Episode10:遠い夢の中の君がいた夏(後編)
五時四六分。俺たちはライブの準備のために野外ステージへと向かった。またご飯を忘れかけていたので途中でたこ焼きを買った。お化け屋敷での迷惑料として俺がおごらされた。一舟500円×3って、無駄に高いわ。野外ステージの席一つを三人で占拠し、三人でたこ焼きをぱくついた。味はまずくはないがうまくもない。凜は嬉しそうに爪楊枝を振り回している。
「んまいね、たこ焼き」
「そうか? 普通だぞこれ」
「いや、空腹は最高のスパイスなんだよ?」
哲平はまだ考え込んでいるようで、全然手が動いてない。
「哲平、思い出したか?」
「いや、全然思い出せないから全然違うこと考えてた……たこ焼きの爪楊枝ってなんで絶対二本なんだろうな」
「あ、それ、知ってるよ! 刺して食べる時、一本だったら刺したところを軸にしてたこ焼きが回ってすぐ落ちちゃうけど、二本だったら回らないから落ちにくくなって食べやすくなるからでしょ?」
「え? マジで? そうだったのか……長年の謎が解けた……」
クソどうでもいいよ。哲平が考えてやらない分、俺がなっちゃんについて考えてやることにした。うーん……………うん。無理だ。俺もあの子のことはよく知らないから考えようがなかった。さっきの会話で一番意外だったのは彼女の名字が鷹司だと知ったことだ。いかにも名門って漢字の名字だ。藤原五摂家の末裔とかかな。いや、どうでもいいよ藤原家なんて。
哲平を見る時の目だけを見ている限り、敬意というか、憧憬というか、なんかそんな感じに見えるんだよなね。よくわかんないけど。やっぱりこれって恋愛の線が濃厚なような……。
「……おい、何お前は人のものを平然と取ってるんだ」
凜が普通に俺の最後の一個のたこ焼きを奪っていた。最後の一個、というのはどんなものでもそれだけで価値があるというのに。
「しゅーくんのものは私のもの。私のものは私のもの! 三段論法!」
「三段になってないし論理的でもない! それはただのジャイアニズムだ!」
「むー、しゅーくんのくせに生意気だ!」
「どこまでもジャイアニズムか! いいから、とりあえず返せ!」
「じゃ、はい、あーん。」
凜がたこ焼きを俺の口に接近させてきたので成り行きにそって普通に食べてしまった。いやちょっとまて、なんでお前は普通に返さないんだよ!
「しまった! こんなリア充的シチュエーションこいつとしたくなかった!」
「ハハハ! まんまと引っかかったなバカめ!」
「あ、それ、俺の死ぬまでに一度は言ってみたいランキング三位の言葉だ」
「哲平、そんなもんつくって楽しいか?」
「わりとな」
ちなみに俺なら一位は……そうだな、「……ビンゴ。」だな。普通のビンゴゲームの時じゃなくて、何かの推理が当たった時に使いたい。あれ? そういえば、前に一回くらい言ったような気がするが……いつだったっけ?
「なんか、緊張感無いな、俺ら」
「一番緊張館無いのはお前だろ! 六時間練習とかお化け屋敷とか!」
「いや、そうだけど」
ほんとごめんなさい。ちょっとアレです。夏のせいでテンションがアレということにしておいてください。……正確に言うと朝のアレのせいでちょっと気分がアレなのだ。
「アレ」が多いな。凜が口元のソースをぬぐいながら言う。
「でも、まぁ、最初の時よりは緊張しないよね。慣れたっての?」
「……一回で慣れないだろ普通。ってか今回は野外だし、学校の小ホールよりも広いし」
「むー!どうして不安を煽るのよ!」
凜が哲平にキレる。キレる十代! 俺は凜の頭をぽんぽんと叩いた。
「いや、大丈夫だろ、このイベント全体的にしょぼいから」
「むー……でも、うまるかな、ここ」
そういって三人で座っていた席から辺りを見渡す。さっき到着した時に周りを見渡した時より人が増えているというのに、かなり広く思えた。
さて、六時四十分。俺たちは開催者との最終打ち合わせの後、楽器をセットし、機材の確認を済ませた後、出演者待機用のテントの中で待機していた。二人とも本番直前の緊張感に包まれている。さっきまであれだけはしゃいでいたのに、やはり凄い集中力だ。哲平はスティックで練習用のゴム板をパコパコ叩いており、凜はスケール(のようなもの。原形をとどめていない。)を高速でひいている。……指ならしのつもりだろうか。逆に指折れそうだが。集中している二人に話しかけるのも悪いので、俺も本番の曲の際どいところを練習していた。
というか、今になって気がついたのだが、朝、柚木を追い出すために無作為に選んだ私服がステージ衣装になっていた。ジーンズに黒で横ラインが入ったポロシャツ。いや、我ながら、無造作すぎるな。因みに凜はジーンズを折り曲げて七分丈くらいにしていて、上は羽織っていたシャツを脱いでタンクトップ。哲平はカーキの短パンにTシャツ。……まぁ、全員そこはかとなく無造作だから良いか。
「……えーと、そろそろレフトオーバーズさん、セットして下さい!」
「あ、はい」
主催者が声をかけに来た。時計をちらっと見ると六時四七分。後一三分。俺がすっと立ち上がると哲平がのそのそと立ち上がり、凜が異様に遅い速度で立ち上がった。 「お前、もうちょい速く立ち上がれよ……」
「たたた立ち上がれない日本!」
「なにを揶揄してるんだお前は……」
やっぱり緊張するものなのだろうか。俺はなぜか、不思議と、緊張感は全く無かった。むしろ高揚感の方が強かった。うん。ワクワクするね。哲平が凜の背中を押すようにして三人でテントの外へ出た。エフェクターボードを卑弥呼への献上物のように高く捧げた凜が震える声でこう呟く。
「ああ、神様。失敗しませんように……」
「凜、お前、なんかの宗教信じてたのか?」
「ううん。無宗教。アイアムアナーキスト!」
信心もへったくれもない。俺もそうだけど、人間って都合の良いもので、自分が窮地に立たされた時だけ神様を信じるのである。まぁ、神様もそれで食ってるとこあるんじゃないかと思うけど。そんなことを考えながらステージの方へ行くと観客席が見えた……って、すげえ。
「……すごい人だな。去年こんなんじゃなかったぞ?」
哲平も唖然としている。ざっと五百人はいるだろうか。スポンサー側が今年は奮発したらしく、俺は全然聞いたことないんだけど、今人気の最近メジャーデビューしたバンドとか、ロックファンの中では根強い人気を誇るインディーズバンド(フォレストなんとか。名前忘れた。) が二、三組参加している、とは聞いたが、まさかこれほどとは。ってか会場のキャパ超えてないかこれ?
「しゅーくん! さっきしょぼいって言ったじゃん! うそつきめ!」
「いや、嘘はついてねえよ。人が集まっただけだ」
「むー! それを嘘って言うんだよ!」
凜が慌てだした。普段アレなので慌てていると少し可愛らしく見えるのはなぜだろう……だめだ。凜の価値観に毒されてる気がする。哲平が凜を落ち着けようと声をかけている。
「大丈夫さ。みんな普通に聞いてくれるって」
「むー……頑張る。オーディエンスのハートガッチリ!」
凜は俺の方を上目遣いで見上げながら誓いの言葉を発した。いや、俺に言われても。
ステージに上がると、まさに壮観、といった感じだった。どこを見ても人、人、人。遠くの席に陣取っている人々が小さく見える。向こうから客席に入ってくる人が波のように見える。某ムスカみたな気分になってくるな。
「ハハハ人がゴミのようだ!」
「いや、俺も思ったけど、凜、口に出して言うなよ。ってかさっさとセットしろ」
「三分間待ってやる!」
「いや、待つのは俺らだ」
凜はシールドをアンプに差し込み、エフェクターの効きを一個ずつ確かめている。一個踏む毎にごろっと音が変わり、絵を描く時のパレットのように色彩豊かなイメージが浮かぶ。いや、そんな悠長に凜を見てる場合じゃなかった。俺もエフェクターをさっさと確認し、チューニングも同時に済ませた。手荷物がない哲平は手持ちぶさたそうにスティックをくるくる回している。落としたらどうするつもりだよ。振り向くと、凜は調整を終え、まだか、という顔をしてこちらを見ている。遠くのを見つめると、空は夕闇に沈みつつあった。
俺は哲平を見て合図すると、哲平は頷き返した。
次に凜を見た。凜が頷いたので、頷き返した。
三人がケーブルでミキサーにつながれた電気信号のように一つに繋がった。
初めに凜のアカペラが響く。凜の澄み切った声はざわつく会場の声の波を少し鎮めた。あまりにも有名なペンタトニックの和風メロディ。夏祭りライブの最初の曲なんだからこれだろうと一瞬で決まった曲――ジッタリンジンの『夏祭り』だ。
凜のアカペラの終わる直前に哲平のフィルが入り、三人が同時に音を吐き出す。アンプからでる音が会場に拡散し、人の波の中に収束していく。……野外ライブだとこうなるのか。
原曲は和太鼓風のリズムなのだが、リズムが単調になるので、哲平が原型をとどめないほどアレンジしている。……若干メタルっぽいと思ったのは俺だけではないはずだ。因みに俺のベースラインもだいぶ動かしている。
ドラムソロに続いて、心地よく歪みのかかったギターソロが空気を切り裂く。沿うようにしてベースラインがユニゾンする。かなりアレンジに困ったとこだったが……うん、これはいいソロだ。ソロの後、緊張感を持たせた凜の声が最後のサビ前のAメロを歌う。
線香花火マッチをつけて
色んなこと話したけれど
好きだってことが
きりきりと張り詰めた空気を割るようにして、珍しく情感を込めた凜の歌声が最後のサビを導いた。
――言えなかった
初恋の相手と夏祭りに行った記憶が、そんな記憶が無くても、思い浮かぶ曲だと思いませんか? 思いませんかそうですか。曲が終わると大きな歓声が響き渡った。よかった。お目当てのバンドがさっさと出てこないとかいってキレる奴がいるんじゃないかと思ったんだが。
『どうもー! レフト! オーバーズ! です! 全米ヒットチャートで一位になる! 予定でーす!』
凜考案のわけわからんMCが入る。だがしかし会場中笑いである。つまりだ。俺じゃなかったらウケるんだろう。
『ってかー、このバンド、五月に結成したばっかでー、ライブも一回しかやったことないんだけど、半ばピンチヒッター的な感じで出てます! フォレストリーフファンの方、こんなんが前座ですんません! 全然反省してないっすけど!』
観客大笑い。なぜだ。なんだこの差は。格差社会は是正すべきだと思う! ちなみにフォレストリーフというのがその人気のインディーズバンドの名前だ。 『えーと……じゃあ、次の曲行きます! マキシマムザホルモンで、恋のメガラバ!』
すかさず哲平のカウントが入り、すぐに曲に突っ込んでいく。
アップテンポのパンクなんだかメタルなんだかよくわからん曲調が特徴的な曲だ。割と細かい刻みが入るのでグルーブの作り方が難しい。エフェクターでかなり歪ませたベースの音をうねらせる。このエフェクターのつまみをここまで回した記憶が無いのだが。因みにEBSのマルチドライブだ。わかる人はあーと言っといて欲しい。……買うのにだいぶ金を貯めた。最後は親父が母さんに内緒で金を出してくれた。こういう時だけ無駄に頼りになるおっさんだ。
「超ブルー」黙れ!
優雅なSEXアピールPEOPLEメス!
絶望生物系の熱弁メロメロエロ
プレイガール! プレイガール!
凜のデスボイスは相変わらずだ。繰り返して感嘆するが、こいつは規格外だ。ちなみに今回は俺もコーラスを入れている。歌ってみて改めて思うのだが、歌詞が無駄に下ネタだ。誰のプッシュで選曲したかは言うまでもない。まぁ、曲がりなりにも夏の曲なのでオッケーとしたんだけど、ああ、うん。今後悔している。曲が終わると一気に疲労を感じた。体じゃなくて精神のほうの疲労ね。
『あー、なんかハイテンションですいません! 反省してませんがッ!』
お前は少しぐらい反省した方が良いと思います。しかし、会場の雰囲気はだいぶ暖まっている。ひとえに凜の手柄だろうな。ステージに立ってる凜は普通にフラフラと道を歩いている時の凜と違って求心力を感じる。それはステージ映えするルックスなのか、それとも圧倒的なテクニックなのか。どっちもか。どちらにしろ俺ら男子二人がアレすぎて一番目立つってのはありそうだ。……・だめだ、ライブ中なのにどんどんネガティブになってる。
『んじゃあ、そんなわけで、次の曲はアップテンポ2曲で会場も暖まって来たとこだし! そろそろ静かな曲で冷静になろうぜ!』
いやなんでだよという突っ込みが聞こえてくるようだ。すいませんこんな曲順で。
『まぁ、有名なドラマの曲だったので、ね。楽しんできていてねー!』
ドラムのロールとベースのタッピングで始める。マーチング風のロールが胸を掻き立てるような響きをつくる。凜が歌い始める。福山雅治の「虹」だ。
聞いて欲しい歌があるよ
いつか言いたかった言葉があるよ
語りかけるように始まる歌声に正確に刻まれるロールと、ベースが伴奏を添えていく。タッピングだと音作りもかなり気遣うな。まぁそもそもG&Lは音圧があるのでタッピングするのに丁度良い感じだが、それでもエフェクターでサスティンと音圧を稼いでいる。サビに入ると同時に凜のギターがカッティングで入り、俺も普通のルートに入っていく。原曲のイメージを損なわないようにしながら3ピース用に編曲するのはかなりしんどかったな。
僕がいつか風を追い越せるその時
僕がいつか虹を手に入れるその時
君は笑った くれるのかな?
――また会えるかな?
特徴的なドラムのフィルインと共に最後のサビに。ギターのバッキングが叫び、ベースラインがうねり、ドラムが弾ける。ほんとにこの曲「夏」らしいよな。最後もベースタッピングとドラムで終わる。曲が終わると同時に今まででいちばん大きな拍手が響いた。いや、なんかこれがエンディングみたいになってるけど違うから。あと二曲あるのよ!
『ウォーターボーイズってなんかエロく無かったですか? わたしはそう思いました。』
『エロくねえよ! ドラマ制作のスタッフの皆さんに全力で謝れ!』
『ええ?! だって半裸の男が組んずほぐれつ!』
『お前……心が腐ってるな。』
『だからなんだこの野郎!』
会場大笑い。因みに今のやりとり打ち合わせになかった。どうしてこいつは恥ずかしげもなくこんなことが言えるのか。隣で演奏している者として非常に悩ましい。
『まぁ、さっさと次の曲行きます。ランクヘッドの夏の匂い!』
すこし間を空けてから、凜は歌い始めた。弾き語りでテーマとなるメロディを凜が歌い上げると、ドラムのリフと共にベースとドラムが入り、ギターのメロディが上に乗っていく。親しみやすいバラード調の曲だ。バラードだとスピードが無い分、グルーブや音の厚みの点でごまかせない部分があって、ベースが特に頑張らないと行けない。比較的ローとミドルをつきだした音でリズムを揺らしながらドライブ感を出す。緩やかに上昇する音がサビを導いていく。
君の髪の端が
西日に透けて光るのが綺麗で
まだもう少しだけ、夜よ、来ないで
あの日そう思った
二回目のサビが終わると、クリーン音のギターソロが入っていく。俺はベースでそれを支えていく。凜はビブラートをかけながら情感たっぷりに弾ききった。流石だな。うん。
二人で生きていく
ただそれだけで僕ら強くなれた
カナカナが鳴いてた
あの日も同じ夏の匂いがしてた
朝バルコニーで柚木がこの曲を弾き語りしてた時、だいぶドキリとした。今日やる曲を言ってなかったのに弾きだしたからと言うのもあるが、もう一つ理由がある。すげえ恥ずかしいことなんだが、俺はこの曲にちょっと柚木との思い出を重ねてて、俺の中の大事な曲ランキング三位ぐらいに入るのだ。だからランクヘッドをあんまり知らない二人に無理を言ってセットに組み込んでもらった。……やっぱり柚木にも聞いて欲しかったな。
『えー、次で最後の曲です。気分的にはあと三曲ぐらいやりたいのですが、主催者側の大人の事情と、ウチのベースがヘタレでもう弾けないそうなので出来ません。残念です!』
『いや、なんでだよ! 俺そんなこと一回も言ってないぞ!』
『うるせえ、黙ってろーい!』
会場中笑い。ウケるのはいいんだがなんかむかつく。
『あー、これまでの四曲、夏をテーマにロックポップ問わず有名な曲をやってたんですが、最後はあんま夏関係ありません。まぁ、でも良い曲です。』
凜はそこで一度話を切り、息を吸い込んだ。初めて学校の定期ライブでステージに立った時とくらべれば、ずいぶんと落ち着いた顔つきだった。
『ああ、それで、最後に言いたかったんですけど、まだまだ私達は始めたばっかりで、未熟で、下手くそで、全然ダメなんだけど、早く三人でオリジナルを作って、色んな人にいっぱい聞いて欲しいな、と思ってます。誰かに言っとかないと忘れそうなのでここで誓っときます。』
そう言って凜はヘヘヘと笑った。前の方から拍手が出てくる。因みに今のセリフも打ち合わせの時には全然無かった。……オリジナルか。今はまだもっと吸収することが色々あると思うからすぐには取りかからないけど、早く三人で作りたいな。
『じゃぁ、最後に。ランクヘッドの月光少年!』
凜のギターから始まって、ドラムと一緒に和音をベースで入れていく。ホントはギターなんだがその分を俺が補っている。ドラムのフィルが続き、勢いがかった8ビートに変わり、一気にAメロへとなだれ込んでいく。
澄み渡る夜の静寂に
月が光っておりました
星もいくつかありました
夜を照らしてたのはそればかり
凜の澄んだ歌声がすっかり暗くなった夜空に広がっていく。どことなく幻想的な雰囲気を思い起こさせる声だ。メロディに合わせるようにしてベースラインが上昇し、ボトムを持ち上げていく。ドラムがベースラインと重なり、グルーブを作り出していく。……名曲だな。これ。この曲をセットリストに埋め込めたのは偏に二人に俺がランクヘッドを布教し続けた努力の成果なのである。偉いぞ、俺!
一回目のサビが終わったあとからの間奏は少しアレンジしたギターが入っている。凜は最近どんどんリフの手数が増えている。こいつはどこまで行くんだろうか。俺は比較的おとなしめにビートを刻み、凜をそっと支えた。あまりハイの抜けない音でスラップを重ねて、ギターの音を最大限に押し出していく。
両の手のひらは広げたまま
どこまでも行けるような夜でした
空に光る月でさえも
この手につかめるような
そんな夜の静寂でした
月夜に凜の歌声が響いた。静かに絶叫するような、綺麗な声でわめくような、そんな声だった。俺の全身が震えた。――人間ってこんな声が出せるのか。 曲が終わると、五百人分の歓声と拍手が前から飛んできた。
『ありがとうございました!』
凜が礼を述べると、拍手がさらに大きくなった。すっげえ気持ちいいな。世の中のバンドやってるミュージシャンってのはこういう興奮をライブの度に受けてるのか……。そう考えてみると、世の中のアマチュアミュージシャンがどんなに不況でも無くならないのかが良くわかる。この感覚は、他の場所じゃ味わえない。
どっと疲れた。
朝からずっとナチュラルハイみたいな感じで過ごしてきたから、すっげえ疲れた。
俺たちは本番が終わった後、死人のように出演バンドの待機用テントに向かい、楽器をケースにしまった後、その場にすっころがってしまった。他のバンドの人たちが怪しむような目で見ている。まぁ怪しいか。あ、以下の会話は普通の会話速度の半分くらいの速さで喋ってるとご想像下さい。
「……しゅーくん、水買ってきて」
「……自分で行け。俺も疲れた」
「むー……疲れたのはそもそもしゅーくんが本番前にいらんことしたからでしょー」
「……そうだけども」
「……じゃ、多数決ね。しゅーくんが買ってこいって人」
哲平と凜の手がのそのそと上がる。二対一。俺の負け。……畜生。味方はいないのか。
「……ちっ、わかったよ」
「……鷲、おごりな。」
こんな時でもむやみに経済的合理性を追究しようとするヤ○ザの顔を蹴っ飛ばしたくなったがそんな力も入らなかった。俺ものそのそとした動きで立ち上がり、のそのそとテントを出た。
辺りはもう真っ暗だった。なんか正体がよくわからん虫の声がリーリーとなっている。秋にはまだちょっと早い気がするんだけどなぁ。ふと思って、空を見上げると、都会だというのにだいぶ星がたくさん見えていた。少なくとも、夏の大三角形くらいはわかる。あれ? この町のこと都会だと思ってるの俺だけか? いやまさかね。
ステージの方からは、違う高校のバンドが演奏している曲が聞こえてきた。何て曲かは知らないが、アップテンポで賑やかなポップ調の曲だ。オリジナルかもしれない。ってか、普通に上手い。やっぱウチの学校の定期ライブとは違うか。ハハハ。
簡単につぶせてリサイクルしやすいペットボトルで有名な某水をだいぶ遠くにあった自販機で買い、観客席の端を通って、回り込んでテントに戻ることにした。目を細めてステージをのぞき込むと、さっきの高校のバンドとは違う一般のバンドがやっていた。どうやらレッチリのコピーバンドらしく、ベースは上半身裸でスティングレイだった。いや、見た目までコピーしたところでまるままレッチリになれる訳じゃないと思うのだが。でも、ドンシャリで腹に来るような、なかなかファンキーなベースだった。
……まぁ、ね。無意味にボーッとこんなことばっか考えてないで辺りを見渡しときゃ良かったわけですよ。主に試験や重要な仕事を控えている人に言っておきたいのだが、疲れると集中力が散漫になるから、どんなに焦った気持ちになっても夜は早めに寝るべきだということなんだ。そうしないと不意を突かれて大変な目になるんだぞ。こんなことどうでもいいよ。この現状を把握するのが先だと思う。
さて、端的に言おう。
誰かに後ろから抱きしめられた。
ちょっと待て、誰だよ。何だよ。どういうことだよ。
不思議なことで、頭の中はパニクってどうなってんのかさっぱりわからん様な状態なのに、体はこういう時どういう風に動くのが最良かということをしっかり理解しているようで、華奢なそいつの手をいろ○すを持ってない方の手で引っぺがし、後ろ手に投げた。相手は尻餅をついたようで、
「いてっ」
と言う声を出して後ろ向けに倒れた。あれ、この声超聞き覚えあるんだが。そう思いながら後ろを向いてみた。……今年一番ビックリした。
「痛いなぁ、もう。女の子なんだからもうちょい手加減したらどうなのよ!」
「おい。お前はは出会い頭に抱きつくという文化圏から来た女なのか」
「そう、ミクロネシアのとある島にはそういう習慣があって」
「黙れ」
腰まで届きそうな長髪、暗闇の中でひときわ目立つ端正な白い顔。もったいぶるのはよそう。相川柚木がそこにいた。
「てめえ、あれだけ家にいろと言ったのに!」
「抜け穴の無い法律はないと言うことだよ!」
「法律じゃねえし抜け穴もねえ!」
柚木は開き直って飄々とした態度でいる。こいつはもう……。なんか無性にやるせない気持ちになって怒りが冷めた。
「親父は? どうやって振り切ったんだ?」
「頼み込んだら、『ウチの息子は母親似で頼りないくせに頑固だからな。俺が本当の優しい男の姿を見せてやらなければならんな。』と言い残して臨時休業にして連れてきてくれた。」
「あのオヤジ……」
たしかに居酒屋「どっこい」は「ほぼ」年中無休だとは言ったけれども。多分ライブで生音が聞きたかっただけだぞ、あいつ。現にこの場にいない。多分前の方でさわいでそうだな。あと母さんの事を頼りないとか言うな。俺が頼りないのは認めるが、頼りなさの原因が遺伝なのだとしたら、間違いなく親父からの遺伝だ。
「体調は、大丈夫か? 気分悪くなってないか?」
「鷲が私に隠れてランクヘッドをやってたと言う事実に関して気分が悪い」
柚木もランクヘッドのファンだ。……ちなみに俺がランクヘッドを聞き出したのは柚木が聞いていた、というか、しつこく布教されたからだ。
「いや、だって言ったらお前絶対見に行くとか言ってただろ!」
「えー。でも、言っても言って無くても、どちらにしろ私はそう言ってんたじゃない?」
確かに! まぁ、でも程度問題というのがある。昨日の格闘戦がもっとひどいものになっていたかもしれない。右手の封印式がタイミング良く疼いた。
「ね、一緒に聞こうよ。前の方行って騒ぎたいとこだけどこんな体だからここで座って聞いてたんだ」
「んー……これ持って行かなきゃならんのだが……」
俺は手に持ったいろ○すを見て、感謝する気もなく俺をこき使った下ネタ女とヤ○ザの顔を思い浮かべた。――あいつらは自分の汗でもなめてたら良いんじゃないだろうか。
「……まぁいいや」
俺は柚木の隣に腰掛け、目を細めてステージの方を見た。レッチリのコピーバンドが三曲目をやっている。テルミーベイベーだ。この曲ベースがかっこいいよな。いろ○すを勝手にパクって飲み始めた柚木の方を見て聞いた。
「で、俺らの、聞いたのか?」
「余裕で」
「どうだった?……痛ってえ! 何しやがる!」
突然平手された。痛ってえ! 意味わからん!前後の文脈とかそういうものはないんですか!
「なーにが『それほど完成度高くない』だ。めちゃめちゃ仕上げてたじゃない」
「いや、今朝から、六時間ぶっ続け練習とかやってたからな。完成度は嫌でも上がるさ」
「本番前に?」
「本番前に」
「それはリーダーとして反省してるの?」
「……してる。ごめん」
「私に謝ってどうするのよ」
柚木がからからと笑って、膝を抱えた。反省しているどころか罰金まで払わされているという事実を知って欲しい。どれだけ俺が反省しているかわかるはずだ。でも後悔はしてない。柚木は遠くを見つめるような目をして、話し出した。
「……鷲、あのさ、小学校の時、二人でお祭り行ったの覚えてる?」
「ああ、あの近所の神社のだろ? 五年生とかだったっけ?」
行ったことは覚えてるが何をしたのかは覚えてない。そういやあの時は柚木をそんな風に意識してなかったな……俺も色ボケしたなぁ、とまた反省した。でも後悔は(略)。
「なんかその時のこと思い出すね、って思って」
「いや、二人で行ったのは覚えてるんだけど、何やったか全然記憶にない。何やってたっけ?」
「えーと、私が小遣いもらってなかった頃だったから、鷲が自分の小遣い少ないくせに、私にかき氷買ってくれて、二人で食べて、」
「思い出した。それで俺の小遣いが無くなったもんだからすることなくなって二人でずっと座って喋ってたんだっけ? 」
何が楽しくてお祭りの最中の神社で、二人で座り込んで喋ってたのか。二人で何を喋ってたのかは全く覚えてないが、祭り囃子が遠くに聞こえて、提灯の橙色の光だけが目に入ってきた、というあの時の感覚はしっかりと思い出した。ああ、確かに今の状況に似てるな。柚木は伸びをしながら後ろの木にもたれかかった。
「そうそう……まだ若かったなー私達」
「いや、何で初老の夫婦みたいな会話してるんだよ。まだ若いだろ俺ら」
「そう思ってるウチに年とっちゃうよ。今が一番楽しいんだって」
「そうかもな。青春まっただ中だもんな」
俺は皮がむけてマメがつぶれてボコボコに固くなった両手を見た。今年の夏はずっとバンド練ばっかりやってたな。まぁ、すっげえ楽しかったけど。スポーツで汗を流したり、可愛い彼女とイチャイチャしたりしたわけじゃあないが、これも青春だよな。リア充!
「ねぇ、鷲、さっきの曲だけど」
「え? 何? テルミーベイベー?」
そういえばいつの間にかレッチリバンドは四曲目に入っていた。これは……ストームインアティーカップか。なんか後期の奴ばっかりじゃね?
「違う違う。レフオバがやってた曲。『夏の匂い』と『月光少年』だよ。あれ、鷲のプッシュでしょ?」
「……まぁ、うん、そうだけど」
やっぱバレたか。ってか、勘のいい柚木のことだ。もしかして俺が入れたかった理由までばれたかもしれない。そう思ったら冷や汗が出てきた。これはまずい。
「あれさ……もしかして、私に聞かせようと思ってなかった?」
「っ、そ、それは……」
心臓が飛び跳ねた。ヤバイ。これは意図が読まれてる気がする! ってか、俺が柚木に気があることがこれまで取り沙汰されなかったこと自体が奇跡に近い。そもそも気づいてるかもしれない。二人きりでいるのなんていつものことなのだが、今の状況ほど『二人きり』でいることを意識させるような状況にいたことは少ないし、こ、告白とかするんだったら、今、なのかもしれない! うわぁ、テンパってきた。ヤバイヤバイヤバイ!
「……まぁ、うん、実は」
「やっぱり? 来るな来るなって言ってたのに?」
柚木の顔がみるみるうちに意地悪なニヤケ顔になっていく。桂木鷲劣勢である。
「ほら、出来れば来て欲しかったんだけど、体の方が大事だし、な」
「ふーん。」
そこで、なぜか、走馬燈のように五年生の時のお祭りの記憶が断片的に甦った。ああ、あの時、うちのクラスで誰がかわいいとか、誰がかっこいいとか、誰が誰を好きとか、そんな話をしてたんだっけ。小学生らしい、無邪気で罪のない恋愛の話。
でも、確か、その時くらいから、柚木とほんの少し距離が空いたんだったな。お互い、初めて男女ってものを意識したからだと思う。その距離が少しずつ大きくなってて、中学でバンドを始めるまでは、学校ではあんまり喋らなくなっていた。その時の俺を思って、俺は自嘲的に笑い……俺だってやるときゃやるんだ、と思った。俺は前を向いたまま声をかけた。
「柚木」
「……何?」
柚木が不思議そうな顔でこちらを見る。
物心ついた時からずーっと知ってる顔。
いつからか、ずーっと追いかけてた顔。
一番近くて、一番遠かった顔。
「……あのさ、俺」
「しゅーくん!」
背後から声が聞こえた。……俺の好きな声なんだが、極限状態の時に聞きたい声じゃなかったな。凜と哲平が三メートルぐらい向こうにいた。
「早く水もってこいよこの馬鹿めが」
馬鹿はお前らだよ、とは言えなかった。俺は盛大に溜息をつき、柚木に言った。
「ごめん、言うこと忘れた」
「フフン。そう言うと思った。……また今度で良いよ」
柚木はうっすらと笑いながらひらひらと手を振った。『今度』はいつになるんだろうね。……ってか俺が柚木のことが好きなことを、柚木は普通に気づいているということに気づいてしまった。というか、そもそも、五年生の話を持ち出したのは、俺をこの話に誘導するためだったのか! やばい、恥ずかしい! 顔から火が出そう! 穴があったらゴウイントゥ!
気を紛らわすために立ち上がって、柚木の顔を見ないようにした。1本少なくなったいろ○すを拾って、ふと見ると、凜が真顔でこちらを見ていた。
「しゅーくん」
「なんだよ。水ならやるぞ。」
俺がペットボトルを振っても、凜は微動だにしなかった。
「……その人、誰?」
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