Episode24:まだ春は来ない




 レゲエっぽいリズムで刻まれるギター。
 スラップで特徴的な「ハネ」のリズムを刻むベース。
 ベースに寄り添うように強くビートを刻むドラム。
「んあああああああああああああ!!!!」
「おおう! どうした!」
 突然凜が叫び声を上げて演奏を止めた。その3拍後くらいに俺と哲平が演奏を止めると、凜はスタジオの床に這いつくばって唸っていた。
「ダメだ……あのノリが出ない……!」
「まだ何回か合わせてみただけなんだから当たり前じゃないか?」
「いや、この曲は……特別なんだよ! 完璧にしないと……!」
 哲平がスティックを指の先でクルクルと回しながら暢気な声で凜に声をかけたが、凜は顔をクシャっとさせながら悲愴そうな声で言い返した。俺もフロアチューナーを踏みながら凜に声を掛けた。
「最初から完璧なんて無理だろ。気楽に行こうぜ」
「……しゅーくん! メインリフのサムが重すぎる! そこで嫌な感じにモタる!」
「お、おお、すまん」
 いきなり顔を上げた凜に決めポーズで怒られた。安易に声を掛けたら駄目だったのか。勢いにちょっとたじろいでしまった俺は両手の手のひらを凜に向けて「降参」のポーズをとり、凜におそるおそる話しかけた。
「なんでこの曲にそんなに拘るんだよ……他のレッチリの曲はそんなに厳しくなかったじゃん……」
「むー……あのね、この曲は、私が初めて聞いたレッチリの曲なんだよ。前に言ってたギターのおっさんがウォークマンに入ってたこれを聞かせてくれたの」
「ギターのおっさん?」
「ややこしいから後で説明してやる」
 事情を知らない哲平の疑問を遮りながら、俺は腕を組んで口をつぐんだ。キャント・ストップ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアルバム「バイ・ザ・ウェイ」の中で唯一ファンキーな曲調の曲だ。俺も好きな曲だけど、凜にとってそんな思い出の曲だったとは。
「いずれにせよ、個人練が足りてないからこれ以上やってもむだなんじゃないか?」
「うん、そうかも」
「いや、俺は何回か合わせてみて体に刷り込んだ方が良いと思う。悪いところも見つかるだろうし」
「それもそうだけど……若干休憩しない? 集中力切れてきた」
「このヘタレ!」
「お前も息切れてきてるだろ」
 凜の罵り言葉を何とかかわしながら、手元の銀色の腕時計を見ると三時五十分だった。練習開始してから合計四時間くらい経っている。ベースの重みで、肩に噛みつくようにストラップが食い込んでいる。結構疲れてきたな。
 とりあえず休憩する空気になったので、ベースをおろしてスタジオの壁に立てかける。哲平が「トイレトイレ」と呟きながら出て行くのを見ていると、凜が俺の手元を見ながら話しかけて来た。
「その時計どうしたの?」
「あ、柚木がくれた。誕生日とクリスマスプレゼントだって」
「仲直り、できたんだ……良かったね」
「まあ喧嘩してたわけじゃないからな」
 凜が嬉しそうな笑顔を見せるので、俺は苦笑いしながらそれに答えた。今日はクリスマスイブから二日経った十二月二十六日。おそらく今年最後の練習だ。冬休みで時間があるとのことで六時間くらいスタジオを入れたのだ。
「しゅーくんから謝ったの?」
「まあ、その、謝ったっていうか……誤解を解いたというか……」
 なんて言ったら良いのか。その場の流れでうっかり告白した上にうっかり両思いだったとは言いたくなかった。俺と柚木の二人の思い出だし、それになんか言ったらマズいような気がしたからだ。しかしこのリア充、ノリノリである。
 凜も深く突っ込む気は無いようで、朗らかな顔で声を出した。
「うん、よくわかんないけど、とにかく、しゅーくんが元気になって良かったよ」
「ありがと……ってか、なんだ、その……心配かけて悪かったな」
「貸し、ね」
 そう言って凜がピックを突きつけてきたので、右手でそれをつまんだ。剥げた塗装と形からフェンダーのティアドロップ型のハードの奴だなと、ぼんやり思う。凜はティアドロップばっかり使ってる気がする。
「マ○クポテトでいい?」
「てりやきマ○クがいい」
 凜にピックを投げ返す。放物線を描いて宙を舞ったピックは吸い込まれるように凜の右手に収まった。凜は満足そうに頷くと、そのままそのピックでキャント・ストップを練習し始めたが、突然手を止めてこちらを向いた。
「そういやさ、来月の定期ライブ、どうする?」
「パスで良くない? クリスマスに出なかったバンド結構多いから冬休み練習してそっちに来ると思うよ……それよりバレンタインライブに出た方が良くない?」
「そうだね……バレンタインか……リア充共を震撼させる恐怖のライブやろう!」
「あ、ははは……ブラックサバスでもやる?」
 リア充という言葉に少しドキリとしながら何とか返事をする。いや、あの晩以降何にも起こってないからドキリとする必要は無いんだけど、何となく。
「ブラックサバスは有名度的にきつくない?」
「まあねぇ。聞きやすいとは言いにくい感じだしな」
「むー……ホルモン祭りとかやらない? バレンタインで浮かれるリア充にデスボイスを浴びせ……」
「何? 何の話?」
 良いタイミングで哲平が帰って来た。俺はベースのネックを握りながら、哲平に話の方向を逸らそうとした。
「あ、ほら! 哲平は、クリスマス、どうだったの?」
 自分のことで精一杯だったので危うく聞くのを忘れかけていたが、あの後なっちゃんとどうなったのかをまだ知らなかった。凜も忘れていた様で、「そういえばそうだったね」と言わんばかりに目を丸くしていた。
「は? ライブしてた……のはクリスマスイブか。昨日はずっと家で寝てた」
「性的な意味で?」
「アホか。普通になっちゃんと帰った後、そのまま家帰って寝て、朝起きて、二度寝したら夕方だった。我ながらよく寝たよ!」
 顔を見合わせる俺と凜を尻目に、せかせかとドラムをたたき出す哲平。脳裏をよぎる嫌な予感。凜がギターを置いて部屋を出て行こうとするので、俺も握りかけたベースを置いて部屋の外へ出た。
「ちょっと……もしかして、なんにも無かったの?」
「無かったんだろうな。あの調子だと」
「私があれだけ気を遣ったのに?」
「ああ……なんかすまん」
 なっちゃんの方に直接確認してみるまで確定的じゃないけど、もしもなっちゃんとなんかあったとしたら、必要以上に素直な性格の哲平が隠すはずがない。凜は明後日の方向を見ながら目を細めていた。
「顔面ヤ○ザにまだ春は来ないのかぁ……」
「だろうなぁ……まだ寒いしなぁ」
 雪こそ降っていなかったものの、スタジオの廊下を漂う冷気が肌を殴るようにして通り過ぎていった。



 ぱんぱんになった買い物袋を抱えながら夕方の街を歩く。
 大晦日の街は賑やかだ。
 元日の朝は初詣に向かう人がとぼとぼと歩き、そこらかしこで「春の海」とかが流れ、如何にも厳かな雰囲気が辺りを漂っている。大晦日は今年最後の一日を燃やし尽くすかのような勢いに溢れ、街がここぞと言わんばかりに活気が溢れる。一日しか変わらないのに変な話だなと思う。
 うちの居酒屋も元日は流石に休業だが、大晦日の夜は酒を飲みながら年を越そうとする常連客の為に営業している。だから、部屋の掃除も終えダラダラとしている俺が必然的に足りなくなった材料を買いに近くのスーパーまでかり出されるわけだ。
 俺の五歩先を、夕方の赤みがかった光を浴びながら楽しそうに揺れながら歩いている柚木を俺はぼーっと眺めていた。家にいても暇だと言うから買い物を手伝ってもらおうかと思ってついてきてもらったが、重い荷物を持たせるのもどうかと思ったのでさほど役に立たなかった。柚木が振り返りながら話しかけてくる。
「今年も今日で終わりかあ」
「そうだな」
「今年一年、どうだった?」
「そうだな……」
 住宅地を通り抜け、家の前の通りに繋がる角を曲がりながら、フラッシュバックするように今年あったことを思い出す。受験して、中学卒業して、柚木が倒れて、高校入って、バンド作って、練習して、ライブして、遊んで、練習して、喧嘩して、ごちゃごちゃあって……なんか色々やったなあ。
「うん、プラスマイナスプラスって感じかな」
 良いことも悪いこともあったけど、総合すると大きくプラスって感じだ。友達も増えたし、練習もたっぷりしたし。一瞬だったようで、もの凄く密度が濃かった気がする。
「お前は?」
「私は……私もプラスマイナスちょっとプラスって感じかな」
「何だよちょっとって」
「嫌なことも多かったけど、良いことが大きかったから……言わせんな恥ずかしい!」
 自分で言って自爆した。俺がニヤニヤしているのに気づくと「うぅー」と顔を少し膨らませて怒ったようなうなり声を上げ、俺からもっと距離をとってずっと先を歩き出した。
「ごめんごめん……来年は、少なくとも健康でいられたらいいな」
「まずはそれだよねえ」
 少し距離が離れたので柚木の全身がはっきりと見える。一年前とシルエットが全然違うことに気がついて少し寒気を覚える。
「しかしこの一年でめちゃくちゃ痩せたよなあ」
「でも綺麗に痩せたんじゃなくて不健康な痩せ方しちゃった……運動しないと」
 そう言って柚木は俺の隣に回り込んできて、俺の前に手を突き出した。
「貸してよ、一個持つから。そんなに重くないでしょ?」
「まあ、軽い方なら……頼むから無理するなよ」
 そう言って俺は左手に持っていた軽い方のビニール袋を柚木に手渡した。柚木は偶にだがまだリハビリに通っている。もの凄く元気だけどもう激しい運動はできないみたいだ。体育とかどうするのかわかんないけど何とかなるんだろうか。
「鷲はどう思うの? ……その、スタイルとか」
「さあ……まあ良い方が良いけど悪くても気にはしないかなあ」
「とか口で言ってる奴に限って内心めちゃくちゃ外見への拘りあるやついるよね」
「あ……ア、ハハハハ」
 いや、ほんとに、気にしてない。だって見た目で好きになったんじゃねえし、と心の中でクサいセリフを吐き散らしてみる。まあ柚木は多分スタイル良い方なので、見た目に関しては文句が無い。背は平均くらいだし、くびれあるし、胸はあるし。
「今エロいこと考えてたでしょ」
「か、考えてねぇよ!」
 思わず声が詰まる俺。誰がどう見ても図星です本当にありがとうございます。
「ふふん。鷲、ダメだよ、まだ夜になってないよ」
「だから考えてねえって……ってか、夜になったらいいの?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
 二人して赤面して黙り込む。なんだこれ。客観的に見たらどう考えても周りの壁をぶっ壊したくなるような状況だ。
 あの日、つまりクリスマスの夜以降、柚木と俺の関係に特に変化は無かった。一応、その、両思い、だった訳だから、付き合ってる、ことに、なってるのかなぁ? なんだこのリア充死ねほんとに死ね。
 でもまあ本当に何の変化もない。柚木は前みたいに家に来るようになったし、俺の部屋を自分の部屋のごとく使うのも今まで通りだ。部屋に来るからと言って別に何もしてない。あの夜一回キスしただけだしそれ以外は神に誓って何もしてないし……あれ、誰に向かって言い訳してるんだ俺死ねよ爆発して死ね。
「どうしたの鷲。中学の時の記憶が甦ったような顔して」
「いや、強ち間違ってないなそれ……」
 家の前にたどり着いた。俺は店の引き戸に左手を掛け、そっとドアを開けた。まだ開店時間になっていないのにもう客が一人は言っている。常連かな?
「ただい、ま……」
「おう、早かったな」
 カウンター席に座っているその厚かましい客の顔を見て、驚きで体が凍り付いたように言うことを聞かなくなった。なんで、どうして、今更――。
「な、んで?」
「おお! 鷲くんかぁ! やっぱ暫く見てないとでかくなるなぁ!」
「はは、成長期だからね」
「そして性徴期でもあるわけか」
 何年もここに来ているかのように慣れた口調で下ネタを放つその人は、ほんとうに懐かしそうに俺を眺める。俺はその慕わしい視線を浴びるのに忙しくて、後に比較的重い荷物を持たせたままで立ちっぱなしになっていたためにイライラが募り今まさに足を振り上げ俺の背中を押そうとする彼女の存在に――。
「っ! いってぇぇ! 何しやがる!!」
「そんな所に突っ立ってないでさっさと中に入ってよ」
 柚木に後から蹴り飛ばされて見事に前につんのめってこけた。再会の感傷が吹っ飛ぶほど大きな衝撃が全身を襲う。買い物の荷物は何とか守ることが出来たが、顔を床にぶつけた痛みでうっすらと涙が出た。頼むからもっと女の子らしい穏便な方法で言って欲しかった。柚木は俺の胴体をまたぐような形で店の中に入ってきた。
「はい、転がってないで、邪魔邪魔」
「柚木」
「はい……え?」
 照れくさそうに名前を呼んだその人を見て、柚木は驚いて右手に持った買い物袋を落とした。その買い物袋の中にぽん酢の瓶が入っていて、それが見事に俺の背骨にヒットして俺の喉の奥からうめき声を導いた。いってええええ全身痛くて何処が痛いのかわかんねええいてええええええええ。
「え、なんで、ここに……」
「まあ、なんだ、その……ただいま」
 普通、どこかに帰ってきた人にかけるはずの無い言葉を、照れくさそうに放つその人に、柚木は喉から絞り出すようにして返事をした。
「おかえり……お父さん」



「お父さん、こんなに長い間、どこいってたの?」
「んー? ああ、海外。」
「海外?! どこへ?」
「えーと、最初はアメリカで、次はイギリスで、フランスで、その後ドイツに行って、あとオランダだろ……?」
「あー。もういい。世界中だってことはわかった。で、何してたの?」
「ん? あー、海外でちょっと名の知れたアーティストの世界ツアーのサポートギターに入ってた。別に行きたくもなかったけど昔世話になった人に頼まれちゃって。」
 俺は飲もうと思って口に含んだ氷水を吹き出しそうになった。このおっさん、仕事してたんだ。俺は氷水をやっとの思いで飲み込んでから口を開いた。
「日本では名前も知られてないギタリストにしては大役ですね」
「だろ? でもギャラがものすごく良かった代わりに死ぬほどこき使われた」
 そういって柚木の父は芋ロックで唇を湿らせるように舐めた。
「ほんとは9月くらいに帰ってきてたんだけどな……家に行ったら理子に門前払い喰らって、そっからすぐに違う仕事で全国ツアーの手伝いに行ってたんだ。ピンチヒッターで呼ばれたんだけどな」
 酔ったように湿った笑い声を上げる柚木の父親を見ながら、俺は腕を組み直した。因みに理子ってのは柚木の母親の名前だったような気がする。柚木の父は柚木の顔を覗き込みながら呟くように言った。
「悪かったな……なんも言わずに行っちまって」
「いや、いいよ。帰ってきてくれたんだし」
 気にとめていないような声で応える柚木に、柚木父はそっと頭に手を乗せた。柚木は、どちらかと言えば父親と気が合うみたいで、離婚した後も偶にうちに飲みに来ていた柚木父によく懐いていた。ほんとは辛かったはずだ。
 だがそんな俺の感慨も一瞬だった。さりげなく頭に乗せた手が滑り落ちて胸の方へとずれ落ちた時だ。
「ちょっと、何ナチュラルに胸触ろうとしてんの」
「え、ああ、すまん、つい……Eくらい?」
「いや、まだD」
 「つい」じゃねえよ返せよ俺の感慨。俺も触ったこと無いのに何していやがる。ってか柚木もサイズ聞かれて自然に応えてんじゃねえ。
「少年、どうした、『俺も触ったこと無いのに』みたいな顔して」
「そんなこと思ってませんよ」
 思ってたけど。
「……娘はやらん!」
「まだ何も言ってねえよ酔っぱらい!」
「いやあ言って見たかっただけだからハハハ。そんなん言う資格俺にねえからなぁ……どうぞ、抱いて寝るなり揉むなり犯すなり……ぐへえ」
 反射的に水をぶっかけていた。柚木を挟んで2つ隣の席にコップの水が塊のように飛んでいった。
「おい、鷲、家の大事な常連客に何してんだ」
「一部始終聞いてただろ?! ややこしいから親父は入ってくるなよ! ……酔いは覚めたか下ネタ親父!」
「お陰様で。しかしその様子だとほんとに何もしてないみたいだな……ああ、キスぐらいはした感じだなこれは」
「ちっ……ノーコメで」
 なんでわかるんだこのおっさんは。
「鷲! ノーコメとは業界ではイエスってことだよな! ほうほう毎晩部屋に二人で籠もって何をしているかと思えば……」
「どこの業界だよ! だから親父は首を突っ込むなと! 毎晩マリカしかしてねえよ……ほら柚木もなんか言ってよ!」
「うん、昨日の晩は鷲がしつこくツいてくるから……」
「それは昨日のマリカの話な! 後にぴったり着いていって悪かったからお願いだからきちんと漢字変換してくれええええええええええ!」
 半ば叫ぶ様に弁解したが、おもしろがっている三人の顔を見て気づく。ああ、みんな敵だったのか――。桂木鷲は考えるのを止めた。
「もういいや疲れた……」
「なんだつまんない。お父さん、なんか言ってやってよ」
「うむ、では俺から人生の格言を……『少年、ゴムはつけろよ』」
 黙って無視した。ほんとは柚木も恥ずかしがってるはずなのに俺を弄って何にも思ってないフリしてるんだ……十数年間一緒にいたのについ先日まで気づかなかったやり方だ。もう騙されないぞ。
「そういえば、お土産持ってきたんだ。ほら」
 そう言って柚木父が後の座敷の席に立てかけてあるギターとベースのソフトケースを指さした。柚木は椅子を飛び降りて駆け寄ったが、俺は心的な疲労に足を引っ張られてのろのろとそれを追いかけた。
「うわ……このギター、私に?」
「そう。お前まだあのやっすいエピカジ使ってるんだろ?」
 柚木がソフトケースから取りだして抱いていたのはグレッチのギターだった。トップは黒いけどバックはマホガニーの木目がでている。何となく見覚えがあるんだけど、ジョージ・ハリスンが使ってたのと同じタイプかな。
「これ、めっちゃ高い奴だよね? いいの?」
「うん。アメリカの楽器屋で買ってきたんだよ。二年分の誕生日プレゼントと今年のお年玉とお土産まとめて渡したと思ってくれ」
 そう言って柚木父は喜んでうずうずしている柚木を見ておかしそうに笑った。柚木は隣にあったベースのソフトケースも開けた。
「あ、そっちは鷲くんにな、中古だけど」
「へ、俺?」
 ソフトケースから出てきたのは全体的に細身で木目が綺麗な……マジかよ。
「ワーウィック……サムベース……」
「それ、知り合いのベーシストが使わないから売ろうとしてたから俺が安値で買い取ったんだよ……傷も少ないし綺麗だからオークションに出しても良かったけど……」
「いや、使わせて下さいお願いします」
「ちょっ……あげようと思って持ってきたんだから頭下げるなって」
 自然に土下座のポーズになっていた。さっき水なんかぶっかけるんじゃなかった。なんだこのおっさんめっちゃいい人じゃないか。
「神崎さん、いいんですか? あんな高いもんをウチのヘタレフニャチンに使わせて……」
「いや、あの子はあのベースでしょうよ。一回だけ前に聞いた時、アレだろうなと思ったんですよ」
 俺は柚木から手渡してもらったベースを弾いてみた。チューニングが少し狂っているが、楽器自体の鳴りが良いことはすぐに分かった。ものすごく丁寧に作られたベースだ。スラップでEのオクターブを鳴らしてみると、音が腕に染み渡るように響くのが分かった。
 ってかいま親父にもヘタレフニャチンって言われたけどツッコむタイミング逃した。
「鷲、そのベース、欲しいって言ってたやつじゃなかったっけ?」
「ああ……会社は一緒だけど、違う奴。こっちの方が人気高いんだよ」
 もの凄く記憶力のいい人なら覚えているかも知れない。以前凜の家の楽器屋で俺が「将来的に続けるなら買おうと思っている」と言っていたのがワーウィックだ。あの時見たのはストリーマーという機種だが、これはもっと人気の高いサムという機種の奴だ。
「なんか家具みたいだね」
「そう、かざっとくだけでも綺麗だと思う」
「いや弾けよ」
 苦笑しながらいう柚木を見て、俺も笑った。
 次スタジオ入るとき持って行こう。これを使うのが楽しみだ。



 前からずっと思っていたのだが、初夢というのは一月一日に見る夢なのだろうか、それとも年が空けてから初めて見た夢なのだろうか。夢ってのは実は毎晩見てるんだけど覚えてないことの方が多いってのは聞いたことがある。だとすると前者が正しい解釈と言うことなんだろうか。
「起きて!」
「……うん」
 ちなみに今見ていた夢は某ファーストフード店で哲平とひたすらフライドポテトを囓っている夢だった……なんか普通にありそうなので逆に困る。多分今度練習に行って、帰りにポテト食おうって話になったらすぐに正夢になりそうだ。どうせならもっと非現実的な奴が良かった。
「ねぇ! 起きてよ!」
「……うん」
 でもまぁ毎年見たか見てないか分からないままに終わってるので、それよりはまだましかな、と一人で納得した。それにしても、だ。この朝目覚めた瞬間に腹に妙な圧迫感を感じるのはどういうわけだろうか……まぁ、言わずとも分かってるんだけどね。俺は目を開けないまま腹の底から声を捻り出した。
「柚木、降りろ」
「嫌だ……鷲が起きたら降りる」
「お前がそこにいると起きられない」
「嫌だ……ぬわっ」
 俺の体にぴったりとしがみついてくる柚木を無理やり剥がして横に投げた。俺はゆっくりと目を開けると、暗闇の中で間抜けなポーズで転がっている柚木が見えた。
「痛っ」
「まぁ、色々つっこみたいけど、まず……あけましておめでとう」
「お、おめでとう」
 時計の針をちらっと見ると短針がほぼ真上を指している。なるほど、年が明けたみたいだ。たじろぐように返事をした柚木を見て俺は少し満足したが、一応確認しておいた。
「柚木、今何時?」
「十二時五十四分」
「……子供は寝る時間だ。寝ろ」
 柚木の父親と色々話した後、柚木はグレッチだけ俺の部屋に置いて、自分の家に戻ったはずだった。なんで此処にいるんだよ。
「いや、初詣いこうよ」
「……今から?」
「今から」
「柚木、ほら、この布団を半分貸してやる。一緒に寝よう。暖かいぜ?」
 俺がそう言ってベッドを半分開けると、柚木は少し遠慮するような顔つきで布団に潜り込んで俺に体を寄せてから――。
「ってなんでやねん!」
 ノリツッコミ! どこでそんなスキルを身につけたんだ。
「ダメだったか。な、朝になってからじゃダメなのか?」
「今が良いんだよ! ほら、夜中に家を抜け出して外出って何か燃えない?」
「むしろ萌える」
「でしょ?! でね、あの有名な神社あるじゃん。あそこ行こうよ!」
 あれ、今漢字違うのにしたのが伝わらなかったのか? しかし俺は半ば諦めるような気持ちになってきた。外に出る様の服と上着を用意する。寒そうだからマフラーも。
「まあいいか……早く行って早く帰ってこようぜ」



 宗教なんてものは生まれてすぐにそばに無いと信じることなんて出来ないもので、ちょっと一人で考えられるようになると途端に疑い出してしまうほど矛盾だらけのものだ。でもそのおかげで毎年定期的にお祭りができるわけだから、いくら無宗教とは言えちょっとくらい感謝しないといけないかもしれない。
「巫女さんのバイトってどれくらい儲かるのかな」
「だから出来るだけ不謹慎なことは口に出さない方がいいと思うんだよ……」
「『だから』?」
「いや、何でもない」
 柚木の不謹慎発言と俺の勝手な妄想の文脈が偶然一致した。この一人で色々考えてしまう癖、止めた方がいいかもしれないな。まぁ無理だけど。俺は辺りを見渡しながら、周りの喧騒に飲み込まないないように大きめの声で柚木に声をかけた。
「……やっぱすごい人だな」
「この辺だとここしか行く所ないしね」
「みんな近場で済ませたいんだな……不景気なんだろうな」
「世知辛いね」
 柚木が頷く。俺たちが行ったのは近所にある神社の中では一番有名で大きい神社で、深夜だというのに無宗教(だと思う)の人が大挙して初詣に来ていた。縁日の様に屋台が沢山並び、近所の子供がそれに群がっていた。それを目を細めて見つめていた柚木が呟いた。
「……かき氷、無いかな」
「こんな寒いのにあるかよ」
「いや、何となく言ってみただけ」
 柚木は少し顔を赤らめながらそっぽを向いた。まぁ、何を考えていたかはよく分かる……そういや、あの時の縁日って、この神社の夏祭りだったな。俺は1人で少し笑った。
「何? バカにしてんの?」
「いや、違うよ……今度かき氷食う時は柚木が奢ってよ」
「……うん。そうだね」
 柚木が微笑むのを見て俺も笑った。今度はもっと違う話をしよう。前みたいに離れてしまわないように。流石にこっ恥ずかったので口には出さなかったが、俺はそう思った。
 人混みを掻き分け進むと妙に立派な本殿が見えてきた。賽銭箱の周りには大きな人集りが出来ており、四方八方から小銭が投げ込まれていた。俺はそこで最近聞いた話を思い出した。
「そういや、この神社、安産の神様を祀ってるらしいな」
「あ、そうなんだ」
 みんな商売繁盛とか受験合格とか必死に祈ってるんだろうな……ちょっとそのお願いはいくらなんでも安産からは遠すぎる。神様も苦笑いしてるだろうな。
「じゃあ、私たちもお願いしましょう」
「何を?」
 俺が聞き返すと、柚木は神妙な顔つきで自分の腹をさすり始めた。
「この子が元気に生まれてきますように……」
「そういう周りに誤解を与える発言をするな!」
 前に立っていた初老の女性がこちらをちらっと見た気がした。いや、おばあさん、違うからね! 子供どころか、俺まだ童貞だから! ホントだってば!
「でも、お腹、大きくなって来てるでしょ?」
「それはお前がたらふく食って太っ……痛ってえ!」
 俺が自明の事実を口に出すと、柚木は真顔で俺の肩を殴った。何これ地味に痛い。
 秋から冬ってみんな太るようなきがする……これって生理現象なんじゃないかな。
「ん? なんか言った?」
「いえ、何も……俺らもまともになんかお願いしようぜ」
「そうだね」
 俺と柚木は茶番を止め、小銭を出しながら人集りに突っ込み賽銭を投げ入れた。賽銭箱の周りでは雨あられと小銭が舞っている。これ、総額いくら位集まるのかな。
「まあ、これが神社の貴重な収入源なんだよね……」
「俺も一瞬そう思ったけど神前で言うのは止めろ」
 なんか俺らさっきから全体的に不謹慎だな……神様もそろそろ怒りそうだ。柚木は空いた鈴の所に滑り込み、綱に手をかけてこちらを見た。
「ねぇ、一緒に鳴らそうよ」
「何で……まぁいいか別に。そっちの方が効率良いしな」
 俺も綱に手を添え、2人でガチャガチャと鳴らした。あまり綺麗な音がする鈴では無かったが、賽銭にしても鈴にしてもこういうのは気分なので充分に満喫したもの勝ちなのだ。そして、今から手を打ち鳴らして安産の神様に無理なお願いをするのも気分の問題なのだ。
 まず俺は凛と哲平の顔を思い浮かべた。あいつらも初詣に行ってるのかな。
 ――安産の神様なのにすいませんが、どうか、今年もみんなで仲良くバンドが出来ますように。
 それから隣で目を閉じて手を合わせている柚木を横目で見ながら、そっともう一つお願いした。
 ――十円で欲張りな話ですが、こいつ……柚木を、今年こそどうか健康に過ごさせてやって下さい。



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