Episode13:全力失踪(誤植じゃない)




 ある日の晩、なんだかものすごく変な夢を見た。
 俺は小学生で、教室にいた。他のクラスメイトもいた。その中には柚木もいた。柚木は他の女子と楽しそうに喋っていた。俺はいつものように机に座って本を読み、立てて持った本の上側から柚木の様子をそっと覗いていた。
 一瞬だけ柚木と目があったが、柚木はそれに気づくとすぐにぎこちなく顔を逸らした。俺は柚木をずっと見ていたが、柚木はこっちを見てくれなかった。もう一度目があった時も、柚木は同じように目をそらした。
 そのうち俺も諦めて、本を置いて、机に伏せた。そして目を閉じて、どうしてこんな事になったんだろうか、と真剣に悩んだが、答えも出ずに只苦しんでいた。  そうやっている途中で目が覚めた。
 いや、変な夢というより昔の記憶が甦ってるっぽいんだけど、夢を見ている時の自分は、どうすればいいかわからなくなって真剣に困っていて、昔の記憶という感じを受けなかった。そういえば一時期柚木と殆ど話さなくなったことがあった。だからやっぱりこれは昔の事を思い出してるんだろうなと思った。でも目が覚めてからも、いくら考えてもどうして喧嘩したのか思い出せなかった。
 朝ご飯を食いに来ていた柚木を見たが、特に変な感じはしなかった。じっと見てたらオレンジの種を投げつけられた……汚え。それで、いったい俺の深層心理は何を考えているのかとか考えながらぼんやりと学校に行った。ここまでは前置きだ。
 つまり、何が言いたいかというと――今日が体育祭だなんて聞いてない。



「……大嶋さん、何で言ってくれなかったの?」
「いや、知らない方がおかしくない? ゥフフフフ」
 いや、『ゥフフフフ』じゃねえよ。平日の時間割通りに教科書とか持ってきたらこの様だよ。きっちりベースも持ってきちゃったよ。こんな漫画みたいなミスを自分が犯したと言うことが未だに信じられないぜっ。
「学活で種目決めとかやってたじゃない?」
「……そ、そうだったっけ?」
「……。」
 痛い痛い!ジト目止めて! まぁ、体育もあると思っていたので、ジャージとかを持ってきていたことだけが唯一の幸運だと言えるかもな。プログラムも何もわからないので、とりあえず着替えた後大嶋さんについてグラウンドに出てみた。大嶋さんにとってはいい迷惑だと思う。ほんとごめんなさい。
「自分が出る種目すら知らないんだけど……どうしよう。」
「桂木君は、んーとね、余ってたのに入ってるから、200メートル徒競走だけだよ。」
 大嶋さんはテキパキと体育祭のしおりを見て答えてくれた。心なしか楽しそうだ。世話焼き体質っぽいよな。この子。ってか200メートルって中途半端じゃね? まぁグラウンドの広さの問題とかあるんだろうけどね。
「ああ、よかった。楽そうなのだ。」
「でも徒競走一番初めだよ? 結構目立つよね。ゥフフ。」
 クソが……最後の方の競技ならみんな見る気も無くなってるからやる気出して無くてもばれないけど、最初の方とか嫌でも全力出さなきゃいけないじゃないか。おい、勝手に入れた奴誰だよ。死にたいのか?
「桂木君、大丈夫? 目が怖いんだけど……。」
「ああ、うん? 大丈夫さははははははは」
 大嶋さんと俺が一触即発な感じ(ちょっと意味が違う気がするけどニュアンスはそんな感じ。) で会話していると、前からクラスメイトの男子が来た。名前は、えー、木上……だった気がする。うん、多分木上。
「おい、桂木、徒競走早く行った方が良いぞ。」
「ああ、すまん、今行くよ……じゃ、大嶋さん。また後で。」
「うん、応援しとくね。ゥフフフフ。」
 木上(仮)が指差した招集場所とデカデカと書かれた場所を目指して、やたらに重い足を引きずりながら歩いた。ああ、畜生。めんどくせえ。……何を隠そう、俺は運動が大嫌いだ。体育の成績もずっと4だったから、苦手、と言うわけではないんだけど、なんか体育ってすぐに順位とかをつけられるから嫌いだ。だから体育祭も嫌いだ。足の速い運動部の男子がビッチ臭い女にキャーキャー言われてニヤついて……何だこの体育会系リア充の祭典みたいなのは! 今すぐ注視しろ! これは間違いなく学校行事の皮を被った宗教行事だ!
 心の中で邪悪な悪態をつきながらふと振り返ってみると、大嶋さんが木上(仮)と仲良さそうに談笑している。ふと思い出したんだけど、確か木上(仮)って大嶋さんのこと好きだったんじゃなかったっけ? たしかそんな感じのうわさ話を立ち聞きしたような気がする。ああ、だから俺にアドバイスする振りをしてさっさと追い払おうとしたのか! なんて合理的! 俺もそういう器用さが欲しい。そんな器用さがあれば……現在俺の脳内のSYUUU!知恵袋の絶賛回答待ち中の一ノ瀬凜問題にも結論が出せるというのに……誰がアイス好きだこの野郎。
 さて、その一ノ瀬凜はというと……ああ、いた。一年一組の観戦用に指定された場所で膝を抱えて体育座りしている。なんか体育座りってエロいと思うんだけど。俺だけか? 俺だけか……全国の体育関係の方々ごめんなさい。
「桂木君。」
「ふぁい!」
 突然呼び止められて驚かない方がおかしいと思ってくれ。ってか油断して変な妄想してたからとびきり変な声が出た。後ろを振り向くと、団子さんがいた。ただし今日は団子じゃなくてポニーテールだった。結構最近に会ってなかったら顔と声を覚えて無くて誰かわからなかったところだった。ふう、あぶねえ。
「ああ、どうも、すいません。」
「何がすいませんか良くわからないけど……桂木君も200m走?」
「ああ、うん、そうそう。えへへ。」
 桂木君「も」ということは、団子さん改めポニーさんも200m走なのか。しかししゃべりなれてない人だとテンパる癖がまだ抜けない。……高校に入ってからだいぶ改善されたと思うんだけどなぁ。ポニーさんはおどおどしている俺をクールに無視した。流石。
「まぁ、それはいいとして。」
「はぁ。」
「あのさ、桂木君、覚えてないみたいだけど、私と同じ中学だったんだよ?」
「マジで?」
 こんな一回は触ってみたいようなおもしろい髪型の人いたっけか? まぁ、それより、ポニーさんが中学時代の俺を知っていたという事実が驚愕である。なんでだろ。
「あれ? 中学時代喋ったことあったっけ?」
「うん、何度かあるよ。ほら、吹奏楽部のドラム叩いてた。」
「……梶原さん!」
「そうそう。今は親が再婚したから大庭だけどね。ああ、髪型と名前が違うから気づかなかったのか。」
「……なんかゴメン。」
 以外にヘヴィな理由だったので返しに困った。ポニーさん、もとい、梶原誓子さん、もとい、大庭誓子さんは吹奏楽部のパーカッションパートの人で、中学の時はかなり短い髪の毛だった。そういえばあの時から結構クール発言が多い人だったから絶対嫌われてるんだと思ってたな。
「いいよ、理由は分かるから。」
「そういえば華菜との関係で喋ってたね。うん。あの時と雰囲気が違ったから全然気づかなかった。」
「桂木君もね……相川さんがいなくなって逆に活発になった感じ。」
「まぁ、そうなんだけど……うん。」
 そんなにはっきり言わなくても良いと思わない? プリーズ遠慮。ちなみに華菜というのは中学の時のバンドのドラムで、途中で色々あってやめることになったんだけど、吹奏楽部のパーカッションだった。
「相川さんは? 体どうなの?」
「退院してピンピンしてるけど……無理したらまた体調崩すと思う。」
「そっか。大変だったね。」
「もうダブるのが決まってるからね。無事に行けば来年新一年として入ってくると思うよ。」
 ポニーさんは神妙に頷いた。ああ、本名わかったけど心の呼称は継続します。だってそっちの方が覚えやすいじゃない!
「華菜とは連絡取ってる? 最近見てないんだけど。」
「たまにメールが来るけど俺も会ってない。結構遠くの高校だからかなぁ。」
「まだ木田君と付き合ってるの?」
「多分。そういえば優からも連絡こねえなぁ。」
「中学の時の友達って以外と音信不通になるもんだね。」
 おお、クールなポニーさんとも世間話ができた。おれのコミ力も上がったものだ、と感動を覚えた。多分この成長をドキュメントにすれば全米が大号泣間違いない! ちなみに木田優というのは中学の時のバンドのギターだ。学校一のイケメンリア充だった。今思い出してもイライラするくらいモテてたな。その時、前の方で体育委員会の人がメガホンで案内をしている。
『200m徒競走に出場する人は走る順に前に出て下さい!』
「うおお走る順とか覚ええてねえよ。大庭さんわかる?」
「わかんないけど適当で良いんじゃない?」
 クール! ってか大雑把か! とりあえず一年男子からっぽいのでクールポニーさんと離れ、前の方に並ぶフリをしていたら、どうやら俺が立つべき隙間っぽいのがあったので、そこに並んでおくことにした。右側を見てると、どうやら陸上部らしい男子が二人ほどいて、二人ともスパイクを着用していた。アレありかよ。勝敗なんか決まってるじゃねえか……ああ、走るの果てしなく面倒だ。
「おい。」
「ヒィイイイイ!……びっくりした。お前か。」
「ヒィイイイイってなんだよ……。」
「いや、久しぶりだったからドスボイス耐性が抜けてて。」
 突然横にいたヤ○ザに話しかけられたと思ったら哲平だった。ってか、みんな俺の視界に入ってないところから話しかけ過ぎなんだよ。せめて前に回り込むとか俺を驚かさない工夫をしてほしい。……なんか俺チキンみたいだな。ああ、そもそもチキンだった。
「同じ列と言うことは、一緒に走ることになるのか……まさかお前と何かで勝負する日が来るとはな……。鷲、何か賭けないか?」
「ジューシーチキンセレクトは?」
「それを即答するお前に一抹の不安を感じた。」
「何でだよ!」
 あれ結構おいしいと思うんだけど俺だけなのか? ああ、でも俺がこれを食うと駄目な感じだよな。共食い的な意味で。そういえば勝負と言えば最初にあった時に殴り合いしたような気もするんだけど、アレは黒い歴史の一部なのでお互い無かったことにしておくことにした。
「よし、鷲、お前が負けたらお前から凜に話しかけろよ。仲直りのきっかけをお前から作れ。」
「ぐっ……それはかなりキツいな。」
 でもそろそろダニーカリフォルニアを合わせておかないといけないので、一回は会わないといけないから、まぁいいか。しかしこれ、本気で走らないといけないことになるぞ……哲平にもそれなりの対価を払わせなければならないな。あ、そうだ。いいこと思いついた。
「よし、飲んだ。」
「マジで?! 良いのか?」
「うん、でもお前が負けたらなっちゃんと一緒に練習な。」
「……なっちゃんって誰?」
「哲平ェ……。」
 マジかよ。脳髄がいかれてるとしか思えない。哲平が必至に思い出そうとしている間、なんとなく一年一組の方を見ると、凜が体を伸ばす体操……なのか? アレ? なんかヨガっぽいんだけど。なんとなく動きがダルシムっぽい。何やってるんだあいつ。
「だめだ。思い出せない。」
「あー、俺のクラスの友達のバンドのベースの女の子と数時間二人きり練習、ってこと。」
どうでもいいけど、今の俺の発言、無駄に『の』が多い。
「気まずっ!なんでだよ。」
「えーっと、そうだな……なんかリズム感悪いらしいからその稽古をつけてくれる人を探してるんだって!」
 適当にごまかしておいた。こういう設定にしておけば、後で昔のこと思い出すかもしれない。俺賢い! みんな褒めてくれ! どうせ誰も褒めてくれないけどな!
「ああ、なるほど。……まぁ、それくらいならいいか。」
 よし、これは燃える展開になってきた。なっちゃんと普段世話になってる大嶋さんの為にも本気ださないとなぁ。……あ、準備運動忘れてた。



 アキレス腱とか色々伸ばしている間に俺たちの番が来た。
「鷲、わかってるな。本気で走れよ。」
「おう、今の俺は一年に数回しか使わない本気モードだぞ。」
「お前をニート予備軍と認めざるを得ない。」
「マジで?!」
『位置について!』
 うおい! いきなりかよ! 心臓が跳ね上がった。心臓が脈を打つ音が耳まで上がってくる。やっべえ緊張してきたああああああああ集中しろ俺えええええええええええ!
『よーい……』
 よーいの後が長いわボケェエエエエエいいから早く打てよピストルううううううううう!
『ドン!』
「っしゃおらああああああああああああああ!」
「うわあああああああああああああああああ!」
 完璧なスタートダッシュを切った哲平に対し、緊張しすぎてスタートダッシュに完全に遅れた。とりあえず思いっきり腕を振って加速したが哲平はどんどん突き放していく。んの野郎、自分が結構足速いってわかってて賭を挑んだのか! 不条理にも程がある! 俺の怒りが臨界点を突破した時、頭の中でカチッと言う音がしたのがわかった。――黒桂木鷲再登場である。
「(ヤ○ザごときに負けてたまるかあああああああああああああああああ)」
 心の中で大声で叫んだ。自分でも自分のスピードだと思えないくらいのエネルギーが出る。コーナーでの遠心力が強くかかるが、体重をかけて上手く回りきり、直線コースでさらにスピードを上げる。どうやら哲平はコーナーが苦手らしく、スタートの時の勢いがだいぶ削がれている。あと5メートル……あと2メートル……あと1メートル! よし、追いついた!
 お互い全力でダッシュする。砂埃が大きく舞うが全然気にしない。次のコーナーで哲平が少し失速したのでその隙を逃がさずスピードを上げる。一馬頭身ほど俺がリードをとったまま最終の直線コースに入る。後ろから凄い勢いで真っ黒な邪気が飛んできたが後ろを振り向く余裕なんて無かった。多分後ろ向いたら怖くてチビってたと思う。顔が。
「っ!」
「っしゃああ!!ってええええええええええ!」
 ゴールテープを先に切ったのは俺だった。買った瞬間勝利に酔いしれそうになったが、しかし物理法則はそんなに甘くなかった。ゴールに入った瞬間、無理に止まろうとして慣性の法則により横転して5メートルほど吹っ飛んでこけた。痛ってえ。涙出てきた。地球の物理法則とニュートンさん、厳しすぎるよ! 多分今超注目されてる。恥ずかしい! そこへ這うようにして哲平がやってきた。
「おい……お前、何で、そんな、本気に……」
「地球の……重力と未来の、ため」
 全力を使い果たし死にかけているヤク○と俺が切れ切れの声で会話している……いやはや、多分傍目から見たら最悪の光景だろうな。あと、これ後で大嶋さんに教えてもらってわかったことなんだけど、俺と哲平は一緒に走った一組から六組の代表の中で一位、二位だったので、つまり、あの陸上部二人に勝っていたことになる。さらに難儀なことに、この二人が陸上部一年の中でも短距離最速の選手だったらしく、俺ら二人が色々な意味で悪目立ちしてしまったことはいうまでもない。すげえめんどくせえ。
「そんなに、話したっ、げほっ、なかったのかよ」
「いや、むしろ、なっちゃんと、大嶋さんの……一回、落ち着こう。」
 二人してたっぷり二分ほど深呼吸した。ひっひっふー、ひっひっふー、じゃない。ひーはー、じゃねえ! 俺はあんなハゲじゃねえ! すー、はー。すー、はー。すー、はー。
「なぁ、哲平。体育祭の後、時間あるか?」
「まぁ、うん。」
「じゃあ練習しよう。凜も呼んどいて。」
「……!」
「……ダニーカリフォルニアやろう。できる?」
「練習はしてあるけど……いいのか?」
「恐ろしく自信がないけどな……あ、凜もギター持ってきてるかな。」
「朝見たら持ってたぞ。……お前らなぁ。体育祭の日くらい置いて来いよ。」
「ああ、そうか、俺、体育祭が今日あるってことを素で忘れてたんだ。」
 哲平が病人を診るような目で俺を見てくる。ああ、末期なんですね、私。
「い、意外に凜も忘れてたのかも、しれないぞ、あは、あはははは、」
「鷲、お前。脳髄がいかれてるんじゃないか?」
 それさっき俺が心の中でお前に対して思ったよ。あれだけ言ってるのになっちゃんの顔を忘れているお前に言われたくねぇ、と思ったが、黙っておいた。沈黙は金!
 哲平と別れ、クラスの席に戻るとクラスの皆さんから温かい歓声と殴打をいただいた。主に女子に称賛の声をもらい、主に男子にボコボコにされた。なんでだよ、勝ったじゃねえか。痛てぇ、俺はイケメンリア充じゃねぇ! やめろ! ……なんとか男子の輪から匍匐前進で逃げ出し、その辺に転がっていた体育祭のしおりを見ると、終了時刻は午後三時半と書いてある。……ああ、応援とかクソめんどくさいな。逃げるか。
 俺はトイレに行くフリをしつつこっそり抜け出した。走って一度教室に戻り、ベースをひっつかみ、旧校舎へ向かった。このところずっと独りで練習していたのだが、声を出して練習しなければならないので人目のないところをずっと探し続けながら練習していた結果、旧校舎の屋上がベストである、という結論が出たのだ。いや、本当は立ち入り禁止なんだけど、机が重ねてあるだけの中途半端なバリケードで塞いであって、普通に鍵が開いてるならねぇ、入れって言ってるようなものだと思わない? え? なんでそんなに不良ぶってるのって? すまん、ここんとこ世の中の不条理を思って気分がパンクなんだ。
 屋上に着いて、いつもの壁際に腰掛けると、グラウンドの全体が一望できた。すげえ人の量だな。全校生徒と全教職員と生徒の親がいるんだからな。略してPTA。ってか前から思うんだけどPTA活動ってなんの為にあるのかわかんないんだけど、あれこそ経費の無駄遣いだと思わない? ※個人の感想です。と、ひたすらパンクなことを考えながら、ベースを取りだしてチューニングし、携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳に突っ込み、再生ボタンを押した。もう再生回数200は優に超えた曲の最初のドラムが鼓膜を打つ。イントロのベースを弾き、歌い出す。

  彼女はミシシッピで生まれた
  パパはポリ公、ママはヒッピー
  彼女はアラバマでハンマーを振り回し
  現実をぶち壊すために代償を払った
  彼女は知らなかったんだ、貧しさ以外の物があることを
  君の仲間は僕からいったい何を奪うと言うんだろう

 歌いながらふと上を見上げると、秋空はひたすら青く、冷たかった。



「なんで負けたの? 」
「……すまん。直前までダレてたくせにあいつがなぜか全力出しやがって」
「賭け条件のせいでしょ……頭悪いの?」
「ミスった。すまん。」
 だってあんなに本気出すと思ってなかったもん。しかたねえだろ。
 ああ、みなさん、お久しぶりです。阪上哲平です。昼休みになった途端変態女に捕縛された末グラウンドの隅でなじられてますが俺は喜んでませんし変態じゃないです。強いて言うなら顔が変態、そんな感じ。自虐ネタかよ。
「つーか、そもそもお前が偉そうに出来る立場じゃねぇだろ。」
「む、それとこれとは話が別だよ!」
「いや一緒だよ!」
 説明しよう! ……いや、説明ってほどでもないけど。
 なぜだか知らんが突然鷲に怒り出した凜は、これまたなぜだか知らんが突然謝りたいと俺に申してきた。いや、なんで俺かというと、話しかけるきっかけが掴みにくくて困るというのだ。じゃあしゃあねー、どっかの機会でそうしむけてやるよ、と約束して、ここぞとばかりに鷲にあの賭を持ちかけたのだ。同じレースの列に並んだ時、これだ!と自分の運と才能に感動したのに……あいつ意外に速かった。あういうタイプの奴って運動できないもんだと思ってた。
「むー。しゅーくんみたいな奴って運動できないもんじゃないの?」
「超偏見だろ、それ。」
 おい、今こいつ地の文を解読しなかったか? 気のせいか。
「気のせいだよ気のせい。」
「ええ! どういう意味だよ!」
「ん? 偏見じゃないってことだよ。」
「ああ、そっちか……って、偏見だろそれは!」
 今、素で焦った。メタ発言ってレベルじゃねえぞ。おい。
「むー! 私がこれだけ謝ろうとしてるのに!」
「じゃあ直接鷲のとこ行けよ……それが一番早いじゃないか。」
「むー、だから、それは、なんていうか、その、出来ない的な。」
「もじもじするなキモイ。」
 いい加減伝書鳩役も疲れてきた。普通に謝れば良いと思うんだけどな。鷲も理由をとやかく聞くような奴でもないしなぁ。
「んで、てっちゃんの罰ゲームって?」
「んあ? なんか知らんけど、あいつの友達のバンドのベースの子にリズム感について教えてやってくれだって。」
 まぁベースだから、バスドラ聞かす練習でもさせたらいいか。そういえば、なんか昔そんな事をしたような記憶があるんだけど……よく覚えてない。
「ふーん。ってか、しゅーくんは、自分がどんな状況でも他人の心配とかしてるんだね。」
「ああ、そうだな。」
 もっと凜に気遣ってやればいいのに、と言おうとしてやめた。あいつはあいつなりに気遣ってるよな。ダニーカリフォルニアも完成させたみたいだし。凜が喋りたくないみたいな態度を見せるのが悪い。ああそうだ忘れてた。
「今日、ギター持ってきてるか?」
「うん、今日が体育祭って忘れてたし……えへへ。」
「お前ら……お前と鷲って意外に似てるのかもな。」
「え? しゅーくんも?!」
「あいつも素で忘れてたらしいんだけど……微妙に嬉しそうな顔をするな。」
 最近の凜はなんか気持ち悪い。いや、こいつの場合、いつもが気持ち悪いから、今の状態が恋する普通の女の子みたいで変に感じる訳か。まぁ、こいつもその点では普通の女の子だったと言うことか。
「それで、今日、放課後時間あるか?」
「あるけど……何? 練習?」
「ああ、鷲が練習室(仮)に来いって。」
「……マジで?」
「ダニーカリフォルニアやるそうだ。」
「できたんだ……。」
 凜はうつむいて考えこんでいる。いざ喋るとなるとそりゃ緊張すると思う。俺だってちょっと緊張するな。三人で練習室(仮)に入るのもあの日以来だからなぁ。そういえば、その鷲はどこに行ったんだろう。ふと振り返って五組の方を見たが、鷲の顔は見あたらなかった。あいつ、応援がめんどくさくて逃げ出したんじゃないだろうな。



「へっくし!」
 くしゃみが出た。誰かに噂されてるのかな? よい噂なら良いが……悪い噂とか洒落にならん。もしかしたら脱走したのがばれたのかもしれない。iPodの電源を切って、ベースを抱えたまま携帯で時刻を確認すると、もう昼休みの時間帯のようだった。ああ、でも腹減ってねえ。飯食うのめんどくさい。もういいや。……はぁ。
 ベースをケースの中にしまい、地面に寝転がり目を閉じた。風が心地よい。ああ、すっかり秋だな。あの蚊に刺された後のようにしつこく居座り続けた、クソ暑い夏が嘘みたいだ。ああ、良い天気だと眠たくなってくるよね。
 そういえば忘れてたけど、昨日の夢、あれはなんだったんだろうな。もう内容も夢を見ていた時の感覚もはっきり覚えていないけど。柚木……今頃何してんのかな。また俺の部屋を家捜しでもしてるんじゃないだろうか。もうやましいものは何も無いと思うけど。
 ってか、なんか最近女の子のことばっか考えてるよな、俺。凜のこと、柚木のこと、大嶋さんとなっちゃんのこと。んー……俺ってリア充なのか? なんか違う気がする。でも高校に入ってから一気に交友関係が広くなった。クラスの人とも普通に話すようになったし、常に誰かと話している気はする。柚木がいなかったらどうなるか、なんて思ってたけど、意外に、健康的な、高校生活を送れた、よな。ん? あれ? 健康的? なにが?
 意識が朦朧としてきた。ああ、昨日は夢にうなされて、あんまりぐっすり寝た気がしなかったからか。ああ、眠い。あ、でも、今日凜と、練習するから、ダニーカリフォルニア練習しないと、練習について、いけない。練習、しないと。凜と、練習。凜と……。



「なんで祭りなのに金を持ってきてないんだよ。」
「お母さんがくれなくって。『お祭りなんて行かなくてよろしい』だってさ。」
「じゃあなんで来てるんだよ。」
「ばれなきゃ勝ちですよ。どうせお母さん帰ってこないもん。」
 そういって柚木はにへへへへと笑った。俺もふっと笑って肩をすくめた。ったく。こいつは。母さんから握らされた300円を使って一人で遊んでても仕方ないのでかき氷を買って一緒に食べることにした。かき氷の屋台に行くと、300円と書いてあり、自分の全財産がこれでつきることを悟ったがもう決めたことなので仕方ないから買うことにした。子供ながらお祭りの理不尽さを感じた。
「何味がいい? 俺はみぞれが良いんだけど。」
「じゃあ敢えてのメロン」
「お前は金を出す者への気遣いとかないのか?」
「鷲だもん。」
「……。」
 腹が立ったのでいちごにした。柚木は、文句は言わなかったものの、俺のケツを思いっきりしばいた。いってえ。歩きながら食うのもアレだから神社の中の石段に腰掛けて食べることにした。
「……柚木、食べ過ぎ。」
「いいじゃんちょっとくらい。」
「腹壊すぞ。」
「私冷たいものでお腹壊したことない。」
 柚木はそういって無造作にかき氷をかっ込んだ。ああ、そんなことしたら。
「キーン!」
「ほら頭痛くなったろ。」
「てててて。でもこれがいいんだよ! くー!」
 なんでこいつは小学五年生にして玄人ぶった事をいってるんだよ。おれは呆れながらも残り少なくなったかき氷を食べた。
「あ、鷲の舌、まっピンク。エロい!」
「なんでだよ。ってかお前もピンク。」
「マジか。じゃあ私もエロい!」
「だからなんでやねん!」
 日本ではピンクがエロい色だけど、中国では黄色で、オーストラリアでは虹色って話を聞いたことがある。真偽はわからないけど。こういうのって不思議だよね。エロさを象徴する色という考え方はどこにでもあるのに、民族や文化によって違う。
「鷲、今エロいこと考えてたでしょ。」
「考えてねえよ。極めてアカデミックなこと考えてたよ!」
「嘘言わなくて良いんだよ。えへへ。」
 笑い方が気持ち悪いよ。ってかなんか小学生の会話じゃないような気がする。でもまぁ、昔から俺と柚木はこんな感じだった。俺って多分老けてるよな。そっから近所の野良犬の話とか、ビートルズの話とか、どうでもいい世間話が続いた。
「――でさ、そういえば。鷲、京子ちゃんの転校の話聞いた?」
「京子ちゃんって、桜井さんのこと? そういやそうだったな。」
 桜井さんは見た目が可愛く、勉強も良くできる、うちのクラスのマドンナ的な女の子だった。マドンナって言い方が既に昭和だ。なんか夏休み明けに引っ越すという話を前に耳に挟んだ。俺は基本的に柚木以外と話さないので、知っている情報の殆どが立ち聞きなんだけどね。
「そうそう。夏休み前転校するの知らずに色んな奴が告白しにいってたんだって。」
「マジか。それで桜井さんは何て返すんだよ。」
「ありがとう、って言って間接的に振るんだって。」
「……やり方がなんか黒いよ。」
 その子も既に老けてる気がする。小学五年生にしてみんな色んなこと悟りすぎだろ。
「木上君とか泣き出したらしいよ。めんどくさかったって。」
「やめろよその話! なんか世界観が黒いよ!」
「でも、桜井さん、自分が夏休み明けに転校することを知ってて、潔く振っておいたほうが、仲良くして別れる時の辛さよりマシだろうって言ってた。逆に相手の事を考えてるんだね。」
 すげえな。齢十一かそこらでどこまで老成してるんだよ。
「ってかなんでこんな話になってるんだよ。」
「フフン。やっぱこういうシチュエーションでは恋バナかなって。」
 したこと無いからわからんけど、恋バナって普通自分の話をするもんじゃあないのか? しかも桜井さんのキャラが濃すぎて恋バナっていうより昼ドラ的な何かみたいになってるんだが。
「はぁ……誰が好きだとか、誰かと付き合いたいとか、めんどくさい話だよな。」
「ホントにそう思う?」
「うん。だってさ……。」
 俺はそこで言葉を切って遠くを見つめた。耳を澄ますと祭り囃子が遠くに聞こえた。提灯のぼんやりした橙色の光が目に焼き付く。
 とんとんとん、かっかととんととん。
「だって、付き合ったらいつかは別れなくちゃならんでしょ? それならずっと友達の方が、ずっと一緒にいられるじゃん。それに小学生の恋愛なんて半分遊びみたいなものだよ。」
「……鷲のくせにまともなこと言うんだね。」
「俺はいつもまともなつもりなんだが。」
 柚木はふむふむと頷いてから、五秒ほど考え、そして少し顔を膨らまして言い返してきた。とんとんとん、かっかととんととん。
「でも、やっぱ男女の仲だとそうは行かないんじゃない?」
「なんで?」
「だってずっと友達だと思っても、相手と仲良くなればなるほど、」
 柚木は噛みしめるようにして間を空けた。とんとんとん、かっかととんととん。
「知りたくなって、それで、もっと近くにいたくなって、」
 間をいよいよ大きくなった祭り囃子が埋めていく。とんとんとん、かっかととんととん。
「それで、欲しくなって、我慢出来なくなる。」
「なに言ってるんだ?」
「ん? 変かな? この考え方?」
「うーん……よくわかんねぇ。」
 祭り囃子がやみ、暫くしてまた始まった。とんとんとん、かっかととんととん。俺は黙って脚でリズムを取っていた。柚木も黙って手でリズムを取っていた。
 この時柚木は、『男女間で友情は成立しうるのか』、というありがちな少女漫画みたいなテーマについて言っていたんだろうな、と後になってからわかった。でもこの時の俺には良くわかっていなかった。わかっていたら次にこんなこと聞かなかっただろう。
「……じゃあさ。」
「何?」
「柚木は好きな人、いるのか?」
 柚木は人混みの方を見ながら答えた。提灯の明かりが、柚木の白い肌を暖かな橙色に染めていた。
「……いるよ。」
「……そ、そうか。」
 そっから暫く二人して無言だった。その時柚木がどんな顔をしていたのかも、俺がどんな気持ちだったのかも忘れてしまった。橙色の光が視界を埋め尽くし、祭り囃子だけが耳の中で反響した。

 

 とんとんとん、かっかととんととん。
 とんとんとん、かっかととんととん。



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