歓談も嗜むこともなくさっさと帰るのだ。ほら見ろこのコミュ障っぷり。誰だよ俺をリア充とか言った奴は。彼女いる奴がリア充って誰が言い出したんだ出てこい。
 昇降口まで近道するために中庭を横切って歩いていると、アコギを抱えた一年生男子(上履きの色からわかった)が、ギターを掻き鳴らしながら歌っているのが見えた。こんな皆が通るところで歌っているなんて、相当の目立ちたがり頭おかしい奴かどちらかだ。こういう奴とは関わり合いにならない方が正解だ。現に帰ろうとする生徒たちが怪訝そうな目で見ながら歩いていくのが見える。
 だが、関わりたくないと思ったのに、俺は立ち止まって聞いていた。なんて曲かもわからないが、兎に角立ち止まって聞いていた。どうしても聞きたかった。
 髪の毛は少し癖があってかなり長く、エロゲの主人公のように前髪が目を覆っている。背丈は俺と同じか少し低いくらい。だが何より俺の興味を引いたのは声だ。
 上手い。めっちゃくちゃ上手い。
 かなり高い音を出しているはずなのに、太く、力強い。どこか人を引き寄せるような、感情的な響きを持っている。振り返ると二、三人の生徒も遠巻きに彼を見ていた。ギターはめちゃくちゃ上手いというわけではないが、兎に角声がすごかった。

 何処まで何処まで 信じてゆける
 震えるこの手に 想いがあるさ
 心に心に 歌が響いて
 僕ら歩き出す
 鮮やかな未来

 こいつは誰なんだろう。そもそも何でこんなところで歌ってるんだろう。そんな疑問が解決するわけでもないのに、俺は結局最後まで聞いてしまった。普通に良い歌だった。歌詞もいいし、曲もいい。歌い手の歌唱力とあいまって、曲の良さが伝わった。いいものを聞いたと思いながら俺が帰ろうとすると、後ろから声をかけられた。
「桂木先輩ですよね」
「へっ?」
 振り返ると路上ライブ系男子が立ち上がって俺を呼び止めていた。一瞬何が起きたのかわからなかったが思考が遅れてついてくる。なんで俺の名前知ってるんだこいつ。
「あ、やっぱり桂木先輩だ。ちわーっす」
「ここ、こんにちは」
「ずっと聞いてましたよね」
「あ、ああ、うん、うん聞いてた」
 後輩相手にどもる俺。
「ど、どこかであったことあったっけ?」
「……ああ、キャントストップ、良かったですよ」
 そう言いながら笑顔を見せる彼を見てやっと気がついた。笑顔と言っても前髪のせいで目はよく見えなかったんだけど……我ながら鈍感だった。先輩って言ってるんだから、軽音部の後輩に違いない。先輩という言葉にもっと敏感になるべきだった。やっぱまだ一年生気分が抜けてないんだろうな。
「なるほど。軽音の」
「倉田雅史です。初めまして」
 彼が右手を差し出したので握手をする。俺の名前を知っていたのは、凛が言ったあの一瞬で覚えたということなのだろうか。それとも入場と共に横転した俺が印象深かったから覚えていたのだろうか。ぬあああああああああああ恥ずかしい。
 話を変えるために、というか俺の頭の中でしか起きてないけれど、軽い調子で倉田君に話を振ってみた。
「倉田君……っていったかな。もう軽音に入ったの?」
「説明会行って、即日で。もうバンドも組みましたよ」
 コミュ力の高さに敬礼。
「へぇ。なんてバンドやるの?」
「バンド名はまだ決めてないですけど……ザ・バックホーンのコピーを」
「ザ・バックホーン? あの罠とか閉ざされた世界とかの?」
「……なんでガ○ダムの曲ばっかりなんですか」
 あんまり聞いたことなくてガ○ダムの文脈でしか知らなかった。とりあえずうす暗い曲だったというイメージしかない。罠はよく知られてるけど閉ざされた世界の方は覚えられていない気がする。あとどこかの誰か曰く新しいアルバムのベースが鬼畜過ぎてコピーしようとすると指が千切れそうになるらしい。試しに弾いてみてほしい(迫真)。
「君がボーカル、だよね?」
「ああ、はい。へったくそなんで申し訳ないんですが……」
 謙遜もここまで来ると腹が立つ。
「いや、君は二年と三年のボーカル全員ひっくるめても一番うまいよ」
「いや、一之瀬先輩は死ぬほど上手いですよ……ってか何であの人キャントストップのギター弾きながら歌ってるんですか?」
「あいつは珍獣だからだ。人間ではないんだ」
「はぁ」
「いいか、先輩からの建設的かつ実用的なアドバイスだ……今後まともな生活を送りたければあいつに関わるんじゃないぞ」
「はぁ……」
 俺は力を込めて助言した。一年生君は困った顔をしている。まぁ関わっていなければわかるまい。それが普通の状態で幸せな状態なのだ。
「ってか、なんで君はここで歌ってたんだ?」
「いや、今日練習なんですけど他のメンバーがなかなか来なくて暇だったので……」
「暇だったら人前ででかい声で歌えるのか……」
「ああ、はい、まあ、いいかなっと思って」
 そう言って悪びれる風もなくひょうひょうと言う彼を見ながら俺は少し尊敬した。こいつ、フリーダムすぎる。この自由さはうらやましい。
「六月の定期ライブに出るの?」
「はい、流石に五月は早いなと思って。曲もそろわないので」
「はは、俺らもそんな感じだったわ。懐かしいな。頑張ってくれ」
「はい。頑張ります!」
 そう言ってそこで彼と別れた。ほら、俺だって立派に先輩っぽい会話ができたじゃないか、と無駄に達成感を感じながら歩いた。隣の校舎に入り昇降口まで行って靴を履きかえて、そこでやっと気が付いた。どうやら今日の俺はとことん鈍感になっているらしい。ここでさっきの話に戻るわけだけどそれはどうでもいい。
 あいつ、ザ・バックホーンって言ったな。
 つまり、柚木のバンドのボーカルだったのか。



 家に帰って予習しようとペンを握ったものの集中力が持たず、ゲームしようかと思ったもののコードを繋ぐのが面倒になり、ベースを弾こうと思ったもののやる気が出なかった。手持無沙汰になったので結局ベッドに寝転がっていたが、柚木にザ・バックホーンのベスト盤のCDを借りていたのを思い出したので、起き上がりたくないと言い張る体を起こし、プレイヤーにCDをセットして聞くことにした。
 適当なトラックからランダム再生に設定して、再びベッドに倒れ込む。面白いパターンのドラムと普通にコードを鳴らすギターの上にボーカルが乗っている。ベースが途中から踊るように入ってきて曲を支配する。サビに入ると力強く歌い上げる……あれ、これどこかで聞いたことあるな。
「あ、そうか……」
 さっき倉田君が歌ってた曲だ。一人で納得して聞き続ける。曲がコロコロと変わるのを一曲ずつ丁寧に聞いた。力強くもありながら、どこかで憎悪とか虚無感とか絶望とか、そういう真っ黒でドロドロしたものを大声で叫んで吹き飛ばすような、力強さを感じた。
 倉田君の声と聴き比べる。元ネタの声より倉田君の声の方が、癖が少なくて綺麗だ。けどこのボーカルの癖の強さがこのバンドの良さの大きい部分を占めている気がした。完璧に拘ってコピーするとなると難しいかもしれない。
 寝転がって目を閉じて、天井を見つめながら俺は物思いに耽る。倉田君の声が頭から抜けない。一瞬聞いてこんなに心惹かれたのは凛と初めて会って演奏を聞いた時以来だ。正直に言うと感動した。凛はその感動を補って余りあるほどの、もとい、台無しにして余りあるほどの変な部分があったのでそんなに感動した記憶もないな。倉田君とバンドができる柚木がうらやましかった。一年遅れていても俺を羨ましがらせるのか。あいつは。
「鷲」
「……んにゃ?」
 目を開けると柚木が立っていた。制服を着たままだ。ギターを置きに来たのかな。
「ああ、おかえり、はやかったな」
「何言ってんの? もうすぐ八時だよ」
「え?」
 柚木の声にワンテンポくらい遅れて時計を見ると時計は八時前を差していた。どうやら寝ていたみたいだ。ベッドの上に座って壁にもたれて俺が呆けていると、柚木が隣に腰かけた。
「早く帰って昼寝とはええ身分やのう!」
「なぜ関西弁なんだ」
 そう突っ込むとニヒヒと柚木は楽しそうに笑った。機嫌がいいみたいだ。
「お前、練習はどうだったんだ?」
「まあまあだったけど……今日練習って言ったっけ?」
「ああ、今日帰りに倉田君に出会って少し話したんだよ」
「へえ」
 柚木は少し驚いたような声を上げた。どうした。俺が後輩と世間話してるのがそんなに変なことなのか。まあいつもの根暗ぶりから言えば変かもしれない。
「変な奴だったでしょ?」
「中庭でギター弾きながら歌ってたよ」
「そうそう! そういうフリーダムな奴」
「フリーダムすぎて……クラスで浮いてないか先輩心配だよ」
「先輩と心配って微妙に韻踏んでるよね」
 俺は無視した。偶にはこうやって空気をキリキリさせることが夫婦仲にとって重要なのです。あ、夫婦じゃなかった何言ってんだ俺。
 そんな俺の内面の葛藤を無視して、柚木は話を続けた。
「同じクラスなんだ。倉田と」
「へぇ。どうなの?」
「勝手で変な奴だけど、変なカリスマ性あるんだよね、あいつ。クラス委員とかになってるわけじゃないけど、妙にこいつについて言ったら大丈夫だって雰囲気があってさ……鷲とは違ってね、痛てて」
 いらないことを付け足したので、頬をつねっておいた。軽いスキンシップも夫婦仲にとっては重要なのです。あ、また何言ってるんだろう俺。
「要するにお前と似たような奴なんだな」
「そう? 私ってそんなにカリスマ性あるかな」
「どういうことをカリスマ性って言うのかはよくわかんないけど……気が付いたら真ん中にいるような奴って意味ならそうだろ」
「そうかな……」
 俺なんかは気が付いたらクラスの外縁部分に立ってるような奴だからな。周囲に押し流されてるのか、自分から好んでそちらに行くのか。両方かもしれない。波に押し流されながら砂浜を闊歩するヤドカリのような存在だ。なんか上手いたとえだな、これ。
 そんなクソどうでもいいことを黙って考えていると、柚木は俺の膝の上に頭を乗せて寝始めた。甘えてくる柚木というのが珍しかったのでちょっとひいた。
「なんだよ気色悪いな」
「いいじゃん偶には。曲がりなりにも付き合ってんだし」
「曲がってねえよ」
 おい俺。突っ込むとこはそこじゃないだろ。何を動揺してるんだ。
「重いからのけよ」
「こっちは練習で疲れてんだよ、家で寝っころがってたクズと違って」
「ひどい」
 俺は溜息をついた。尻に敷かれてるよな、俺。いや、今の状況を正確に言えば頭に敷かれてるんだけど。少しイラッとしたので柚木の耳を弄っていたら、こそばゆかったのか、触っていた指を手で跳ね飛ばされた。いってぇ。こいつ耳が弱いのか。覚えとこう。
「鷲の太もも、硬い。肉が無くて気持ち良くない。太ってよ」
「嫌だよ……お前も太ったら嫌だろ」
「いや……太っても好きだよ……いったぁ!」
「恥ずかしいから止めてくれ……あと死んでも太らないからな」
 膝の上で仰向けになってとんでもないことを言いだしたので思わずデコピンした。なんなの今日はノロける日なの? 誓って言うがこんなベタベタイチャイチャしたの初めてだ。こんなこと恒常的にしてたら、世界中の人に爆発しろとか言われかねない。現に俺も恥ずかしさで爆発したい。
「あのさ、柚木」
「なに?」
「お前、その……クラスでは、どうなんだ? 馴染めてるのか?」
 この際だったのでずっと気になってたことを聞いてみた。大学生なら浪人だの留年だのはよくあることだろうが、高校でダブって一歳年上というのは珍しいだろう。
「んー……まあまあ、最初だからよくわかんないけど、それなりには」
「その、ダブってるとかは」
「ああ、皆にもう自己紹介の時に言ったよ。恥ずかしがる理由もないし、こういうのは後々ばれて気まずくなるより、さっさと先に言って後は気にしてないふりしてる方が、心理的負担が少ないんだよ」
「はぁ……凄いなお前」
「なんにも考えてないわけじゃないでしょ?」
 そう言って柚木は笑う。俺だったら必死に隠そうとしてただろうな。柚木は柚木だった。馴染めてるのかなとか色々思っていたが、どうやら無駄な心配だったようだ。
 それから何分経ったかよく覚えていないが、気が付いたら柚木は俺の膝の上で寝ていた。くうくうと安らかな寝息を立てる彼女を見ながら、俺はやっとそこで気が付いた。鈍感な日は何処までも鈍感だから本当に困る。
 柚木は疲れているんだろうな、と思った。学校で始終気を張っているから、ここまで上手く立ち居振る舞いできるんだろう。甘えてきたのも、こうやって寝息を立てているのも、要するに疲れてることの印なんだろうな。
 鈍感な俺は祈った。祈るしかできなかった。
 彼女の学校生活が、音楽が、上手くいくように。



BACKTOPNEXT



[コメント] 感想、指摘などを頂けると大変うれしいです。コメント返信はここをクリック。

PAGE TOP

inserted by FC2 system