Episode09:遠い夢の中の君がいた夏(前編)




 突然だが、みなさん。皆さんは朝、どのようにお目覚めになっているだろうか。
 目覚まし時計? 携帯のアラーム? 母親の怒鳴り声?
 様々な手段があると思われるが、俺の理想は体内時計で勝手に起きることである。でも体内時計は調整が難しい。特に今の俺のように夏休み中だと、おじいさんと共に動かなくなった大きな古時計ぐらい滅茶苦茶に狂ってしまう。だから今は仕方なく目覚まし時計で起きている。しかし世の中はそう上手くいかないもので、目覚ましが鳴っていても無意識的にそいつを消して、二度寝という甘くて危険な罠に俺を誘うのである。なんかエロいな、これ。それで、まぁ、俺の場合、目覚まし時計でも起きられないと母親のリーサルウェポンである妹が派遣されてきて、俺に殴る蹴るの暴行を加えて俺を目覚めさせることになっている。妹は異様に力が強いので痛いのは嫌だから嫌でも起きる、という算段なのだ。おっと、閑話休題。
 まぁ、ごちゃごちゃ言ったんだけど、結局何が言いたかったかって言うと、
 ……この起こされ方はないわ。
「鷲、おはよう!」
「うん」
「今日もはりきっていこうぜー!」
「うん。」
「なんだ! 夏休みだからって二度寝するのか! そんなんじゃだめだ! 鷲はだめだ!」
「うん。とりあえずだ」
「何?」
「どかないか?」
 体に圧迫感と鼻に違和感を覚えて目を覚ますと、幼馴染みが俺に馬乗りになり、俺の鼻の穴めがけてバースデーケーキよろしく息を吹きかけていたのである。……なんだよ、これだからリア充は、だってか? いや、俺も幼馴染みに起こされるとか言うリア充的かつエロゲ的シチュエーションには憧れるよ? うん、一回くらいは「早く起きないとキスで起こしちゃうゾ!」とか言われてみたいよ。いや、でも、これはさ、
「なんか違うんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「おお、鷲、朝から元気だね!」
 おい、そこのリア充って言ったお前。お前に寝起きに誰かの顔が至近距離にあって、しかも鼻の穴にピンポイントで息を吹きかけられている恐怖がわかるか?! わからないか!
「何だこれ! 最悪の目覚め方だよ! なんで鼻の穴に息を入れるわけ? 最近のフリ○クでもそんな鼻スースーしねぇよ!」
「鷲、甘いね。今はミン○ィアの時代さ!」
「どうでもいいよ! ってかお前どっからわいてきた! 昨日家帰っただろ!」
「いや、昨日は帰ったふりして下でずるずると酒飲んでたリストラされかけの会社員のおっさんの相手して、鷲が寝たのを確認してから鷲のベッドで寝てた」
 ってことは俺が全く気づかないうちに俺は自分の想い人と一夜を過ごしていた、と言うことになるのか。惜しいことした!……じゃなかった、何だこいつ。
「ってかさぁ、どけよ。重い」
「女の子に向かって重いとは何よ! これでも入院生活のお陰で5キロはやせたんだから!」
「知らんわ!」
「鷲が今日のライブに私が来ることを許可してくれたらのいてあげる。許可するまで鼻の穴に私の体内から排出された二酸化炭素を吹き込み続ける」
 と言って口をすぼめてくるので必死で交わした。傍目で見たらキスしようとしているようにも見えなくもない。このまま受け入れても良いかも……ってよくない。俺はもっとシチュエーションを大事にしたい。……って何言ってんだ俺。きめえ。
 目が覚めてきてどんどん素面になってきた。そうだ、昨日の夜、柚木と喧嘩したんだったな。柚木が今日の夏祭りライブを見に行きたいと言ったことを俺が問答無用で却下したからだ。まだ体調が回復してないのにあの公園まで一人で来るのは危険すぎる。車で行けたら良いんだけど柚木の母親も仕事だし、「どっこい」はほぼ年中無休だし(気まぐれに休みがある。盆暮れとか。ウチに来る人がいたら気をつけてね)俺の親父も車を出せない。そういうわけで俺がこんこんと諭したのだが、柚木はこんな時だけわがままを言い出し、喧嘩になった。俺が親父に頼んで柚木を「どっこい」に拘束することに決定すると、柚木はマジギレして、俺が手を出せない手前、実力行使に出て、俺を引っかき回した。お陰で左手の手の甲に謎の封印式ができた。……ぐおっ、封印が、解ける! ……みんな、死にたくなければ、俺から、離れろー!……ってか? アホか。
「柚木、冷静になって考えてみろ」
「何? 冷静に考えた結果、自転車で行けば大丈夫という結論が出たんだけど」
「いや、違う」
 さすがの柚木でもこういえばどくだろう。くらえ、一ノ瀬流!
「お前、今良い感じで騎乗位だぞ」
「!!」
 下ネタ爆弾! ……うん、まぁ、丁度アレな時にアレの位置にアレが来ていたというか。うん。まぁ、朝だし。仕方ないんだ。人間だもの。柚木も気づいたようですぐに飛び退いた。俺はその隙に素早く立ち上がり、背中を伸ばした。ああ、朝から疲れた。
「な、な、何言ってるの!」
「いや、柚木がやったことだろ」
「そ、そんな意図なかったもん!」
「俺としては朝からでもやぶさかではない。……ってえ!」
 平手された。痛ってえ。一応勘違いされないように言っておくが俺は童貞だ。そんなことする度胸があると思うか? あるわけないだろ。悪かったなー!
「鷲、いつからそんな淫らな奴に……」
「俺のエロほ……じゃなかった、男子高校生の夢の結晶を平然と見るお前に言われたくない。」
「それは別腹だよ!」
「だからケーキは別腹みたいなノリで言われても返しに困るだけだ!」
 超デジャブ。実は柚木と凜って実は似ているのかもしれない。柚木の方がまだ常識的なんだけど。柚木はまだ不服そうな様子で、俺が部屋を出て行こうとした途端行く手を阻んだ。
「……お前、わがままになったな。」
「前からこんなのでしょ! ってか鷲こそ大きく出るようになったじゃん……中学までは私がいなかったら何も出来なかったくせに!」
「……今でもだよ」
 俺は溜息をつきながら床に座りこんだ。柚木を俯瞰する。柚木も黙って座り込んだ。
「俺だってお前に一番聞いて欲しいんだぞ? お前が背中押さなかったらレフトオーバーズはできてなかったんだし、実質的な生みの親なんだから。でも、そんなことでお前にまた体調崩されてみろよ。……また機会はあるから。なんならお前のためだけにライブしてやっても良い。事情を説明すれば二人も動いてくれるはずだし。」
「でも、今日のライブは、今日だけじゃない」
「まぁそうなんだけどねぇ。でも言うほど完成度高くないよ。俺ら」
「また始まった。それ昨日も何回も聞いたよ……鷲の悪い癖だよその無意味な謙遜」
「いや、横柄よりマシだろ」
「時に謙遜が人を傷つけるのです……」
「いや、そんな偉人の名言風に言われても」
 柚木の気持ちもわからんでもない。一年学校に行けなかったことで自分が時間から取り残されたような気分になる。だからせめて俺とは繋がっていたいんだろうな。俺と一緒にレフトオーバーズの進退について一喜一憂したいし、だからこそライブも聞きに行きたいんだろう。
「もういい。あきらめる。この年になってこんなぐずってても仕方ないし」
「はぁ……やっとわかってくれたか。……むぐぅ!」
 なんかいきなり目の前が真っ暗になった! でも、あれだ、柔らかくて暖かい。天国ってこんなところなんだろうな。ってか、これって、
「むぐむぐうぐぐう!(なにしやがるんだ!)」
「仕返し」
「むぐぐぐうぐぐう!(はなせこの野郎)」
 よく言えば抱かれている。悪く言えばヘッドロック。正直なところヘッドロック。頭が腕で締め付けられている。そしてまぁご想像の通り、同年代の女の子にしてはかなりアレなアレが俺の顔に当たる訳で……ってか今朝は伏せ字が多い。何で朝からこんなエロゲみたいなシチュエーションに巻き込まれてるんだよ。って冷静に考えてる場合じゃない。肩を掴んで無理矢理押し返した。
「はぁ、はぁ……窒息するかと思った!」
「あースッとした。」
「寧ろ俺はモヤモヤしたよ! ってかお前、自分で自分のこと無防備だとか思わないのか?」
「何のことー?」
「……畜生め」
 柚木は何でもわかってますよーという顔で俺を見ている。こいつはいつもそうだ。俺なんかよりずっとアクティブで、俺の一歩と言わず十歩先を行っている。いくら頑張ったところで俺がこいつに勝てるはずがない。俺は盛大に溜息をつきながら着替えを取りだした。
「着替えるから出て行けよ」
「はいはい」
 柚木はギタースタンドに立てかけてあった自分のエピフォンカジノを掴むと、窓を開けてバルコニーの方へ行った。どうして柚木のギターが俺の部屋にあるかというとこれまた長い話なのだが、また機会があったら説明しようかと思う。単に今はめんどくさいだけだけど。
 着替えながら外の柚木の様子を見ていた。何か弾きながら歌っている。何だろうこの曲。ああ、ランクヘッドの夏の匂いだ。――やっぱり、勘の良いやつだよ。柚木は。



 九時四〇分ぴったりに一ノ瀬楽器店に着くと、二人はもうスタジオに入っていた。……ってか何だこの曲。今日のセットリストに入っている曲と全然違う曲が奥のスタジオから流れてくる。ドア越しにこっそり聞いていると、ものすごいスピードで哲平の16ビートのバスドラが響き、その間を縫うようにして凜のギターがソロを弾いている。いや、凜に関してはテクニックとかじゃないだろこれ。人間技じゃねえ。ずっと聞いていたかったが、そういうわけにもいかないので、ドアを押し開けた。俺が入ってくると、哲平が強引にフィルを入れて曲を終わらせた。
「はぁ、はぁ……鷲、おはよう……」
「おぅ、なんか、もう既に限界っぽいんだけど」
「こいつに、ついて行けると、考えた、俺が、間違いだった」
 例の戦場カメラマンもびっくりな会話速度である。ドス声も弱々しい。
「てっちゃんだらしないなぁもー。しゅーくんなら普通についてこれるよ!」
「……精進、します」
 哲平は床にへばりこんで荒くなった息を収めている。どうやら適当に決めたコードで凜がアドリブ高速ソロに哲平がついて行くと言う無謀なジャムをやっていたらしい。
「いや、俺もついて行けねえから。まずベースであの速度について行くラインを作るのに無理があるだろ。俺はビリー・シーンかっつーの。」
「でもしゅーくんわりと手数あるじゃん。よっ!手数王!」
「いや、それはもうすでに違う人の通り名だから。しかもそんな持ってねえし。」
 楽器も違うしねぇ。
「ってかお前ら早くね? 十時集合じゃなかったっけ?」
「いや、早起き、しちゃってさ。家に、いても仕方ないから、来たんだ」
「……もうお前無理して喋るなよ」
「しゅーくん、夏休みだからって二度寝しちゃダメだよ!」
 それ朝起きた直後に頭のアレな幼馴染みに言われたよ、とは言えない。今朝のやりとりはいくらなんでも恥ずかしすぎる。俺はケースからベースを出して、エフェクターボードを開けながら朝の危険すぎるやりとりを思い出して無駄に深い溜息をついた。凜がそれに目をつけた。
「しゅーくん、どうしたの? 悪い夢でもみたの?」
「まぁな、強ち間違いでもないな」
 寧ろ夢だったと思いたい。一弦をはじいてチューニングしながら積極的に記憶を抹消しようと努力する。よくよく考えてみれば嬉しいエロゲ的ハプニングなんだけど、昨日の柚木との喧嘩の後で、寝込みを襲われ、立て続けにアレだったからなぁ。無駄に体力吸われた。
「昨日のテレビでやってたホラー番組見て夢で見たとか?」
「いや、あの番組ちらっとだけ見てたけどそんな怖くなかっただろ。いかにも作り話っぽかったぞ?アレ」
「いやあ、怖かったよ……お父さんがかけてて、見たくもないのに初め見ちゃうとストーリーが気になって結局最後まで見てたんだけど死ぬかと思った!」
 凜はホラー系の話に弱いらしい。ほうほう、なるほど。ホラー系の話をストックしておいていざというときに怖がらせてやろう。――黒桂木鷲の発動である。
「よし、セットできた。哲平は?」
「整いました」
「ほぅ、なぞかけか。」
「むー、私あのコンビ嫌い。※個人の感想ですよ」
 無意味な無茶ぶりである。いや、息が整ったって意味だろうけどな。哲平は三秒だけ考えて、続けた。
「阪上哲平とかけまして」
「阪上哲平とかけまして?」
「もしも明日世界が滅んだら、とときます」
「阪上哲平とかけまして、もしも明日世界が滅んだら、とときます。その心は?」
「どちらもカテイ的です」
「あー。微妙」
「むー、別に上手くないよね。」
「……お前らの無茶ぶりに耐えた俺に拍手を送って欲しい」
 パチパチパチ。渇いた拍手がスタジオ内に響き渡る。余計むなしさが強調される気がするんだけど。これ。
「まぁ、しょうもないことしてないで練習すっか」
「そうだな」
「おー」
 ……。
 …………。
 ………………。
 で、そこから六時間ぶっ通しで練習した。いや、気が狂ってるとしか思えないな。
 一回通しから始まって、各曲をAメロBメロサビとかで切って、細かいニュアンスのチェック。大事な所でのフィルとリフのユニゾンを確かめては、あっていないところを何度も何度もあわせて、最終リハが終わった時にはへとへとだった。終わってから大事なことに気がついたのは凜だった。
「ってかさー、しゅーくん、これ本番前にやる練習の仕方じゃないよね?」
「仰るとおりで」
 本番前に体力を消耗しきると言う意味不明な展開になった。我ながらバカだと思う。しかし良い練習になった。携帯で時刻を確認すると、四時一〇分。
「三〇分前に来いって言われてたから……まぁ七時の本番まで時間あるな。早い内に外いって、どっかで軽いもの食って、さっさと公園行っとこうぜ?」
「昼飯食うのも忘れてたしな。まぁ空腹を感じなかったけどな」
「いざとなると集中力ってでるもんだねー。あ、もう出店とか出てるんじゃない?お祭りに行ってなんか食べよう?」
「……お祭りって基本ぼったくりだよな」
 哲平が守銭奴根性を発揮する。出た。実は家庭的。
「哲平、無粋なこと言うなよ。それが日本のお祭りなんだぞ?」
「しゅーくんしゅーくん、前から気になってたんだけど林檎飴ってアレ何がおいしいのかな? 食べるの苦労するだけじゃん」
「いやそうだけども。俺もそう思うけども」
 凜、「※個人の感想です」ってつけるの忘れてるぞ。
 というわけでスタジオを引き上げ、荷物を丸ごと背負って自転車に乗り、公園に向かうことにした。細い道を三人で連なって走っていく。夕方と言っても夏なのでまだがバッチリ明るい。そして西日が眩しい。どうでもいいんだけど、凜の自転車は白色で、哲平のは銀色。最後尾を走っていたので、つい変なところに注目してしまった。ちなみに俺の自転車は黒です。誰も聞いてないけど。



 公園はもう既に人で溢れていた。子連れ、カップル(失せろ)、小中学生の塊、高校生のグループ。やっぱり浴衣姿の人も多い。七月に凜と二人で行った時にリア充を呪いながら歩いた石畳の道には提灯が連なってぶら下がっており、なんか違う場所みたいだった。俺たちは駐輪区域として指定された素っ気ない広場に自転車を停め、出店の方へ向かうことにした。また携帯で時刻を確認した。……四時四五分。本番まであと二時間十五分。お祭りの雰囲気に飲まれてか、凜はテンションが高かった。
「しゅーくん、チョコバナナってなんであんなエロいシェイプなんだろうね?」
「違う、それはお前の誇大妄想だ!」
「てっちゃん、あのお面つけてライブやったらうけるかな!」
「うけねーよ」
「お前は観客の精神衛生上つけた方が良いんじゃないか?」
「……そうかもしれない。」
 哲平がリアルに買おうとしたので必死に引き留めた。いや、冗談だって。話を逸らそうとして周りを見渡したら、あ、良いものがあった。
「哲平、ほら、お化け屋敷あるぞ?」
「何だあれ。どうやって作ってるんだ?」
 プレハブ小屋のもう少しぼろっちい奴に古い日本家屋のような装飾が施してある。さしずめ中を布かなんかで迷路状に区切って、中でいい年したおっさんがお化けの役をしているというオチだろう。中にマイクが設置されているようで、中で客がキャーキャー言っているのが外へ聞こえるようになっていた。しょぼいのに無駄にディティールにこだわってるな。これは期待できる。何を隠そう、俺はどんなしょぼいやつだろうとお化け屋敷が好きなのだ。そして、三人で入ったら笑えそうだ。特に凜の反応で。――黒桂木鷲の再発動である。
「よし、入ろうぜ?」
「いや、俺は全然良いけど、凜は?」
「ぜーったいダメ!無理!死ぬ!無理無理無理無理無理!」
 やっぱり怖い話が無理だったのか。なんか弱点なさそうな奴なのに意外なところに弱点があるもんだな。こういうのを諺で何て言うんだっけ? 「鬼に金棒」? 違うか。「アキレス腱」? いや、これは諺じゃない。「ジャイアンにおでき」? いや、こんな諺無い。何だこれ。「弁慶の泣き所」かな。おっと、閑話休題。どうやったら凜が入ってくれるか……。とりあえず少年漫画風に熱く言ってみた。
「凜、限界に、挑戦しようぜッ!」
「もう『おばけ』って字で既に限界。」
 ……限界早っ! 次はラブコメ風に少し真剣な表情に変えて言ってみた。
「うん、実はな、俺は……お前と入りたいんだ」
「な、ななな何言っちゃってんの?! そそ、そんなラブコメ風にいってもその手にはのらないんだからね!」
 ……ツンデレか! 哲平がおもしろそうに挟んでくる。
「じゃあ俺と二人で入るか?」
「何が楽しくてヤクザ面の男と二人で手つないでお化け屋敷入らなきゃならないんだよ……」
「手つなぐのか? 俺は良いけど……」
「いやそれは例え話だよ! そんなところに引っかかるなよ!」
 顔を赤らめるな、キモイ。そこで凜が変なことを言い出した。
「む、う、むー……しゅーくんが手つないでくれるなら入って良いよ」
「は?」
 そういって心なしか少し顔を赤らめた凜が心なしか上目遣いで俺の左手を掴んでくる。いやいやいや、ちょっと待て。ちょっと俺もドキっとしたとかは置いといて。何言ってんだこいつ。哲平がニヤニヤしている。うぜえ。そこで凜が俺の左手についたエキセントリックな模様を見つけた。
「……ん? あれ? しゅーくん、この傷どうしたの? 封印式?」
「あー、これか」
 せっかく忘れかけてたのに朝の一件を思い出してしまった。ってかやっぱり他人の目から見ても封印式に見えるのか。
「ひっかかれた」
「誰に?」
 柚木、と答えようとして言いとどまった。ああ、そうか。そういえばこの二人には柚木のことを言ってないんだっけ。隠してたわけじゃないが説明するタイミングが無かっただけだ。今は説明するのも面倒だし、説明したらしたで朝のエロハプニングについてこんこんと語らなければならないと言う地獄の苦行のようなものが待っている。これはどう言ったものかと悩んでいると哲平が助け船を入れてくれた。
「ってか、時間ないしさっさと入ろうぜ」
「あ、ああ」
「おー」
 混乱した空気が哲平の声でうやむやになった。まさに地獄に仏。いや、地獄にヤ○ザか。地獄にヤ○ザってなんかダメだな。普通にいそうだな。
 俺たちはギターやベースやエフェクターケースを入り口の受付をしていたおばさんに頼んで預け、入場料300円というモトとれんのかこれと思える価格で入ると、中は薄暗く、ドライアイスでも使っているのかわからないがひんやりしていて、申し訳程度についた小さなライトで矢印が示されていて、それに従って進むと言う仕組みだった。
「なんだ、しょぼいな」
「まぁ、地方のしけたイベントなんだから、お化け屋敷があるだけ十分だろ」
 という空気だだ壊しで仕掛け人の人たちも思わず素で切れそうなことを哲平と和やかに話しているとなんだか左手に震動が伝わってきた。
「……凜」
「ひゃあい! な、ななななに!」
「それは手をつなぐではなく腕を組むと言うんだぞ」
「どどどどどっちでも良いから早く進もうははは早く終われこの悪夢」
「ちょ、お前、体重かけるな」
「ごごごめん足がうごごごごかなくて」
「なんか会話文が凄いことになっているな……って、わっ!」
「おおう」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ」
 上から生首というかマネキンの頭部が落ちてきた。あっぶねえ、これ直に当たったらどうするんだよ。てか仕掛けがちゃちすぎて怖くないが凜には十分だったようで。
「ごめんないごめんなさいごめんなさいもう下ネタいいませんごめんなさいごめんなさい」
「え? マジで? 今日からお前も普通の女の子になるのか?」
「しゅーくんだまれ!フニャ○ンのくせに!」
 言った側からかよ! いや今朝のこと考えればフニャ○ンだけれども。……そこでまたなんか飛んできた。うわ、なんだこれ生臭っ! あ、蒟蒻か。空中を舞う浮遊幽霊と化した蒟蒻は猛スピードで俺の隣を通り過ぎ、凜に激突した。
「おい、大丈夫か?! 凜!」
「…………フ○ック」
「……ちょっ! やばい! 哲平! 凜が恐怖のあまり放心して動かない!」
「おい、お前が入ろうって言ったんだ。責任とって、お前が背負ってやれ」
 仕方なく凛を無理やり背負った。小柄な凛は想像したよりずっと軽い。俺が背負うと歩かなくて良くなったせいか凛は元気を取り戻し、
「よし、しゅーくん、全力で走ろう!」
「やだよ。もっと楽しもうぜ。ってかお前目瞑ってるだろ!」
「何も見えないから恐怖すら見えない!」
 なに微妙にかっこいいこと言ってんだ。少し歩くと前からまた何か飛んできた。ってか飛び道具多くね? ああ、ぴらぴらした白い布だった。一反木綿だとでも言うのだろうか。
「凛、あんまり怖くないぞ、このお化け屋敷」
「なに? 目瞑ってるから何言ってるかわかんない!」
「いや、その理屈はおかしい」
 ずんずん歩いていっても、墓場のセットをライトアップしたところや、突然お経が聞こえるところ(ここは目を瞑っても聞こえるので凛が怖がってプロレス技よろしく俺をロックした。) などしかなく、ぜんぜん人が出てこない。なるほど。人件費削減のためか。
「仕掛けないくせに無駄にクネクネしてて長いな。そういえば、哲平、今何時だ?」
「んー? ちょっと待って、携帯で確認する」
 そんな悠長なことを言いながら、俺たちがどうやら最後の曲がり角に達した瞬間、
「ウォオォォオォアア?……ギャアアアアアアアアア!ごめんなさいいいいいいいい!!!」
「うわぁ、あ?」
「おおう?」
「……え?! 何?!」
 最後の曲がり角の壁には仕掛けがしてあって、そこからどうやらゾンビ役のおっさんが出てきてゴールの光が見えて安心した俺たちを襲うという算段だったらしいのだが、こちらには携帯で時刻を確認していた哲平がいたのである。うん、つまりだ。あいつの顔を暗がりで下からバックライトで照らした状態である。……ゾンビ役のおっさんが逆に走って逃げたのだ。しかも、全力で謝りながら。
「哲平、ご愁傷様。」
「てっちゃん、どんまい。」
「……いや、ちょっと待て、何で敗北感漂ってるんだよ! むしろ勝利だろ!」
「虚しい勝利だな。どうだ、怖がらせる本職の人に怖がられた気分は」
「泣きたい。」
「……そうか。」
 また同じ過ちを犯した。本番前にやることじゃなかったな。これ。



 お化け屋敷から出ると、辺りが入った時よりも少し薄暗くなっていた。遊歩道沿いにつるされた提灯の橙色の暖かな光があのお祭り独特の空気感を作り出していた。携帯を見ると時刻は五時一三分。本番まで残り一時間四十七分なわけなのだが……。
「時に凜よ」
「何だしゅーくん」
「そろそろ下りろ」
「うん、それ、無理」
 局地的非侵食性融合維持空間の中にいるみたいな気分になってきた。ちなみに俺にもメガネ属性はない。……何の話だ。
「ってか、今すぐ下りろ。誰かに見られたら誤解を招くこと必至だ!」
「むー……くんかくんか」
「ちょっ、おまっ! 何の躊躇いもなく人の匂い嗅いでるんだ! 人の汗の臭いなんて嗅いで何が楽しいんだ!」
「汗の臭い全然しないよ? っていうか、いつも石鹸みたいな匂いするよねー良い匂い!」
「俺、あんま汗かかない体質だからさ、夏になると熱がこもってしんどいんだよね」
「だからなんだよ! 汗かかないって……自慢か! この居酒屋の息子が!」
「いや居酒屋関係ないだろ! 楽器屋の娘が言うなよ! ってか下りろボケナス!」
 俺が室伏よろしくぐるぐる回って振り落とすと凜はお尻から落下し、痛そうに尻をさすりながら、恨めしそうに俺を睨んできた。ってか石鹸の匂いするのか、俺。初めて知った。試しに自分の腕の匂いを嗅いでみたが、特にそんな匂いしない。自分の匂いってわからんもんだよな。
 そこで、ふと気づいた。哲平は? いつもなら俺が会話に窮すると、適当に突っ込んできてくれるはずなのに。そう思って振り返ると、そこにはヤクを運ぶ役目に失敗したヤク○がいた。……韻踏んでる場合じゃなかった。凄く落ち込んだ哲平だった。
「哲平、大丈夫か?」
「……心折れそう」
「うん、意外と元気そうだな」
「どこがだよ! よくわからん羞恥プレイさせやがって!」
 やっぱり怖がらせる本職の人に怖がられたというのは俺らに怖がられるよりずっとショックなことなのかな。哲平は頭を振り、頭の中に入っているものを振り落とすような動作をして続けた。
「まぁ、本番前にしょげてても仕方ない。さっさと飯食ってステージまで行こうぜ?」
「ああ、そうだな。」
 三人でお化け屋敷の入り口に戻り、なにやらニヤニヤしている入り口のおばさんにお礼を言って楽器を背負っていると、なにやら見知った顔が……
「桂木君。」
「あれ?……大嶋さん? なんでここに?」
 浴衣を着ていたので一瞬誰かわからなかった。大嶋さんは浴衣が似合うなぁ、なんて思ってないんだからねっ!……心の中で言ったとはいえ、恥ずかしくてツンデレモードになってしまった。
「いや、桂木君たちがいると思ってね、待ち構えてたの。ギターケースが置いてあったでしょ? それに、中の声、聞こえてたからね。」
「え? マジで? ……そういえばそういう仕掛けがあったな」
「特に一ノ瀬さんの可愛い声がね。ゥフフフフ」
「むー、うー、一生ものの心の傷を負ったよしゅーくん! どう責任取ってくれる!」
「知らねえよ。あ、旅の恥はかき捨てっていうじゃん。」
「旅じゃないじゃん!」
「人生は旅なんだろ?」
「むー! なにどさくさに紛れて臭いこと言ってんの! もー!」
「ゥフフフフフ」
 よく見ると、大嶋さんの後ろにはツッキー、なっちゃん、ちかちゃん(だったっけ?)がいた。上から順にビッチロリ団子。あんまり買いたくない団子だな。ツッキー以外はみんな浴衣だった。ツッキーだけシャツにカーゴパンツで動きやすそうな格好。俺の目線を伺ったのか、大嶋さんが補足説明を入れてきた。
「みんなで遊びに来てたの。桂木君はアレでしょ? コンサート」
「え? なんで知ってるの?」
「プログラムのとこに一番、レフトオーバーズって書いてあったよ。ギャハハハ。バッチリアタマじゃん。」
 いや、何がバッチリかわからん。むしろプレッシャーなんだけど。ツッキーはおどけたように手のひらをひらひらさせながら、俺に話しかけてきた。
「こないだのライブ、見たよ。ってかさー、マジ上手いよね、君ら。」
「そりゃ、どうも。」
「普通に初心者だと思ってたらさー、目の前ですげえ速弾きしちゃってさー。なんかタダの陰気キャラだと思ってたけどとんでもないアイデンティティもってたじゃんギャハハ」
 いや、お前にアイデンティティ云々の話されたくねえよ。ギャル化して無個性化してる女子に自己同一性の話をされるとは思わなかった。しかしビッチに褒められるのも悪くない、なんて思ってないんだからねっ!
「ああ、それと、一ノ瀬? さん?」
「え? はいっ?!」
 手持ちぶさたそうにぼんやりと辺りを眺めていた凜は、突然ビッチに声をかけられて動揺しておどおどしながらこっちを振り向いた。やはり同級生に話しかけられるのが苦手らしい。あと多分だけどギャル系の女子苦手っぽいよな、こいつ。
「あの、チー子のとこのバンドつぶしたでしょ? あれ正解だったんじゃない?」
「へっ? なんで?」
「あいつ、下手だし。あいつのバンドで続けてたら才能腐ってたよ。ギャハハハ」
「ここだけの話だけど、ツッキー、チーコのことすごい嫌いなんだ」
「へぇ……色々あるんだなぁ」
 大嶋さんがこっそり耳打ちで教えてくれる。因みにずいぶんと後になって大嶋さんに教えてもらってわかったことなのだが、凜が最初につぶしたバンドはどうも凜だけが原因ではなかったらしい。そのチー子(こいつもビッチ)という女子の性格が極めてアレらしく、他のメンバーも抜けたがっていたらしい。そこにアタマのアレな凜がレッチリのことでマジギレしてくれたために、これは好機と残りの二人も喜んで抜けた、という話だ。やっぱりみんなと上手にやっていくのは難しいなぁ、と思う。因みに凜はこの話は知らない。
「でも、他のメンバーにも迷惑いっぱいかけちゃったし、」
「あー、あいつら、そんなん気にしてないっしょ。あんたを悪者にして逃げる口実が出来たって喜んでるよ。それよか、つぶしたお陰で、あいつらより良い仲間見つけたんじゃない? 音の相性的にも、」
 ツッキーは怯える凜の方をぽんぽんと叩きながら、それからぼーっと凜とのやりとりをみていた俺とまだ落ち込んでいる哲平を一瞥して、
「性格の相性的にもね。ギャハハハ」
 ……少し意外だった。月宮カナコ。見た目も口調もビッチ臭いがどうも中身はそうではないらしい。無駄にいい奴じゃないか。女子版哲平みたいなものか。ってか良く考えてみれば真面目女子派閥代表(俺が勝手にそう思ってるだけ)の大嶋さんと仲良くしてるビッチ女子ってこいつだけだ。やはり人格者同士、シンパシーみたいなものがあったのだろうな。俺は大嶋さんの方を振り返って言った。
「それじゃ、俺たち、舞台の方行くから。七時からだけど見に来てくれる?」
「うんうん。見に行く。って言うかライブ見に来るのが目的だったんだけどね。ゥフフフ」
 大嶋さんは手を振って海岸の方へと歩いていった。それにぞろぞろとビッチロリ団子がついて行った、ように見えたのだが、なっちゃんだけがこちらへ引き返してきて、しつこくしょげている哲平の前に来た。
「あ、あの!」
「……あぁ?」
 うわぁ……哲平がどす黒いトーンの声を出した。ドス声のもっとネバネバした奴だ。女の子に向かって出す声じゃないだろ。なっちゃんは怯んで固まってしまった。仕方ないのでフォローした。
「おい、哲平、その声はないわ。」
「てっちゃん、地球と女の子には優しくしなよ!」
「いや、ちょっと待って、あーあーあーあー……ダメだわ、今テンションが下がりすぎてこの声しか出ない」
「てっぺいは テンションが ひくすぎて こえが きちんと でない !」
 凜が茶々を入れる。なんだそのRPGの状態異常みたいなのは。なっちゃんは深呼吸して気を取り直し、再挑戦してきた。
「あの、わ、私の、こと、覚えてます?」
「……え? どっかで会ってたっけ? 思い出せない」
「マジですか?」
「マジで。」
 友達出来ない奴の顔面記憶力をなめてはならない。基本的に特徴のある顔以外は覚えられない。あと顔と名前が一致しない。だから友達広がらない。哲平だけじゃなくて俺も凜もだけど。
「ほら、鷹司千夏です。スクールで一回だけバンドやった……」
「いや、スクールで十六回バンド組んでるからいちいち覚えてない。すまん」
「ベースですよ?」
「いや、だからベースも十六人いたわけで」
 ってか何でこいつはこんなに偉そうなんだ。凜もドンびきしている。それに、バンド組んだ回数を正確に覚えているのになんでメンバーを覚えてないんだ。なっちゃんはそれでも食い下がる。
「あの、ほら、リッケンバッカーのベースで」
「って、どんなん?」
「おい、やめろ。これ以上はなっちゃんが可哀想だろ。……ごめんね、この人病気なんだ」
「病気とは何だ。お前も人の顔覚えられんだろ」
「こんなロリロリした可愛い子を忘れるお前の脳味噌が腐ってるんだよ!」
「え? マジで? しゅーくん、ロリコンだったの? そこんとこkwsk!」
「話をややこしくするな!」
 なっちゃんは今にも泣きそうだ。そこで向こうの方から声が飛んできた。
「なっちゃん! 早く行こう!」
「ああ、うん。今行くね。……すいません、時間取っちゃって。私のことは、忘れて下さい。」
 ってかそもそもなっちゃんのことは忘れてるんだから、「忘れてください」ってのはおかしいよな……って突っ込んでる場合じゃない。最悪だ。なっちゃんはけなげに手を振って三人の方へ走り去っていった。俺は溜息をついて哲平の方を睨んだ。すると凜もジト目で睨んでいる。
「てっちゃん、いくら何でもアレはないでしょ」
「だってホントわかんねえもん」
 俺は指で地面をなぞり、リッケンバッカーの絵を描いた。数あるベースの中でも独特な形をしている。特にピックガードが。
「リッケンバッカーってのはこんなベースだ。なっちゃんのは黄色だったな」
「んー?……なんか見たことあるような、無いような」
「思い出してあげた方が良いと思うぞ? なんかお前と曰くありげだし」
「なになに? 恋の予感?」
 うぜえ。恋はないだろこの顔、じゃなかったこの男に限って。
「いやー……あんな女の子としゃべった記憶がないんだが……」
 哲平は地面の絵を見つめ、終始頭をひねっていた。っていうか、あの子もスクールに行ってたのか。と言うことは、確か俺の中学の時のバンドメンバーだった優も一緒のスクールだったはずだから……意外と世間は狭いんだなぁ。



――後編へ続く



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