Episode20: 永遠なんて無いけれど




 全身に痛みと寒さを感じて目をさますと、俺は固い絨毯の床の上で奇妙なポーズをとっていた。ゆっくりと目を開けると、壁に立てかけたG&Lが見える……どうやら寝ていたらしい。
 上体を起こし、辺りを見回した。薄暗いスタジオの中で、コートを被って横になって寝ている凜と、ドラム椅子に座ったままの状態で寝ている哲平が見えた。哲平のポーズが一番怖い……ドラム叩いてるまま後ろから銃殺されたみたいなポーズしてるな。しかめっ面だし。寝る時までしかめっ面ってどういうことだよ。
 ポケットに入っていた自分の携帯で時刻を確認すると真夜中の二時過ぎだった……あ、そうか。状況が分かってきた。リブ・フォーエヴァーをなんとか完成させて録音した後、それを聞きながら3人共寝てしまっていたみたいだ……みんな最後の方は集中力が極限状態を迎えてたしな。悪いことしたなぁ。
「ってか寒っ……」
 立ち上がってCDレコーダーのファイナライズ処理をしながら、肌を襲う寒気を何とか追い払おうと体をこすった。スタジオの中は密閉度が高いのでさほど寒くないとはいえ、眠るのに適した環境とは言えない。そういや昨日も病室で寝てたからな……温かい飲み物が欲しいな。なんか買ってこよう。
 財布と携帯があるのを確認して、上着を適当に羽織ってスタジオの外へ出た。ドアを開けた途端、冷気が俺の行く手を阻むかのように取り囲んだが、俺は負けじと冷気を押し返しながら、階段を下り、裏口から外へ出た。
 空を見上げると、雲一つ無く晴れているお陰で、星と月が綺麗に見えた。一ノ瀬楽器店の前の通りにある自販機に小銭をねじ込み、温かいコーヒーを買った。いつもはあまり飲まないブラックコーヒーを口の中に入れると、苦みと酸味が口全体に広がり、暖かさが喉を心地よく焼いた。
「なんかおごれよ」
「っうわあああああああああああああああ!!」
「やめろ、夜中にそんな大声出すな!」
「なっ……なんだ、哲平か」
 こんな夜中に背後からドス声が聞こえてきたのでてっきりカツアゲされるのかと思った。夜中の道は危ないよね! 哲平は眠そうな目で欠伸をしながらこちらを睨んだ。
「お前が出て行く時にドア閉めた時の音で起きたんだよ……ってかビビりすぎだろ……」
「お前、夜中に道歩いてる時に後ろからドス声が聞こえたらビビるだろ?」
「まぁそうだな」
 あっさりと納得する哲平を見ながら、俺はまた小銭を自動販売機にいれた。哲平にも迷惑かけたから、缶コーヒー奢るくらいしないと申し訳がたたない。
「哲平、何がいい? おしるこ?」
「ははっ、ご冗談を」
 哲平は手を伸ばして俺と同じブラックコーヒーのボタンを押した。いつも思うんだけど、自販機のおしるこって誰が買ってるんだろう、と如何にもどうでも良いことをずっと考えていると、哲平は俺を見ながら話し出した。
「鷲、少しは元気になったか?」
「うん、なんとか、完成したし……哲平、悪かったな。急な練習に付き合わせて」
「いいよ。良い練習になったから。……でも今度はせめて3日前くらいに言ってくれ」
「ははっ……そうするよ、うん」
 もっともな哲平の発言がおかしくて笑うと、吐いた息が目の前に白い煙を作った。ってかマジで寒い。俺が寒さを紛らわそうとコーヒーを一口飲むと、哲平が俺に尋ねてきた。
「なんで……この曲だったんだ?」
「ああ、そうか、言ってなかったか……柚木が倒れたのは?」
「聞いた」
 どのタイミングでかは分からないけど、凜が言ったのかな。昨日一日集中しすぎてて全く気づかなかったけど。
「柚木、オアシスが好きなんだけど……あいつがさ、『自分の葬式の時はこの曲をかけてくれ』って言ってたんだ」
「ちょっ、ってことは」
「いや、生きてるけど」
「なんでそんな縁起悪い曲を……」
 少し焦った哲平に慌てて弁解したが、俺は言い訳に困ってしまった。なんで……やろうと思ったんだろう……。
「俺も良くわかんない……なんでだろう」
「そんな曖昧なもんに俺等は付き合わされたのかよ」
「わからんけど……やらなきゃいけない、聞かせてあげなきゃいけないって、思ったんだ」
 哲平は感情の推し量りがたい顔で俺を見ながら、鼻の頭を掻き、口を開いた。
「死ぬかも、って思ったのか?」
「……思った。でも、」
「でも?」
「でも、俺らの演奏を聞きたがってて……それで……」
「この曲にしたのは?」
「ちょ、ちょっと待って。頭の中が整理できない」
 つっかえつっかえで答える俺に早く答えを出させようと哲平が急かしてくる。俺だって自分の気持ちがはっきり言葉に出来るほど分かっている訳じゃないから、言葉を出すのに手間取ってしまう。俺はよく頭の中を整理してから、言葉を喉の奥から捻り出した。
「……生きてて、欲しかったから、だろうな」
「は?」
「この曲を流されたくなかったら……お前の知らないところで生きてる俺を見る勇気が本当にあるなら、生きてろ、って」
「はぁ?」
 哲平が首をかしげているのを見ながら、俺は一人で納得して、リブ・フォーエヴァーを口ずさんだ。自分の弱々しい声から紡がれるオアシスの歌は、頼りなくて情けない感じがしたが、こういうのは気分で補うものなのでこれで良いじゃないか、と思った。

 多分、本当は知りたくないのかも知れない
 君がどれだけ幸せなのかと言うことなんか
 ただここから飛び去りたいだけなんだ
 最近、傷みってものを感じた事があるかい
 魂まで染みこむような夜明けの雨の中で

 ここまで歌ったところで哲平が口を挟んできた。
「その歌詞、どういう意味なんだ? 凜に聞いたけどわかんなくて……」
「俺も意味とか考えないからよくわからないな。でも俺が言えるのは……」
 俺は言葉を少し溜めた。
 これは哲平に向かって言うんじゃない。
 凜に向かってでもない。
 俺自身でもない。
 ――そう考えてから、声に出した。
「……『お前の考えてることはよく分かってる』ってことかな」
「なんじゃそりゃ」
 哲平は首をかしげたが、俺は満足して続きを歌った。この歌が……俺の込めた気持ちが、あいつに届いてくれればいい……俺が今のあいつにしてやれるのはそれぐらいだと思う。それで、もしあいつが希望を無くすなら……その時はその時なのかも知れない。

 多分、君は俺にそっくりなんだ
 俺たちは他の奴等に分からないことが分かるんだ
 君と俺は永遠に生き続けるんだ
 永遠に生き続けるんだ



 再び目が冷めた時、スタジオには哲平の姿は無かった。学校へ行ったみたいだ……やっぱ哲平は真面目だな。学校に行っても授業中死んだように眠るだけになってしまいそうなので、俺はハナから行かないでおこうと考えていた。ほら、誰だ俺のこと真面目とか言ってた奴。
 夜中に起きた時とほぼ同じ格好で凜が寝ていたので、俺は音を立てないように近寄って凜の寝顔を観察した。丸みを帯びた輪郭に、整った目鼻立ち、規則的な寝息を立てる薄い色の唇……ホントに黙ってたらもてると思うんだけどなぁ。
 ペンがあったら落書きでもしたいなあと思って見ていると、凜が目をさました。
「……む?」
「凜、おはよう」
「む? むぅ……」
 完全に開ききっていない目を泳がせ、ふらふらと立ち上がろうとして失敗し、凜は俺に縋り付いて、満足そうな笑顔を浮かべた……完全に寝ぼけている。こいつ、朝弱いんだな。ってか「むー」で会話するの止めて欲しい……可愛い過ぎて気が変になってしまいそうだ。
「凜、朝だぞ?」
「むぅぅぅぅ」
「何語だよそれ、うわっ……いってぇ!」
「むぅぅぅぅ!」
 凜は寝ぼけたまま俺を押し倒し、胸に顔をぐりぐりと押しつけてきた。変なとこ打ったせいで背骨がじんじんと痛んだ……寝起きの悪い凜で和むのは止めて、そろそろ本気で起こそう。俺は凜の頭を掴んで、前後にばたばたと振った。
「凜、起きろって、朝だ」
「むぅ……あれ? だれ?」
「俺だ」
「あ、なんだしゅーくんか……っ!」
 凜は突然目をかっと見開いて飛び起きたが、その反動で俺はまた吹っ飛ばされ、またもや背骨を打った。同じ所だったのでものすごく痛い。
「ななななななんでしゅーくんがどうしてなんで?!」
「いいから、落ち着いて、周りを見てみろって」
「えええなんで……あ、そうか……そうだったね……」
「そう言うことだよ」
 俺が傷む背中をさすりながら返事すると、凜は顔を一気に赤くしながら謝り始めた。
「ご、ごめんね……ね、寝ぼけてたんだ! うん! そう、寝ぼけてた!」
「分かってるよ……痛ってえ……」
「だ、抱きつきたいとか思って抱きついた訳じゃないからね! ごめんね! ほんとごめんね!」
「それより俺がお前に二度突き飛ばされて背骨を強打したことについて何かコメントを」
「むー……どんまい☆」
「まだ寝ぼけてんのか?」
 そう言うと、凜はえへへ、と笑った。なんか腹立った。
「そういえば、てっちゃんは?」
「学校行ったみたい……俺はもう眠いから家帰って寝るけど」
「私も寝たいけど……まぁ、学校行こうかな。暇だし」
「お前も真面目だなぁ」
「しゅーくんとは違うのですよ。しゅーくんとは」
 非常に癪に障るようなドヤ顔で凜が話すのを見ながら、俺は深く溜息をついた。腹立つけど、こいつにも無理を言って手伝わせたことを謝らなければならない。
「凜」
「何?」
「ごめんな……無理にリヴ・フォーエヴァーやらせて」
「いいよ、楽しかったし!」
「それなら良かったけど……」
 凜にとっては楽しさの問題なのだろうか。まぁ俺が一人で肩に力を入れて弾きすぎていたってのはあるかもしれない。
「昨日撮ったやつ、ある? もう一回聞きたいんだけど」
「あるよ、ほら」
「サンクス!」
 凜は俺の手からCDをもぎ取ると、CDプレーヤーに突っ込んで再生ボタンを押した。俺が後から手を伸ばしてミキサーのCDプレイ用のスピーカーの音量を上げると、凜は振り向いてうっすらと微笑みを浮かべた。
 二人で最後まで黙って聞いた。ギターの音が止むと、凜はプレーヤーからCDをそっと撮りだし、ケースに入れて俺に返してくれた。
「……結構、完成度高くできたね」
「そう、かな」
「うん。思ったより綺麗な声で歌えたと思う。でももうちょっと頑張れたかな……」
「充分だと思うんだけど」
「そんなことないよ」
 凜は腕を組みながら首を傾げた。
「私の歌い方って、声も張れてるしピッチもだいたい当たってるんだけど、ボカロみたいっていうか……なんか機械っぽくない?」
「そうか? ピッチが良すぎるてことじゃないの?」
「いや、なんか滑らかな歌い方が苦手っていうか、人間くさくないって言うか」
「そうなのかなぁ」
 俺みたいな普通の人間には全く分からないレベルだ。上手い奴には上手い奴の基準があって、上手い奴はそれで物事を見る故に上手いと言われるんだろう。まぁ当たり前か。
「ギターも、弾けてるとは思うけど、チャラいっていうか、軽々しく弾いてる感じだよね」
「それは何となく分かる。弾いてる時の見た目はなんか脱力感あるよな」
「そうそう、力が入らなさすぎなんだよね。力むところでは力まないといけないのに」
 凜は真剣な顔で自分の駄目なところを列挙していく。こうやって自分の駄目なところをフィードバックしながら練習するのって大事だと思う。――やっぱ凜って凄い奴なんだな。
「それに、究極的には、残りの二人の良いところを引き出せないといけないと思うんだ」
「引き出す、って……」
「そう、私の歌と声で」
 そんなことができるんだろうか。俺が首を傾げていると、その様子を見た凜は真剣な声で話し始めた。
「てっちゃんはね……お父さんには能面みたいで面白くないドラムって言われてるけど、ホントはもっと人間くさいドラムが叩けると思うんだ」
「ほう」
「私やしゅーくんのことを無意識に気遣ってるだけで、ホントはもっとガツガツいけると思うんだけど、それを私が引き出せるような柔軟性のあるギターを弾かなきゃだめなんだと思う」
 最近思ったんだけどね、と付け加えながら、凜は笑った。正直、俺は驚いていた。凜がここまで考えてレフトオーバーズのことを見つめてくれているとは思っていなかった。
「俺は?」
「しゅーくんは……初めて一緒に弾いた時からずっと思ってるんだけどね、何か足りないんだよ」
「え? どういうこと?」
 俺が何を言われるのかと戦々恐々とした気分で聞いていると、凜は少し表情を和らげた。
「いや、技術の話じゃなくってね……技術も勿論まだまだだと思うけど」
「はっきり言うなぁ」
「そうじゃなくって! むー、何て言えばいいのかな……足りないっていうか、寂しそうっていうか、何か欠けてるっていうか……」
 凜が抽象的な言葉を連発するので、話しの先が見えなかった俺は、それを黙って聞いていた。『足りない』ってどういう意味なんだろう。確かにノリの出し方も安定しないところがあるし、音作りもまだまだ下手だ。これから頑張っていかないといけない部分がたくさんあるけど……。
「あ、そうか。しゅーくんは、私じゃないギターと声を想定して弾いてるように聞こえるんだ」
「……え?」
「そう、そうなんだよ……誰の声かも、誰のギターかも全くわかんないし、それがどんな音なんだかわかんないんだけど、私はそれに近づかないと行けないし、近づきたい」
 凜が笑顔で言っていたが、俺は呆然とした気持ちでいた。
 ――俺が、誰かを、想定して弾いている?
「あ、あんまり真剣に考えないでね、私が勝手に考えてることだから!」
「そ、そうかな……」
 凜が慌てて弁解したが、凜の言葉は深く突き刺さっていた。誰を想定しているか、俺には心当たりがあったし、それはもしかしたら自分が振り切ってしまったかもしれないと思っていた奴だった。
 自分が動揺しているのを隠すために出来るだけ声を落ち着けるようにしながら凜に話しかけた。
「凜……一限サボって、朝ご飯、食べに行く気ない?」
「どこへ?」
「朝○ックとか。奢るから」
「やった! 良いの?」
 明るい声で喜んでいる凜に頷きを返しながら、俺は自分の荷物をさっさとまとめた。
「それと、凜」
「何?」
「――ありがとう」
「へ? 何が?」
「いや、なんとなく」
 不思議そうに首を傾げている凜を見ながら、言葉にしがたい気持ちでいっぱいだった。二人で荷物を抱えて凜の家を出ると、冷たい朝の空気が、肺を焼くようにして体の中に入ってくるのが分かった。
 ――俺は、本当は、何も変わってなかったんだな。



 昼前くらいになって、俺は自分の家の玄関のドアを開けた。上の階から大音量でヴァイオリンの音が聞こえてくる……母さんだな。一気に疲れと眠気が溢れてきてその場で倒れ込みそうになったが、頑張って階段を上ることにした。
「あら、鷲、おかえり」
「……ただいま」
 2階を掃除していた母さんが間の抜けた挨拶をしたので、手を挙げて応えた。母さんは掃除機を止め、額の汗をぬぐいながら俺に話しかけてきた。
「何処に泊まってたの? 連絡もしないで……」
「凜……うちのバンドの、ギターの家のスタジオで寝てた。」
「家にスタジオがあるの?」
「楽器屋兼音楽スタジオなんだ、あいつの家」
 そう言えば凜の話、母さんに一回もしたこと無かったな。親父には言ってたんだけど。大きな欠伸をしながら首を回すと、骨があり得ない音を立てた。バキッ、とかコキッならわかるけど、ゴガッって……大丈夫かよ俺の骨。
「今日、柚木ちゃん、病院から帰って来るんでしょ?」
「あ、そうなの?」
「さっき柚木ちゃんから連絡あったわ」
 知らなかった。でもただの風邪だったんだからそんなもんか。少しホッとして胸をなで下ろした。
「微熱あるけど入院しとかなきゃならないほどじゃないんだって……目が覚めたら、見に行ってあげなさい」
「……そうだな」
 俺が学校をサボって寝ようとしているのが分かっている上でそれを指摘しないのがうちの母の良いところであり、悪いところとも言える。厳しくないわけではないが、大事な部分が何か分かってない所がある。
「寝てくるわ……あ、これ、何の曲だったっけ? エルガー?」
「そう、エルガーのヴァイオリンソナタホ短調第三楽章……誰の演奏だったかしらねぇ……」
 母さんは夢見るように目を閉じて掃除機を振り回した。正直周りの家具が危ないから止めて欲しい。俺は前後が分かってるかどうかも怪しい母親を放っておいて俺は3階の自分の部屋に入った。すぐにベッドの上に倒れ込もうとしたが、柚木が見ていた写真が散乱したままであることに気づき、重い腕を引きずりながら片付けた。
 写真を束にして机に置くと、ピアノの対旋律と絡み合いながら美しいポリフォニーを奏でるヴァイオリンの音が響き渡ってきた。この曲は第三楽章が一番好きだ。速度は、アレグロ・ノン・トロッポ――
「『速く、しかし速すぎず』か……」
 どっちだよって思うけど、言わんとせんことはわからんでもない。ゆっくりだと置いて行かれるけど、速すぎると置いて行ってしまう。一番良い距離というのは掴みづらい。なんだこれ……何考えてるか自分でもわかんなくなってきた。とりあえず寝よう。それから色々考えよう。俺はまた大きな欠伸をしながら、ベッドの上で目を閉じた。
 ヴァイオリンの響きの中に埋もれながら、俺は眠りに落ちた。



 夕方になって目覚めた俺は、録ったCDと飲み物などを持って、向かいの柚木の家へと足を運んだ。庭の右から三番目の植木鉢の下に隠されている合い鍵を使って中に入ると、ひんやりとした空気が肌をくすぐった。
 柚木の家はいつ行ってもしんと静まりかえっていて、なんとなく不気味さを感じてしまう。なんというか、人間が生活しているという痕跡が無い。――柚木が毎日うちの家にくる理由が良くわかるよ。母と娘の二人暮らしには大きすぎるし、その母はなかなか帰ってこないとなれば……人恋しくなるのも当然だ。
 2階の柚木の部屋の前に行くと、音楽が流れてきた……なんか懐かしいなこの曲。
「よう」
「ふわあっ! ああ、なんだ、鷲か……」
「寝てろよ馬鹿」
「あ! ちょっ!」
 体を起こして雑誌を読んでいた柚木から雑誌をもぎ取り、無理矢理押し倒して布団を掛けた。柚木はふくれっ面でこちらを睨んだ。
「暇なんだもん……」
「だろうと思って来てやったんだ……ほら、ポカリ」
「……ありがと」
 柚木は俺からポカリを受け取ると、ラッパ飲みした。俺は黙って辺りを見回した。柚木の部屋は、小さなベッドと、安いコンポと、机くらいしか置いてない。酷くこざっぱりしている。楽器類は置いておくと柚木の母親が怒り出すので全て俺の部屋に置いてあるのだ。なんで怒り出すかというとこれまた長い話なのでまたの機会にしたい。
「早く退院できてよかったな」
「病院の方がいいんだけど……看護士さんが世話焼いてくれるから面倒が無くっていいし……」
「フフッ」
 どんどん小声になっていく柚木がおかしくって笑うと、柚木が少し怒った様な顔で俺を見てきた。
「何?」
「お前って結構寂しがり屋だよな」
「っ……馬鹿……」
 何か言いかけたが、柚木は一言だけ言って布団を被り直した。まぁ、病気の時は人恋しくなるものだとは思うけどね。俺はまだ体に残っている眠気を吐き出すように欠伸をした。
「この曲、懐かしいでしょ?」
「ああ、テスティファイね」
 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのテスティファイだ。ノーウェアでバンドコンテストに出た時にコピーした曲だった。激しく唸るギターの上に乗る高速のラップ……今考えただけでも何でコピーしようと思ったのか分からん曲だ。
「よくこのバンドを中学生がコピーできたよな……お前と優がいなかったら無理だった」
「私はぶっちゃけギリギリだったけどね……優が凄いよ……」
「鬼みたいだったな……ギター持って無い時はヘラヘラしてんのにな……」
 超難易度の高いフレーズを鬼気迫る様子で弾いていた。あの時の優は思い出すだけで鳥肌が立つ。凜なら緊張感無い感じでニヤニヤしながらさらりと弾いてしまいそうだけど。
「ほんと、俺ってギタリストに恵まれてるよ……」
「だよね、優然り、凜ちゃん然り、私然り」
「何さらっと自分をいれてるんだよ」
「てへぺろ!」
 柚木が生き生きとふざけるので、俺は体温が上がらないか心配した。柚木は、ギターは言うほど上手くはない……まぁ優とか凜とか次元の違う奴等が同年代にいるから俺の価値観もおかしいのかも知れないんだけどね。
「もう一回やりたいな、この曲……無理だと思うけど」
「まああれ弾ける奴は少ないだろうな……そうだ、ノーウェアをどっかの機会で再結成してやればいいんじゃないか?……全員まだ音楽続けてるわけだし」
「うん、ま、そう、だね」
 柚木は目を伏せた。まだ何かを悩んでるみたいだ。
 聞いても無駄だと分かっていながら俺は口を開いた。聞かずにはいられなかったし、柚木の話が聞きたかった。
「柚木、どうしたんだよ?」
「何が?」
「だってずっと変だったじゃん……文化祭くらいから」
「何も変じゃないよ」
 声のトーンは変わっていなかったが、少し柚木の顔に赤みが差したのが分かった。体調が悪いのに興奮させてはいけないと思ったが、最後まで言ってしまいたいという感情を抑えきれなかった。
「柚木……脈絡無く変なこと言って悪いけど」
「何?」
「俺は、また、お前の歌が聴きたい」
「……今歌おうか?」
 冷え切った声で柚木が返したが、俺は怯まずに返した。
「言い直すよ。お前の歌の下でベースが弾きたい」
「でも……」
「何をそんなに不安がってるんだよ」
「不安がってなんかない!」
 柚木が突然大声を出した。みるみるうちに柚木の顔が赤くなっていく。それでも俺は冷静を保っていた。
「私は、一年遅れちゃったけど! 鷲が学校行ってる間に鷲の教科書で勉強してるし! 鷲の見て無いところでギターも……歌も、練習してるし!」
 柚木は泣いていた。自分の弱いところを見せるのを嫌う奴だから、滅多に泣かないのだが、泣く時は決まって怒っている。昔からそうだったな。俺はその様子をじっと見ていた。
「何も遅れてない……私だって! 鷲の知らないところで……努力、して……」
「一年もあれば――」
 俺は語気を強めて怒ったような声で柚木の声を遮った。彼女はゆっくりと空気の抜けて萎んでいく風船のように黙りこんだ。
「変わってしまうこともある。俺もだけど……お前も。でも」
 俺は強く柚木を見つめたまま、コートのポケットにいれてあったCDを丁寧に取りだした。昨夜レフトオーバーズで撮ったリブ・フォーエヴァーだ。それを、あめ玉を子供の手に握らせるように、柚木の手に握らせた。
「でも、変わりたくても変われないこともあるんじゃないかな」
「何? これ」
「それ、聞いて、感想聞かせてよ」
 凜の言うとおりだ。俺はいつでも、どこでも柚木のことを考えていたし、それは振り切ろうとしても振り切れないし、変わろうとしても変われなかったことなんだ。
 俺は立ち上がってドアに足を向けた。言葉ではもう多分伝わらない。だから俺はそのCDに焼き付けられた音楽データに託すことにした。俺が思ったことは柚木に伝わるのだろうか。柚木は静かに涙を流しながら、じっと俺を見つめていた。
「俺は……待ってるから」
 ドアを開け、廊下に出た。冷気が顔の前で波打つのを感じた。
「鷲!」
「何?」
「大声出して……怒って、ごめん」
「……待ってるから」
 俺は同じことを繰り返して扉を閉めた。



 それからしばらくの間、柚木は俺の家に来なくなった。




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